15 侯爵領に落ちる影
姫が何でも感心して聞いてくれるので、村の畑を見回りながらついつい調子にのっていろいろ話してしまう。
「すごいです!ダルシオン様。
ダルシオン様に教えてもらわなければ、私は一生知らないままだったでしょう。
今まで小麦も他の作物も、作物はすべて春に種をまくのだと思っていたくらいです。恥ずかしいです。」
「今年、春蒔き用の小麦の種をまいたのをご覧になっていましたからね。じっさい春に作付けするものは多いですから、そう思ってもおかしくありませんよ。それに俺なんて農業の専門家からみたら、ひよっ子の青二才でしょう。」
そう俺の知識なんて、しょせん父さんからの受け売りにすぎない。
「でも村長は、こんなに農業に詳しい領主様は初めてだって言ってましたよ。ダルシオン様のおかげで冬が越せるって、とっても喜んでいました。」
「有り難いですが、俺の助けなんて微々たるものです。ここまでこれたのは領民の皆が頑張ってくれたおかげです。それに辺境伯様や辺境周辺の領主達の助けがなければ、とても冬を越す量を確保なんて出来ませんでしたよ。」
本当の事なので正直につげる。
春に侯爵領を拝領して、すぐに実家のエイナー子爵領から持ってきた春蒔き小麦の種を蒔いた。
春蒔きの小麦は冬をまたがずに実るため、秋蒔きに比べると早く収穫出来る。
しかしその分、秋蒔きと比べると収穫量は少ない。
しかも荒れ果てた畑だ、本当に実るかどうかも賭けに近かった。
だから辺境伯様はじめ近隣の辺境領主たちからの小麦の支援は本当に助かった。
しかも秋に秋蒔の種を蒔ければ冬を乗り越えたあとの食糧も確保できるのだから俺たち侯爵領の者は辺境伯様達に足を向けて寝られない。
「いつかこの地が豊かになったなら、必ず恩返しがしたいです。」
侯爵領は今は荒れ果てていても、かつては国有数の穀倉地帯だったのが頷ける麦の育成に適した黒土の広大な平野と大量の雪解け水のおかげで水量も豊富だ。見渡す限りの黄金色に実る麦畑が広がる光景をきっといつか見れるはずだ。
領民たちの希望に満ちた目が、それが可能だと俺に信じさせてくれる。
姫が眩しいものを見るような眼差しを俺に向けた。
「私も、早くお手伝いが出来るようになりたいです…。」
どちらともなく手を繋いで、テクテクとしばし無言で田舎道を歩く。
夕陽が背中に当たり、二人の長い影が道に伸びていく。
「……日が暮れるのが早くなってきましたね…。そろそろ、帰りましょうか?」
気がつくと、あたりは薄暗くなってきていた。
姫と手を繋いでいない方の手に魔力を集中させて、手のひらに小さな火の玉を出して辺りを照らす。
「わぁ、明るいです。ダルシオン様の炎は、いつみても優しくて温かくて綺麗ですねえ。」
褒められて嬉しくなる。
「小さな火の玉しか出せませんが、そう言ってもらえて嬉しいです。」
「小さな火の玉だなんて…、貴族でもいま魔力を使える人はほとんどいないと聞きますよ。」
「ああ……。そうらしいですね。」
どうもそうらしい。
王都のあの勇者を讃える式典で、姉が息苦しささえ感じる程の魔力と殺気を放っていた時、誰もそれに気づかなかったのは、誰も魔力を使えなかったかららしい。
微々たるものとはいえ、しがない田舎の子爵令息の俺でさえ魔力を使えるのに王家ですら魔力を使えない事が不思議で姉に尋ねた。
『何世代にも渡って食っちゃ寝、食っちゃ寝の豚のよう……いえ、豚に失礼ね、ゴミカスのような怠惰な暮らしを続けて来た結果よ。
