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零章11『悪魔の計画』

 皇帝の発令した悪魔の計画は、直ぐに実行に移された。

 具体的には軍人や戦士が指定された家庭に一人で侵入し、誰か一人を残して他の家族を目の前で惨殺するという残酷極まりない、作戦。



 誰を残すかはその場の判断にゆだねられる。子が幼いなら父か母どちらかを残し、残りを殺す。子が十分に成長していて戦力になりそうなら、両親を殺す。


 両親を……殺す。そう。英雄が受けた悲しみの様に。ある日突然、理不尽に、大好きな人間を奪われる。しかも、目の前で。



 知った時はあまりの残酷さに吐いた。でも結局は、他国で、マキナヴィスで自分がやることも似た様な事。同じ境遇の人間を意図的に増やすという部分は違うが。


 自分達は既に一人殺しているのだ。もう、後には引けない。引く気も無い。



 一家を惨殺した後は生き残りの一人を拘束して軍の宿舎等、指定の場所に拉致する。その後は1ヶ月程、じっくりと悲しみを培養してから楽園の情報を与え、楽園への依存心を増やす。その上で、ウチらと同じ3択を迫る。

 拉致するまでが、ウチらの仕事。所定の場所に引き渡したら次の被害者の元へ行くのだ。これをしばらく続ける。



 恐らくウチらの時ほど、最初の選定程は戦士は増えないだろう。元々楽園に救われていた者と違い、今から作られる被害者達は無理やり楽園に家族を人質に取られたようなものだ。怒りが先行するのが普通。そういった場合は、戦士にならない場合は、その場で殺される手筈となっている。

 しかし中には楽園に依存しきり、不本意ながら戦士になる人間もいるはず。人口の削減と、戦士の増加。どちらも兼ね備えた、効率的な、まさに悪魔の計画だった。

 とても残酷な作戦ではあるが、結局は全人類を殺そうというのが楽園派の意向。その手順を少し変えるだけだ。



 事件後の証拠隠滅は特にしなくて良いらしい。流石に軽く掃除はするが、警察も今や全員楽園派、人類滅亡派だ。周辺の住民が不振がっても、捜査してるふりだけして事件はもみ消してしまう。




 当初バニ様は、この計画に猛烈に反対していた。元々民間人を戦士にするのにも反対していたバニ様だ。許せる計画ではなかったのだろう。わざわざ悲しみを背負う人を作る行為、しかもそれを同じ境遇の戦士に行わせるなんて、本来の楽園の理念に反してるにもほどがある。取り残されてしまった人がまたこの世を歩めるよう、後を押す優しい装置が楽園だったはずなのに。

 しかしバニ様の懇願も空しく反対は却下された。とにかく戦士の量を増やしたい国は、戦士にもその命令を下す事にしたのだ。 もちろん軍人も動くが、戦士が、元民間人が被害者を増やす計画は実行に移される。

 それが先日の皇帝の通信だった。



 バニ様が反対しても、ウチも、橙子も、セロルも、結局皆命令に従う。皆動揺はしたがこれから人を殺すと思って鍛えていたのだ。今さらそのターゲットが変わっても気持ちが変わる人間はいない。楽園を、守る。どんな非道な事をしても。

 マキナヴィス共和国を相手に戦争するのだ。しかもそのゴールは人類滅亡。戦力をそろえなければ、到底無し得ない難題だ。

 それが解ってるからか、バニ様もウチの通信で折れたのだろう。もう、何を聞いても、ウチらは止まらない。止まってはいけない。



 バニ様は嘆いたがそれでも最後は覚悟を決め、戦士の行動をサポートしてくれた。具体的な襲撃先、幸せな家庭をリサーチし、各所に軍人と戦士を送り込む。「アタシがその指示をする」そう決め、順次作戦担当者にターゲットを伝達して行った。誰の幸せを壊すか。その選択の責任すら、バニ様は負う気なのだろう。



