第8話 もしかしてえむえむっ?
「しかし、今はできない。記憶消去のできるものがここにいないんだ。仕事が立て込んでいてな。だから夏休みが明けるぐらいまで待ってもらいたい。高校生だったら夏休み中だろう?」
どうやら今日の記憶が消されてしまうようだったが、それよりも自分に魔法が使えないというショックが大きい。
現実に魔法があるのに。
それが分かったのに、自分には何も出来ないのだ。
「分かり……ました。」
「それまでは我々の監視下にいてもらおう。でも、ここにいる間は魔法について教えてやってもいい。」
あまりの落ち込みぶりに、みずほはそう言葉をかけた。
志引はすぐにも帰らさせるものだと思っていたが、それなりの猶予が与えられることを知って少し安堵した。
結局はこのことを忘れてしまうとしても、それでもいいと思った。
自分に可能性がないことが分かっていながら過ごすよりも、魔法そのものがない世界で過ごす方がよっぽど幸せだろう。
それに、志引が信じていないように、世間では魔法がオカルトだというのは常識である。
それが当たり前なのは、彼と同じく記憶を消された人がいるからなのかもしれない。
「もう夜も遅い、詳しいことは明日以降に話そう。」
みずほは立ち上がって、ほらほらと呼びかけながら部屋の外に出ていく。
2人はそれに従って後を追う。
月明かりが照らす校舎内。
しばらくは無言で歩いていた。
急に、みずほは何かを思い出したのか立ち止まるなり振り返った。
2人して転びそうになったが、なんとか踏ん張ってこらえた。
「そうだ!志引くんがどこで生活するかを決め忘れていたよ。」
振り返りながら言う。
「僕の生活する場所ですか?」
「ああ、眠るところだよ。必要だろう?」
「まぁ、そうですね…」
志引はめまぐるしく変わる自分を取り囲む状況に、もはや思考が追いつけていなかったのでとりあえず肯定した。
「ふむ、男子寮の部屋を貸すのが一番合理的だが、君の存在は誰にもばれちゃいけない。だから、誰か関係者、この場合は二人しかいないわけだが……稲荷の部屋ならいいと思うぞ。」
「な……!む、無理ですよ!私の部屋は当然女子寮にありますし、仮にも教師ともあろうものが生徒の不純な異性交遊を促進するようなこと言っていいんですか!?」
「ほぅ、不純な行為に至る可能性があるということか?」
「そんなことするわけないでしょう!!!」
(めっちゃ強く否定された……ははは……)
きれいな女性から拒絶されるのはなかなかこたえるものがあった。
まちは、みずほの話の流れから、自分に矛先が向いているのは大体わかっていた。
自分の部屋に招くことがこの状況下において最善であることも理解していていた。
理解はしていたが、自分の中の乙女が、同い年の男と同じ部屋で過ごすということをどうしても許せないのだ。
「校長の部屋はどうなんですか?」
「こんなフェロモンがムンムンにあふれている大人の女がいたら、純情な少年は眠れなくなってしまうだろうが。な?」
(え、こっち向いてる……。)
身長150センチに満たない、二次性徴を迎えていない小学生みたいな貧相な体つきの、自称大人の女が大きく、無い胸を張っている。
「あ、あはは……」
「何が大人の女ですか!大人なのは年齢だけでしょうが!ほら!引き気味じゃないですか!!」
「なっ!?私はまだ28だから全然セーフなんだよ!!くそっ!!」
「28にもなって彼氏がいたことないって聞きましたけどぉ?」
「どこからそれを……!?フッ……だが、彼氏もいたことのない年増では彼も嫌だろう。ということで、稲荷の部屋に決定です。」
「う゛っ……」
なんだかみずほは自分で自分に傷をつけまくっているような気がしたが、客観的に見たら結構汚いらしい自分の部屋に、あまり親しくない人間をあげることだけは避けなければならないという確固たる目的に向かってのことだった。
少しヒートアップしすぎた感は否めないが、それはしようが無い。
うん、不可抗力。
(女の人にたらい回しにされている……。でもこれはこれで……。)
みずほの心はずたずたに引き裂かれていたが、どうやら志引の行き先は決まったようだ。
「はぁ、仕方ないわね……」
もともとは自分が招いた問題なのだから、責任は、ある。
始めからこうなるような予感はあった。
だから、まちは甘んじて受け入ることにした。
志引も、二人の剣幕を見て立ち直れたみたいだった。
少女の溜息は夏の空気と変わらない温度で、世界へと取り込まれる。
作者はマゾヒストの可能性があります。
次回は明日、12時頃の更新です。