あなたは氷。ワタシは氷を溶かせない哀れな炎。
初めまして、味醂です。
今回初めてここで投稿させていただきます。
何か間違いがあればご指摘下さい。
シリーズ物にしてしまったので、今回投稿しているものは本編の前日譚を兼ねた投稿試運転となっております。
今回百合要素が含まれていますが、今後本編においてはあまり期待されない方がよろしいかも知れません。
「っねえ、止めなよ!」
雪の儚く落ちる昼過ぎ。辺りには足首ほどまで雪が積もり、相変わらず曇った空。そして澄みきるような冷え込んだ空気の中、ワタシは雪すら吸い込みきれないような大声を上げていた。
「何すんだい、……雪城のとこの娘か。あんたは黙っときな。あんただってこの女が何をしたかくらい聞かされとるだろう」
「それはっ、そうだけど」
乱れた髪を触りもせず延々と頭を下げ続ける二十半ばほどの女の人と、その女の人の髪をつい先程まで鷲掴みにして怒鳴っていたこの地域でもかなりの御長寿である老婆。
そして、その老婆の手を掴んでいるワタシ。
どくどくとあまり強くない心臓が脈打っている。思わず止めに入ってしまった。こういうのは関わらないのが吉なのに。
普通に考えれば明らか悪いのはこの老婆だ。けれど、掴まれていた女の人の顔を見れば老婆の反論に何も言うことなどできなかった。
その女の人がしでかしたこと、というのは老婆たち村民、ワタシだけでなくワタシの家である雪城家に取り返しのつかない多大なる損害を及ぼしたのだから。
「知っているなら尚更、なぜ止める?」
そう言われて思わず言葉が詰まって、何を言うのか、そもそも何をしたかったのかすらあやふやになる。
だって、女の人泣いてるし、暴力は良くないでしょ。でもお母さんはこの人に傷つけられたと言っても過言じゃない。あんただって泣いてるあの人を見たじゃない。
でもとだってがパン生地みたいに頭の奥で混ぜられていく。イイコトとワルイコト、そして少しの私情が絡まりあっては反発して頭をめちゃくちゃにしていく。
それでも、やっぱりワタシは痛いのは好きじゃないから、なんて他人が聞いたらとんだ偽善だろうそれを心に置きながら老婆を睨めつけた。
「……雪城の娘として、私刑を見過ごすことは出来ない。彼女への刑は既に決まっている。」
キッ、と真っ直ぐ目を見つめ手に力を込める。できるだけ冷静に、感情を出さずに言葉を紡ぐ。
「雪城のっ、雪城のあの力をみすみす奪われておいてっ、この恥さらし共が!」
「それは、ワタシへの侮辱?それとも……?」
老婆の、仕事でよく鍛えられた腕がギシギシと軋む。
流石に痛みが出てきたのだろう。顔を顰め怯んだのを無表情で眺めながら帰りを促せば、老婆は悔しげに顔を歪め、音の出るほど勢いよくワタシの腕を払った。
「今日はこのくらいにしといてやる!」
捨て台詞としか思えないそれを吐いた老婆はそのまま踵をかえして歩き去っていった。
良かった、あまり手荒なことはしたくない。
ひりひりと軽く痛む腕を摩りつつ、その背中が随分遠くなったのを確認してから髪を掴まれていた女の人に声をかける。
「大丈夫ですか?」
「っだい、大丈夫です!すいません、わたし、すいません、失礼します」
女の人はワタシの顔を見て可哀想なほどに青い顔をさらに青褪めさせ、謝罪の言葉を繰り返す。
安心させるように声を掛けたつもりだが、目すら合わせず涙をためた瞳を隠すように彼女は踵を返してしまった。
「あっちょ、待って」
ざくざくと雪が踏み分けられる音が遠ざかっていく。揺れる黒髪は遠のいて、いつしか雪の白に溶けていった。
ワタシは伸ばした手の行方も知らず、女の人の駆けていく背中を眺めながめることしかできなかった。
「……せめてお礼とかさぁ、なんてね」
仕方ない、帰ろう。
全く、人の帰り道で諍いなんか起こすな、という話だ。あの人はワタシの顔を見てたいそう驚いたことだろうな。自分が終わりに追い込んだ家の娘が助けた、なんてワタシもなにか裏があるとしか思えないし。
足首に触れる雪が冷たい。ワタシにはハッキリとはあまり分からないけれど、お母さんが朝は寒いと言っていたからきっと寒いのだろう。
雪を踏み家路を辿る。小さな川にかかった橋を通り、少しの坂を足を取られないようにゆっくりと登る。そうすればすぐに見える小丘にあるそれがワタシの家だ。
「ただいま」
「おかえり。母さんが話があるそうだ」
「分かった。」
帰宅して早々、玄関口にでてきた父によると母が私を呼んでいると。
珍しいな、と思った。お母さんは私と顔を合わせるのが好きじゃないから。
ワタシが帰ってきたと知ると、いつも家の一番奥の私室に篭もってしまう人だ。なのに今日はわざわざ居間でワタシを待っているらしい。
手洗いのために洗面所に向かいながら考える。