『やめて、詩絵美ちゃん。おねがいだから、それだけは……』



 英雄と亜瑠美にも反対されたが、ウチが止まる事は出来ない。英雄の愛した正義と真反対の事をしていく。英雄は悲しそうな声をしていた。彼が味わった悲しみに近い行為をウチが産むのだから。

 でも……最終的にはウチをサポートすると二人は言った。言わせた、が正解かな。



『僕も、見ず知らずの人と、詩絵美ちゃんを天秤にかければ、詩絵美ちゃんの方が大事なんだ。キミが楽園の存続を、そこまでして望むのなら、力を貸すよ。僕も、詩絵美ちゃんと長く一緒にいたいしね。そして、その業は、僕も、一緒に背負う』


『ボクはいつまでも反対だけど……。でも詩絵美がやるなら、ボクも手伝う。お父さんと一緒で、ボクも一緒に罪を背負うよ。全部終わったら、一緒に怒られよう? 被害者の人達に』


 結局ウチが人類滅亡を目指すと言った時と同じように、二人共も折れてくれた。でも


「二人には背負わせる訳にはいかない。怒られるのも、それこそ楽園内で殺される痛みを味わうのも、ウチだけで良い。ウチの身勝手で、二人を守りたいだけだから」


 そこは譲れなかった。譲れなかった、のに───


『水臭い事言わないでよ詩絵美ちゃん。夫婦でしょ? 僕ら。苦難は一緒に乗り越えていくものだよ』


『そうだよ詩絵美。だってもう、ボクらは詩絵美が殺した青年に、会って来たんだから』



 衝撃の事実を二人から告げられる。……なんだって!?



『槍で、刺されてみたよ。妻が申し訳無い事をしたって言ったら、彼が槍を構えてね。いやー痛かったけど、世の中にはこういうプレイもある事だし、いい経験かなって思って。楽園の中ではどうやったって死なないしね』


『彼はお父さんを刺した事で青ざめちゃって、結局そのまま姿をけしちゃった。ボクは傷ついてないけど、今後詩絵美が罪を犯すなら、それの責任を受ける覚悟はあるよ。怖いけどね』


「まって、まってよ……二人に、そんな、つらい事……」


 耐えられ、ない。



『何度も言うけど、僕らは夫婦だよ? 運命共同体。それが嫌ならさ───』


『ボクもまぜてお父さん。三人で家族だよ。だから詩絵美、ボクらが傷つくのが嫌ならさ───』



 ───こっちにおいでよ。二人はそう続けた。ウチは、ずるいなと、思った。



 ウチは震えていた。今まで以上に、歩みが鈍る感覚がある。ウチが人を殺せば殺すほど、楽園内の家族が苦しむ。精神的にも、肉体的にも……。

 二人は自分の体を人質に、ウチに交渉してきたのだ。ぐしゃぐしゃになった、つぶれた亜瑠美の記憶が、蘇る。



 楽園の中でまた亜瑠美が死ぬような思いをするのか。英雄は既に槍で刺された。あの時の青年の様に。いくら死なないとは言っても本人が望むなら痛覚はオンに出来てしまう。正義を愛する真っすぐな英雄の事だ。ウチが殺した被害者から逃げる事は無いだろう。


 ウチは葛藤していた。家族を失いたくない気持ちと、家族を傷つけたくない気持ちのはざまで。そんな折───



「ワタクシは、それでも、止まりませんわ」



 ウチらの会話を聞いていた橙子が、そう、呟いた。


 戦士として訓練をする上で橙子の事はウチの家族に紹介していた。逆に橙子の夫、浮沈 吏人とも既にウチは知り合いだ。


「吏人も似た様な状態だそうです。ワタクシの殺した女性に、会いに行ったと。英雄さんの様に危害は加えられませんでしたけど、今後はそういった事もあるでしょう」


 そうつぶやいた後で、橙子は、覚悟を固めて───


「それでもワタクシは、吏人といたいのです。彼は、ワタクシの罪を分かち合ってくれた。ワタクシのワガママを。しばらくは、それに甘えることになりますが、ワタクシが戦死した際には、一緒に暴行を受けに行こうと、言って下さいました」



