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エアの特別になるご主人さま

作者: 水香衣結

 エアはいつものように目が覚める。

 ついさっきまで夢を見てたが、目が覚めてしまうとすぐ忘れてしまう。起きたときの気分が悪くないので悪い夢ではなかったことは分かる。まだ半覚醒なのでベッドの中でぬくぬくとひたっている。今日も学校があるので二度寝なんて許されない。それにエアのご主人さまを起こす役目もある。目を閉じるなんていけないことだ。

 ベッドの中で今日の予定を確認する。起き上がって着替えて身だしなみを整えたあと、ご主人さまの部屋に行ってご主人さまを起こす。着替えをお手伝いし朝の朝食を取ったあと、エアは学校に向かう。学校はご主人さまが通わせてくれた。

 エアのご主人さまは物好きだと思う。いくらエアの父親と仲が良かったからという理由でまだ十にも満たないエアを引き取るのだから。エアとご主人さまは父と同じ年だと聞いたことがある。だからといって父親代わりとは思ったことはない。

 エアは窓から入る光の量で今日も天気がよいと思う。雨の日は傘を持ち歩かなければいけないので荷物が増えてしまうので、天気がよいほうがいい。

 そろそろ起きて支度をしないと朝の朝食が遅れてしまうので起き上がることにした。ベッドから降り与えられた部屋にあるクローゼットから制服を取り出す。いつもようにパジャマを脱いで制服に着替える。

 ワンピースタイプの制服で襟元にリボンを結ぶ。姿見の鏡の前で裾を持って翻ってみる。おかしなところがないか確認する――だいじょうぶだった。ブラシを持って髪を梳く。肩にかかる癖のない髪だ。寝ている間に乱れた髪はブラシで梳くとハネもなく内側にまとまる。友だちは羨ましいと言ってくれるが、長いを髪を巻いたり、髪をまとめて髪飾りを付けたりするほうが羨ましいと思う。

 いつもと変わらない姿を確認して、よしと自信を奮い立たせる。

 特別に綺麗でも可愛いわけでもない姿が鏡に映っている。しかし支度をして姿を確認した瞬間は自信に満ちている。

 エアはベッドの毛布と正して脱いだパジャマを丁寧に畳みベッドの上に置くと、自室から廊下へ出た。



「エア、おはよう」

 廊下を出てすぐにこの屋敷の使用人に声をかけられる。エアがご主人さまに拾われてるときからいる。もう六十近いと聞いている。屋敷に住み込んでいる使用人だ。

「おはようございます。ネイスさん」

 エアはご主人さまに引き取られたが、養女ではない。亡くなった父の代わりに面倒をみてくれている。ネイスはエアのことを『さま』付けで呼ぶことはしない。他の使用人たちもそうだ。

 ネイスはご主人さまのお仕事を手伝っている。ご主人さまが仕事に困らないようにいろいろと気配っている。着ているスーツはぴしっとして皺がなく、色あせなども見当たらない。

「いつもどおりの時間に朝食ですので、レイシスさまをよろしくお願いします」

 軽く会釈するように言う。エアはわかりましたと返事をしてその場を後にする。ご主人さまの部屋に向かう。

 レイシスというのはご主人さまの名前だ。エアは引き取られたときからずっと彼のことをご主人さまと読んでいる。名前で読んで欲しいと強制されてなかったので、ずっとそのままだ。

 今はご主人さまとエア――屋敷の運営に困らない最低限の人数しかいないが、伯爵という身分を頂いている。エアの父は街に住む平民だ。どこに共通点があったのだろう。若い時分に親しくなったというが、貴族と平民の繋がりはどこだったのだろう。いつか聞くかもしれないが知らずとも困らないので、聞かないかも知れない。


 ***


 エアは自分の部屋がある階と同じ階にご主人さまの部屋に向かう。たくさんの部屋があるが、エアとご主人さまの部屋は同じ階の端と端にある。エアはご主人さまの部屋に着くと、コンコンと小さすぎずまた大きすぎずなな音でノックした。エア自身のが大きな音を立てたりすることはないが、あまり小さいと全く気付かれないので少しだけ主張するように音を立てるのだ。

