倫敦の箒男
龍馬、倫敦へ
約七日間の空の旅の後一行はロンドンのヒースロー発着場に着陸した。
空港には数名の日本人が一行を迎えに現れた。
「長旅、ご苦労じゃの。」
「おう、久しぶりじゃのう慎太、寅」
空港には先にロンドン留学していた中岡慎太郎と吉村寅太郎が待っていた。短期留学で英国で学んだ二人は「源内参号」の帰りの便で日本に戻る予定であった。「源内参号」は補給と乗務員の休憩の後、日本に帰る予定であった。
「皆のもの、長旅ご苦労であった。」
背の低い洋装の若者が白い手袋を取って手を伸ばしてきた。
龍馬はその手を握ると大きく手を振った。その勢いに若者はよろけそうになっている。
「おい、龍馬、何をやっているんじゃ。」
「シェイクハンドじゃ。これがこっちの挨拶じゃ。」
気が付くと、半平太は膝をついて頭を下げている。それに倣って龍馬以外の全員が同じ姿勢を取っている。龍馬も慌てて手を握ったまま膝をついたので、男は遂に転げてしまった。
「お前が、龍馬だな。春嶽から聞いているぞ。わしは岩倉じゃ。」
「はぁ」
「お前が来ると、聞いて楽しみにしておったんじゃ。」
諸侯会議は、公家の岩倉具視を駐英大使として任命していた。条約勅許問題の際、アメリカの返礼使節団を朝廷に派遣するため、留学中の岩倉が奔走して事無きを得たのであった。それ以来、大学を出てもそのまま駐英大使として英国に残ることになっていたのである。
日本人学生用の寮に隣接した日本大使館兼岩倉邸に招かれた一行は、立派な洋間に案内された。
「ん?何で一人だけ地面に座っておるんじゃ。」
「岩倉卿、これは犬です。」
「犬?」
「私の番犬ということになっています。」
「ふむ……。なるほど員外というわけだな。」
「入国の手続等もありまして」
「まあ、イギリス側には4名と届け出ているし、密入国はまずいか。」
「帰りの便で日本に送り返します。」
「武市先生、わしは番犬じゃから帰りません。」
「いや、これ以上隠しておくのはまずい。帰るんじゃ。」
「お願いです。」
「じゃが、どう説明するんじゃ。」
「ふむ……。龍馬何か考えはないのか?」
「そうじゃのう……、アメリカさんに力を貸してもらえんかのう。」
「アメリカに?」
「龍馬、何言っているんだ。」
「わしらが、奴隷となってる日本人を買い取ったってのはどうじゃ。」
「買い取った?」
「そいで、日本に連れ帰るんじゃ。」
「アジアの者が奴隷として売り買いされているとは聞かないぞ。」
「じゃから、そのアメリカ人が買い取って助けた。」
「うむ……。恩を売るということじゃな。」
一行は学生寮に用意された各自の部屋で旅装を解き、一階の談話室に集まった。室内では三人の若者が何やら言い争っていた。
「おい、俊輔、聞多!金はどこにやったんだ。」
「いや、俊輔がどうしてもというから。」
「聞多が、金は工面するっていいうから。」
「で、何に使ったんだ。藩侯から送られた大切な資金だぞ。まさか、また……。」
「しゅ、俊輔が、英語力の向上と、国際交流にはこれがいいと。」
「で、今回は何人だったんだ。」
「十人ぐらいはいたと思います。」
「じゅ、十人!!!!」
「いやあ、いい勉強になりました。」
「何の勉強だ!」
「英国の実情調査は藩侯の命令ですし…。」
どうやら、三人は長州からの留学生のようであった。そのうちの一人、怒っている男にに龍馬は覚えがあった。
「おお、高杉さんじゃったか」
「ん…、お前は龍馬じゃないか。いつここへ?」
「今朝着いたところじゃ。高杉さんはこっちにおったんか。」
「ああ、こいつらの監視役ってところでな。」
「こいつらって、なんかあったんか?」
「ああ、こちらは井上聞多(後の馨)、清和源氏を先祖に持つ名家の生まれで、まあ俺はこいつの世話役、でもう一人の箒男が……」
「もう、箒はないでしょう。伊藤俊輔(後の博文)です。」
「ん? 何で箒なんじゃ。」
「こいつの女好きが有名で、付いたあだ名だよ。」
史実でも伊藤博文の女好きは有名で、明治天皇からも「女遊びを控えるように」と釘を刺されるほどであった。まだ若い俊輔は、夜な夜なロンドンの下町に出かけては国際交流と称して、下半身外交を行っていた。
「いや、日本の色街と違って、面倒な作法が無くてすぐに……、いたっ。」
高杉晋作が思わず、俊輔の頭を殴りつけていた。
「来たばかりの留学生に悪い影響を与えるんじゃないぞ。」
その後、高杉らと面識のある半平太らを残して、龍馬は岩倉に連れられてアメリカ大使館に向かった。
「箒」というあだ名がついていたことは史実。「掃いて捨てるほど」女がいたそうです。




