6話「軽自動車のドアミラーを滅ぼしたい」
自分が出来損ないだって事くらい、とっくの昔に気付いていた。
出来損ないと言い切るからには、それなりの考えがある。
何も「才能」や「運」なんていう
どうしようもない事を引き合いにしてる訳じゃなくて
もっと人間性に接する部分に問題があるんだ。
俺に無いのは、努力や向上心と言った自分を高める意欲。
頭じゃ理解できているんだが
どうにもそれを実行できない。
運動、勉強、恋愛、受験、就職、出世。
これらは、人生の節目において、重要なキーワードだが
どれも努力や向上心の使い様でどうにかする事ができる。
そういう可能性に迫る行動を本質に持たないのは、
どう考えても出来損ないだろう。
うん。
言いたい事はよく解るさ。
俺も他人にこんな言い訳を並べられれば
同じ事を思うよ。
「解ってるならやれよ」って言いたいんだろう?
その通りだ。
でも、ダメなんだ。
ランニング、テスト勉強、異性へのアプローチ、問題集、作業効率の見直し。
努力しようとチャレンジしては、持続出来ずに直ぐに飽きてを繰り返し
その度に、自分の出来の悪さに嫌になったものだ。
一時期は、もしかすると病気なのかと自分を疑ったくらいだ。
思い出せば、子供の頃からやんわりとそれに気づいていて
だから俺は、誰より先におどけ、ふざけて見せてみんなの笑いを誘った。
多分、それで劣等感を満たしていたんだと思う、
そうやって現実を見る度に同じ事を考えた。
「こんなにも出来損ないに作るんだったら、
それにすら気付かないほど、何も感じないほど
バカにしてくれれば良かったのに」
そうやって月日を生きる間に、他人と自分を比べるから悲観的になるのだと気付き
プライドや、意地を捨てる事に専念する事で、俺はメンタルを保つ事に成功した。
努力もしない、向上心も持たない。
何も得られないが、何かに追われ躍起になる事もない。
他人からは侮蔑され舐められるが
この何の変哲も無い生活に満足している。
世の中にある価値観や観念で下される自分への評価に
何の危機感も感じなくなった俺は‥‥
無能な自分を受け入れ、変化を拒絶したのだ。
そうやって自分の人生に納得してから
しばらくして母さんが病気になった。
医師から受けた説明では、珍しい病気らしく
外科処置では治療できない類の病で、
本人の免疫力に頼った治療法しか存在しないという。
最初は、楽観視していたけど
免疫力を向上させる為の医薬品は、日を追うごとに増えてゆき
時が経ってようやく、これが危機的な状況だと分かる。
このままじゃ生活できなくなるほどに金が無い。
今まで金融会社を利用してこなかったのが奇跡みたいな話だ。
元より少ない給料は、殆ど母さんの医療費に消え、貯金も一切無い。
そうやって気付けば、何処にでもいる不幸な40手前のおっさんになっていた。
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10月も後半に入った秋口、今年の秋は暖気で特に夜が気持ちがいい。
工場の交代勤務が明け、定時で職場を出た俺は、
行きつけの居酒屋「砂かけ婆」に向かった。
ここでの飲酒は、趣味をする余裕も
集まり語らう友人もいない俺にとっての唯一の娯楽。
その道中の商店街で、警察と野次馬の集団を見つけたので
好奇心を煽られ、わざと信号にかかり聞き耳を立ててみる。
被害者らしきおばさんが言うには、白い服を着た3メートルほどの大きな人が
突然、車道へ飛び出し車と接触した様だ。
そんな大きな人間がいるわけもないと、盗み聞きに対して1人で意見していると
「あれはピエロよ!変なお面つけてたもの!」
おばさんが興奮気味にそう叫ぶのを聞いて、長足のピエロを想像しては
日本各地を回る有名なサーカス団を連想した。
なるほど、客引きの大道芸でも披露しようとして失敗したわけだ。
ある程度、信憑性のある答えに行き着き
信号も青に変わったので、俺はそのまま居酒屋に直行した。