 ごめなさい、吏人───。そう、消えそうな声で橙子は謝った。



 大切な人を、楽園内の人格を傷つけずに人類滅亡を目指すなんて、最初から不可能なのだ。楽園内の人格情報が良い人なら尚の事。

 吏人は、良い人だった。訓練が始まってから、楽園に直接アクセスしたことは無いから姿は見た事が無いが、通話した事なら何度もある。まっすぐな少年みたいな性格で、それでいて芯の有る青年だ。その上とても下ネタ好きで、平常時だったら即変態仲間になれていただろう。直ぐに打ち解け、お互い下の名前で呼び合える仲になった。そんな彼が、選択をしたのだ。橙子と二人で傷を分け合うという選択を。



『橙子さん……折角詩絵美を説得出来そうだったのに』


「ごめんなさい亜瑠美さん。でも解って下さいまし。滅亡派にとっても、ワタクシにとっても、戦力の増加は必須問題。詩絵美さんも、貴重な戦力なのです。それに──」


 ワタクシ一人でこの悪魔の計画を行うのは、つらいですし……。そう、橙子は続けた。

 そんな事言われたら、ウチも止まる事なんて出来ないじゃないか。



「と、橙子さん一人じゃありません! わ、わた、私だっているじゃないですか!!」


 セロルも会話に参加してくる。そうだよな。皆で罪を背負い合って、楽園を守るんだ。



 セロルの友人は、楽園存続に反対していた。友人……ホントに友人か? と思う程、彼の言動は乱暴だったが、セロルと彼女の友人、アラギの間には、不思議な絆が存在する。

 アラギ・マスナルはマキナヴィス人だ。ハーフであるセロルにはマキナヴィスの知り合いも多いらしい。知り合った当初はそれが理由で人類滅亡、マキナヴィスへの攻撃に反対しているのだと思ったが……。

 『楽園は人類のための装置、生きる希望を与えるための物だろうが。それが何だ? 人類滅亡?? 本末転倒もいいところだ。糞がよ』と彼は言い切った。

 しっかりとした芯のある、滅亡反対派。あの選定の日に殺された人達と同じ……。彼はこんな事態になる前は、楽園を支持していたらしい。生きる気力を無くした人間を支える装置の素材を。自分自身がコピーの人格になったとしても、それで生きてる人を支えられるなら、そこに価値はあると。

 主役はあくまで生きてる人間。普通人は死んだらもう生者には干渉できないが、それを可能にしてるのが楽園だ。無論本物の魂ではなくコピーだが、それでも死者と同じ人格で干渉をすることが出来る。死者の声が、生者を励ます。すげぇ装置だなと彼は言っていた。


