12 王妃の狂気
王妃を裏切った侍女の処刑は、王妃の出産と心身の安定を待って行われるはずだった。
だが、その侍女が身籠っていると判明したとき侍女の処刑に"待った"をかけたのは意外にも王妃だった。
『子どもに罪はない…。』
侍女のことは腹わたが煮えくり返るほど憎かったし、王に薬を盛ったのだ、処刑されるのは当然だと思っていた。
だが侍女の腹の中に子供がいると知り、悩みに悩み葛藤した末、侍女の助命を王に嘆願したのだ。
子供を産み育てる母として、どれほど侍女が憎くとも赤子を殺すことは出来ない……。それに王の子供でもあるのだ。
侍女は、牢の中で王妃に会いたいと毎日懇願しているという。侍女の事を許すことなど到底出来ないが牢の中で一生悔いて欲しい。
産まれる赤子はどこか遠くに養子にだせばよいだろう。
侍女への最後の慈悲でもあった。
そうして数ヶ月後
王妃のもとに侍女の出産と同時に侍女の死の報告がもたらされた。
「…………あれが死んだと……?」
王妃はその報告を愕然と聞いた。
自分を裏切った女、夫を寝取った女、自分を欺き苦しめた女。
憎んでも憎み足りない女ではあるが、その頃には死んで欲しいとは思っていなかった。
只々、牢で一生悔いて欲しい。そう願っていた。
それが出産で生命を落としたという。
「かの者は、死ぬ間際まで王妃様に会いたいと申していたそうでございます。」
気がつけば、王妃の足は死んだ侍女のいる牢へと向かっていた。
薄暗い牢の中、王妃は足を踏み入れた。
牢の中いっぱいに充満するすえた血の匂い、自身の血により真っ赤に染められた簡素な衣服を纏う侍女の遺体が簡素なベットに横たわっている。
その侍女の遺体を見た瞬間、王妃は切り裂くような悲鳴をあげた。
「ヒイイイイイイイイイイイイイ!!!!!」
遺体は枯れ枝の様にやせ細り、肌は干からびたようひび割れていた。
顔は赤紫色に変色し、ぽかんと開かれた口からはだらりと舌が垂れ、眼球が飛び出さんばかりに見開かれた目は白く濁り、ざんばらに散らばる長い髪は老婆のように真っ白だった。
「……誰じゃ………誰じゃ…………このような女は知らぬ………これが、これが、あの侍女のはずがない。」
あまりに無惨な遺体。
目の前の遺体があの侍女だと認識することを頭が拒否する。
かつて妹のように可愛がっていた侍女。その姿は何処にもない。
在りし日の姿が鮮明によみがえる。
「イヤアアアアアアアアア!!!!!」
こんな、こんなのは違う、憎んでいた、憎んでいたけれどもこんなのは違う
こんな死に方を望んでいたのではない!
パニックになり王妃は叫び続けた。
「イヤアァァァァァァァァ!!!イヤアァァァァァァァ!!!」
何故こんな事に…………何故こんな事に………………こんな事が起こるはずがない
ただの出産で……………こんな事が起きるはずがない………………。
こんな姿に………なるはずがない…………。
やがて目の前の現実を受け入れられず呆然となった王妃に
おくるみに包まれた赤子を抱く青ざめた顔の女官が、ガタガタと震える声で王妃に声をかける。
「お、王妃様、………こ、こちらの姫君は……ど、どうしたら………。」
女官が恐る恐る、ぶるぶると震える腕で王妃の前に赤子を差し出した。
王妃は、感情が抜け落ちた目でその赤子に目を向けた。
そしてその赤子を見た瞬間、王妃は凍りついた。
かつての侍女にそっくりな顔に真っ黒な髪。
薄っすらと開いた瞼からのぞく真っ黒な瞳。
まるで侍女から全てを奪い取ったかのようなその姿。
王妃の中の何かが壊れた。
王妃の中の何かが崩れた。
そして
王妃は弾けるよに理解したのだ。
ああ………………コレは悪魔だ!
