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03 変人と変人




 おとなしく部屋の中で刺繍に励むこと数時間。刺繍に飽きて薬草大全の本を開こうとすれば、笑顔のソフィーに没収されて刺繍の本を手渡される。刺繍三昧で昨日は発狂するかと思ったが、今日から家庭教師の授業が再スタートするということを楽しみに気合いで乗り切った。今日は復帰一日目ということで、授業の時間は以前の半分しかないけれど、それでも刺繍以外のことが出来ると思うととても清々しい気持ちになれる。エメリーヌの淑女計画の中に入っている刺繍や裁縫はどうしても苦手だが、それ以外のレッスンは結構好きな方なのだ。ダンスレッスンは綺麗にターン出来ると嬉しいし、マナー学は美味しいお菓子が出るからやる気が出る。


「ソフィー、今日はどの先生が来るの?」

「午前に算術のリュカ先生、午後に歴史学のジェルマン先生の予定です」

「ありがとう」


 リュカはこの世で一番美しいものは数字の羅列だと豪語しているちょっとおかしい人だが、歴史学のジェルマンはリュカのその斜め上を変な方向へと突き進んでいく、もっとおかしい人だ。国立図書館の蔵書に関して、歴史に関わるものは全て読み、記憶しているらしい。もはや、あるく歴史書だと言っても過言ではないだろう。その記憶力は羨ましい限りだが、残念なことに歴史に関すること以外の記憶力はとてつもなく悪い。すこぶる悪い。残念な天才って彼のことを言うんだなっていうのは、会って数日のうちに得た感想だ。


「体調を見ながらということになりますので、気分が悪くなりましたら直ぐに申し付けくださいね」

「もう、ソフィーったら心配性なんだから! もう大丈夫、心配しないで」


 朝食の後、わたしはソフィーを伴って勉強専用にあてがわれた部屋へと向かった。倒れる前、最後に授業を受けた時から何一つ変わっていない部屋は記憶の中と一緒で、中央には少し大きめなテーブルが置かれてあり、壁には多数の書物を収納できる大きな本棚がある。ここ、ローランサンの屋敷内にも図書室と呼ばれる蔵書室はあるが、ここに置かれている本は全て子供向けの勉強に関する本のみが置かれていた。


 ルミナス国は多数の領からなる一つの大きな国だが、子供への教育に関しては各領地にて采配を任されている。最低限の教育は必須だが、どれを取って最低限というのかに関してが、各領主に任されているのだ。


 ここローランサン領では、子供たちは六歳になると各村に設立した学び舎に集められ、無償で教育を受けることが出来る。子供と言えど重要な働き手の一人であるわけで、午後はそれぞれの家業を手伝う時間として確保するために、教育を受けるのは午前のみだけだ。この学び舎にて、基本的な文字や算術、そして国の成り立ちなど、最低限の知識を六歳から八歳までの三年間で得ることになる。学び舎は全て、国からの補助金と各領地の資金にて運営されている。だからこそ、教育に力を入れられるかは各領の経済力に掛かってくるわけだ。


 ローランサンの領主は代々、勉学を励みたい子供には惜しみなく援助を与えると公言していることもあり、学び舎以上の知識を得たい場合にもしっかりと対応している。と言っても、伸びる見込みがある子供に限る話になってしまうけれど。将来領地に何らかの益をもたらすであろう人材は、早いうちに囲っておくものだと、今代の領主であるオーギュストはそう言っていた。それが自分のためにも、また息子であるアルフレッドのためにも、ひいてはローランサン領、そして国のためになるということも。


 九歳から十一歳まで、見込みがある子供たちは学び舎にて追加で教育を受けられる。一般的な家庭では、いくら見込みがあって無償で教育を受けられるといっても、それよりも家業の受け継ぎ手として、家や奉公先で教育に充てる時間の方が必要になってくる。経済や法律などに触れる必要性などないからだ。しかし、商家や裕福な家庭となると、また話が違ってくる。商いをする上で必要になる経理に関する算術や、各地域を治める職に就く場合、それに関連する法律など、無償で学べるのであればそれにこしたことはないと、親の方から追加授業の旨を申し出てくる。子供たちがきちんとした知識を得ることが出来れば、商いでの損失の機会は大きく下がる。それは、領地としての発展にも大きく繋がってくる。こうして、昔から教育に力を入れたローランサン領は、ルミナス国でも大領地として発展してきたのだ。