 そんな彼の反対を押し切って、セロルは楽園存続を望んだ。自分のワガママを押し通すと決めたのだ。



「ウチも、覚悟が固まった。ごめんね。亜瑠美、英雄」


『詩絵美……』


『僕は大丈夫。それに心配しないで。亜瑠美ちゃんはああ言ったけど、僕が守るからさ。傷つくのは僕だけで良い。一緒に罪を分かち合おう?』


「ああ……。ごめんね英雄。宜しく、たのむ」


『ん』


 英雄は何でもないと言った様に、ウチに返事をする。本心では反対しているはずなのに。正義を愛してるはずなのに。


『ずるいよお父さん、詩絵美。ボクだって家族なのに……』


『子供は大人の複雑な事情に入ってこなくてよろしい。お父さんとお母さんに任せて、待ってなさい? 亜瑠美ちゃんが傷つくの、僕も詩絵美ちゃんも耐えられないんだから』


「ごめんね亜瑠美。それがウチら夫婦なんだ。亜瑠美はウチのこと、母とは思って無いだろうけど、少なくともウチにとっては大事な娘だ。だからお父さんに甘えてて」


 亜瑠美にそう伝え、ウチは出発の準備をする。ウチにも橙子にもセロルにも、既にバニ様から攻撃指示が下っていた。後は出発するのみ。



「じゃあな皆。各々、頑張ろう。……大丈夫か?」


「心配しないで下さいまし。むしろあなたの方が心配ですわ」


「わ、私は大丈夫です! ががが頑張りましゅ……噛みました」



 三人とも決意を胸に、バラバラな目的地へと出発した。



   * * *



 目的地へ向かう道中は決して気持ちの良いものでは無い。気持ちを紛らわす様にウチは思考にふけった。



 家族が反対するからという理由でここで降りた戦士も少数だが、いたらしい。皇帝のアナウンス直後はいたように見えなかったが、その後楽園内の人格と通信して心変わりしたのだろう。橙子がいなかったら、ウチも亜瑠美に説き伏せられた可能性がある。

 そういった、降りた者は軍に殺されたと聞く。戦力として残しておけばいいのにと思うが、結局はマキナヴィスの人を殺す際にも楽園内の人格に反対されて攻撃をためらうだろうし、危ないと。この戦士増加計画は結果的に戦士の更なる選定にも一役買った訳だ。


 既に近場の襲撃先で一仕事終え次の場所に向かう戦士の顔も見た事がある。最初の選定後よりもより険しい顔になっていた。恐らくウチも、この仕事を終えたらそうなるのだろう。


 二期生以降も戦力が整い次第、順次この悪魔の作戦に投入されるらしい。川で会話をしたあの優しい無脳の青年もそのうち……


「嫌、だな」


『詩絵美ちゃん?』


「ああごめん。思わず声に出てた」


『嫌なら、やめなよ。ボクらと一緒にこっちで──』


 亜瑠美がウチを気遣ってまた楽園に勧誘をしてくる。でも、ウチが嫌って言ったのは───


『ごめん亜瑠美違う。そうじゃないんだ。他の戦士の事を、考えてた』


 ウチ以外の、戦士の事を。橙子を、セロルを、無脳の青年を、面倒を見てくれた教官を、……バニ様を。

 自分の事は別にどうでもいい。でも好きな人が苦しむのは胸が痛む。



『……橙子ちゃんは、終わらせたみたいだよ。次の指示先に移動するみたい』


『セロルティアさんは、まだ目的地に着いてないって』


 楽園を通じれば、また聞きで現世に生きる人間の情報を知ることが出来る。もちろん直接各地のサーバー経由で思念通信が出来るが、わざわざ終わったと、気の重くなる通信をしては来ないだろう。

 戦争が開始されたら国交やネットは断絶されるだろうから、マキナヴィスの情報は今の様に楽園づてに収拾するらしい。現地の戦士や軍人を通じて。

 ネットが断絶されても全世界のサーバーをハックしている楽園には無意味だ。楽園との通信は各地のサーバーを通じればどこにいても出来る。


 しかしそうか、橙子はもう済ませたか。ウチもがんばらないとな。



 目の前には木で出来た温かみのある民家が一つ。夕焼けに照らされたその家は、とても綺麗だった。街から離れ森での生活を好んだのだろうか、周囲に別の家は無い。大声を出されても特に困らない、絶好の襲撃先だ。

 ベランダには洗濯物が干してあった。……子供のものがある。女の子かな? まだ成長しきってない小さな子のいる家庭なんだろう。

 庭には三輪車を始めとした子供用の遊具が多く置かれている。愛のある家庭、ウチはそう、感じた。これから壊す家庭を。



「……」



 無言でドアを開ける。鍵の構造は複雑だが、脳を複数装備した今のウチはセンサーの感度も稼働魔力の精度も異常だ。ピッキングなんて朝飯前───

 実際今日は朝飯は食べてない。朝飯どころが昼食も。昼に出発し夕方になる今まで、今日は何も口にしていない。

 だってどうせ吐くだろうと思って。家族を奪うのに、思い出の家まで汚すのは申し訳無い……そんな中途半端で身勝手な配慮をウチはしていた。結局家族の血とウチの胃液で汚してしまうが、消化中の食物が入るよりはほんの少しだけマシだろうなんて、無意味な配慮をしながら。


