三章2『ドロマイトへ』
ドロマイトへの移動の間、ウチは色々と疑問に思っていたことをアルビに聞いた。
「アルビ、色々聞きたい」
「…うん。わかってる」
「まず、何で黙ってたんだ?」
これは最も気になる事。何故ウチがグーバニアンと黙っていたのか。アルビが嘘をつかなければ、ウチはグーバスクロに帰ってエムジともズンコとも出会わずに、二人は死ななかったかもしれないのに。
ウチは熱くなりかける思考を務めて冷静にし、アルビに質問していく。
「ごめんね。シーエを幸せにしたくて嘘をついたんだ」
「幸せに?」
「そう。丁度運よく、シーエは記憶を全て失ってた。このままマキナヴィス人として暮らせば、戦争からも離れられると思って」
しかし、ウチはエムジと出会って再び戦争へ没入して行った。アルビの計画はこの時点で水の泡になった訳だ。そういえば日記に書いてある。施設を襲撃したグーバニアンを倒した際、エムジに誘われた時点でアルビは反対していた。
なおウチをマキナヴィス人に偽装するために、アルビは色々と工夫を凝らしたらしい。まずは背中の穴。グーバニアンの脳収容ユニットはマキナヴィスの様に機械ではなく、背中の穴から自身の体液を注入するものである。なのでウチに気が付かれない様に思念魔力で穴をふさぎ、その辺で死んでたマキナヴィス軍人から背中のユニットを拝借し、ウチにつけたそうだ。
その時点ではウチはアルビに人格があると気づいておらず、記憶喪失直後で、アルビの偽装工作には気が付かなかったらしい。
「ウチの背中の穴を埋めるって、アルビそんな魔力使えたんだな。魔力使うの昔は下手って書いてあったが。これも嘘か?」
「いや、それは本当。でも医療関連に関しては、そこそこ使えたんだ。これでもグーバスクロ人だからね、ボクは。肉に関しての知識だけは高い」
「なるほど…」
ウチが医療関連の魔術に詳しかったのも、グーバニアンだったからか。有機物の扱いに、優れているのだろう。
次に疑問に思ったのは、アルビが使ってる脳の事。ウチがグーバニアンな時点で、アルビが語ったウチとの出会いは嘘なのだ。ならなぜエムジのお母さんの脳に、アルビの人格とついでにウチの人格が入っているのか。
「言いにくいけど、言っても良い?」
「もちろんだ。そのために聞いてるんだから」
ウチがエムジのお母さんを殺した時の話だ。ウチに気を使うアルビの優しさはわかる。でもしっかり知っておかないと。アルビは言いにくそうに、説明を始める。
「…あの日ドロマイトを襲撃したのはシーエだけじゃなくて、実はボクもいたんだ。橙子さんが知らなかっただけで。ただボクは知っての通り、正直魔力の使い方はうまくなくて、シーエの通信サポートみたいな感じで近くに同行してたんだよね。だから直接街に行った訳ではないんだ」
「…」
「シーエの脳が壊されたのと、エムジのお母さんの首が飛んだのが同じタイミングだったんだ。これは、偶然だったんだ。ここで、シーエはとんでもない事をした。お母さんの脳をハックして、自分の人格と記憶を上書きしたんだ。丁度通信中だったボクも、何故か取り込まれちゃって…で、エムジのお母さんの脳には、ボクとシーエが入ったと」
「…ん?」
ちょっと待ってくれ。てことは。
「いや、納得できないのはわかる。ボクも正直納得できてない。何が起きたのか、ボクもわかんなかったって日記に書いてある」
「それは、そうだろう。いやじゃなくて、という事は、元々アルビが話していた情報とは逆で、脳をハックして人格を転送したのはウチだったと」
「そう、なるね」
エムジのお母さんを殺すだけじゃ飽き足らず、脳まで奪ったと…。
「も、もう一つ質問だ。アルビはたまたま通信してたら巻き込まれたって言ってたが、どういうことだ? それ。アルビの体はどうなったんだ?」
「ボクの体は、死んだ。これも完全に偶然だと思う。思念魔力で通信する際、自身の情報を相手の脳に飛ばしてる訳だけど…シーエが脳の自我上書きっていう強力な魔術を使った際に、ボクの脳も巻き込まれて、一緒に転送されたんだと思う。僕自身と通信してみようと思ったけど、応答がなかった。多分その辺で死んでたよ」
そうか…
「ウチはエムジのお母さんだけでなく、アルビまで殺していたのか」
「それは違う! ボクはこうして今生きてるよ。むしろグーバニアンから解放されて、ボクも良かったよ」
励ますようにアルビは言う。本当にそうだろうか?
