04 ガタガタステッチと護衛
授業が始まって数日、合間を縫って臨んだハンカチへの刺繍は、ソフィーの言う三日に一日を足して、漸く完成した。途中、やる気スイッチがどこかに隠れてしまい、歩みが遅くなってしまったのが敗因だ。被服関連以外ならもう少しは頑張れるんだけど。
外出が禁止されている今、わたしに護衛は必要ない。そのため、クレイに会うことは殆どなかった。目が覚めてから、まだ一度しか会っていない。なんとか呼び出せないかソフィーに聞いてみたところ、それなら城の庭でお茶会を開いてはどうかと提案された。寝込んでいた間にお見舞いの便りをくれた友人達に声掛けし、直接御礼をしてみてはどうかというものだった。城外からの集まりとなるため、そのような場を設ければ護衛をつけなくてはならない。そこでクレイを名指しすれば良いとのことだった。確かに、お便りをくれた友人達には元気になった旨を伝えたかったし、ちょうど良いのかもしれない。
そうと決まれば即決断だ。わたしはすぐにエメリーヌからお茶会の許可をもぎ取り、友人達へと案内状をしたためた。少人数での集まりとなるため、お声掛け出来ない人も出てくる。領地外となる遠方地の友人には、元気になったことを伝える手紙と、魔法で時を止めた小さな花のブーケを送ることにした。これで問題ないだろう。
お茶会を開く際、主催側にはいくつか決まりごとがあるが、今回は非公式に開く小さなお茶会だ。面倒くさいところはすべてカットして、略装で構わないと案内状に記載した。紅茶はローランサンの南の方で栽培している、優しい味わいのサバ茶を選んだ。これはわたしの一押しの茶葉の一つだ。サバは紅茶にする以外にも、薬術にも使用される植物である。精神安定に効果のある植物で、これを用いた薬の種類もいくつかある。良い夢見効果があるということで、睡眠障害の時によく出される薬に使われる。茶葉に加工するとどうしてもその効果はガクンと落ちてしまうが、それでも心和らぐ紅茶として、一定の人気を誇っている。
お茶会は三日後の午後として、魔法郵便で届けた。この国には魔法郵便という少し面白い郵便制度がある。郵便局の中に、国の管理する郵便転送陣があり、それを使えばその他地域の郵便局へ郵便物を送ることが出来るのだ。勿論サイズに限りはあるし、転送した後は人の手で届けるため、多少の時間は掛かってしまうけど、それでも物理的な距離を一気に縮めることが出来るこの転送陣はとても使い勝手の良いものだった。その他の領地に送る際も、この魔法郵便を使えばすぐに届けられる。各地の郵便局員の配達負担を大幅に下げる魔術として、開発者には当時、国を挙げての栄誉を贈ったらしい。
「ソフィー、あとわたしが用意するものはあったかしら」
「お菓子の手配も済みましたし、あとは当日を迎えるのみでしょう」
「クレイには伝えてくれたの?」
「勿論、当日はリズマリア様の部屋に直接参るように伝えてあります」
「ありがとう」
クレイには、お茶会に向かう前にここで渡そうと思っている。彼のことだから、人前で渡そうものなら受け取らないと思う。だから、少人数しかいない場で渡そうと考えているのだ。
***
楽しみを待つのは一瞬だ。招待状を出した友人からは全員出席の返事が来ていたから、今日は久しぶりに賑やかになるに違いない。ソフィー以外のわたしの侍女の力を借りて、髪を結い、ドレスアップしていく。いくら略装といえども、多少は粧し込まなくてはならない。前世では考えられなかったが、こちらでは十歳でも人前に出る際は少しの化粧は必要だった。眉を整え、白粉のようなパウダーを叩かれ、軽く頬紅をさす。それだけではあるが、子供の頃に化粧なんて七五三の時しか記憶がなかったことを考えると、文化の違いというものはある意味面白いものだった。
「お嬢様、本日のお色の気分はありますか?」