あの日、烏の黒い羽が舞うように、黒い髪を振り乱していた侍女。
そう烏の形をした悪魔…………。
そうじゃ、そうに違いない。
コレは悪魔なのだ………………。
コレが、侍女の身体をのっとり、あの様な事をさせたのだ。
侍女を殺し、侍女の色を奪い、侍女の姿で産まれてきた悪魔。
コレは悪魔だ、醜い醜い烏の悪魔……。
「アァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
やがて王妃の顔から表情が消え、かわりに瞳には凍えるような冷たい光が灯る。
「お、王妃様?あ、あの…………。」
凍てつくような王妃の瞳
「…………………………そなたが育てよ。」
「…………………えっ………」
「この牢の中で………生かさず、殺さず、己のことがある程度出来る歳になったら………王宮に連れてまいれ。」
王妃の恐ろしい視線に、女官は身を固く縮こませながら頭をたれる。
「………………………か、かしこまりました。」
いますぐには殺さぬ…………。
この悪魔を………簡単に殺すなどしない。
長い時間をかけて、苦しめ、いたぶり、妾が受けた苦痛の分だけ思い知らせてやろう。
妾の侍女に取り付き、妾を裏切らせ、妾の侍女を殺し、妾に苦痛を与えるために産まれてきた悪魔。
…………ただでは殺さぬ。
絶望と苦痛をじっくりと味あわせてから、ゆっくり、ゆっくり嬲り殺しにしてやればいい。
それから姫が10の歳になった時、王妃は姫を王宮に引き取った。
誰も味方のいない王宮で、碌に食事も与えられず、殴られ、蹴られ、虫けらをみるような視線に晒され続け、侮蔑を込めた言葉をぶつけられ唾棄される。
そんな生活を姫が3年続けていた頃に、辺境から支援の要請が届いた。
それを聞いた時、ちょうどいい機会だと王妃は思った。
この悪魔を、辺境へ送ってやろう。
表向きは王の娘となっている。王の名代の王女として辺境に送ってしまえばいいのだ。
辺境伯の領はいま魔王軍との激戦地となっていると聞く。
支援物資を持たせずに、この悪魔を送ってやったら、辺境の不満や憤りは膨れ上がり、この悪魔に向けられるだろう。
辺境の魔物どもの餌でも、辺境の者達の慰み者にでもなんでもなるがいい。
辺境に住まう者の憎しみのはけ口として、いずれ嬲り殺されて死ねばいい。
醜い黒い羽根を無惨に散らせて死ぬ、悪魔にピッタリの死に方だ。
そうして王に奏上し、姫は13の歳に辺境伯領へ送られた。
だがしかし、予想に反して辺境伯は姫の事を護り隠した。
3年間、待てど暮らせど姫の無残な死の知らせは王妃の耳に届かなかった。
それどころか、勇者が魔王を打ち倒し、その勇者を従えてこの王宮に戻って来るという。
王妃は戦慄した。
まさかそのような事になろうとは。
あれは悪魔だ。さらなる不幸をもたらすに違いない。
いいや不幸どころか、この王国そのものに禍をもたらすつもりなのかもしれない。
あの悪魔を辺境へ送ってから3年、年を追う事に国の財政はどんどんと傾いていった。
これはきっと、あの悪魔の呪いに違いない。
妾を不幸の底へ突き落とすだけでは飽き足らず、国すら滅ぼすつもりに相違ない。
どうにかしなければ……………。
焦る王妃の耳に、ある商人からとある遠国の富豪の男が、高貴な身分の女を探しているとの話しが入る。
その男は嗜虐趣味のある男で高貴な身分の女を買っては痛めつけ苦しめ、飽きれば噂のよくない娼館に売りつけ、更に苦しむ様を見て楽しんだ後、最後に酷たらしく殺すという。
もしも王国の王女のうち誰か渡してくれるならば、金に糸目はつけないと言っているという。
どれほど金を積まれたとて、愛する王女達をそのような者のところへ行かせるあろう筈がない。
商人を一喝しようとして、ふと気づく、…………あの悪魔がいる。
あの悪魔は表向き王国の王女となっている。
王女のうちの誰か、ならばあの悪魔でもいいはずだ。
王家の財政はひっ迫している。あの悪魔を売ることで多額の金を得られるうえ、尚且つあの悪魔を処分出来るのだ。しかも残虐なやり方で…………。
王妃はその話に飛びついた。
あの悪魔が戻って来たら、すぐさまその男に売り払ってしまおう。
そうして段取りをつけ、あとはあの悪魔が戻って来るのを待つばかりだったというのに…………。
『王国の至宝たる麗しの末姫フォルティナ様を!!!』
『 我が弟の花嫁に!!!! 』
あろう事か勇者が自身の弟の妻にあの悪魔を望んだのだ!
しかも勇者の弟は、王妃の警告を聞かず皆の前で求婚した。
そのうえ広大な侯爵領と侯爵位まで奪い取っていったのである。
勇者を讃え、褒章を授けるための式典であったため、広間には他国からの賓客も多く招かれていた。
他国の目があるそんな中、勇者の要求を通さないわけにいかず、王妃は煮え湯を飲まされたのだ。
何としても奪い戻さねばならない
勇者が領地と爵位を望んだ時に侯爵領を与えたのは、そこしか与えられる領地が無かったからだ。どうせ子爵家ごときがどうにか出来るはずもないとの侮りもあった。すぐに音を上げ返還され戻って来ると思っていた。
侯爵領は国が落ち着けばいずれまた巨大な食糧庫及び資金源として必要になってくる。
勇者と王子の婚姻も、王家が勇者を要する国として、威信と信頼を取り戻す為に必要不可欠なものだ。
何よりも、あの穢らわしい烏のような悪魔をそのままにしておく理由には行かない。
例の商人からは、王女はまだかと矢のような催促が届いている。
取引にあたり、商人からはすでに前金を受け取っていた。
それも既に手を付け、底をついてしまっている。
「何としてでも奪い返さねばならぬ。」
王妃はギリギリと奥歯を食いしばる。
ぞっとするほど冷酷な顔、その瞳には仄暗い憎悪の焔が揺らめいていた。