 犯罪の多い地域だとピッキング対策に鍵が複数ついていたり、非常に難解な構造になってるケースが多い。皆がスキャンも稼働魔力も使えるのだから対策を打つのは当たり前だ。

 しかし今ウチがいる地域は治安が良いのか鍵の数は少なかった。まあ鍵が多すぎたら、5つの脳を使ったハイパワー稼働魔力で無理やり侵入するだけだが。


 扉の前に立ってみて、少し違和感を感じる。やたら扉が横に広い。慎重に家の中に侵入するも、廊下も広かった。



 一歩一歩足を進める度、廊下はギシギシと音を立てる。本来なら温かみのあるその音が、今のウチの耳には不吉な音に聞こえた。小さいころ見たホラー映画の様な───

 よく怯えて両親に抱き着いたものだ。殺人鬼がやって来ると。恐ろしい凶器を持って来ると。その度に両親は「大丈夫だよ、そんなの来やしないよ」とウチの事を抱きしめてくれた。



 今では、ウチが、その、殺人鬼。



 少し先にリビングが見える。そしてその付近からは水音が。恐らく台所がリビングに合体した構造なのだろう。誰かが調理をしているようだ。良い匂いが鼻をくすぐる。


「あれ早かったね美紀。ごめんねまだご飯出来てな──」


 ウチの足音を家族と勘違いした男性が目の前に現れ、固まる。リビングでお絵かきをしていた女の子がその男性に近づき「パパーその人誰ー?」と少し緊張した様子で聞いた。


「あんた、だ──」


 誰、と言い終わる前に、ウチは凶器である左手を振り下ろした。

 槍で青年を刺した時以上に嫌な感触が、直に左手に伝わって───



   * * *



「あぁ、遅くなっちゃった」


 人力車を引く仕事は安定した収入があるものの、指定された目的地によっては仕事上りが遅くなるのがネックだ。

 夫の作ってくれたご飯は冷めてしまってるかもな。娘はもしかしたら寝てるかもしれない。家族の時間が減るのは寂しいと思う。育ち盛りの娘の姿は、もっと目に焼き付けておきたい。


 とは言うものの、近年の蒸気自動車の普及率は正直言って脅威だ。このままでは人力車家業を生業にしている人達は廃業に追い込まれかねない。実際数年後にはそうなるだろう。稼げる内に稼いでおかないと家族の未来が心配だ。廃業になったら別の仕事を探さないといけないし。


 夫と出会う前から私は人力車の仕事をしていた。足を四本に増やし、筋肉も増やし、大地を疾走する。幼い頃から走るのが好きだった私には、天職だった。

 でもこの見た目じゃ、結婚は難しいだろうな……そう諦めていた折、彼に出会った。異形フェチの夫と。


 いいわよ、きっかけは何でも。今は本当に良き夫なのだ。家事もしてくれるし、娘の面倒もみてくれるし。なにより家族全体を愛してくれる。

 彼は私のこの足を気に入ってくれた訳だし、私は心おきなく好きな人力車の仕事を続けられた。面倒な家事は全て彼が担当してくれている。彼の作るご飯はとても美味しい。一日の仕事の疲れを、彼の美味しい料理で癒すのが私の生きる活力と言っても過言ではない。