 部屋の主であるご主人さまの返事が聞こえないのを確認して、エアはご主人さまの部屋に入る。屋敷の主であるご主人さまの部屋は、エアの部屋より二倍の広さがある。昔お父さんと住んでいた家よりも広い。部屋の空気が少しだけ冷たく感じる。ぱたんと静かに扉を閉めるとエアはご主人さまがベッドに寝ているのを視認する。ご主人さまを起こす前に先に部屋のカーテンを開ける。重厚なすき間から朝の日差しが漏れ入ってくる。カーテンを開けると一気に部屋が明るくなる。部屋のカーテンを全て開けると、部屋の空気が温まっていくだろう。

「んん――」

 朝の光がご主人さまの顔に当たり、顔を背ける姿見えた。いまだ夢心地かもしれない。エアは屋敷の主人を起こしにいく。

 エアの部屋にあるベッドよりも大きく、特別に作らせたベッドはエアが一人どころか二人か三人ぐらいいても十分な大きさだった。誰かとベッドで寝られる大きさだとご主人さまは言うが、エアをベッドに入れたことはない。ご主人さまとエアは耳元で囁くように声をかける。声をかける大きさはいつも難しい。エアの声は人よりも大きく声を出すのが苦手だ。お腹に力を入れれば大きく声が出すことができることは知っているが、思うようにできない。

「ご主人さま起きる時間です」

 ベッドの外から声をかけても反応がなかったので、ベッドに身を乗り出してご主人さまの耳元で言えるように顔を近づける。制服に皺がつかないように気をつける。ベッドに乗りかかると汚してしまうのでそれはしない。大きなベッドなのでご主人さまのそばで声をかけるのが難しい。

 ご主人さまを起こすのはエアの役目だ。引き取られたときからの日課だ。何もできない十にも満たない子どもが何か約に立てることはないかと告げた結果、ご主人さまを起こす係に任命された。小さい頃は起こし方が分からずベッドの上に登った。靴を脱がずに上ったのでベッドが汚れてしまった。ご主人さまは怒ることはなかったが、困った顔をしていた。起こしてくれたことは嬉しかったが、その方法がいただけなかった。何年も一緒に過ごしているうちに気付いたが、ご主人さまは朝が苦手なのだ。呼んだところですぐに起きない。起こしたくて取った行動がよいものではなかったが、朝が苦手でなければベッドを汚されることはなかったのだろうに。

「ご主人さま朝ですよ」

 エアは言葉を続ける。一度だけなら反応がなかったが二度目になると閉じたまぶたわずかに動く。起きてくださいとご主人さまを呼び続ける。何度か続けるうちにご主人さまの瞼が開かる。寝起きらしくぼんやりとした状態でエアの顔を見つめてくる。三十秒ぐらい見つめあったあとエアを確認したのか、おはようと言ってきた。

「いつもどおりの時間に朝食です。支度してください」

 エアはご主人さまが目が覚めたと確認するとベッドから離れる。ご主人さまが体を起こし、大きなあくびをする。公のご主人さまの姿を知らないが、ご主人さまはご婦人かたの評判がよいらしい。屋敷にまで来訪する方はいないが、貴族の集まりでご婦人たちに囲まれて大変だそうだ。

 エアというコブがあるがご主人さまはご婦人かたにとっては優良物件なのだ。人当たりがよく見た目もよく家柄もいい。貴族にお金の心配をするのもいかがなものだが、お城でお勤めもしているのでお金にも困らない。使用人のネイスがご結婚すればいいのにと言っていたことを思い出す。

