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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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本学坊宗念大和国於阿舎記是壱(ほんがくぼうそうねんやまとのくにあずまやにおいてこれをしるす いち)

作者: 小城

 私の友人の僧に元武士の男がいる。もとより、古の熊谷直実の例をあげるまでもなく、武士が僧になることはめずらしくない。この僧堂に住む僧たちの何割かは武士である。しかし、先の群雄相攻伐する世においては何が武士で何が武士以外であるのかということは曖昧としていた。この仮に、学念と称す元武士の僧もそのような戦国乱世の中で生きてきた者の一人である。かく言う私は僧以外の何者でもないが、この男が歩んできた人生は仏道求道の道にも通じることがあると思い、ここに書き記すことにした。

 その男の生まれは定かではない。ただ確かなのは、彼は若い頃は常陸国にいたということである。もとより彼は自らの所領などはなく、食い扶持の足軽でしかなかった。彼は仲間と近くの荒れ寺に起居して、合戦による食い扶持でその日を送っていたという。今ではそのような胡乱な者は野盗の類として捕縛されるであろうが、乱世の世においては彼らのような者も合戦では重宝されていた。関東では北条、武田、上杉、宇都宮など豪族たちの争いが止まらず、当時、食い扶持には困らなかったという。

「次は下野で戦があるらしい。」

そういう陣触れを聞くと、学念は仲間とともに城へ向かう。城で貸し具足をもらう者もいたが、それらは大抵は、普段は畑仕事をしている小百姓たちで、学念らのように野党風情の者は、自前の槍具足を持っており、他に何日分かの干し飯、芋蔓などの兵糧、鍋、筵などを担いで戦に出掛けたという。陣立てでは名のある侍の組下となり働く。向こうもこちらも既に顔見知りではあるが、彼らの関係は今日のような被官関係ではなく、あくまで日雇い人足のようであった。そのようなので、昨日の味方は今日の敵ということはよくあったという。彼らは数合わせに過ぎない。槍を合わせて、乱戦になったら逃げる者もいた。あとでちゃっかり食い扶持だけはもらいに来る。

 あるとき、学念は乱戦の際に矢を受けて、森に入って手当をしようとした。だが、あいにく合戦は広がり森の中まで、武者が入ってきて、なかなか手当ができず、学念はさらにさらにと森を抜けて逃げることにした。

「(ここまで来ればよいか。)」

林の近くを流れる小川で矢を抜き血を流す。しかし、本来、考えられないことだが、どうやらその矢先には毒が塗ってあったらしい。毒の矢などは古来の夷の類が使ったというが本朝の戦で使われることはまずない。どこかの物好きが試しに、附子の矢でも射ったのが、偶然、学念に当たったのだろう。

 血は止まったが、胸の動悸が激しく、苦しい。学念はとりあえず、死から逃れようと川の水を飲んだ。今まで何度となく、合戦に参加してきた学念ではあったが、このとき初めて自分が死ぬことを考えたという。めまいで立っていられず、学念はうめきながら数歩、歩き倒れたという。後の記憶はなく、目を覚ましたときには、東屋の筵の上で娘に介抱されていた。

 その娘はおはつというらしい。おはつは河原の者であった。

「ああ。よかった。」

「おまえが助けてくれたのか。」

「ああ。」

おはつは立ち上がると桶から水を汲んできて、学念に渡した。学念はそれを飲み干した。体の不調は消えていた。おそらく、一時的なものだったのであろう。

「すまない。」

体が動くのを確認した学念は行こうとした。礼に持っていた干し飯を一握り、水を飲み干したあとの碗に入れて渡した。

「まだ休んでいきなよ。」

おはつは言った。おはつは学念より若かっただろうと彼は言う。当時、誰も自らの年齢などは気にしてはいなかったし、生まれた年などは知らなかったという。

「(そうはいかないだろう)。」

と学念は思った。ここがどこかは分からないが、落ち武者がこんなところに潜んでいては身が危うい。

「(早く逃げなくては。)」

ついさっき死の恐怖を感じたばかりの学念は、死に敏感になっていた。学念は背を向けていたおはつを尻目に、東屋から顔を出した。それはおそらくは学念が倒れたであろう川原から下流に向かったところであった。傍には同じように東屋がちらほらと建っていた。その小屋のひとつの前に立っていた男と目が合った。学念は驚きと死の恐怖から顔を引っ込めた。

「(俺はもしや囚われたのかもしれぬ。)」

学念は恐怖から疑心に落ちた。元来、落ち武者を狩るならば、とっくにやられていただろうと、後に学念は言った。おはつは素直に学念を助けただけであった。

しかし、学念の心には疑心と恐怖と不安が支配していた。学念は傍に置かれていた差し料の打刀を引き寄せた。

「茹でた草しかないが食べなよ。」

おはつがこちらを振り向いた。手には草が入っているであろう碗を持っていた。学念が打刀を傍に持っているのを見ると、おはつは一瞬、動きを止めた。怖かったのだろう。しかし、そのことには触れず、ゆっくりと学念のもとへ茹でた草を運んできた。

「(臭い。)」

学念はもとより、この小屋は学念たちが起居していた荒れ寺よりもなお不可思議な臭いがしていた。そして、今、おはつが運んできた草は強い臭いがする。

「(どくだみかなにかだろうか。)」

学念も野草は食べたことがあるが、それほど食い扶持に困ることはなかった。このとき初めて、学念は己より貧しい者の存在というのを身近に体感したという。

学念はその草を口に放り込んで寝ることにした。耳にはおはつの足音が聞こえていた。

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