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王政復古の大号令

なるべく史実準拠で進行しています。

陸奥は、「いろは丸」遭難事件で紀州藩と裁判で争ったとき、仲介役として海事裁判の判例などを示してくれたイギリス船の船長を通じて、イギリス公使パークスの通訳であるアーネスト・サトウと面識があった。まずは彼に会ってパークスと交渉しようと考えていた。幕府も外交権を保持するために各国公使と交渉していると思われる。戦闘が始まる前にある程度の道筋を付けておく必要があった。


「それから、財政じゃ。今のままじゃと新政府は資金切れじゃ。」

「早めに幕府に『納地納官』を認めさせねばならん。」

「幕府もそれほど金はもっちょらんぞ、アメリカに軍船を発注したら、フランス軍船を手に入れるのに蝦夷地が担保になっちょる。」

「うむ。それについても考えがあるんじゃろ。」

「越前に財政を任せられる男がいる。」

「おお、それが先ほどの三岡という男か。すぐに会うべきじゃな。」

「それがのう。どうも越前から出られんようなんじゃ。」

「松平春嶽公に話を通せばいいんだな。」

「さすが、岩倉殿。話が早い。」

「明日早速、その三岡を新政府に出仕するように依頼しよう。」

「よろしく頼みます。」

 そういうと、龍馬の体が少しずつ半透明になって行く。

「おお龍馬、もう帰るのか。」

「どうやら、夜が明け始めたらしいのう。」

「また会えるのか。」

「三人の誰かについているから。また会えるじゃろ。岩倉卿、陸奥、後は頼んだ。」

 最後には声だけになった龍馬の気配は消えて行った。


 慶応3年12月9日、岩倉具視は、京都御所までの護衛に来た薩摩藩士を待たせて、鷲尾隆聚が大阪から高野山に向かったという知らせ伝えてきた陸援隊士大江卓を別室に呼び、内密に「錦の御旗」を下賜した。大江はこれを持って急いで高野山へ向かった。


 その後、岩倉具視は予定通り京都御所に向かった。

 この日、摂政二条斉敬が主催した朝議が終わり、公家衆が退出したのを見計らって、薩摩・土佐・安芸・尾張・越前の藩兵が御所に通じる九つの門を閉鎖し、親幕派の公家だけでなく、旧守派の高位貴族も排除したあと、岩倉卿は、明治天皇出御の下、御学問所に参内し、「王政復古の大号令」を発し、新政府の樹立を宣言した。


 王政復古の大号令

 1 将軍職辞職を勅許。

2 京都守護職・京都所司代の廃止。

 3 幕府の廃止。

 4 摂政・関白の廃止。

 5 総裁・議定・参与の三職をおく。


 そして総裁に有栖川宮熾仁親王、議定に五人の公家と薩摩、尾張、安芸、越前、土佐藩主、そして五人の公家と、五藩から三名ずつ合わせて二十名の参与を任命した。

 引き続き、三職会議が開かれるまでの間、岩倉卿は福井藩主、松平春嶽と面会していた。


「三岡をですか?」

「ああ、その男に新政府の財政をまかせろというのが、龍馬からの伝言じゃ。」

「龍馬……、惜しいものを亡くした。」


 松平春嶽も龍馬という男が大好きであった。最初は五年ほど前だったか、千葉道場の浪人としてとしてやってきた。龍馬は勤王志士としては開明的で明るい若者であった。それが気に入って、つい海軍奉行の勝麟太郎を紹介すると、いつの間にか勝の門人となっていた。それだけではなく、突然千両の大金を借りにきた。神戸海軍操練所の開設に出資しろというのである。最初はそのような大金を出すつもりはなかったのだが、ついつい出資を約束してしまった。そして最後は二か月ほど前、福井まで自分を京に出るように誘いに来たのだ。この時の龍馬の真剣な顔を思い出して思わず、顔が緩んでいた。いつもは陽気な龍馬が真剣な顔をすると、どうにも逆らえなくなるのだった。


「実は家老の中根にも呼ぶように言っているんですが……。」

「では、新政府の召喚状を書いておこう。」

「そんな勝手に……。」

 岩倉卿は、紙を持ってこさせると、さらさらと筆を走らせると、朱印を押した。

「その印は……。」

  ー汝を参与会計事務掛に任ずるー

「いきなり、参与を増やすんですか?」

「なんなら、福井藩の枠を三岡に回せばいいんじゃよ。」


 その後、御所内・小御所にて明治天皇臨席のもと行われた、最初の三職会議は、大荒れに荒れた。土佐藩主山内容堂が慶喜公の会議出席が認められていないことに抗議したのだ。

 土佐、尾張などは慶喜を加えた公議政体、諸侯会議を考えていた。これに対し岩倉らは幕府に「辞官納地」を求めることを主張した。結果、松平春嶽の仲裁で、納地を400万石全納を半額の200万石にすることで、一旦落ち着いたのである。


 この会議の結果は、翌日、越前藩主・松平春嶽と尾張藩主・徳川慶勝によって二条城にいる慶喜に伝えられた。そして、その内容が会津藩、桑名藩を初めとする幕府軍に伝わると、その黒幕である薩摩を討伐すべきだとの声が日増しに大きくなっていったのである。

 そのため慶喜は不慮の衝突を回避するため、一旦大阪城へ避難することとしたのであった。


激突迫る。

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