07 生存確認とダンスレッスン
週に二回始まった薬術の授業は、それはそれは至高のひと時だった。今までは疑問に感じたところを質問出来る人がいなかったこともあり、そのままにしていたが、今は違う。分からないことを教えてくれる教師がいるだけで、こんなにも生活に潤いが出るとは思わなかった。捉え方は違うけれど、母であるエメリーヌも今のわたしの様子を好ましく思っているようだった。部屋の中にいるよりすぐに外に出たがるわたしを見て、以前はよく溜息をついていたけれど、薬術のために積極的にレッスンに励むようになった今のわたしの姿を見て、とてもニコニコとしている。昔からエメリーヌの手のひらで転がされていたことは自覚していたが、より一層転がされているような気がしなくもない。
前世にいた頃、社交ダンスは男女が身体を寄せ合って踊るものだとずっと思っていた。ワルツとかタンゴとか名前がついていて、音楽に合わせて動く、そんな程度の知識だけだった。けれど、今世になってその知識がかなり偏った少ない知識だったと気付かされることとなる。リズム多すぎ、足型多すぎ、覚えること多すぎ!
「お嬢様、今日のレッスンではいつもよりヒールを少し高くして踊ってみましょうか」
この国では、成人と認められる十六歳になれば社交デビューをすることが出来る。明確な決まりはないが、大抵が学術院を卒業した後の年のシーズンにてデビューをすることが多く、主に十六から十八歳に掛けてだ。
デビューの場はそれぞれの位によって変わってくるが、主に三回ある。平民用として各村が主催する場。これは誰でもが参加することが出来る。次に、各領の領主が主催する、下位貴族や商家のための場。これは中央での政権に携わることが無い各領地の貴族や、その領地に与する裕福な商家が参加出来る。最後に、王家が主催する中央で開かれる場。これに関しては参加出来る数は少なく、各領の中でも上位に位置する貴族のみだ。稀に貴族以外の参加もあるが、それは学術院在学中に類稀な能力を発揮した者のみである。基本的に、このどれか三ヶ所でデビューをすることとなる。
「わたくしの成人まで後何年あると思うの。今から高いヒールを履かなくてもいいじゃない」
「ヒールというものは慣れ、でございます。今からヒールに慣れておきませんと」
子供のうちからヒールを履くと骨の形が悪くなってしまう、というのは前世でのみ通じる常識だったようで、こちらでは何を言っても響かない。それどころが、皆して率先して履くものだから、わたし一人の力では抗いようもない。前世ではローヒールを好んでいたこともあり、今でも高めのヒールは少し苦手だった。転んでしまいそうで怖いのだ。
「転ぶと思うから転んでしまうのです。背筋をシャンと伸ばして!」
「重心を真下に!」
「腕を下げない!」
「視線も下げない!」
ダンスは好きだが、履き物ひとつでこうもガタガタになってしまうのは悔しかった。ローヒールなら足元を気にせず伸び伸びと踊ることが出来るから楽しいのに。
「あっ、ごめんなさい、クロード様!」
「大丈夫、気にしないで」
この日何度目になるか分からない足踏みをして、わたしは慌ててすぐに相手へと謝った。今日のダンスのお相手は琥珀色の髪と緑の目を持つ、二つ年上のクロード・ベルリオーズだ。この国の宰相の息子で、代々国の中枢に関わる人材を輩出している由緒正しき家の嫡男である。顔も頭も偏差値が高く、そう、所謂イケメンというやつで、この『マジックソードストーリー』の攻略キャラのうちの一人だった。見た目は優男だけどそのお腹は真っ黒の中の一番の黒で、ある意味とても良い性格をしている。腹黒イケメンが好きな層には大層ウケたが、この何を考えているのかが分からない笑顔が、わたしにはどうも気持ち悪かった。本来であれば関わりたくない人種であるが、ベルリオーズ家はローランサン領出身の貴族ということもあって、家族ぐるみで幼少から付き合いがあった。ほとんど中央にいる筈の彼が何故ここにいるかというと、父親の仕事についてきたかららしい。本来であれば領主のオーギュストの方が中央へ向かうのが礼儀だが、彼とオーギュストが知己の仲ということもあり、今日は仕事ついでに羽を伸ばしに来たんだとか。一晩泊まっていくと、朝食の席でオーギュストが言っていた。
「リズ、まさかと思うけれどダンスレベル落ちた?」
笑顔で毒を吐いてくるあたり、本当に良い性格をしていると思う。知っていたけど。
「ヒールが高くなければもっと踊れるわよ」