ただこの件はアルビが良いと言ってるから、いつまで追求しても平行線だろう。問題は脳のハックの方だ。
(そんな難しい魔術が成功するとはな…)
アルビは巻き込まれた形だが、ウチの人格の上書きには成功している。そんな、とてつもない低い確率の魔術が成功したのか。成功してしまったのか。
通常の脳のハックは、相手の人格を消すだけだ。そして演算強化のデバイスに使用する。これは軍人なら相手の意識が緩む、死の瞬間に割と安易に行える。
ただそれに付随して、相手の記憶や人格をコピーする、自分や他人の人格を上書きするのは、難易度が高いとかそういう次元ですらない。もはや運次第みたいな低確率の魔術だ。
相手の人格を消した時点で、脳はある種壊れた状態になる。この壊れた脳からは情報を引き出したり、人格を上書きしたりは出来ない。なので相手の人格を消すと同時に、脳を壊さない様に記憶を吸い出すなり、人格を上書きするなりを行わないといけない。コンマ数秒未満の瞬間に、複数の思念魔術を同時に行わないといけない。こんなもの、成功する方がおかしい。
現にグーバニアンから動機を探ろうと、マキナヴィス中の軍人が敵の脳をハックしているが、誰も記憶の読み取りには成功してない。
たまに成功例もあるが、単にその敵の趣味とか、直前の食事とか、ふわっとした情報だけだ。狙った情報はそうそう手に入らない。
確か過去の実験データで、魔力の演算力を増すと微量ながら成功率が上がるというものがあった。戦争開始前の、死刑囚を使用した実験だったが。
しかしビル一つ分くらいの脳を集めた巨大脳連結サーバーを使用しても、成功率は極微量に増加しただけたっだ。成功例が少なすぎて、そもそも上がったのかどうかも怪しいという結論だったが、何件かは成功したのだ。今軍人が多数のグーバニアンに対して全く成功してない状況を考えると、やはり確率は上がったのだろう。
そんな難しい、運任せの魔術を、ウチは成功させてしまったのか。アルビがそれをしたと聞いていた時は、ある意味他人事だから、すげぇ位にしか思って無かったけど…自分がしたとなると、にわかには信じられない。
そこで失敗していれば、ウチはエムジの前で死ねたのに。
「ウチは、何故そんなことを? エムジのお母さんの脳を、ハックしたんだ?」
「ボクはシーエじゃないからわからないけど、少しでも長く任務を続けるためだと思う…。一人でも多くの人を殺すため、自分の人格を相手に植え付けて生きながらえようとしたんだと…」
それを、エムジの母に、最愛の人の大好きなお母さんにしたのか。ウチは。
「暗くならないで! あの時の詩絵美と今のシーエはもう別人だよ。記憶が無いんだから。ただグーバニアンは皆どうしようもない動機があって、そのために人を殺しているんだ。皆は死にたいって思いながら戦ってるけど、詩絵美は強い女性だった。死に逃げず、任務を、殺しを少しでも多くする道を選んだ。…結果は失敗したけど。でもボクはそれで良かったって思ってる」
「良かった、のかな…」
「良かったんだよ。グーバニアンから解放されたんだから。動機を忘れられたんだから」
動機。そう動機だ。これを知らないといけない。
「アルビ、動機って、何だ?」
ウチは慎重に聞く。多分、帰ってくる答えは決まっている。
「ごめんね。それは教えられない」
「やっぱそうか…」
エムジも言っていた。アルビは仲間だが、全ては教えてくれないと。でもそれは自分たちのためだと。どういう、事なのだろう。
「その動機は、その…ウィルスみたいなものなんだよ。知ったら最後、グーバニアン側に寝返る。全員ではないけど…」
「ウィルス…」
「不幸を振り撒く、ウィルスだよ…。知ってしまったら、もう幸せな生活には戻れない。だからシーエ、お願いだから聞かないで。知らないまま、人生を全うして」
「でも動機がわからないと、奴らを理解しないと、戦争には勝てない…」
「知った時点で彼らに寝返るから、どの道勝てないよ。知っても…」
「アルビは、何で知ってるのに寝返らないんだ? いや、最初はグーバニアンだったんだろうけど、何で動機を覚えてるのにウチと一緒にいて、寝返らないんだ?」
「…」
ウチは素直に疑問に思ったことを伝えた。
「…全員ではないって、さっき言った通り…。ボクは元々、動機を知っても人殺しには反対だったし、グーバニアンに協力する気はなかったんだ。でもシーエが…いや、詩絵美がそうはならなかった。詩絵美は完全に動機に汚染されて、人殺しの戦士になってしまったんだ。ボクは一貫して、詩絵美の、シーエの味方。だから詩絵美について、一緒に各地を回ってたんだよ」
「なんで、そんなにウチを…」
「大好きだからに、決まってるでしょう」
優しい声で、そう語られた。そうか。ウチは愛されてるんだな。色んな人から。精神がいつもの健康状態なら、突然の百合発言に突っ込みも入れたろう。
「…ありがとう」
ウチは顔を伏せ、礼を言う事しかできなかった。
「一つ、疑問なんだが…なんでアルビはそんなにウチについて来てくれるんだ? 元々のウチ、詩絵美とアルビの関係は何なんだ?」
