「おバカな男と無理に結婚するより、女の子同士で結婚しません?」
時の王太子の唯一と言っていい欠点は人の話を聞かないことであった。しかしそれ以外は完璧なので、多くの人間がこれを見過ごしてきた。
アグネス・ベルは平民である。特例として入学した貴族たちの学園の中で、肩身の狭い思いをして来た。
喫緊の悩みは王太子の接近である。初めこそ興味と高貴なるものの義務からアグネスに親切にしてくれていたようなのだが、近頃はそれをいいわけにして価値観の異なる彼女の元へ足繁く通う様子はとても誉められたものではない。
他の令嬢に指摘されるまでもなく「身分をわきまえようと」するのだが近づいてくるのは向こうである。それが嫉妬を呼び、嫌がらせへと繋がり、それを察した彼が激怒する。天丼である。悪循環である。
風向きが変わり始めたのは、嫌がらせをしてくる令嬢がバカの一つ覚えのように「グレイス様のことを考えたことはないの」と具体的な名前を出すようになったことにある。
グレイスとは、王太子の婚約者である。王子と違って頻繁に顔を会わせるわけでもない雲上人の名に、アグネスは首をかしげる。個人的な印象としては、儚げな雰囲気をまとった薄幸の美少女で、雑草のような自分とはおよそ縁がない。そのためか、何となく憧れのようなものを抱いていた。
仮にグレイス様にご迷惑がかかっているのなら、一度お詫びをしたい、
あるいは逆にーー恐らくこっちの方が十分あり得るのだがーー誰かが意図的にグレイスの評判を下げようとしているのなら、それに加担するわけにはいかない。
密かに決意したのはいいものの、現実はやはり思い通りになることはなく、今までの嫌がらせはすべてグレイスの仕業だ、と信じた王太子は、ついに行動を起こした。
「グレイス! お前がそれほど性根の腐った令嬢だとは思わなかった! 婚約を破棄し、学園を追放する! 公爵家と関わりのないところで、好きにすればよい!」
「え、じゃあ私がもらっちゃっていいんですか」
ついそんな言葉を漏らしたのは、貴族ではない、いわゆる「卑賎な」平民ゆえであろうか。
「......今なんと?」
「あ、えっと。王子さまがグレイス様をぽいっと棄てちゃうのであれば、私がもらっちゃってもいいのかな、って」
「......アグネス様、女同士で結婚する気ですか?」
これだから平民は、といわんばかりの嘲笑に、アグネスは無知を装って言う。
「あ、平民の間では、同性同士の結婚って、意外と多いのです」
「そんな生産性のない結婚があってたまるか!」
「生産性、については知りませんが、当人同士が幸せならそれでいい、というのが平民の一般的な考えですけれど......」
「いや、待て。そもそも君は、グレイスに嫌がらせを受けていたはずだ!」
「グレイス様の名前をよく挙げられていた方々なら承知しておりますが......グレイス様ご本人と内密にお会いしたことはなくて」
壁の花と化しているグレイスへと、そっと歩み寄る。目を丸くしている彼女の体を、大胆に抱き締めると、思った以上に体は細く、華奢であった。
「グレイス様。私と、結婚してくださらないでしょうか?」
この結婚が後に、「無能な男の元へ嫁ぐより、女同士で結婚して新しく家を興す」という令嬢たちの選択肢を増やすものになるとは、誰も知らなかったのである。