御前様
私は貧乏な商人だった。
独り身で金も無く、才も無い。やり甲斐や幸せを感じない人生に、私はどうしようもない虚しさと物足りなさを感じていた。
そんなある日、ある人物から変わった呪いの話を聞いた。
その人物曰く、これはある物の怪を呼びだして勝負を持ち掛け『勝負に勝てば、願いを一つ叶えてくれる』呪いだと言う。
面白がった私は、試しにやってみようと思った。物の怪などいるはずが無いが、もし本物ならちょっとした自慢話になる。
勝負の内容は、かくれんぼにしよう。
私が絶対に勝つように決まり事を作り、その勝負を毎年執り行うようにすれば良い。
結論だけ言うと、それは本物だった。私は舞い上がった。
七尺に届かんばかりの背に長い髪。
手足は細く、赤い紅と爪紅が異様に目立つ。目元は布で隠され、狩衣の様な衣を纏った姿は、どこぞの古めかしい貴族の様。
常時で遭えば腰を抜かすこと請け合いの異形の姿だったが、今の私にはそんな事は些事であった。
早速勝負を持ち掛けた。相手はそれに応じ、勝負をする事になった。
相手に勝負の決まり事を伝える。
【決まり事】
・向こうが宝を一つ、決められた屋敷の中に隠し、こちらはそれを探す。
・勝負の時刻は、彼岸入りの日没〜翌日の日の出まで。
・日没までに屋敷の中にいる者達を勝負の参加者とする。尚、代表者は私である。
・宝を見つける前に、向こうがこちらを全員捕まえれば向こうの勝ち。誰か一人でも見つからずに、隠した宝を見つければこちらの勝ち。
・勝負が終わった後、参加した者達は全て解放する事。
・隠す宝は毎年同じものにすること。
・勝負の時、向こうは腕に鈴をつけ、鳴らしながら歩く事。
・日の出までに決着がつかなければ引き分け。勝負は来年に持ち越しになる。
・敗者は、勝者の願いを一つ叶える。こちらが勝った場合は代表者の願いを一つ叶える。
このくらいでいいだろう。
こうは言ったが、私は向こうの願いを叶える気など更々ない。
向こうが勝つことはないのだから。
私は、街の外れにある古い洋館に子供達を十人程集めた。
洋館は随分前から管理人がおらず、自由に使えたし、子供等は貧しい家庭の出身ばかり。ちょっと小遣いを渡せば、すぐに言うことを聞いてくれた。
これで十一対一だ。勝てるわけが無い。
最初の年の勝負が終わった。やはり私の勝ちだった。
子供等が帰った後、私は願いを聞かれてこう返した。
『富繁栄が欲しい』
もう一度私は、『願いは、私の一族の富繁栄だ』と言った。
願いは色々とあったが、どれを最初に叶えてもらうかは最後まで決められなかった。
なら、全て一つの願いとしてまとめてしまえばいい。
それは、何も言わずに頷いた。やはり人でない異形。あまり頭は良くないらしい。
私はその後、とある豪商の娘に気に入られて婿養子となり、その家を継いだ。呪いの効果である事は火を見るより明らかだった。
広い屋敷に美しい妻。安定した仕事……。
私は自身の富を手に入れた。まだ子宝には恵まれなかったが、富を得れば自ずと家は繁栄するだろう。
だが、まだ足りない。
私は、最初に勝負をした館を買い取り、新しい洋館に建て替えた。
子供も前年より多く集めた。金を渡せば、すぐに集まってくれた。
子供等には、勝負の事は告げずに新しい遊びだと伝える。
今回からは、子供等だけで宝を探してもらう事にした。アレに気まぐれで勝負を反故にされ、殺されるのは御免だ。
相手は人でないのだから、慎重に事を運ぶに越したことはないだろう。
勝負の様子は、子供等から聞けばいいだけの話だ。
そして、二年目の彼岸入り、日没。
勝負の前、何故かまた決まり事は何かと聞かれた。
少し億劫だったが、懇切丁寧に話して聞かせてやった。やはり頭は良くない様だ。
前と比べてどこか雰囲気が変わった様な気がしたが、気のせいだろう。
子供等の話によると、前回より捕まった子供は多かったが、こちらの勝ちだ。
願いは去年と同じ。
私は更に大金持ちになった。そして、子宝にも恵まれた。
愛する妻と、これから産まれる子供と共に生きる人生を手に入れた。
私は幸せだった。
私の願いである富、繁栄は全て叶ったのだ。
だが、まだ叶えたい願いが沢山ある。
これがあれば、私はどんなものでも手に入れられる。なんて素晴らしいのだろう!
