【アップ】男山教会2022年7月17日礼拝説教/『思記』〜「家の記」より
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(不思議のパルプンテ)
https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos
【ノート】
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【カクヨム】
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【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=VjapRDqTG0s&feature=youtu.be
【ブログ】
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12755117943.html
(ブログを見てくださると聖書を閲覧できます)
前奏
招詞 イザヤ書46章3,4節
詩 編 歌 130番(3節)
開 会 祈祷
主 の 祈り(週報裏面)
十戒・祈祷(週報裏面)
子ども説教 子どもと親のカテキズム問89
「私たちの天のお父さま」
こどもさんびか
てんにいますわたしたちのちち[改19(1節)]
牧 会 祈祷
聖書
ヘブライ人への手紙10章19~25節(新P413)
イザヤ書46章8~13節(旧P1138)
説教
「神の約束と希望~
キリストの救いと義と栄光を求めつつ」
宮武輝彦
祈 祷
讃 美 歌 262番(1節)
みことばの交読文
コリント二 1章18~20節
感謝のささげもの・祈祷
頌 栄 539番
祝 祷
執り成しの祈祷
報 告
讃美歌~♪
讃 美 歌 262番
https://www.youtube.com/watch?v=KHYE0f99u10
1) 十字架の下ぞ いと安けき
神の義と愛の あえるところ
嵐吹くときの 巌の陰
荒野の中なる 我が隠れ家
2) 十字架の上に 我は仰ぐ
我がため悩める 神の御子を
妙にも尊き 神の愛よ
底いも知られぬ 人の罪よ
3) 十字架の陰に 我は立ちて
御顔の光を 絶えず求めん
この世の物みな 消ゆるときも
奇しく輝く その光を
2022年7月17日 礼拝説教 中心聖句
信頼しきって、真心から神に近づこう…約束してくださったのは真実な方なのですから、…希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。
ヘブライ人への手紙10章23節
わたしは初めから既に、先のことを告げ まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り わたしは望むことをすべて実行する。
イザヤ書46章10節
はじめに
今日、主が共におられた、宣教と教会50年の歩みを感謝し、全員懇談会「男山教会のこれから~主の幻を求めて」の主題説教として、共に、御言葉に聞く。
1
「それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。」「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ1章29節)と命じられるとおり、福音の約束は、ただ、御子イエス・キリストの到来と十字架と復活、贖いにおいて実現した。このイエスが、御子であり、救いの創始者でありながら、「数々の苦しみを通して完全な者」となられたことが、「万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであった」(2章10節)。「事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ている」(2章11節)。ただ、イエスご自身が、わたしたちを「兄弟と呼ぶことを恥としないで」、主の名を知らせ、賛美する集会(礼拝と交わり)において、神への信頼(祈りと従順)において、わたしたちを、神の子の一人として承認してくださる(詩編22編22節、イザヤ8章18節)。ここに、わたしたちが、神の家族とされた恵みが証しされる。教会の土台は、この主イエス・キリスト(マタイ16章18節、コリント一3章11節)。
2
「イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださった」。この「新しい」とは、元は「屠殺されたばかり」の意味。イエスの十字架上の死は、屠られた小羊としての死であり、この唯一完全な贖罪の犠牲において、この贖いを信じる者たちは皆、罪の覆いとしての「垂れ幕」を打ち破って、イエス到来前には、祭司のみが「至聖所」に入ったように、神に近づく道(真の神礼拝)を開かれた(エフェソ2章6節)。「更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。」と奨励されるとおり、主イエスは、ご自身の選びの民に対して、真の神礼拝への道を開かれたのみならず、「神の家を支配する偉大な祭司(大祭司)」として、いわゆる良心の呵責、自責の念、深い悩みと後悔、罪を告発する良心、処罰への不安と恐れから、すべての人を解放してくださる。「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ」る(コリント二7章10節)。
3
「約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう」(3章1節、4章14節)。わたしたちが、どのような困難、試練、迫害の中でも、確かな希望を抱くことができるのは、神がご自身の約束に対して忠実かつ真実な方であるから(6章18,19節、7章19節)。「互いに愛と善行に励むように心がけ、ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。」(ヨハネ一2章18節「多くの反キリスト」)
おわりに
偶像の神は、人に担がれ、真の神は、人を、その生涯を、背負う。今日、思い起こせ、と命じられるは、「わたしは神、ほかにいない」こと。この神のみが、昔からの約束と計画をすべて実行され、御子を与えられた。神の真実に固く立とう。
思記〜「家の記」より
巨大な壁、動かない。その壁の何億分の一程のサイズの小虫。でもそいつは動いた。しかもそいつは、俺が指でちょんとつついたら、その指の向きに逆らって前進した。これが命である。
「男とは・女とは基本的に合わないよ」なんて言ってる男女も居るが、でも合うから神様は男と女に創られたんでしょう?
