ディオゲネスクラブ
龍馬ロンドン編が続きます。
この一年、四人はオックスフォード大学の聴講生として政治学、法学、経済学などの講義に出席しつつ、イギリス議会の見学に通っていた。その空き時間、乾と後藤はロンドンの上流階級が集まるパブへ出かけていた。龍馬は時々それに付き合いつつ、博物館や劇場、音楽堂、競馬場など街中の様々なところに顔を出していた。そして英会話の苦手な武市は図書館に通いつつ、時々一人でどこかに出かけて行った。
「わしもついて行っていいか。」
「ああ、しかしルールは守ってもらうぞ。」
「Hey!Ryoma!」
「Ryoma!」
「Oh!Dragon Horse!」
通りに出ると、あちらこちらから声がかかる。それに龍馬は笑顔で答える。
「ちょっと、寄るところがある。」
龍馬はコヴェント・ガーデンにつくと、キョロキョロと辺りを見回している。
「Ryoma!」
「おお、イライザさん。」
「リョーマは怖い日本人じゃないよね。」
「わしは、ジェントルマンじゃぞ。」
「そうだよね。怖い殺人鬼が捕まったって、はい、今日のお花。」
龍馬は銀貨を一枚渡すと籠一杯の花を受け取った。
「龍馬、いつも寮にある花はこれなのか?」
「そうじゃのう。余った分は大学や議会に飾ってもらっちょる。」
武市は龍馬が大学構内や議会場の職員たちに知り合いが多い理由が分かった。
二人はコヴェント・ガーデンからトラファルガー広場を通り抜け、ペル・メル通りに向かった。この高級住宅地に続く通りには様々な上流貴族のための紳士クラブが多く建てられていた。武市はそのうちの一軒に近づいた。
「龍馬、誰かついてきているぞ。」
「あ、ありゃ教授じゃな。」
「教授?」
「ミスター・ヒギンズ!」
「おお、リョーマじゃないか。」
教授は驚いたような表情をした。ここで龍馬に会うとは思わなかったのだろう。
「何を驚いちょるんじゃ。」
「後を付けてきただろう。」
「いや、前の二人連れが同じ方向に向かっていて、その一人がお前だったんで驚いたんじゃ。」
「本当か?」
武市は以蔵の件もあって妙に警戒している。
「武市さん、この教授は変わりものでな、わしやイライザさんの会話をメモしとる。」
「変わり者か。」
「あなたは武市さんというのじゃな。」
「わたしをご存じで?」
「よくクラブで見かけておるぞ。」
武市は驚いた顔でヒギンズ教授を見た。そういえば見覚えがないこともない。
「武市さんはクラブ通いをしているんか。踊っているんか?」
「踊らんぞ!」
「我々のクラブは少し変わったクラブでな、みんな一人でやってくるんじゃよ。それで二人連れというのはめったにないんじゃよ。」
「いったい、どんなクラブなんじゃ?」
「ディオゲネスクラブじゃ」
「ディオゲネスクラブだ」
武市とヒギンズ教授は同時に声を上げた。
「英会話の苦手な武市さんは、社交クラブで会話の修行中か?」
「いや、龍馬。ここでは会話しなくてもいいんだ。いやむしろ話してはいけないんだ。」
「ここだと、乱れた英語を聞かなくて済むから、気が休まるんじゃよ。」
「社交しない、社交クラブなのか?」
「紳士クラブじゃよ。」
「龍馬、ここは人付き合い嫌いな人が集まるクラブなんだ。」
「人付き合いが嫌いなら、クラブになんぞ行かなきゃいいんじゃないか。」
「まあな、でもここでは筆談で会話ができる。」
几帳面な性格の武市は文法やスペルミスのない完璧な英文を書くことができた。しかもその文体がシェイクスピアそっくりであった。
「そうそう、この日本人は完璧な伝統的英語を書くことで評判なんじゃ。」
「伝統的?候文か?」
「まあ、そんなもんだな。」
「しかし、ここと以蔵さんの件と何か関係があるんか?」
「いや、ここのマイクロフト君の知恵を借りようと思ってな。」
「ああ、マイクロフト君ならわしと同じ発起人の一人じゃ。」
ディオゲネスクラブに入室するなり、大きな声であいさつをしようとする龍馬の口を武市とヒギンズ教授は慌てて塞ぎ、睨んできた部屋の中で寝そべって新聞を読んでいる男に頭を下げた。三人は、マイクロフトを見つけると談話室に誘った。
談話室に入ると武市は紙を取り出し、さらさらと英文を書きマイクロフトに渡した。そして小声で
「龍馬、この談話室以外で声を三回出すと退会だ。」
マイクロフトはその紙を見て、さらさらと英文を書いて寄こした。
ーその事件は知っている。弟が興味があるようだから会うといい。ー
弟ってあの人だよね。