「それなのに、仕事終わりが遅くなって不満とか、私は贅沢よね」


 でも寂しいものは寂しい。夫とも娘とも、四六時中一緒にいたい。ああ、どこからか勝手にお金が降ってこないかなぁ。


 そう、自分勝手な妄想をしながら大好きな我が家に到着したのだが、何かがおかしい。


「鍵が、開いてる?」


 夫は几帳面な性格だ。かけ忘れる事なんて今まで無かったが……。疑問に思いながら扉を開け中に入る。

 私が通れるように広めに作られた廊下を進むと、リビングからはご飯の良い匂いが漂ってきていた。良かった、まだ温かいご飯が食べられそうだ。でも何か変だな。もう夜前なのに、何で部屋はこんなに暗いのだろう。ロウソクやマキナヴィス製の石炭照明具も、何もついていない。

 それに何か部屋の色が違う気がする。薄暗くて解らないが少し赤い様な……。気のせいかな?


 そんな事を考えていたら───


「美紀」


 リビングの中央から夫の声がする。あービックリした。脅かすために暗くしてたの? でも、その後に──


「逃げろ!!」


 夫の叫び声と共に、部屋の照明が一斉に付く。そして、私の体も動かなくなる。


「え、え!?」


 混乱した。そして、目の前には


 手足を千切られ息も絶え絶えな最愛の夫と、娘と……そしてそれを行ったであろう、左手が虫の様になった女がいた。

 家族の血しぶきで赤く塗られた、リビングの中央に。



   * * *



 帰宅した女性の体は稼働魔力で押さえつけた。軍人並みの魔力が出せる今のウチの前では、一般人はなす術もない。口だけは喋れるように開放する。


 この光景がよく見える様に、周囲の照明もつけた。ウチはまだ稼働魔力による発熱術は身につけられてないから、照明具付近にマッチを置いておいてそれを擦っただけだ。結局そっちの方がカロリー消費も少ない。


 こんなに待つとは正直思って無かった。家族が全員そろって無いとは。こんなにと言っても恐らく2時間も待ってないが、ウチにはそれが永遠の様に感じられた。自らが傷つけた無実の人の横で、過ごす時間は。



 娘を人質にして夫に聞き出した所、仕事をしてるのは妻であり、帰宅までもう少しとの事だった。なのでウチは夫と娘に延命処置を行い、妻の帰宅を待ち……今に到る。



「おかえりなさい。美紀さん」



 夫から聞いた妻の名前をウチは発する。これから地獄に落とす、女性の名を。



「あなた! 和美!! なんてこと! 早く、早く病院に!!」


「それは出来ません。二人にはここで死んでもらいます。あなたの目の前で」


「な……! 何で! 何が目的なの!! 誰なのあなたは!」


 美紀さんは絶句し、ウチの目的を聞いてくる。夫と娘はそれぞれ「逃げろ」「ママ助けて」と口にしていた。もう体力があまり残って無いのだろう。その声はとてもか細く、目の前の四本足の女性をどんどん蒼白にさせていく。

 しかしこの女性、どこかで見覚えが……。あ。もしかしたら、あの朝の……ウチらがピクニックに行った日に、すれ違った……。


 確証はない。人力車のドライバーを務める人間は多かれ少なかれ、足を改造している。しかし顔もなんとなく見覚えがあるのだ。たぶんあの人だろう。ウチは、あの日出会ってた人を不幸にするのか。ウチの家とこの家は結構遠いんだけどな。遠距離まで行けるドライバーなんだろう。


「答えて! 何が目的なの!? お金ならいくらでも払うから、家族を助けて! お金以外でも、私が出来る事なら何でも……!!」


 身動きできない美紀さんが必死に懇願する。その顔は涙に濡れていて──

 その顔を見てウチも泣きそうになる。でもダメだ。ここで泣いては。涙腺を魔力で無理やり閉じ、ウチは美紀さんに向き合う。……これ長時間続けたら涙腺が破裂しそうだな。まあどうでもいいか。