よく「ここは歴史の在る街で…」等と言うが、何処にでも歴史は在る訳である。
視点が違えば世界も違う。
子供の頃から木曜日は群青色の網模様、ロマンチックな金木犀の印象があり、秋から冬にかけても少し暖かく、セーターを着た、お父んとお母んに連れられた少年の頃の俺を見る。それが木曜日。週半ばだから確かに少ししんどいところはあるが、それでも金曜日の貴重な金色を見る事も出来、楽しい事がある前のあの心の躍動、嬉しい感覚を知る事も出来る。子供の頃に覚えたロマンス、記憶のぬくもりであろう。
憎しみを消せれば臆病は消え、心は安定する。
恐怖や挫折に遭った時、それを癒すのは時間である。無事に過ぎる時間の経過により「何事も起きない」とする自信への保証とその恐怖・挫折への免疫が付き、人は強く成れる(生来の安心を取り戻す)。この時間と生来の安心を先に与えて下さったのは神様である。
この時代は箱なのか。箱庭なのか。何かそんな気がした。囲いに囲まれて居るようで、この今が過去になるような気がして、何かリセットされた後、また新しい時代が始まって、今「太古の昔」と言うように、今この瞬間がその昔に成るのではないか。こんな物、あんな物が在ったんだよ、と言われるそんな時代。悲しい。寂しい。でもその時は神様の下でみんな揃って。
何秒か前か後との違いで、街の様子も違う。
十代から二十代の頃に書いた日記を見て居ると、父と将棋をしたと言う件があった。こんなの今したら一大イベントだ。思えば、昔は父さんといろんな事をしていたなぁ。キャッチボールややっぱり将棋、散髪もして貰ったり、いろんな所に連れてって貰ったり。今は、散髪はしてやろうかと言ってくれるのだが、将棋やどこかへ二人でドライブ行ったり等は殆どしない。いや全くしなくなった。やっぱり息子でも若い頃は、父親とそう言う時間を持つものだったのだ。まぁ歳を取れば、三十、四十にもなれば、そう言う時間は持てないものか。まぁ酒を飲み交わしたりする場面もドラマや人生でよく見るが、俺は酒を飲まないから、そう言う場面もなく、実際飲んだとしても、この家で、父とならそんな事も無いのかも知れない。でも凄いと思った。昔は。こんなに沢山して貰えて、昔の贅沢だ。あとになってから、また同じ事を言うのだろうか。
場末にずっと居続けると、無性にそこから立ち去りたくなる衝動に駆られるものだ。
ペテロやヨハネや他の弟子達も、他の群衆達も、或いはイエス様の時代以降の多くの人々も、こんな不安を経て通って来たのだろうか。
美しくて奇麗なものが矢張り好きである。健全に居られると思えるからだ。
悪に悪が立ち向かえば、どちらかが正義に見える事が在る。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教5 「山があり 谷があろうとも」
https://www.youtube.com/watch?v=CpUW1JZZU4Y
「鷲の翼に載せて」THE DAILY with Arthur Hollands 2025/03/14
https://www.youtube.com/watch?v=wRw9GCynniU
イエス・キリストの生涯をたどる旅 II (1)
https://www.youtube.com/watch?v=vPB9SBXalPA
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin
不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬