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居酒屋に着いて真っ先に好物の湯豆腐を頼み、それをアテにビールを喉に流し込む。
「あぁ〜〜ッ!!ふぅ!」
まろやかに解れる豆腐に、薬味の風味が香り香醤油の塩分がキリッと舌に走る
そこへ津波の様に注ぎ込んだビールは最高によく合う。
マジでこの瞬間が、唯一の救いだ。
ふと、カウンターの方に視線を向けると
そこにある窶れた背中に見覚えがあった。
「‥‥ガリタケ?」
俺にそう呼ばれて、反射的に振り向いたのは、
小綺麗な格好の男前。
間違いない、彼は同級生のガリタケだ。
「‥‥‥よぉ‥‥久しぶり」
「‥‥‥‥」
ガリタケは、俺だと気付いていないのか目を細めて固まったが、
軽く酔っている俺がおかまい無しに隣へ座ると
少ししてからガリタケは長考から復帰した。
「お前‥セキマツか?」
セキマツか。
俺の名字と名前をもじった懐かしいあだ名。
こいつのあだ名も、彼がガリ勉だった事と本名の沢添武則のタケを
掛け合わせたものだ。
「酷いなぁ‥俺はガリタケってすぐわかったのに」
「少し酔ってるんだ。悪いな」
久しぶりに会った同級生だ。
昔話に花でも咲かせたい所だけど
ガリタケは、少し落ち込んだ様子にも見え
取り敢えずは当たり障りのない話題を出す事にする。
「初めて見たけど、ここよく来るの?俺は常連」
「俺は‥ほら、職業柄あんまり‥‥」
「?‥‥あぁ‥ガリタケって教師だっけ?」
「まぁ‥今は‥‥まだな」
その「今は」と言う意味深なキーワードから、
おそらく、彼が意気消沈しているのは仕事でのトラブルではないかと察した。
あまり突かれたくないだろうから
わかりやすい話題で雰囲気を変えようと試みる。
「ふーん‥そうだ!ガリタケさ、ピエロの話聞いた?
何時間か前に3メートルはありそうなノッポのピエロが和田区の商店街で事故起こしたって」
「いや‥知らないな‥なんでまたピエロ?」
「知らない。森上サーカスでも来てるんじゃない?
すぐに逃げたらしいけど問題になるんじゃないかな〜」
この話題に対し、全く興味を持たないどころか
不快な表情をしたガリタケ、どうやら話題の選択に失敗した様だ。
「そうだ‥‥お前‥」
と、言いかけたガリタケは、口を噤み何か考えている様だ、
もしも会社の愚痴を言おうとしているのなら
それを聞いてあげるのも悪くないかもしれない。
そう思える程、俺は同級生とのコミュニケーションに飢えている。
「どうした?」
「この話は、内密にして欲しいんだが大丈夫か?」
「お‥おう、どしたの?」
「大分郷で女子高生が他殺されたニュースあるだろ?」
その事件はもちろん知っているとも、
今日のニュースを総舐めにしている大きな事件だ。
「あー‥身元がわからないくらい酷い有様だったらしいね」
「あんな事件があったから、うちの小学校でも一斉下校があったんだが‥‥
うちの生徒が1人、行方不明なんだ」
「嘘!じゃあ、あの事件の犯人がこの町に!?」
「いや‥流石にそれは無いと思うが‥‥その子供、俺のクラスの生徒なんだよ」
なるほど、そこでガリタケが落胆している理由に繋がるわけか、
余りにも神妙な顔つきで言うものだから、早とちりをしてしまった。
「あ〜‥‥なるほど‥‥それでさっき「今はまだ」って言ったのね
災難だな〜ガリタケ」
「それでな‥その子供、前から神登山に出入りしてるんだが
お前、あの山詳しかっただろ?」
「しんとうざん?ああ‥カンチョー山の事か!!‥そうだなぁ、昔はよく登ったな〜」
あの裏山に、そんな正式名称があるとは知らなかった、流石ガリマツ、
小学校の先生は伊達じゃないみたいだ。
しかし、なんと無く話が見えてきた‥‥
こいつ、俺にその山へ行って子供を探せって‥‥そう言う事?
う〜ん。
確かに可哀想だけど、流石に1人であの山に探しに入ってもな‥
実際に居ても探し出せる気はしないぞ?
普通に考えれば解りそうなものだが‥‥結構酔っているのか?
