ホワイトチャペルの殺人鬼
龍馬の倫敦生活
龍馬たちのロンドン生活も一年が過ぎた。
その間、日本にも縁が深いスタンリー卿の直系の子孫で、前首相、第14代ダービー伯爵、エドワード・スミス=スタンリーの招待を受け、英国議会を見学することになった。
この時代、英国議会は自由貿易か保護貿易かで議論が分かれていた。上院(貴族院)では保護貿易派の中心人物であるスタンリー卿が率いる保守党の保護主義派が有力であったが、下院(庶民院)では、同じ保守党でもピール元首相率いる自由貿易派であるピール派が、ベンティンク卿率いる保護貿易派と対立し、ピール一派が、本来のライバルであるホイッグ党の内閣に閣外協力する状態になっていた。
その激しい論戦の熱気に乾退助、後藤象二郎、武市半平太は煽られていた。
「これは、我が国の米の価格を安定させる政策と似ておるのう。」
「大名からしたら安定して税収が見込めるのはありがたい。」
「しかし、買う方からすると安い方が助かるぞ。」
「大規模農家には有利かもなあ。」
「我が国のように値段が安定する方がお互いにいいとは思うぞ。」
三人は穀物法についていろいろと討論している。幕府は米の安定供給のため、三公七民で年貢として受け取り、二~三を買い上げ、定額で販売していた。買い上げ価格が販売価格より高くなる年もあったが、年間必要量を確保することを優先させていた。もちろん米以外の作物も日常の生活に取り込むことによって成り立った政策である。麦や芋、トウモロコシなどの転作作物もほぼ同様にして取引をしていた。
「しかし、庶民院での活発な議論に対して、貴族院はいかにもお貴族様じゃのう。」
龍馬は、領地を持つ貴族中心の貴族院が、貴族の既得権益を守っているように見えた。
「龍馬、わしは日本に帰ったら庶民院を作るように運動するぞ。」
乾退助も、貴族たちが庶民の生活のことを考えに入れていないこと、そして必死で議論している下院の議員たちは、庶民のパンの値段のことまで議論している。
「庶民の生活を考える。まさに経世済民の思想だな。」
武市半平太も後藤象二郎も同様に感じているようであった。
議会での興奮のままに四人が寮に帰って来ると、井上聞多が玄関まで飛び出してきた。
「大変だ、以蔵さんが捕まった。」
伊藤俊輔は相変わらず、下半身異文化交流を続けていた。最近は比較的安全なウエストミンスターに近い地域から、よりアンダーグラウンドに近いイーストエンド地域に出かけるようになっていた。こちらの方が値段が安かったのである。最近、藩からの支援金が届くのが遅れ気味であったので、必要に迫られた部分もあった上、お目付け役の高杉晋作が、帰国することになり、危険な地域への立ち入りを止める者はいなかったからである。さすがに土佐組も心配して、暇そうに庭に立っている(番犬中)の岡田以蔵を付けてやることにしていた。
その以蔵が警察に捕まったのである。
そのころ、イーストエンド地域のホワイトチャペルで、娼婦が惨殺される事件が続いていた。その死体は鋭利な刃物で切り裂かれ、首や切られ、内臓が切り出されるという猟奇的な事件であった。
そのようなところに鋭利な日本刀を持った人物がうろうろしていたのである。しかも殺された娼婦の一人は伊藤の顔なじみの娼婦であった。
その詳細は翌朝の新聞に以蔵の写真と共にでかでかと出ていた。
「以蔵は人切りだが、理由もなく女子供は切らない。」
「あいつに医学の知識があるとは思えないなぁ。」
乾と半平太が新聞を見ながら話していると、後藤が思い当たるような顔をして言った。
「いや恥をかかされたのかもしれないぞ。」
「保弥太なんで、恥をかくんだ。」
「ジャパニーズサイズってな。」
「お前言われたことがあるんか?」
「いや、ま、まあな。」
後藤は思わず顔を赤くした。
「いや、以蔵さんはワールドサイズじゃの。」
「龍馬、見たんか?」
「並んで立ちションしたら、ズボンから出すのに苦労しちょった。」
しばらくすると、疲れた顔をして伊藤が帰ってきた。朝まで拘束されていたという。
「以蔵さんが犯人なのかの?」
「いや、あいつはいつも玄関前で待ってた。」
「殺人事件は室内だよな。」
「以蔵は遊んでいないのか?」
龍馬が声をかけると、乾、半平太が次々と訊ねる。
「いや、外で適当に遊んでたんじゃないかな。」
「外で?」
「部屋から出たら、いつも妙にすっきりした顔をしていたぞ。」
「以蔵の刀は見たのか?」
いつも以蔵は刀の手入れをしている。使っていないなら分かるはずである。
「いやそれが、押収されて、刃こぼれしているのを見られて」
「刃こぼれ?」
「その上、昨夜日本に問い合わせて、日本の有名な人切りであることがばれまして」
夕方に出た新聞には、日本の有名な殺人鬼がロンドンに上陸したと書かれてあった。
「以蔵さんが英語を話せんのがどうにものう。どうする武市さん。」
「龍馬、ちょっと出かけてくる。」
あまり下品にならないように注意しましたw
実際の事件と数十年の差があります。




