零章10『無脳の青年』
「え? ああ一期生の方か。ごめんね驚かせちゃって」
無脳の青年が笑顔で話しかけてくる。ウチの言葉は気にして無い様子だ。
「い、いえ、こちらこそいきなり失礼な事言ってすみません…。でもその頭、どうなってるんです?」
素直に疑問だった。脳が無いのに何故生きている? ウチは失礼を承知で聞いてみた。
「別にそんな特殊な事はしてないよ。別の場所に移植しただけ」
彼はあっけらかんと言って見せる。でも、そうか。脳無くて生きれる訳無いよな。いやぁ驚いた。
「戦闘のため、ですか? 確かに戦闘時、敵兵は首の切断を狙って来ますから、脳を別の場所に移植するのは効果的でしょうけど……なら何でダミーの頭部が無いんです??」
ただでさえ目を引く見た目をしてる上、脳は体内だと敵に教えている様なものだ。それでもどこにあるか解らない分、戦闘では有利だろうが……。
ウチも検証してみようか、脳の移植。もちろんダミー付きで。体を隅々まで破壊しないと死なない、これは素直に強い。
「あぁ……そういう理由もあるけど、脳を移植したのは別の理由だよ。嫌気が、さしたんだ」
「嫌気、ですか?」
何にだろうか。それとその頭にどういう関連が───
「脳仕掛けの楽園、僕達はあの素敵な装置を守りたくて、人類滅亡を目指す訳だけど……本心では、嫌なんだよ。人殺すの」
青年は語る。そりゃそうだろう。好き好んで戦士になる人間なんて、ほぼいないはずだ。
「楽園が無ければ、こんな非道な道は選ばずに済んだ。魔力の研究が進まなければ、楽園は出来なかった。魔力を作るのは、脳だ。全部全部、脳が原因だ。楽園だって脳で出来てる。これからの戦争は、脳の奪い合いになる。無実の人の脳を奪って自分の戦力を強化し、また別の人を殺し……。脳さえ、無ければ」
青年の声は話ながらだんだんとトーンダウンして行く。しかし、あぁ、なるほど。解ってしまった。嫌気が、さす。こんな世界に、これから自分たちが取る行動に。その矛先を、脳にぶつけたのか。
自分達がした選択だけど、でも何かを悪者にしないとやってられないのだ。そんな思いが、脳を無くすという、彼の見た目に反映されていた。
「なんて、格好よく語ってもさ、これ全部二期生の教官の受け売りなんだ。教官も、国が戦争を決めた時に動揺したらしくてね。結局楽園内に守りたい人がいるから、戦争に参加する事に決めたらしいけど……その際に嫌気がさして、脳を移植したんだ」
軍人は軍人で苦悩しているのだろう。まだ一人しか、それも見ず知らずの人しか殺してないウチらと違い……彼らは既に同僚を多く殺しているはずだ。
「教官、めちゃくちゃ強くて、素敵な女性なんだ。脳どころか鼻から上無いけど。無頭教官って親しみを込めて呼ばれてる。彼女の妹さんも、同じく鼻から上を無くして二期生になってるよ」
「何で目も取っちゃったんですか?」
青年に解るかどうかは置いておいて、ウチは素直に疑問に思ったことを口にする。目が無くても周囲を把握することは出来るが、色は見えないし遠景の把握も出来ない。視力は有った方が便利だろう。
「泣かないためだって。これから僕達を指導する上で、教官が泣いてたら示しがつかないからって」
「なるほど……確かに、素敵な、強い女性ですね……」
軍人には顔を変形させている人間が多い。戦士にもそこそこいる。皆、表情を隠すためなんだな。泣き顔を見せず、任務を遂行するために。
「普段無口なんだけど、僕達に対する愛情が凄い伝わってきさ……でもだから、楽園を選んじゃったんだろうけど。大人にしてあげられなかった小さい娘が、楽園の中にいるんだって。お母さん、お母さんて、彼女を呼ぶんだって」
そう話す青年は、泣いていた。彼の素性は今のところ脳の件以外解らない。でもここにいるという事は、誰かが楽園の中にいるという事で───
「ウチは楽園の中に、夫と娘がいます。娘は14で亡くなりました。その教官さんと同じではないかもしれませんが、完全な大人にはしてあげられなかった」
『詩絵美……』
会話を聞いていた亜瑠美が寂しそうにつぶやく。ごめんね。大人にしてあげられなくて。ごめんね。これからもっともっと、亜瑠美に似た境遇の子を増やしてしまって……。
「僕は、恋人が。彼女との子供が欲しかったけど、そうなる前に事故で……。だから教官のつらさは解ってあげられないけど、でも、彼女をまた失うのは怖くて」
「わかり、ますよ」
解る。全員解る。皆、同じ気持ちだ。怖いんだ。怖い怖い怖い。
『石灰、石灰訓練生、戻りなさい。国から通信が来てます』
休憩時間だというのに、ウチは精神的に凹んでいた。そんなウチの元に一期生の教官から通信が入る。何だろうか。