「‥‥40手前の大人が、そんな破廉恥な名前使うなよ」
「カンチョー山はカンチョー山だろ?それで、その子供の話は?その子って男の子?」
「ああ、男子だよ。それで‥俺の考えでは、その子供、家出の類いだと思うんだ
前々から、家庭環境のことでキシザワから相談を受けてたからピンと来てる」
キシザワ‥‥これまた懐かしい名前が出たな。
女子なのに西洋剣術道場の娘だから、妙に硬くて真面目な、
「騎士みたな深澤」略してキシザワ。
「ふーん。キシザワん所の道場の子なのか‥‥」
「厳密には元らしいけどな。警察は隣町の繁華街やら公園なんかを当たっているけど
正直俺は、あいつは山の中に籠っているんじゃ無いかと思う。」
「うーん。夜中は冷えるよ?流石に子供1人では無理でしょ?」
「‥‥最近の教育現場はな、父兄の意見を慮る様な動きを求められている
そのうち立場が逆転しそうな勢いだ。そんな中、学校の判断で一斉下校させたにも関わらず
子供が行方不明になってみろ、担任の俺はどんなレッテルを貼られるか解ったもんじゃ無い
製錬所務めのお前じゃわからないか?」
酷言い草だ。
確かに学校の先生の苦労なんて分からないけど
どんな職種にも心労は付き物だと思うけど。
「そんな言い方するなよ‥俺だって毎日キツイよ」
「‥すまん。少し苛立ってたよ」
大人になったとはいえ、あのプライドの高かったガリマツに
こうも簡単に謝られると無下にはできないなぁ。
俺も仕事で失敗すると凹むし、焦る気持ちも分からないでもない。
仕方がない。
久しぶりに会った友達の窮地だ
一肌脱いでやろうじゃないか。
ほとんど可能性が無いだろうけど
それでガリマツが満足するなら、全く無意味じゃ無い。
俺は、残ったビールを一気に飲み干してガリマツに向く。
「俺、今日交代明け。明日は非番なんだ
いいよ。カンチョー山に行ってみるよ」
「え?」
「そういう話でしょ?つまり俺に言いたいのはさ」
「あ‥ああ。まぁ‥でもいいのか?」
「‥ここは狭い町だ。噂なんか立てられると困るもんな。
それに、安心して叩ける人間をみんないつも求めてる」
そうだ、この窮屈な町で生きている人間の多くは、
いつだって悪者を探している。
公の場で被虐しても許される、多数決で生み出された悪者を。
「‥‥悪いな」
「ここの飲み代で貸し借りなしな〜」
「ははっ‥そりゃそうなるよな」
そこから酔いが回り始めた俺は、久しぶりの同級生に
自分の鬱蒼とした生活について、愚痴が主成分の相談を持ちかけた。
相談というには、余りに感情的で
正確には只の自分語りだったと思う。
どのシュチュエーションでも煙たがられる自分語りだが
誰かに自分の心労を聞いてもらいたいというのは、
そんなに悪い事なのだろうか?
その答えは‥‥このガリタケの顔を見れば一目瞭然だった。
きっとガリタケも、俺の話を聞いてガッカリしているんだと思う。
でもそれでも良かった。
俺と俺の人生がどうしようもなく、くだらない事は俺が一番よく解っている。
そんな俺を見下し、嫌悪するのは当然で、
ガリマツは全く間違っていない。
彼は気付いていないと思うが、
卑屈に生きてきた俺みたいな人種は、
こうやって人に話を聞いてもらえるだけで嬉しいんだ。
それから2時間ほど飲んだ後、俺たちは揃って居酒屋を出た。
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家に着いてすぐ、自分の部屋に直行し、荷物と作業着を脱いで放り投げる。
その中には、先ほど手渡された風俗情報誌もあった。
「‥ガリタケの奴‥‥変な気をまわしてさ‥‥」
ふと思う。
帰宅してから「ただいま」を言わなくなったのはいつからだろうか、
多分、母さんが入院してからだ。
返事の帰ってこない部屋に、低く張りのない自分の声が響くのが嫌で、
意図的に言わなくなった。
そんな事を考えていると耳が寂しくなって
洗濯の滞った衣類の山からラジオのリモコンを取り出して電源をつけると、
渋い声のDJが、海外の小説作家が去年発刊した短編集を高く評価していた。
ちょうど「死体」と訳された小説のあらましを話している途中で、
それを聴きながら座椅子で体を伸ばす。
その小説は、少年たちが町のヒーロになる為に、
仲間の1人が偶然に在処を知った死体を探し森を探検する話で
タイトルに似合わず、とても少年然とした良い話だと思う反面、
どこかその少年たちと自分を重ね合わせていた。
「俺も‥‥行方不明の子供を見つけられれば‥‥ヒーローか?」