魔物や魔獣の相手は辺境や周辺の領主に丸投げして自分たちは安全な領地で安寧を貪ってきた。
魔力は誰しもが持っているけれど、それなりに訓練をしなければ使えるようにならない。
使えるようになっても長い間使われずにいると、その回路すら錆びついて完全に使えなくなるわ。
いつしか王家や王都に近い中央貴族は魔力を使うことをやめてしまった。野蛮だとすら思っている貴族もいるくらいよ。』
それで良いのか王侯貴族たち?と思うが彼らにしたら戦う機会もない魔物や魔獣の為に訓練をして、使えるようになっても俺のように小さな火の玉が出せる程度では割に合わない労力なのだろう。
習得する必要がない環境なら、それはそれで良いことなのかもしれないけれども…。
ちなみにうちのイケメン眼鏡は氷属性の魔力持ちだ。
魔力までクールで羨ましい。
夏場になると牛乳やお茶をキンキンに出来て重ねて羨ましい。
「私もヴァレリアに教えてもらって訓練してみたのだけど……ちっとも使えるようにならなくて。エイナー家のみなさんは火属性の魔力を使えるんですよね。」
姫が残念そうにつぶやく。こればかりは小さな頃からの積み重ねなので仕方がない。
「はい、確かに俺も父も使えますけど、ご覧の通り大した事は出来ないですよ。姉が規格外なだけで。」
そう、姉が本気で魔力を使えばここら一帯を火炎で消し炭に出来てしまうけれども、俺が出せるのは小さな火の玉だ。父さんも似たようなもんだ。
「そんな!ダルシオン様は凄いです!それに、とっても強いじゃないですか!」
「強い?」
俺に似つかわしくない単語が飛び出して、キョトンとしてしまう。
「はい、来る途中、何度も狩りをして下さいましたよね!」
「あー………。」
確かに道中、何度か姫に体力をつけてあげたくて食材として野生の猪や小型の魔獣を狩った。
しかし強いかと言うと疑問だ。
俺の場合、魔力でほんの少し身体強化したあと両拳に炎を纏わせて、相手が火に怯んだところを体力に任せてタコ殴るという泥くさい方法で狩りをする。
3年前に姉が子爵領を出ていってから、人里に出て来る魔獣の退治は俺の担当になった。
父さんは戦闘はからきしで、イケメン眼鏡なんて論外だったので俺がやるしかなかったのだ。
だから何とか拳に炎を纏わせて戦うという術を生み出して倒していた。
でもそれだって、小型の魔獣が限界で中型以上の魔獣が出れば村中総出で何とかしていた。
3年間も魔獣退治に従事していたのだから、人よりは少しはコツを掴んでいるし、日頃の農作業や畜産業で体力もあるだろうが、強いかと言われると姉の人外の強さを目の当たりにしてきた身としては疑問を持たざるを得ない。
「うーん、そんな大した事ないんですけど…。でも、ありがとうございます。」
そう言って姫に微笑みかけたが、姫は納得行かないようで…
「もう、本当なのにぃ……。」
とブツブツ言いながらほっぺたを膨らませていた。つつきたい。可愛い。
姫とそんなたわいもない話しをしながら泊めてもらっている村長の家まで歩いていると、
村のすぐ近くに建てられた食糧保管庫の側で農民といった格好の男が一人うろついているのが見えた。
一見何の変哲もない普通の男に見える。
中肉中背で服も辺境では良く見かける格好だ。
襟口が首まで詰まっいて冷気が入らないように手首周りがすぼめられている上着、同じ理由で裾のすぼめられているズボン。動物の毛皮で作られたチョッキに厚地のブーツ、耳あてのついた帽子。
肩には鍬をかけて持っている。
だが、何か違和感を感じた。どこだろう?何が?