ウチは無脳の青年に教官から呼ばれたと告げ、別れる。彼にも不幸になって欲しくないな。全員不幸になる訳だけど、知り合ってしまったらその者の不幸を見たくはないと思うのがウチだ。橙子にも、セロルにも、教官にも、向こうの無頭の女性の教官にも、誰にも不幸になって欲しくない。
そんな事、望んだって叶わないんだけど。ウチらは不幸を振り撒いていく人間になるんだから。望む資格すら無いというのに。
でもその、不幸を振り撒くための覚悟は、ウチの想像をはるかに超えていた。ウチはただ、黙々と人を殺せばいいと、その時は思っていた。その時は──。
* * *
慌てて訓練場に戻ったら一期生が全員整列していた。ウチも急いで列に入る。そこへ、国からサーバーを通じてアナウンスが入って来た。
『戦士一期生諸君。楽園を守るために、厳しい訓練に準じてくれて、とても感謝している。諸君らには、これから軍人と協力して、とある任務についてほしい』
この声、聞き覚えがある……。これは、皇帝? 皇帝自らが通信してきているのか。威厳がある、しかし決して偉そうではない声が、思念を通じて脳に入ってくる。まだ楽園がこんなことになる前、さらに言えば英雄達が生きていた時からニュース等で何度も聞いた声だ。
バニ様はどうしたのだろうか。バニ様が舵を切るのでは無かったのか。
『全ての楽園を知る者が選定され、結果、予想より多くの人物が、戦士を志望した。これは人類滅亡を目指す上で、その成功率を上げる朗報だ』
朗報とはいうものの、その声は喜ばしさのかけらも無い。バニ様と違い、明らかに沈んだ声では無いが……出来る限り無機質に、威厳を保ったまま、しかし重苦しい通信は続く。
『この朗報を受け、国はさらに楽園を守る成功率を上げるため、とある計画を発案した。一期生の実力は軍人には及ばずとも、高い水準を誇ると聞いている。是非とも、軍と協力してこれから言う計画に協力して欲しい』
どんな計画だろうか。何であれ、楽園を守れる確率が上がるならウチらは何だってするだろう。そう、なんだって───
『諸君らにはこれから──』
『待って皆! 聞いちゃダメ!! 皇帝の言う事を聞かないで!!』
突如、通信に割り込みが入る。これは……バニ様!? 戦士も軍人も突然の通信に動揺している。いったい何が……
『裸繁! これは国の決定だ。私の一存でも無い。多数が賛成したことだ。今さら口を挟むな』
『ですが皇帝! あまりにも酷すぎます! こんな悪魔の計画、元々民間人だった彼らには、残酷です!』
『ならば軍人にのみこの業を課せよと申すか。戦士達はもう民間人ではない。皆その覚悟があるはずだ』
戦士と軍人にのみ開設された国の機密チャンネルの上で、皇帝とバニ様が言い争いをしている。内容が見えないが、その状況はシュールだった。恐らくバニ様が無理やりチャンネルに入ってきているのだろう。
軍人達も混乱している。たまたま近くに教官の補佐がいたので、ウチは小声で聞いてみた。どうも軍人側も、今回の計画は知らないらしい。ウチら戦士と同じく皇帝の発表を待っているそうだ。
皆が唖然としてる間にも、皇帝とバニ様の言い争いは続く。皇帝にサシで盾突けるってバニ様どんだけだよとも思うけど、このままでは埒が明かない。
……チャンネルへの一瞬の割り込みくらいなら、もしかしたらバニ様程の技術を持っていなくても可能かもしれないな。ウチには到底不可能だけど、ここにはセロルという、脳構造に詳しくバニ様の下で働いてた友人もいる。なのでウチはセロルへと耳打ちした。
「セロっちゃんセロっちゃん、ちょっと相談なんだけど」
セロルに一瞬だけバニ様に連絡を取りたい旨を伝える。バニ様が何に対して反対しているのか解らないが、恐らくあの説明会や、それ以上に残酷な内容が告知されるのだろう。
……その対象に、ウチが入っているというもの、恐らくバニ様が反対している理由だと思う。自意識過剰で無ければ。
「ええ!? ででででも、そんな事しちゃって大丈夫なんですか!?」
セロルも混乱している。大丈夫大丈夫。たぶん怒られてもウチだけだし、そもそも怒られないだろう。
セロルに準備してもらい、ウチはバニ様に一瞬だけ通信する準備をする。通信全体に乗せる気はない。全員にウチの声聞かせるのも不思議だし、バニ様が一個人に肩入れしていると知ったら殺されかねないし。
……死んでも楽園に行くだけだけど。嫌な言い方だが、バニ様にはこれからのウチらをサポートしてもらいたいのだ。バニ様が生きて戦争に参加した方が、人類滅亡への成功率は確実に上がる。それに一友人としても、生きていて欲しいし。
さて、準備は整った。あとは、一言だけ。
「ふー」
ウチは息を吸い、そして───
『大丈夫だから聞かせて!』