――……そういえば、アレに名はあるのだろうか?
勝負に参加した子供にアレの名を聞かれたが、適当にはぐらかしておいたのだった。次聞かれた時は……とりあえず【御前様】とでも言っておこう。
あの風貌には誂え向きだ。
我ながら素晴らしい名だと思う。
しかし、子供等には御前様の姿はどう見えているのだろうか? あの風貌で誰一人怖がらないとは面白い。
三年目。
勝負は当然だが私の勝ち。願いは【富名声】
私は、大きな仕事を成功させ、莫大な富と名声を手に入れた。子供も無事に産まれ、すくすくと育っている。
しかし、気になる事が一つ。
勝負に参加させている子供達が御前様に捕まる数が増えているらしい。
今のところ勝負に支障はないし、子供達は勝負が終われば決まり通り、全員帰って来ているが……用心するに越したことはない。
そして四年目。私は、子供等にある事を伝える事にした。
――『屋敷には、簪が一つ隠してある。美しい簪を探しなさい』
御前様が隠す宝は一つだけ。隠す物も、最初の年から変えないように言ってある。
何を探せばいいか明確になれば、子供等も探しやすかろう。
これで大丈夫。
そう、思っていた。
しかしその年、私は勝負に負けた。
そして、
妻と子が消えた。
どれだけ探しても見つからない。
まるで、神隠しにでも遭った様に……。
私は絶望に打ちひしがれた。
――何故だ……?
――何故だ? あんなに人数がいたのに、私が負けるなんてありえない筈なのに……!!
――どうして……?
どれだけ考えても、答えは出なかった。
五年目。私は一人で勝負をした。
人が失踪した翌年に、また子供を集めようとしても集まらないのは分かりきっている。
今年だけは私が勝負をし、来年以降。ほとぼりが冷めた頃にまた子供等を集めればいい。
願いは勿論、妻と子を返してもらうこと。
私は、久方ぶりにこの屋敷に足を踏み入れた。古びた屋敷でやった最初の勝負以来だった。
館は、二階建ての西洋風の建築。
屋敷に入った途端、冷たく湿った風が頬を撫でる。
もうじき日没……。
天井からはシャンデリアが吊り下がり、辺りに橙色の光を投げ掛けている。
広間、廊下の至る所に明かりが灯り、暗い場所は無い。
――チリン…………チリン…………
階段の上から、鈴の音が聞こえてきた。
――……来たか。
御前様だ。
鈴の音は規則正しい調子で鳴り、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
私は、すぐ側にある階段の影に隠れる。
――チリン…………チリン…………
鈴の音は、すぐ側まで来ている。ゆっくりと階段を降りているようだ。
七尺に迫る背丈。手足、身体はとても細く、不自然な程白い腕には鈴がついた腕輪をしている。
指先も同様に細長く、両手の真っ赤な爪紅がその存在を主張する。
黒い艶やかな髪は腰まで長く。歩く度に、風も吹いていないのにふわふわと毛先が揺れる。
狩衣の様な和服に身を包み、ゆっくりと廊下を歩くその姿は、初めて勝負をした時に見たものと同じ。
――チリン…………チリン…………
御前様は、ゆっくりと階段を降りそのまま左手に進む。扉は、手も触れていないのにひとりでに開き、御前様が先に進んだ後、同様に閉じた。
鈴の音は、遠くなっていく。
私は、物陰から出て簪を探し始めた。
簪を探し初めてから、どれ程経っただろうか?
広い屋敷に、遠くから鈴の音が響く。
――何か妙だ……。
簪を探しながら、私は思った。
御前様が、私を探しながら屋敷内を一回りするのがやけに早いのだ。
それに、鈴の音も以前より多く鳴っている気がする。
恐らく、屋敷の壁や天井に反響して沢山の鈴が鳴っている様に聞こえているのだろうが、気づいてしまうと妙に気になってしまう。
御前様は一体しかいないはずなのに……。と、
――それに、さっきからなんの音だ?