特に何かおかしい格好をしている理由ではないのだが、何かがひっかかる。
ついジッと見つめてしまう。
俺の視線に気がついたのか男がこちらに向かい頭を下げて、俺の横を通り過ぎて行こうとしたので、
思わず声をかける…
「なぁ、ちょっとあんた………!!??」
(こんな時間に鍬なんかもってどうしたんだ?)と続けようとした瞬間
男が振り向きざまにザシュッと持っていた鍬を鋭く振切ったのだ。
「ダルシオン様!!!」
姫が悲鳴にも似た声で俺の名を叫ぶ。
間一髪で避けた俺の首元の服がバラリと切れた。
『コイツ、俺の首を狙ってきやがった!?』
驚きながらも素早く身体強化の魔力を込めて、姫を抱えて飛び退き男から距離をとる。
ブワリと緊張で冷や汗が噴き出す。直前まで殺気は感じなかった。
だが……。
理由はわからないが、コイツがいま俺を殺そうとしたことは事実だ。
『まずは姫を逃さなくては!』
その事がすぐに頭に浮かび、覚悟を決める。
じゅうぶん距離をとって姫を地面に下ろした瞬間に勢いよく大地を蹴って男に向って走る。
「姫!今すぐ村長の家に行って助けを呼んできて下さい!お願いします!」
走りながら姫に叫ぶ。
「!!!わ、わかりました!!」
泣きそうな声で返事をした姫が村長の家の方に走り出す姿が視界の端にみえた。
男が姫の方に視線を送りそちらに動きかけたのを見て、地面に落ちている石を拾い、男の方に駆けながら男めがけて投げつけた。
身体強化して投げた石はそれなりの威力で、ビュッと風を切りながら男の顔前をかすっていった。
『姫の方に行かせるかよ!!』
男が石を避けたタイミングで仰け反ったのを見逃さず、屈んで下から鍬を持っている手を蹴り上げた。
男の手から離れた鍬が弧を描いて飛んでいく。
『このままたたみかける!』
男は動揺した様子もなく、手から離れた鍬を見向きもせずに素早い動きで袖から短刀を抜きだし俺の首目がけて突き出してきた。
俺は首を傾げて男の短刀を躱しながら更に男の懐に踏み込んだ。男の短刀が首の横スレスレを通り過ぎる。そして懐に入ったその瞬間、男の眼前に手をかざし炎を出現させた。
どんな動物も、炎だけは本能で怯む。
男が驚きで目を見開き、一瞬無防備になったところを狙い、ありったけの魔力と腕力をのせたもう片方の拳で急所を思いっ切り殴りつけた。どことは言わない。
すっ飛んだ男がゴロゴロと転がって、20メートルくらい先で止まった。
男は、仰向けに倒れたまま、白眼を向いてピクピクと痙攣している。
『…上手いこと気絶させられたみたいだ。』
安堵の息を吐き出すと、いまさらながら膝が笑い出した。
「ま、まだ駄目だ、拘束しないと……。」
抜けそうになる腰を叱責しながら、なんとか服を切り裂いた布で男の手と足を縛っていると、村の方から人の足音と篝火が見えて、手に鋤や鍬をもった村長と村人が駆けて来てくれた。
遠くにこちらに駆けて来ている姫の姿も見える。
「ご領主様!ご無事ですかー!!!」
その姿をみて、完全に腰が抜けて尻もちをつく。
「は、はは、な、なんとか……。」
少し遅れて到着した姫が俺に飛びつく。
「うわっ!」
尻もちをついた状態で受け止める。
「ダルシオン様!ダルシオン様!ダルシオン様!!」
村に助けを呼びに一生懸命走ってくれたのだろう。玉のような汗をかきながら大粒の涙を流して俺にしがみついた。
「ダルシオン様!ダルシオン様!良かった、生きてる!いきてるぅ、うわーん!」
ガチ泣きにギョッとしてしまう。
「奥方様はご領主様が賊に襲われていると駆け込んで来られました。危ないから村にいて下さいと言ったのですが、ご自分も戻ると仰られて引かずについて来られたのですよ。」
村長が微笑ましいものを見る目で説明してくれた。
俺の腕の中で子供のようにわんわんと泣きながらしがみついている姫をギュッと抱きしめた。