お母さんは雪城家の次女で、かねてよりワタシたちの住むこの土地を守ってきた正統あるお家の跡継ぎだ。次女なのになんで跡継ぎになっているのか、とかは大昔に聞いたことあるけど教えてもらえなかった。ただまあ、円満な引き継ぎではないことらしいのを周囲の反応でぼんやり察したくらいで。
しかしそんな周囲に負けることなくお母さんはどんどんその地位を上げ、才覚を惜しみなく披露していった……らしい。当たり前だがワタシの産まれる前の話だ。全て父からの受け売り。
けれどそんな我が家も禍福は糾える縄の如しとはよく言ったもので、たった一つの小さな出来事でその地位を落とした。
「お母さん、話ってなに?」
ざら、と襖の開く音。裸豆電球のゆらゆらと揺れる薄暗い部屋の中で、お母さんは静かに真ん中で正座をしていた。
そこにはただならぬ異様な空気が漂っていた。
「先日の我が家の失態を覚えていますか」
お母さんはワタシに視線などくれず、膝辺りを眺めながら静かに呟く。
その蛇が身体を這いずるような、なんとも言えない威圧感に、背中をなぞって汗が伝った。
「雪城家ないしこの土地はもはや終わりました。」
真面目な話だから座らないと、と滑るようにお母さんの正面に慌てて正座する。じわりと湧き出た手汗がベタベタとして不快な気分になる。
目の前の俯いた頭はピクリともせず、身体も揺れることは無い。まだワタシの幼い時に、村の人がお母さんを人形だと揶揄したのをふと思い出した。
目の前の頭がゆっくりと持ち上がり、ワタシを見る。薄くて小さな唇が微かに息を吸って動いた。
「我が家は今日この日をもって、終了します」
家の外からぼおっと居間を眺める。玄関横にある廊下は縁側になっているので中が見えるのだ。
その廊下を父が横切りながら赤色のポリタンクを傾けている。
準備が終わるまで外にいなさいと言われ、出てきた雪の上から目の前をただ見つめていた。びちゃびちゃと透明色の液体が木製の床に染みていく。鼻につく匂いを無感情に、無言で嗅いでいた。
「……おかあさん」
お母さんは、何をしているんだろう。
縁側から室内へ入る。父は台所へ消えていくところだった。
お母さんは何処にいるのだろうか。
キョロキョロと幾度か見回せば風呂場の戸が開いている。そおっと覗きこめば、灯りのついていないそこでお母さんが一人水の溢れる浴槽に手をついて突っ立っていた。
長い髪が浴室の入口からの微かな明かりで艶やかに輝いている。相変わらず顔は見えないし、無言だ。
びちゃびちゃと液体の落ちる音が響いている。
お母さんはやっぱりピクリとも動かない。
何秒か、何分か、その姿を眺めているうちにふと思うことがあった。
あ、お母さんにはワタシとか家族より大切な人が居たんだなぁって。
特に悲しさは無かった。ただ事実を認識する感覚。それだけだった。
多分、ずっと気づいていた。気づいていて無視していただけなんだろう。お母さんはワタシを愛していなかった。そして、きっと父も。
「終わったぞ、居間に来い」
「あ、うん。」
父に呼ばれて思考を断ち切られる。パチンと泡が弾けるみたいに音の帰ってきた世界で、父に言われるがまま居間に向かう。お母さんもその後ろを静かについてきていた。
そこからの会話は無かった。
ただ無言で事は進められた。
今に集まって円を組んだ。円形に座してすぐ、父が手にしていた紅くてゆらゆらと揺れるそれを畳の上に放った。
ぼお、と音がしてぱちぱちと火の粉が煌めいた。
目の前も、背後も、赤いそれが囲んでいく。暑くて、熱くて。外が寒いから、ワタシはずっと寒さしか知らなかったから、すっごく熱くて。
「ぁ、ああ、あ゛」
喉が焼けるように、というか焼けて痛い。
熱い、痛い、熱い、熱い。
視界全体が紅くて、もう何も見えない。否、もはやもう赤いのかすら分からない。なにも、分からない。熱い。
「ぉ、かあさ」
そうして何を掴もうと思ったわけでもなく手を伸ばした先に、何かが触れた気がした。
ワタシ、お母さんが好きだったの。
家族愛じゃないわ。それでも愛していた。
お母さんしか見えてなかった。あなたの役に立ちたかった。そのためならなんだって出来たの。
ねえ、お母さん。あなたは父を愛していなかったね。ワタシのことも。そうでしょう?
ねえ、お母さん。心臓が痛い。燃え上がる身体よりも心臓が熱くてとろけて無くなってしまいそう。
ねぇ、お母さん。
ねぇ、おかあさん。
あなたの願いが、全てたちどころに叶いますように
お楽しみ頂けましたでしょうか。
これは主人公にすらなれない誰かのほんの一幕。
どこかにあるありふれた最後の一瞬。
あってもなくてもどちらでも良いような、全て意味の無い芥でございます。
ですがもし、この話の経緯に興味を持ってくださったのなら、気長にお待ちいただけたならば幸いです。
ありがとうございました。