 そんなローランサン家も例外なく、しっかりと教育を受けて育ってきた。地方貴族の子供達は村の学び舎で教育を受ける場合もあるが、基本的には護衛の負担を減らすためにも、家庭教師を雇うことが常である。ローランサン家でも、子供たちのためにと教科に合わせて教師を雇っていた。そして、今ドアを開けて入ってきたのが先述したちょっと頭のおかしい算術の教師、リュカだった。


「リズマリア様、お身体の調子は如何ですか?」

「リュカ先生、お見舞いの手紙ありがとうございました。わたくしはもうこの通りすっかり元気になりましたので、本日は宜しくお願いしますね」


 透けるような金髪を肩まで伸ばしているリュカは、三十代半ばの男性とは思えない程に美しい。見た目だけだけど。


「それは安心しました。前回から間が空いているということもあるので、今日はまずは前回までの復習からに致しましょう。リズマリア様、前回の美しい数字を覚えていますか?」

「え、ええ……わたくし忘れてなんていないわ」

「では、簡単なテストから行っていきましょう」


 わたしの教育は三歳の頃から始まったと聞く。最初は文字と数字の読み書きだけだったが、四歳になった頃から算術の授業は始まった。つまるところ、十歳となった今、リュカとの付き合いはかれこれもう七年目に入るのである。リュカとしては、わたしも兄のアルフレッドも算術の虜にならなかったのが悔しいらしく、次は弟君の教育に力を入れると今から豪語している。アルフレッドは経済学の方が楽しいらしく、中央領の学術院では主に経済学を学んでいたと聞いた。今後の領地経営に活かしたいらしい。わたしは後を継ぐ気なんて更々ないから、アルフレッドには是非とも頑張ってオーギュストの後を継いで欲しいものである。兄妹間で後継争いなんてしたくない。まだ幼い弟の意思は分からないが、血生臭いのは嫌なのだ。家族仲良いのが一番良いと思う。そうありたい。


「先生、出来ました」

「今日は早いですね。問題が簡単すぎたのでしょうか。採点してみましょう」


 復習だと渡されたテストは、記憶が増えた今のわたしには簡単すぎる問題だった。なにせ、小学生レベルの問題だ。悩む必要なく回答し、少し目を見開いたリュカに用紙を手渡す。一通り用紙を目にしたあと、リュカは興奮した様子で口を開いた。


「リズマリア様、全問正解です! お見事です! 漸くリズマリア様も数字の美しさが分かってきたのでしょうか!」

「あ、いえ、復習だったから出来ただけです」

「お嬢様には算術の才能があります! これを捨てるなんて勿体無い! 是非、薬術よりも数字に魅入られて欲しいものです!」


 嗚呼、げに数字の美しきことよ……と自分の世界に浸り出したリュカを横目に、わたしはどうしたものかと考える。確かに、今のわたしには、以前と比べて日本で教育を受けてきたアドバンテージがある。けれど、それをひけらかしていきたいわけではない。出来ることなら、薬術の道に進んで、いろんな薬草を紐解いていきたいのだ。これはもうあれだ。算術に関しては適度に手を抜いて、リュカの目をまだここに居ぬ弟へと向けさせよう。そうしよう。


 そろそろリュカが面倒くさくなってきたわたしは、側に控えていたソフィーに身体が疲れたと嘘をつき、半強制的に授業を終わらせた。


「リュカ先生、前と比べても暑苦しくなったと思うんだけど、何かあったのかしら……」

「最近新しく隣の領地でも教え出したと仰っていたので、そちらの成績が芳しくないのかもしれませんね。あの方は生徒の出来に感情がかなり左右されますので」


 これが毎週のように続いてしまうのは本当に御免被りたい。中央の学術院入学まで、あと二年もあるのだ。しかしあの熱意は、前世の記憶に残る、某テニスプレイヤーを思い出してしまうのも、致し方ないだろう。とても熱意に溢れている。


 こうして、予定よりは些か早いけれど、わたしの復帰一日目の午前が終わった。昼食の後は歴史学だ!