驚いた。
俺にもまだ向上心のカケラがあったみたいだ。
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息を上らせ、懐中電灯を片手に暗い山道を歩いている。
先ほどまで居酒屋で飲んでいたというのに
今ここに居る事実が夢のように思えるほど唐突な行動だった。
どうしてこんな馬鹿げだ事をしているのか自分でもよくわからない。
残念なことに、旧友の憂いの解消や、子供をいち早く親御さんの元に帰してあげたいなどの
美しい原動力でここにいるわけじゃないのは確かだ。
うまく言葉にできないが、もっと卑しい感情で動いている。
頭に浮かぶ光景。
社員食堂のテレビ、そこに映るのはインタビューを受けている俺、
それを見て歓声をあげ、口々に賞賛を叫ぶ職場の人間。
または、涙を流しながら俺に礼を言うガリタケと、行方不明の子供の親御さん。
どうにも困ったことに、俺は誰かを見返したいようだ。
古い記憶を頼りに暗い森をぐんぐん進んだ俺は、
息を切らせながらも頂上へ辿り着く。
こんな夜の山の中で子供が灯りもつけずに過ごせる訳が無い
浅はかな考えだが、上から見下ろせば、
焚き火であれランプであれ光が目に留まると思ったのだ。
しかし、頂上とはいえ、漫画みたいなとんがった山の上に居るわけじゃないので
山を見下ろそうにも、周囲を木々に阻まれた山頂では見下ろす場所がない。
「おぉーい!!誰か居るかー!!」
本当の意味で苦し紛れに大きな声で叫んでみるが、誰も返事を返さない。
「はぁ‥はぁ‥‥これじゃ家の中とそう変わらないなぁ‥」
その時、月明かりを遮っていた暗雲が退き
山頂が月光で照らされる。
比較的白い色をした大きな岩が、光を反射して
その巨体を視界に登場させた。
このカンチョー山の名物、カンチョー岩だ。
誰がどうみても、巨人が尻を出して地面に突き刺さっているとしか思えない
その様子から、その名が付けられたのだと思うが、俺がこれを知った時点で
すでにその名が定着していたので、相当昔からそう呼ばれていたのだろう。
「‥‥ん?」
数十年ぶりにみたカンチョー岩は、心なしか
あの頃より巨尻の割れ目が開いている様に思えるが
なにぶん、この記憶は古い、勘違いだろう。
あんな大きな岩が、何の衝撃もなしに左右に割れるわけが無い。
「!?」
ビクッと体を震わせ驚く。
視界の端に、何か大きいものが映ったからだ。
白くて大きなそれは、大岩と異なりヒラヒラと揺れ動く。
「な‥何だぁ!?」
そこに居たのは、白い格好で身の丈3メートルはある人型の生物だった。
「もし、人間のあなた。あの人を乗せて走る機械は何と言うんですか?
大きいのじゃ無くて、小さいやつです」
突然、悠長に喋り始めたそれに、俺は半ばパニックになるも、
下手に刺激を与えるのはマズイと本能が告げているので愚直に返事を返す。
「け‥‥軽自動車の事ですか?」
「ふんふん。それで、左右に着いているあの耳のような部分は何と?」
「耳?‥いえ‥‥自動車に耳は‥‥あ、ドアミラーの事かな?」
「なるほど。あれは軽自動車のドアミラーと言うのですか。
そうですか。
あれなんですか?どうしてあんなもの付けているんですか?
あんなの付けて走ってるから!!私轢かれたんですけど!!!
いえ!!避けたんですよ!?箱の方は避けたんです!!
でもあの耳の部分にぶつけられたんですよ!!!!
本気で痛たかった!!!ほら!!肘!!肘を見てください!!!
ねぇ?赤くなってるでしょ!!!ほら!!!この歳で痛くて泣くだなんて
思いもしなかったですよ!!ねぇ!!聴いてます!?
あぁ〜!!!滅ぼしたい!!軽自動車のドアミラーを滅ぼしたい!!
軽自動車滅ぼしたい委員会代表ですよ!!私は!!!」
何だこいつ。
体が大きいだけでどうかしてるのに
言っていることがもっとヤバい。
「あ‥あの、貴方は一体?」
「‥おっと、これは失礼しました。
私の名前はマティテ。昼光の神マティテと申します。
以後、お見知り置きを副代表」
昼光の神。
神?
嘘だろ‥こいつ‥‥
まさか本物の神様って事か?
‥‥ん?待て、副代表?
副代表って何だ?
もしかして軽自動車滅ぼしたい委員会の副代表にされてる?
え?どう言う事?
唐突すぎるこの状況に、状況の整理がつかず慌てる傍で
にわかに生じた「変化」に感情が心地よく揺らいでいる。
俺が忘れて久しい「変化」を、
この摩訶不思議な生物から感じ取っていた。
何かが変わる。
そう思えてならない、秋の夜だった。