08 夏バテと冷製パスタ
リズマリアに前世の記憶が混ざってから、一つの季節が過ぎた。花咲く季節が終わり、今は夏真っ盛りだ。前世の日本のような猛暑ではないけれど、それなりに暑い。冷気を出してくれる魔術具が無かったら、今頃わたしは干からびていたに違いない。今すぐエアコンの技術が発達して欲しい。前世も、今世も、わたしは暑さに弱かった。すぐに夏バテと呼ばれるものになってしまう。
「死んじゃう……無理……暑い」
魔術具の前を陣取り、長椅子の上に寝そべる。お行儀が悪いことは重々承知の上である。この夏バテの原因は、暑さだけではなかった。
「もっとこう……食べやすい食事がしたい……」
冷製パスタとか、ヴィシソワーズとか、こう冷たいものを摂取したい。この世界がそうなのか、この時代がそうなのか分からないが、どちらも出てこない。誰に聞いても食べたことないと言われてしまってはどうしようもない。なにせこの国は、夏でも熱いスープなのだ。信じられない。冷やし素麺、ざるそば、冷やし中華、ここでは食べられない前世での料理ばかりが頭を過っていく。お願いしたら、作ってくれないかな。
「ソフィー、ちょっとここに料理長を呼んできて頂戴……今ならまだディナーの仕込みに間に合うでしょう」
「分かりました。すぐに連れて参りますから、リズマリア様はしっかりと身体を起こしてくださいませ」
「はぁい」
ダラダラと、手をつきながら椅子の上へと起き上がる。本当に体調が優れない。タンクトップとショーパン一枚で過ごしたい。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
ソフィーは言葉通り、すぐにソワソワとして落ち着かない様子の料理長を連れて戻ってきた。ローランサン家に勤めて十数年となるが、ここの長となったのは昨年のことだ。前料理長が年齢を理由に引退したために副料理長から昇進し、そのままその座を引き継いだ。長という役職からは少し若いが、それでも良い食事をいつも用意してくれている。
「あまりにも暑すぎて死んじゃいそうなの。だから、夜は軽く食べられるものにして欲しくて」
「どういったものがよろしいですか?」
「あの……冷たいパスタって貴方作れるかしら」
「冷た、い……?」
「そう、冷製パスタ!」
「ただのパスタを冷ましたものじゃなくて、冷たくて美味しいパスタ! 麺も細麺のものを使って、喉越しよく!」
ポカンとした料理長の顔が少し面白い。
「サラダ感覚で食べられたら一番なんだけど。そうね、まずはお試しで作るとしたら、カリナオイルと塩で和えて、細かくしたナッシュを乗せて、あとはハーブか何かをトッピングする……とかなら、サラダ感覚として軽く食べられそうな気がしませんか?」
前世の言葉で言うなら、オリーブオイルと塩で味付けしたパスタに、細かくしたトマトを乗せるというものだ、ナッシュはトマトに似ていて、種類がとても豊富な野菜だ。興味が出てきたのか、料理長の顔が輝いていく。
「粗挽いた黒胡椒をまぶしても美味しいと思うの。味付けは貴方の舌を信じています。今日の夜でなくても良いので、この暑さが続くうちに作ってくれたら嬉しいわ」
「わかりました! 全身全霊込めて、作ってきます!」
早速取り掛かってみたいと思います、と彼はいそいそと厨房へと戻っていった。常に温かい料理を食べることが出来るのが貴族である。人を雇うことが出来る家に、冷えた料理は相応しくないのだ。それもあって、食卓には温かい料理しか出てこなかった。
また、冷蔵室に保存していても、どうしても夏場は肉や魚の傷むスピードが早い。そのため、塩漬けや薫製にして保存期間を延ばすことが殆どだったが、そうすると今度は全体的に食事の味付けが濃くなってしまう。夏バテで消耗した胃には辛いものがあった。かと言ってここの食事事情を改善できるほど、調理の知識を持っているわけでもないから、わたしが厨房に立った所で出来ることはないし、そもそも領主の娘なんて存在を厨房に立たせてくれないだろう。というか記憶にある限り、わたしはこの城の厨房に入ったことがないし。いや、薬草を煎じてみようと思って忍び込んで、即座に摘み出された記憶ならあるけど。