先程から、鈴の音に混じって違う音が聞こえてくる。
風にしては小さく詰まった音だ。何かがぶつかる音にしては優しすぎる。
動物の鳴き声……いや、これは、
笑い声。
勝負が始まってからずっと、クスクスと小さな笑い声が聞こえてくるのだ。
それは子供の様に幼く、それはもう楽しくて堪らないといったような声……。
誰のものかはすぐに分かった。だが、何故笑っているのだ?
私の背に、冷たいものが走る。
その時、
――チリン…………シャラン…………
鈴の音。御前様だ。
やはり屋敷内を一回りする速度が以前より上がっている。
私は、近くにあった戸棚の中に隠れた。さっきの様子なら、戸棚の中までは探さないはずだ。
戸棚の隅で、息を潜めてじっとする。
鈴の音はゆっくりと、しかし確実に近づいている。
その時、蝶番が軋む音が聞こえた。
その音がどこから鳴っているか気づいた時、私は息を飲んだ。
それは、衣装箪笥の扉を開け閉めする音だった。
私は身を縮まらせ、息を止める。どんな些細な音も出してはいけない。
扉を開ける音。すぐ隣にある戸棚だ。
――もし、見つかったら……勝負に負けたら……私はどうなるのだろうか……?
縁起でも無い事を考えた。
そして、とうとう私の隠れている戸棚の扉が開けられた。
しかし、それは私がいる側とは反対側の扉だった。
そして、御前様は中を特に覗き込む事はせずに、扉を閉めた。
――チリン…………シャラン…………
鈴の音が遠くなっていく。見つからずに済んだ様だ。
御前様が去ってからしばらく経って、私はようやくゆっくりと息を吐いた。
また簪を探す為に部屋を移動する。
何度も隠れては探すを繰り返した私は、ようやく目当てのものを見つけた。
最初の年に御前様が隠していた簪。間違いなくこの簪だった。
――チリン…………チリン…………
すぐ側で鈴の音が聞こえた。
振り返ると、そこに御前様が立っていた。
口元に近づけられた手。白い指の先には、血のように赤い爪紅。
同じく赤い紅が引かれた口元が弧を描く。
――『みつかったのは、わたしのほうか』
その言葉と共に、御前様は目の前から空気に解けるように消えた。手に持っていた簪も、
私は、勝負に勝ったのだ……!
「勝負は終わった。私の勝ちだ!
私の願いを言おう。
私の願いは、妻と子を返して貰うことだ!
分かったら早く叶えてくれ!!」
大声で叫んだ。
しかし、返事は無かった。
訝しんだ私は、屋敷の中を歩きながら大声で御前様に願いを言ったが、屋敷の中はしんと静まり返り、返答はなかった。
鈴の音がまだ鳴っている様な気がする。
私は、焦りを隠せなかった。
――なんで……もう勝負は、終わった筈なのに……。
いつもなら私が勝負に勝った後、御前様は私の前にやって来て願いを聞く筈なのに……どうして今回に限って……。
――チリン…………シャラン…………
すぐ近くで聞こえた鈴の音と共に、私の肩の上に白い手が乗った。
白く細い指先に塗られた藍色の爪紅が視界に入る。
――あぁ、何故気づかなかったのだろう。
――私は、もっと良く考えるべきだった。
――二年目にまた勝負の説明を求められた時、少し雰囲気が変わったと思ったのは本当に気のせいだったのか。
――何故、二年目以降から子供が捕まる人数が増えたのか。
――何故、一年目に叶った願いは一つだったのに、二年目以降から二つとも叶ったのか。
――何故、簪が一つ隠してあると言った年に負けたのか。
――何故、妻と子の……二人が消えたのか……。
――叶えられる願いは、一体につき一つだけ。
――一体では、二つの願いを叶えられない。
――御前様は二体になっていたのだ。
自分の頭数を誤魔化すことに躍起になって、相手の数を制限するのを失念していたのだ。
――私は、勝負に負けたのだ。
そっと藍色の紅を引いた御前様の口が、私の耳元に近づく。
そして、御前様は私の耳元で囁いた。
―― み つ け た
とある町の外れに、古びた洋館があった。
草や蔦で覆われたそこは、最早住む者も訪れる者も居ない。
秋の彼岸入りの日没。
日が落ち薄暗くなった洋館に、二種類の鈴の音が響く。
最後までお読み頂きありがとうございます。