14 北端の村にて
秋が深まりつつある候爵領を、姫と二人俺は歩いていた。
北方に位置する辺境の秋は思ったよりも早く訪れる。まだ10月だというのに冬なんじゃないかと思い身震いする。
ペッタンペッタンとやっていた判子係の仕事も一段落し、やることがあまりなく執務室で手持ち無沙汰にしていたら、暇なら村々の様子でも見てこいと姉に放り出されたのだ。
本格的に冬になれば、北方の中でも更に北に位置する村などは、豪雪で行き来することが困難になるため今のうちに不備がないかどうかの確認をする必要がある。
なにより
『人里離れた村になればなるほど閉ざされた冬の孤立は不安になるものだ、領主自ら出向くことによって"この村は気にかけて貰えている、見捨てられることはない"と安心感を与えることが出来るのだ。』
との辺境伯様から有り難いアドバイスを頂いた為、侯爵領の最北の村から回ることになった。
嬉しい誤算があったのは、その行程に姫が付いてくると言い出したことだった。
『村人に安心感を与えるのが目的なら、ふ、夫婦で行ったほうがより安心してもらえると思うの。』
最初は危険だなんだと反対していた姉だったが
『ヴァレリアが教えてくれたから馬にだって乗れるし、私は寒さにもなれているもの。何よりもダルシオン様と侯爵領のみんなの役に少しでも立ちたいの…。
お願い、ヴァレリア………。」
胸の前で手を組み、上目遣いに潤んだ瞳で見つめられて姉は陥落し、文字通り血の涙を流しながら送り出してくれた。
姫は自身が言った通り、乗馬の腕前は確かで、王宮の奥深くでお育ちになったとは思えないほど身の回りのこともテキパキとこなされていた。
『ヴァレリアが教えるのが上手だったのよ。』と笑っていたが、本来であれば傅かれ、蝶よ花よと育てられていた筈の人だ。
姫のこれまでの境遇を思うと、たまらなく胸が痛くなった。
最北の村までの道のりは、思った以上に充実していて楽しいものになった。
馬の轡を並べながら、お互いのこと、好きな食べ物、面白かったこと、とくに姫は俺や姉が幼かった子供の頃の話を聞きたがったので沢山の思い出話をした。
主に俺の失敗談だったが、姫はキラキラした目で楽しそうに笑ってくれた。
冗談をいいながら二人で辺境の雄大な自然を眺め、時には俺が狩りをして仕留めた獲物を二人で料理して食べた。
あっという間に着いた村々で俺と姫は大歓迎された。
夫婦で訪問した効果は絶大で
『ま、まさか侯爵様みずから来て頂けただけでなく、奥方様までお越し下さるとは!!」
と涙を流して喜んでくれる領民までいてくれた。
奥方様と呼ばれて姫は少し恥ずかしそうだったけれども、俺と目が合うと嬉しそうに笑ってくれたので、俺は嬉しいような泣きたいような上手く言葉に出来ない感情で胸がいっぱいになった。
村長に案内された村の食糧保管庫は小麦を始めとする豆やじゃがいもなど、冬を越すための食糧で満たされていた。
食糧保管庫は村々にひとつ設けられおり、どの村の保管庫も冬を越すのに十分な量を備蓄する事が出来た。
どの村の領民の顔も、半年以上前に見た時とは比べようもなく明るく活気に満ちていた。
安心して冬を越し春を迎えることが出来る。
そんなあたりまえの事が許されなかった環境だったのだ、領民達の喜びはひとしおだろう。
「ダルシオン様、あの芽は何でしょうか?」
姫に問われ目線の先をたどれば、収穫が終わり丸坊主となった畑の横に発芽してほどない新芽が広がっていた。
「……ああ。」
良かった、ちゃんと育ってる。心の中でホッとする。
「あれはライ麦の芽です。」
「ライ麦?」