「目的は特にありません。ウチは通りすがりの殺人鬼です。しいて言うなら、あなたに不幸になって頂くのが、ウチの目的です」


 そう言いながら夫を持ち上げる。凶器となった左手で、腹部を鷲掴みにして。

 美紀さんはただただ狼狽えるばかりだ。そんな彼女の前で、ウチは左手をゆっくりと締めていく。


「ああ、止めて。止めてぇ。あなたぁぁぁ。お願い止めてぇぇぇ!」


 メキメキと、嫌な感触が左手に伝わる。と同時に音も。内臓がつぶれ、夫が血を吐き出す。肉と骨が千切れていく。



 ブチリ───



 夫の胴体が千切れると同時に、自分の心が千切れる音が、した。



 上半身だけになった夫を、ウチは美紀さんの足元に投げる。


「あなた! あなた!! あああああああ! 嘘、嘘よこんな! あなたああああああ!!!」


「み、き……」


 夫は最期にそう言って、動かなくなった。今頃楽園に出現して混乱しているだろう。すぐに娘も送ってあげますから。


 夫の死に泣き叫ぶ美紀さんを見て、ウチの涙腺はついに崩壊した。破裂し、周囲の肉と共に目じりから流れ出す。止まらない血の涙が、綺麗だった家庭を汚していく。

 視力を使うなら、涙腺は必要だ。これは後で治さないとな。



 続いて、娘の方に向かう。美紀さんはただ狼狽えている。


「嘘、嘘ぉ。やめてぇ。娘だけはぁ! 何でも、何でもするからぁ」


 腰が抜けているのか、もう抵抗する力が帰ってこない。ウチは稼働魔力の檻を解いてみた。美紀さんは地面に崩れ落ち、ズリズリとこちらにやってくる。娘の、元に。


 その美紀さんの目の前に、ウチは娘を持っていく。手足がなくなり、軽くなった娘を。


「ごめんなさいぃ。ごめんなさいぃぃぃ。許してぇ! 許してぇぇぇ!! まだこの子には未来があるのぉ! 成長して、学校に行って友達を作って、恋をして、仕事をして、結婚をして、子供を産んで……だから、だからぁ!」


 何も悪い事をしてないのに、美紀さんはウチに謝る。子供の未来を守ってと。その子を、ウチはこれから、殺す。

 いくら楽園が天国と言っても、あの空間は永遠の停滞だ。人格達は成長はしない。経験による成長はあり得るが、肉体的な成長はしない。子供は子供のままだ。美紀さんの望んだ娘の未来は、永遠に訪れない。



 泣き叫び、懇願する美紀さん。そんな彼女を見ながら、ウチは───



「ああ、ああああああ!!」


 レモンを絞る様に、美紀さんの頭上に掲げた娘に力を加えていく。娘から出た新鮮な果汁が、美紀さんを赤く彩って……。ああ、血濡れの赤子が、ここにも一人。産声を上げるかは、彼女次第。

 自分でしておいて、より絶望的になるのはどういうシチュエーションだろうと考えておいて、ウチは他人事みたいに考えていた。

 感情は、完全にマヒしている。この状況を、認識したくないと。何て、腐った、人間なんだろうか、ウチは。



「あは、あはははは、あははははははは!!!」


 娘の死体を見て、体液を全身に浴びて、美紀さんは笑った。現実を受け入れきれずに思考がオーバーヒートしたのだろう。その横っ腹に、ウチは強烈な蹴りをお見舞いする。


「ぐう!?」


 吹っ飛んだ美紀さんは、キッチンに激突して気を失った。夫が作っていたおいしそうなご飯が散らばり、彼女にかかる。


 その光景が、あの日の事故でつぶれたお弁当を思い起こさせて───



「うっぷ!!」



 ウチは盛大に胃液を吐き出した。幸せな家庭をぐちゃぐちゃにして、その上ウチの汚い胃液で、汚した。



「ごめん、なさい……」



 悪魔の所業を行ったら本人が、自己満足のためだけに謝る。許されるはずもない、懺悔を。

 英雄と亜瑠美だけが、ウチの懺悔を黙って聞いていた。





■約7年後の美紀さん 全身

挿絵(By みてみん)

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