「ご主人さまは私以外の人に起こされたほうがいいのではないですか」

「何故そう思うんだい?」

 ご主人さまはあくびを我慢しつつベッドから下りる。エアはご主人さまの今日の衣装をクローゼットから取り出してくる。人の衣装のコーディネートなんてできないので、ネイスや他の使用人たちと話し合って毎日着る服の組み合わせを決めている。順番にご主人さまに着てもらっている。エアよりも寝癖が多いご主人さまはエアが差し出した服に袖を通す。着替えると伯爵らしい顔つきに変わってく。エアはご主人さまを椅子に座らせ、ご主人さまの髪を梳かしてく。寝癖のついた髪を丁寧に梳かしハネをなくしていく。慣れた手付きでご主人さまの姿を整えていく。あっという間にご主人さまはこの屋敷の主人の伯爵さまになっていく。

「私も十六ですし、年頃の娘がご主人さまの世話をするのはどうなのかと思いました」

「私はエアに起こしてもらうと目覚めがいいんだよ」

 エアの言葉にきょとんとした顔を浮かべるがすぐににっこりと大人の顔を見せる。まだ四十になってないご主人さまはまだまだ若いと思う。威厳が足りないと時々ご主人さまは愚痴をこぼすことがある。お城でのお勤めで威厳があったほうがよいことがあったのだろう。何かあったかもとしれないときにいつも言っている言葉だ。

 エアはご主人さまの身支度を整えて、整った姿をご主人さまに確認してもらう。大きめの手鏡でご主人さまの髪を見てもらう。衣装は使用人が用意しているので問題はない。ご主人さまは寝癖があるので最後に確認してもらっている。鏡を上下左右に動かして髪のハネがないか見てもらう。一通り見ると満足したのかうんうんと頷いてエアに手鏡を返す。

「エアほど丁寧に起こしてくれる人はいないからね」

 十にも満たないときからご主人さまの朝の世話を続ければ、他の誰よりもご主人さまの朝のお世話ができるようになる。今さら他の人に代わってもらう気はないらしい。エアはご主人さまの支度が終わったので、朝食の時間に送れないように部屋を出る。ご主人さまも一緒に部屋を出る。



 朝食は下の階で取ることになっている。部屋を出た順にエアが先を歩く。背丈でいえばエアよりも背が高いご主人さまが足が早いが、エアの歩調に合わせて廊下を歩いていく。

 屋敷の中央にある階段を降りていく。とんとんとんと一定のリズムで降りていく。

「エアが私の奥さんになってくれたらずっと起こしてもらえるんだけどね」

 階段を降りながらご主人さまは言ってきた。エアは階段を降りきったところで足を止める。後ろからついてきたご主人さまも階段を降りたところで足を止めた。エアは足を止めたご主人さまを見る。見上げると毎日見慣れたご主人さまの顔がそこにあった。

 冗談のような言葉はエアの心に引っかかった。エアは自分を引き取ってくれたご主人さまに恩を感じている。ご主人さまにお仕えできればいいと思っている。奥さんという言葉はエアにとっては現実味のない言葉だ。

「私はご主人さまと一緒にいたいです」

 まだ好きとかいう感情は分からないがご主人さまの側にい続けたいという思いはある。ご主人さまはエアの思いを聞いて口元を上げる。

「奥さんになりたいというわけではないですが……」

 エアは見上げていた顔をうつむかせて、両手を下で重ねる。きゅっと握りしめる。ご主人さまのちょっとした願いを断る形になって申し訳ない気がしてきた。ご主人さまはエアの頭にそっと右手を乗せる。ふわりと触れられた部分が少しだけくすぐったい。エアはご主人さまに気付かれないように体が震えた。

「エアが望むならずっとここにいてもいいよ」

 子どもをあやすような声色だった。うつむいているエアはご主人さまの顔は見えなかった。エアの頭に触れたご主人さまの右手がエアの髪を撫でる。髪を押さえつけないようにそうっと撫でていく。くすぐったかったが嫌ではなかった。

 早く行かないと朝食が覚めてしまうとご主人さまはエアの足を促す。エアの髪を触れていた右手がエアの肩に手を回した。ご主人さまの手が頭から離れたのでようやく頭を上げることができる。見上げるとご主人さまは今までにない穏やかな瞳を浮かべていたとエアは感じ取った。そこにどういう感情が込められているか気付けないが、好きだと感じた。

 いつもの朝がちょっとだけ違った朝だった。

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