「はい。辺境伯様が8カ月前、小麦と一緒に種子を送ってくれたのですが、それが秋蒔きのライ麦の種だったので、秋になったら蒔くようにと指示を出していたんです。」
「そうなのですか?ですが辺境領でもとりわけ北端の地は極寒で雪深くなると聞いています。冬の間雪に覆われて、ライ麦の芽は大丈夫なのでしょうか?」
姫が心配そうな瞳で幼い芽を見つめる。
そんな表情があどけなくて、つい顔がほころんでしまう。
「大丈夫ですよ。
麦には春蒔きのものと秋蒔きのものがあるんですが、秋蒔の麦はむしろ冬の冷たさを感じることで芽を出し実をつけるんです。
それに秋蒔きの麦の中でもライ麦は、小麦よりも寒冷地に強い品種が多く、特にこのライ麦は霜にも雪にも耐性の強い品種なんですよ。
冬の間、雪の下で寒さにじっと耐えて春になるとグングン伸びて夏には沢山収穫出来るでしょう。小麦に比べると味は劣りますが……。」
ライ麦で作るパンは小麦と比べるとどうしても硬くパサパサしていて美味しくないが、ライ麦は耐寒性に優れておりさらに栄養価は小麦よりも高い。
この地にうってつけの穀物だ、さすが辺境の地を知り尽くしている辺境伯様チョイスである。
「寒さに耐えて…。ライ麦は強いんですね……。」
姫が何か考え込むようにポツリと呟いたあと黙り込んでしまう。
少しだけ悲しそうな横顔に心配になる。
もしかしたら、ライ麦の話を聞いて、今までのご自分の環境と重ね合わせてしまったのかもしれない。
「……………麦は、踏めば踏むほど強くなるって言われているんですよ。」
「えっ、踏む!?ふ、踏んでしまうんですか?」
信じられないとでも言いたげな、びっくりした顔で姫がこちらを見上げる。
「はい。麦踏みと言って冬の間に何度か行うんですが、踏むことによって伸び過ぎるのを防ぎ、土を固めて根がしっかりと張れるようにするんです。霜柱の対策にもなります。」
「でも……そんなことをしたら折れてしまうんじゃ……。」
心配そうな姫に安心させるように微笑みかける。
「麦はしなやかなので、ちょっと踏んだくらいでは折れたりしません。
むしろ踏まれるたびに強くなって立ち上がり、葉は硬くなり茎は太くなります。新しい茎も生えて来るんですよ。」
姫の顔から陰りが消えて、黒曜石の綺麗な瞳が驚いたようにまん丸になった。
「凄い。麦って格好いいんですね!」
感心したように姫はそんな事を言う。
なんだか姫のもの言いが子供のようで可笑しくて吹き出しそうになる。
「ふっ、…そうですね。
そうだ、姫様も麦踏みを体験されてみますか?」
ふと思い立って聞いてみる。姫は何気に好奇心が旺盛なので、興味を持たれるかもしれない。
「えっ!本当ですか?いいんですか?」
弾けるような返事がかえり、姫が俺に詰め寄る。
「あ、ええ、今はまだ時期が早いので、もうしばらくしてからになりますが……、良ければ一緒にやりましょうか?」
姫に食いつき気味に距離を詰められて、俺は少しドキドキしながら提案してみる。
「一緒に!嬉しいです!
約束ですよダルシオン様!ぜったい絶対誘って下さいね!
ぜったい絶対一緒にやって下さいね!約束破っちゃ嫌ですよ!」
必死な顔で何度も何度も念を押される。
「はい。約束します。」
俺が約束をすると、姫は安心したように満面の笑顔で俺に言った。
「ありがとうございますダルシオン様!大好きです!!」
「……………………アリガトウゴザイマス。」
ああ本当、この姫はどれだけ俺を好きにさせたら気が済むんだろうか?
赤い顔を見られたくなくて、俺は思わず天を仰いだのだった。