   ***



「ジェルマン先生、ご無沙汰してます」

「リズマリア君、変なものを食べて倒れたと聞いたがもう大丈夫なのかね?」

「先生、変なものではありません、ネモの実です」

「はて、そんな名前だったかもしれん」

「先生はなんで歴史以外を覚えてくれないんですか……」

「興味があれば覚えるよ」

「そうでしたね……」


 リュカよりは話は通じるが、リュカよりも変人奇人なジェルマンは相変わらずだった。紳士の嗜みだと言って常にステッキを所持し、もう片方の手には革張りの鞄を持っている。口さえ開かなければ、そのちょび髭も相成って素敵なナイスミドルだと言うのに。


「算術は復習をしたと聞いたからね、歴史学も今日は復習をメインでやろう」

「わかりました」


 世界地図を広げて、ジェルマンは語り出した。こうやって地図を目にすると、ここが違う世界なのだと思い知らされる。この世界の大陸は、前世での大陸と似ているがまったく同じ形ではない。全体的な形は似ているのだが、細かいところが全然違う。ここ、ルミナス国もそうだ。前世でヨーロッパと呼ばれていた国の殆どが領地として、ルミナス国に属している。けれど、それぞれの領土の形が全然違うのだ。イギリスは二つの島ではなく一つの島だし(勿論名称もイギリスではない)、イタリアがあった場所も、細長い形はしているけれどブーツの形はしていない。わたしの知っていた国の形をしている土地はない。しいて言うなれば、なんとなく似ている、というだけだ。


 それぞれ別の国の集まりだったものを、当時小さいながらも圧倒的な戦力(魔力も圧倒的だった)を誇っていたルミナス国が、戦で疲弊していた各国を説得し、一つの大きな国として纏め上げた。各国とも戦の引き際を見極めきれずにいただけに、その調停はすんなりと纏まったと歴史書に記されている。その後内乱のように領土内でのいざこざが起きた時代もあったけれど、新たな一つの国として建国して以来役六百年、実に平和な一途を辿っているのだという。平和主義としてはとてもありがたいことだ。これからもそうあって欲しい。


「わたし達歴史家としては、多くの記述のある建国六二八年よりも前の歴史の発掘に力を入れているんですが、中々書物が出てこないのも現実でしてな。近いうち、書物発掘の旅として、国の外に出ようかというのも話に出てますぞ」


 外から見た歴史というのは非常に重要だと、以前の授業でも言っていた。ここからはるか東にある国では、千年以上続く歴史を持ったカントンという国があるらしい。前世でいうところの中国のような国かと勝手に想像しているが、聞いたことないから定かではない。ジェルマンは一度若い頃にカントンに訪れたことがあるらしいのだが、短い期間での滞在だったために歴史にあまり触れずに帰国したらしい。次は長期滞在をしてみたいと言っていたのを思い出す。


「そういえば先生、この小さな島にも人が住んでいるのでしょうか」


 世界地図の中、日本と思われる小さな島へとわたしは指差す。


「ああ、そこは小さな島国であるが故に閉鎖的で、とても面白い歴史を持った国だ。ヒノクニという。よそ者を苦手とするらしく、貿易に向かないと商人から聞いたことがある。わたし自身もまだそこには行けたことがないが、いずれ東に旅立つ機会がある際には足を運んでみようと思っているぞ」


 なんともアグレッシブな方である。


「面白い歴史話が出てきたら是非教えてくださいね」


 この世界で、この時代、日本がどのような歴史を辿っているのか、それはとても興味があった。ローランサン領はフランスに似ているが、フランスではない。というのも、この領土の歴史をどれだけ辿っても、前世のフランスの偉人と思われる名前が一切ないからだ。きっと、東のあの島も、藤原とか織田とか豊臣はいない。けれど、どのような歴史を歩んでいるのか、それは興味があるものだった。


「勿論だ。ここだけの話だが、まあ君になら大丈夫だろう。先程、外に出ると伝えたが、かなり確実な話として動いている。国王陛下の名の下での動きとなるから、しっかりとした人選での旅となるであろうぞ、嗚呼、楽しみだ!」

「他言無用は得意ですので、先生、ご安心ください。それにしても、陛下主体となっての取り組みにジェルマン先生が入っているの、流石ですね」

「何を言っているんだ。わたしが入らないわけなかろう」

「あっ、はい、そうですね」

「今まで知られていなかったことを知る喜び、これは何事にも変えがたいことだ」

「それはとてもお気持ち分かります」


 わたしとて、新しく薬草大全という書物を手に入れた今、わたしは新しい知識を欲することに専念したい気持ちでいっぱいだ。外出許可を得られなくて実行出来ていないけれども!


「君にも知りたい知識は多々あるだろう。その気持ちを忘れることなく、精進していくがよい」


 今日のジェルマンは、珍しく……というか、いつもよりはまともだった。




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