クローゼットとして使っている部屋から、オレンジに近い髪色をした侍女のイルマが顔を出す。彼女は流行のファッションに敏感で、何かとわたしを着飾ろうとする一派(リーダーは母であるエメリーヌだ)の一人だ。
「今日はとても天気が良いから、空の色を表したいわ」
「承知しました、すぐにお持ちします」
本日はお日柄もよく、なんて言葉を使ってしまいそうになるほど、今日はとても清々しい天気だった。雲ひとつない、は言い過ぎだけど、そう言い表せられるくらいの快晴だ。すぐに、先程引っ込んだ侍女が二つのドレスを持って戻ってきた。どちらもゴテゴテとした装飾はなく、昼の時間のお茶会に相応しいものである。
「うーん、どちらかというと、今日の気分はこちらかな」
侍女の右手に持っていた方を指差す。白から水色のグラデーションに切り替わる色合いは、まさしく空を言い表すのにぴったりだ。
「白い雲が空に浮かんでいるみたいで、今日にぴったりだと思わない?」
「その通りだと思います、お嬢様。ささ、こちらでお召替え致しましょう」
されるがままに今の服を剥ぎ取られ、グラデーションの綺麗なドレスがわたしの身体を覆っていく。こういったドレスは後ろで編み上げることが多く、一人で着るのは難しい。貴族ならではって感じだ。空の深さを示すかのように入った青の刺繍がとても荘厳で美しく、今のわたしでは多少ドレスに着られているような気がしなくもないけれど、編み上げを隠すように誂えた大きなリボンが年相応を表している。これはこれで可愛い。
「嗚呼、お嬢様。とてもお美しゅうございます」
「ありがとう」
リズマリアのこの顔はとても整っていると、我ながら思っている。綺麗な顔で生んでくれたオーギュストとエメリーヌに感謝だ。だからこそ原作のリズマリアはちやほやされ過ぎて育ってしまい、自身が常に一番でないと気に食わなかったのだろう。それでいて、この大領地である。殆どのワガママが通っていたに違いない。現実はまあ外出禁止を食らっているわけだけど!
「リズマリア様、クレイが来ましたよ」
ドアの外から、ソフィーと共に本日の護衛であるクレイが入室してきた。外出禁止になってから、そんなに日が経っていないというのに、なんだか久しぶりの気がする。
「クレイ! 今日はありがとう」
「いえ、お嬢様こそ、本日は体調の方は如何でしょうか」
「ええ、もうバッチリ大丈夫。今日だって、復帰祝いとしてのお茶会ですもの」
「ご無理はなさらないで下さい。お嬢様をなくすかと思い、本当に生きた心地がしませんでした」
「その節は本当にごめんなさい。あの……その、お詫びといってはなんだけど、ハンカチに刺繍をしたの。貰ってくれる?」
「わたしに、ですか?」
成人したばかりで、まだあどけなさの残る顔が驚きで固まっている。彼の名を呼び、目の前でひらひらと手を振れば、彼は漸く意識を取り戻した。
「貴方に、貰って欲しいの。イニシャルは思いっきり止められたからわたくしのガタガタステッチのモチーフなんだけど、これでも頑張った方なのよ」
クレイの手を取り、その手に無理やりハンカチを落とす。あたふたとしていたクレイだったが、手に持ったハンカチを見てそれはそれは嬉しそうに笑ってくれたので、ここ数日の頑張りが一気に認めて貰えたような気がしてわたしも嬉しくなった。
「大事に、しまっておきます」
「いや、使ってね!?」
丁寧な手つきでハンカチを胸にしまったクレイは、そのままドアの方へと下がった。ここからは護衛の任に徹するらしい。わたし自身もクレイにハンカチを渡すという、今日の一大イベントを終えたため、少しだけ肩の荷がおりたような気持ちになれた。この後はお茶会だけど、気心知れた友人だけのために体に力が入ることもない。わたしの心も今日の空のように快晴だった。
短いですが、次に続きます