そう告げた。声だけでウチと解るだろう。通信時間も長くは確保できないから、一言が限界だ。でも案の定バニ様はウチと解ったみたいで、皇帝との言い争いを止めてくれる。
『どうした、裸繁』
むしろ皇帝に心配されてる。何だお前本当に。
『いえ、皇帝が、正しい、です。彼らにはその覚悟があります。出過ぎた真似を、お許し下さい』
『……解ってくれて助かる。お前のチャンネルジャック技術には国も対抗できないからな……。かといってお前を殺すという選択も、戦略上取りたくない。お前は貴重な戦力だ。私も、楽園を守りたくて必死でな』
皇帝もウチと同じ気持ちだったか。だから必死で言い争いしてたんだな。何か一気に、皇帝が身近な人間に感じられた。
そして、ついに──
『醜態をさらしてすまなかった。このように国の上層部も、此度の計画や、人類滅亡へは並々ならぬ葛藤があったのだ。恐らく諸君もそうであろう。解るなどと軽々しくは言えないが、私も楽園を守りたい一個人だと、認識してくれたら嬉しい。あの装置は、我が国の象徴、魂そのものなのだ』
謝罪と感謝を皇帝は述べる。人類が死滅したら皇帝も皇帝ではなくなる。国も無くなってしまうのだから。
だから今の意見は、恐らく彼の個人としての意見で
『その上で、諸君ら戦士一期生と、軍人の皆には、これから言う計画に乗って欲しい。裸繁の言う通り、悪魔の計画だ。人として到底許される計画ではない。しかし、楽園を守る上では必要なのだ。発案したのは私を始めとした国の上層部だ。諸君らは、国に命令されたから行うだけだ。悪いのは、私だ。だから諸君らは、私を、国を、悪と思ってくれて構わない。ただ、楽園のためにその力を貸してくれ』
皇帝の言葉が、ウチには言い訳に聞こえた。皇帝ともあろう立場の人間が、言い訳を言わないといけないくらい、酷い計画なのだろうか。
『戦士を、増やしたいのだ』
皇帝は単刀直入に告げた。そしてその、具体的な方法も。
『楽園に依存する人間が戦士になる割合は、予想以上に高かった。なら、楽園に依存する人間を増やせば、より戦士を増やせる。具体的には、幸せな家庭をもつ家族を、一人だけ残し、殺してくれ』
「………え?」
内容が頭に入ってこなかった。いや、入っては来ていたが、理解を拒んでいた。周囲の人間、戦士も軍人も、皆唖然としている。だって、そんな、え?
『幸せな民間人から、幸せを奪ってくれ。人為的に、楽園に依存する人間を増やしてくれ。そうすれば、戦士は増える』
「嘘、だろ……?」
動揺が伝わる。周囲の人間に。ざわざわ、ざわざわと、軍人でさえも隠し切れない程の動揺が。
まさしく、悪魔の計画だった。ウチらは皆、失うつらさを知っていて……。だから人類滅亡計画も、多大な悲しみが付きまとうと知っていて……。でもそれは、無差別に人を殺すだけだと思っていたから。いずれ全人類を殺しきれば、皆楽園の中で存在出来ると。心を鬼にして殺しを行うのは、自分達だけで、あとの人はただの被害者だと。
でも、でもまさか、自分達と同じ境遇の人間を増やす計画があるなんて。あえて、幸せな家庭を壊すなんて。取り残される人を、人為的に作るなんて。その彼らまで、加害者にするなんて。
数名が崩れ落ちる。軍人ですら真っ青な顔をしている。ウチも、また吐き戻した。教官から効率的に休憩しろと言われてたのに、これじゃ栄養が体に行き渡らないよ。
どうもウチは、不安になると吐く癖が付いてるみたいだ。いつからだろうか。あの事故の日は吐いてなかったはずだが……。
でも、戦士も軍人も皆、泣いたり倒れたり吐いたりしながらも、誰一人その案に、反対はしなかった。
そうだ。ここに残ったのはそういう人間なのだ。楽園を守れる確率が上がるなら、悪魔にだって、なってやる。
皇帝の言った悪魔の計画は、とても効率的だった。いずれは自国民も殺さなくてはいけない。ならば、その際についでに戦士を増やしてしまおう。戦士が増えれば戦いに勝ち、この星から人間を一掃できる可能性は上がるのだから。
「やって、やるよ」
吐瀉物で汚れた口で、ウチは呟く。他の皆も、口々にやると口ずさむ。ここまで来て、脱落する者は誰一人いなかった。軍人も、皆覚悟を固めている。
『すまない。恩に着る、諸君。……楽園を、たのむ』
そう一言告げ、皇帝は通信を切断した。詳細は後に伝えられるらしい。
頼まれてやろうじゃないか。皇帝の為じゃない。ウチのために。楽園を守れる確率が上がるというなら、どんなに非道な道であっても、朗報だ。そのはずだ。それがどんなに心をすり減らす道だとしても。
『何を、何をやるの? 詩絵美……』
皇帝の通信を知らない亜瑠美が、ウチのつぶやきに対して、心配そうに聞いてきた。
ごめんね、亜瑠美、英雄。ウチ、もっと悪い人になっちゃうよ。でも止まれないんだ。だから
ごめんね。




