慶応3年12月7日(1)
おじいさんのありがた~い おはなし。
慶応3年4月に発生した海援隊が運用していた「いろは丸」が紀州船「明光丸」と衝突し沈没した「いろは丸沈没事件」で、紀州藩は賠償金として8万3526両198文(現在の価値で164億円)を支払うことになった。天下の御三家が、土佐藩の傘下にあるとはいえ浪士団に訴訟で負けるという事態に紀州藩内では、報復を誓うものも多かった。その中でも、海難事故の交渉役として紀州藩の代表を務めた三浦休太郎は、佐幕派であることもあって、龍馬殺害の黒幕ではないかという疑いが、最も強く掛けられていた。
身辺を探っていた峰吉からの報告では、三浦の身辺を新選組が警護していた。三浦が浪士たちに狙われていることを知らされた紀伊藩が、護衛を依頼したとのことであった。しかも護衛にあたっているのは斎藤一率いる三番組とのことであった。
これまで多くの尊攘派の志士たちを殺害してきた新選組、しかも新選組最強剣士の一角である斎藤一を相手にするには、京にいる海援隊士だけでは、明らかに人手が不足していた。海援隊は龍馬の供回りとして上京した数名を除いて、大多数は長崎に残ったままで、岩崎弥太郎が土佐藩船で急を告げに向かったばかりであった。そこで陸奥は隊長中岡慎太郎を失った陸援隊の副将格の田中顕助、斎原治一郎らと合同で敵討ちの機会を覗うこととなった。
陸援隊の拠点がある京都郊外の白川村に潜伏した陸奥ら海援隊、陸援隊の浪士たちは、三浦の様子を見張った。三浦が京にいるうちに襲撃をかけないと、紀伊に戻られるとどうにもならない。しかも相手には斎藤一という剣豪がついている。
斎藤に対抗するため先鋒に「人切り庄五郎」の異名を持つ十津川郷士中井庄五郎、宇和島藩脱藩の剣客宮地彦六(土居通夫)を仲間に加え、十六名の精鋭を選抜し。陸奥が総大将として同士を率いることになった。
慶応三年十二月七日、この日三浦が天満屋で酒宴を行うという情報が、紀州藩邸に放っていた間者から伝えられた。新選組屯所の前で餅売りをしながら様子を探っていた峰吉が、斎藤一が十名ほどの隊士を引き連れ天満屋に向かったと駆け戻ってきた。
ーん、ここは白川村か。久しぶりじゃのうー
龍馬が扉を開けると目の前に広がったのは見覚えのある京都郊外の白川村の風景であった。陸奥の前には見覚えのある男達が集まっていた。
「支度所として下京にある料亭『河亀屋』に目立たぬように数組に分けて出立する。最初に私が中井殿、宮地殿と先行する。残りは岩村精一郎殿、斉原治一郎殿、沢村惣之丞殿らを中心に数組に分かれて出発するように。」
そういうと、陸奥は各自に四両ずつの逃走資金を渡した。
ーこれは、討ち入りか? しかし誰を討つつもりなんじゃ。っていうか陸奥は荒事には向かんじゃろうに大丈夫なのか。ー
「今夜、必ず龍馬さん、中岡さんの敵を討って、墓前に捧げる。」
陸奥がそう叫ぶと一同は気勢を上げた。
ーおっ、庄五郎さんがいるじゃないか。その隣は見覚えはあるんじゃが、宮地って……、あの刀は見覚えがあるぞ……。ああ、宇和島の彦六さんか。この二人がついちょるなら、陸奥も大概大丈夫じゃろうな。ー
京に向かって街道を進む陽之助の周りをうろうろしながら、龍馬は三人に付いて「河亀屋」に入った。三々五々集まってくる同志たちに陽之助は用意していた目印の白鉢巻を配っていた。
時刻はそろそろ亥の刻となっていた。「天満屋」の様子を探りに行った峰吉が戻ってきた。
「既に『天満屋』では宴会が始まり、二十四、五名になっています。酒が回っているようで歌ってます。多分、あれは斎藤の声だと思います。」
「新選組にも酒が回っているということだな。よし、打ち合わせ通り、組で行動するんだ。決して単独行動は慎むように、先鋒はお二人にお任せいたします。私はその後に続きます。」
ーちょいまて、陽之助!新選組の斎藤って、あの斎藤一じゃろ。こりゃ罠かもしれんぞ。あの男がそんな油断をするはずがなかろうが……。寄りにも寄って新選組と事を構えるつもりなのか。こりゃいかんな。ここで陽之助が討たれたら……、おい!陽之助!!!ー
陸奥は、懐から龍馬の形見の桔梗紋の入った印籠を取り出すと
「今夜こそ、龍馬さんの敵を取るぞ!」
ーおーっ、あれはわしの印籠、おーい、陽之助、わしじゃ、わしじゃ!ー
「この形見の印籠を持つと、龍馬さんの声が聞こえてくるようだ。龍馬さんが呼んでいる。」
ーおー、気づいたか。おーい陽之助!!!ー
「皆の衆、あの世から龍馬さんが呼んでいます。この印籠にかけて、必ず敵を取りましょう。」
一同は陸奥を先頭に「天満屋」向けて出陣した。
ーこりゃ困ったのう。声が聞こえても話にならん。ー
ま、普通気のせいと思うわな。