前世ではそれなりに自炊していたけど、晩酌の際にツマミを作る程度のものだった。ツマミなら美味しいのいっぱい作れる自信があるんだよなあ。ああ、考えてたらワインとチーズ食べたくなってしまった。後六年、成人したら自由に飲める!ああ、そうか。お酒に合うと考えたらあの味付けも納得出来るかも。確かに、酒のツマミにはぴったりだと思う。けれど、今のわたしの味覚は子供であるわけで。
「頼りにしてます料理長〜!」
小さな呟きと共に、わたしはまた長椅子へと倒れ込んだ。
***
「お嬢様、お食事をお持ちしました」
「ありがとう」
夏バテで体調が優れないため、ここ最近は自分の部屋で食事をしていた。家族が集う間だとどうしてもマナーに気を付けないといけなくて余計に疲れてしまう。自室での食事の方が気兼ねすることなくて楽だった。
「あら、これは」
「ええ、早速作ってくれたようですよ」
テーブルの上に、頼んでいたパスタが乗った皿が置かれた。カペッリーニのような細い麺を使ったそれは、食欲のない今の状態でも美味しそうに見えた。
「あっ、お嬢様! 早速作ってみたんですけど如何ですか!」
ノックと共に入ってきた調理長は、挨拶もなく開口一番そう口にした。余程気になっていたらしい。
「今からいただきますの。そこで少し待っていてくださる?」
カリナオイルの上品な香りがツンと鼻に届く。不思議と、食欲が湧いてくる。一口分をフォークに絡めて口に運ぶと、口の中にふわりと森が拓いたようだった。見た限り、一種ではなく数種類のナッシュを使っている。ナッシュのこの組み合わせは、料理人ならではだと言えた。独特の甘みと酸っぱさが、カリナオイルと絶妙なバランスを出している。提供する直前に冷蔵室から出したのか、冷えたソースが熱い身体に気持ち良かった。
「とても素晴らしい出来栄えですわね。これ、貴方が一人で作って?」
「お嬢様が仰った食材を組み合わせただけです」
ここ数日は食も細くなってしまっていたのだが、久しぶりに完食した姿を見て、側にいたソフィーも嬉しそうな顔をしていた。
「こういうお料理って、貴族が食べていないだけで一般的には知れ渡っていたりするものなのかしら」
「どうなんですかね、少なくとも俺がいた地域では冷やしたパスタってのは無かったです。サラダやマリネぐらいで、他は火を通してました。厨房にいた奴らも知らないって言ってたんで、この辺りのやつらも知らないかと思います」
その場に残らせていた料理長に疑問に思っていたことを伝えるが、彼にも分からないらしい。もう少し南の方へ行けば、冷たい料理もあったりするのだろうか。
「わたくし、どうしても夏に弱くって。手間を掛けてしまうのだけれど、明日からお昼はこういったものをお願いしても良い?」
「勿論です!」
胸を張ってそう答える姿はとても頼もしい。嬉しくなって、わたしも笑みが溢れる。
「因みに、以前本で読んだだけだからわたしも詳しくはないのだけれど、冷たいスープっていうのが存在しているらしいの」
「それもまた冷たいやつなんですか?」
「書いてあったのは、お芋とリーキ使って、潰すんだったかな、裏ごしするんだったかな、したものをブイヨンと、あとミルクかクリームかのどっちかで伸ばすっていうものなの」
「ポタージュと似てますね」
「ごめんなさい。読んだのも大分前だからあやふやなところが多いのだけれど、ずっと気になってたの」
「わかりました、とりあえず試作品作ってみます」
「ありがとう!」
勿論、読んだのは本ではなく前世での記憶の一つだけど。前世で作ったときはリーキではなく玉ねぎで代用したが、それなりに美味しいものが作れたと覚えている。しかし残念なことに記憶が前すぎて、工程の所々が曖昧だった。美味しかったことだけは鮮明に思い出せるのに。
「料理長! この夏、わたくしと楽しい食生活を満喫していきましょう!」
「任せてください!」
こうして、わたしと料理長は偉大なる食への冒険へと、ひとまずの一歩を踏み出したのであった。