「言い訳はよくないと思うよ」
「もう一度その長い足を踏んで差し上げましょうか」
「おお怖い」
慣れない靴に、足が悲鳴を上げている。成人までにこの高さに慣れないといけないの、本当に大問題だ。
「そういえば、ディオが生存確認して来いって言ってたんだけど、君なに死んだの?」
「殿下が? 縁起でもないこと言わないでください」
「また寝込んだ?」
「ネモの実食べたら昏倒して三日三晩目覚めなかったくらいかしら」
「それでか」
「殿下からもお見舞いの便りが届いていたからお返しを送ったんだけど、届いてない?」
「小さいブーケだろう?」
「そう」
クロード程ではないが、わたしも中央へは良く行く方だ。シーズン中は父母共に中央に出向くことが多いため、それについていっていたのだ。夜会の場に顔を出すことはなかったけれど、エメリーヌが呼ばれた茶会には連れて行ってもらうことが多々あった。殿下であるクラウディオに会ったのは、その茶会のうちの一つである。当時まだ幼かったわたしだが、その頃からすでに植物に興味を示す子供だったことを覚えている。大人の会話に飽きてしまい、護衛を連れて庭園を散歩したいとエメリーヌに強請った。最初は難色を示していた母だったが、王妃からの「あらいいじゃない」という言葉により、庭園探検(護衛付き)が許されたのだ。その探検中にクラウディオと遭遇した。当時はまさか、王子がそんなところにいるわけないと思っていたものだから、後から紹介された時には魂が飛び出るかと思う程に驚いた。驚くわたしを見て、クラウディオは大爆笑していた。なんていう酷いやつだ。
「殿下はお元気?」
「学術院の基礎コースが簡単過ぎて死にそうって言ってるよ」
「お元気なようで何よりです」
「まああいつの場合、必要な基礎は幼少時代で全部身に付いているからね」
王族や上位の貴族になると、求められるものが変わってくる。そのため、一般的に必要とされる知識や対応の仕方は、付けられた家庭教師から子供のうちから叩き込まれるのだ。勿論それは、ここにいるわたしも、クロードも、だ。
「君も一年目、退屈死しないようにね」
「気の早い忠告をどうもありがとう」
クラウディオと同じ学年であるクロードは、わたしよりもずっと先に、殿下の遊び相手として顔を合わせていたらしい。ベルリオーズ家の嫡男であるクロードは、そのままクラウディオの臣下となることを幼少のうちから期待されていたのだと思う。本人もそのつもりであるようで、宰相である父の仕事には出来うる限りでついて回っていた。それは、学術院に入学してからも頻度は落ちていない。
「来年どのコースを取ろうか悩んでいるんだよね」
「以前、法務コースと言ってませんでした?」
「それは確定なんだけど」
学術院はいくつものコースに分かれており、国や各領の中枢で働くものは皆一律に法務コースを出ている。
「必要な知識は殆どもう頭の中に入ってるから、今更座学を受ける必要性がないんだよね」
「さようですか」
「せっかくだし、魔術か騎士のコースも併用しようかなと思って」
本人のやる気次第では、複数コースの取得が出来るところが学術院の良いところでもある。
「リズは?」
「まだ……分かりません」
「まあでも君くらいなら、他コースを選んでも薬術併用するくらいは出来るでしょ」
クロードも、薬術コースをメインで取得することに関しては決して明言しない。あくまでも、その他コースの併用と言葉を濁すことしかしないのだ。踏み込んでも大丈夫なラインをちゃんと見極めてくれる。腹の読めない男だが、こういう気遣いが出来るからこそ、この関係性が続いているのだと思う。
「ありがとう」
「イクセル先生の研究室でおどろおどろした鍋を掻き回している未来が見えるようだよ」
「そういえばイクセル先生といえば、正式に家庭教師になってくれたの!」
「えっ、本当に!?」
「もう何回か授業を受けているんですけど、とても分かりやすい説明をしてくださるから楽しくって楽しくって……!」
「へえ……あの人薬術コースの上級生しか受け持ってないんだけど、凄い難しくて理解するのがやっとだって知り合いが言っていたんだよね。そっか、類はなんとかだね」
「クロード様も一緒に鍋で煮込んで差し上げましょうか」
「ふふふ、遠慮しておくよ」
ふふふ、ふふふふふとお互い笑いあっていたら、まだレッスン室にいたダンスの先生がなんとも言えない顔をしてこちらを見ていた。存在、忘れてたや。