「それは、ごめんね。ヒミツ。言わない方が良いんだ」
「そうか…じゃあもう一つの方。無理やり止めることだってできるはずだろ? アルビなら。だってウチの人格はアルビの、その脳に入ってるんだから。アルビがウチに付いてこなければ、ウチは動けないんだから」
「ボクはいつだってシーエの味方。提案はするけど、決定権はシーエにあるんだよ。それに…」
ウチは衝撃の事実を聞かされる。
「実はこの脳、ボクが使ってるエムジのお母さんの脳、シーエが動かしてるんだよ? シーエが自分で自分の人格を、その体、今シーエが使ってる体に転送してる。ボクの人格が表に出てるのもシーエの意思で、主人格を変えることだって、シーエの意思で出来るはずなんだよ」
「は!? そんな…嘘だろ?」
「そう思うなら、やってみなよ」
ウチは一度走行を停止し、アルビに言われるままに、思念魔力を操る。アルビが使ってる脳に、ウチの人格を。すると…
「あれ?」
突然視界が変わり、ウチはウチの背中を見ていた。と同時に、ウチの体が地面に倒れる。ウチは、アルビの体から、その様を見ていた。
「お、おいアルビ、どこに行った!? アルビ!」
アルビの声が聞こえない。この脳には二人の人格が入ってるはずだから、消えた訳ではないはず。ウチは再び集中して、魔力をコントロールする。
「あ、うまく出来たみたいだね」
アルビから声がかかる。ウチはいつもの体で目覚めた。完全に力が抜けて倒れたので、強く側面を打った様だ。かなり体が痛い。
「ウチが、アルビを、ウチの体を動かしてる…」
「そう。この脳みその主人格をボクにしたのも、シーエの、っていうか詩絵美かな? の気持ちの表れだと思う。無意識の魔術って、エムジ言ってたでしょ。ずっと今まで、シーエは無意識にボクと自分を動かしてたんだよ」
「無意識の内に…」
「だからシーエ、シーエは生きたい様に生きれば良い。ボクは付いていくから。でも、少しでも幸せになってもらう様、助言だけはさせてもらうから」
「わかった…。ありがとうな。アルビ」
「うん。これからも、よろしくね」
知りたい情報を全て知れた訳ではない。でもいくつか得られたものはある。あとは、それをどう活かすか。
ウチはエムジの意思をついで、戦争を終わらせたいと願った。アルビもしぶしぶだが同意してくれた。ただ現実問題、どうするんだ?
このままでは悲しむ人がどんどん増えて行く。それどころか、このままでは世界の終わりまで起こりえる。今この瞬間も、人口はどんどん減って行ってるから…。
アルビが以前提案した通り、内地で暮らしたとしても、それは緩やかに死を待つだけだ。このままでは十数年、もしかしたら数年で世界が崩壊する。人が死に絶えるのはもっと先だろうが、社会のシステムが機能しなくなる。余生を送るのも、現実的ではない。
だからウチは、戦争を終わらせる助けをする。でも、どうやって…ただ目の前の敵を倒しても、もう何も解決しない様に思う。
人を殺すのは何もグーバニアンだけではない。こないだも風呂で考えていたが、お互いの国で自国民同志のテロが増えつつある。これを止めないことには…。
…まさか。
ウチはある仮説を立てた。動機を知ると寝返るという。なら、その動機をマキナヴィスの人間が知ったら? 無実のグーバスクロ人が知ったら? もし全員でなくとも多数が寝返るウィルスの様な動機、情報だとアルビは言う。そこに真意が隠されているのでは…。
動機を知り、解析し、消滅させる。これが、戦争を終わらせる方法なのではないか。
しかしウチが動機を知ると寝返るという。でも、あまり自分ではその事実を信じられない。
ウチはエムジを失った。戦争を止めたいと心から願ってる。そんなウチが寝返るか? 人を殺すように、なるか? どんな動機があったらそうなる。とても自分が無実の人を殺しているビジョンは見えなかった。それに…
現に、アルビは動機に屈してないんだから。
動機を知っても人殺しに加担しない人間がいる。アルビの話では昔からアルビの立ち位置は変わってない。ウチが人殺しをしていたから、協力していただけで、恐らくウチがそうしないなら、今の様に、人を守る立場なら、そっちに味方する。
心に芯がある人間は、動機に左右されないんじゃないか? 浅はかな考えかもしれないが、そんな思いが過る。ウチはアルビの事が大事だし、エムジの事が大好きだし、動機を知っても平気なのでは…?
でもじゃあどうやって知れば良い。結局問題はそこだ。アルビは教えてくれない。グーバニアンの脳をハックするのも不可能だろう。詩絵美が成功したのは、奇跡に近い。今までだって戦場で、可能な限り敵の記憶を読もうと試したが、全て成功していない。じゃあ、どうやって…
そんな折、ふと、ウチは閃いてしまった。
日記…
アルビの日記を見つけられれば、読めれば、そこにはウチの知らない情報が、つまってるかもしれない。
友人の秘密の日記を暴くのは心が痛むが、選択肢はこれしか無いと、その時のウチは思った。