あるいは近未来のプロメテウス
僕の仕事が一体どんなカテゴリに属するのかと、例えば街頭アンケートを手渡してくる人や間違えてうちのドアをノックしたセールスマンやふらりと参加した合コンで出会った女性、に、聞かれたとき、実は結構悩んでいる。理系なのか文系なのかと問われれば理系ではあるのだけれど、かといって文系の人ができない専門的な仕事かといわれたら決してそんなことはなくて、むしろ僕の上司なんかは生粋の文系だ。なんでも大学では十九世紀からニ十一世紀までの経済史みたいなことを専門にしていたらしいのだけれど、そんなものはクソの役にも立ってねえよといっていた。クソの世話を仕事にしている同僚はその話をきいて苦笑いをしていた。クソの役に立つのは鈍感さだけだよ、と。
話を戻すと、つまり、文系か理系かという問いの中では確実に理系なのだが、そのあとの分類が難しいということだ。会社自体のカテゴリとしてはバイオとかテクノとかエレクトロニクス。でも僕の仕事はといえばそのどれに属しているわけでもなくて、だから、一番しっくりくるのは肉体労働、だ。多分それが、一番正しい。
とりあえず、誰にでもできて、特に難しい事はない。ただちょっと、ベルトコンベアを流れてくる内臓の色を見るだけだ。担当によって何を見るかはちょっとずつ違う。僕の場合は小腸だったりする。
この会社の名前は多分誰でも知っている。知らない人はいない。製品にも触っているし、使っているだろう。どうしたって、目に入る。僕でさえそう思う。少なくともこの国にいるならば。大体が人間の中に入っているか人間のふりをしているものとして。最近では動物の形のやつもいる。そういうものは総称としてAlife、という名前を与えられている。僕の会社はそれを作っている。
Alifeっていうのは人工生命のことで、AIみたいなのはソフト、アンドロイドはハード。僕のいるところで作っているような、実際に肉体を持って活動するようなのはウェットAlifeだ。機械じゃないからソフトでもハードでもない。僕らみたいな現場の人間はウェットとかいっている。だって、大体がべちゃべちゃしてるから。乾燥とかは、多分天敵。無菌湿潤でそこそこ寒い、そんな工場。
うちの社長はこの仕事を、かっこつけて、「生命を創る仕事」なんていっている。「生命を、創る。私たちの手で」それがうちのキャッチコピー。ホームページのトップで確かめられる。後は、社長のインタビュー記事。探せば結構、いっぱい出てくる。
まあ、それ自体は、全然全く間違っちゃあいない。機械だろうが人工肉だろうが、とりあえず意識があって動くモノ――と、それらのパーツ――を製造、販売しているのだから。もちろん、人間だけじゃない。ペット用の猫とか鳥とかもうちから販売していて、確か今度の十月には新しく、調整された蛇が店頭に並ぶはずだ。噛まない逃げない飯食わないの三拍子そろった完璧な蛇だ、とかなんとか、商品開発部のやつがいっていた。だから多分、その蛇は機械製。
僕の目の前には黒いラバーのベルトコンベアがあって、無菌&抗菌の完全防護仕様。それで日々内臓が流れてきて、僕たちはそのベルトコンベアの隣に立って日がな一日ぼーっとしている。そういうのが仕事だったりもする。本当は違う。でも、ほとんどがそう。
一応の理由としては、流れてくる内臓のチェックで、それは色とか異物混入とかを疑う仕事だけれど、別に誰かがやる必要はない。ベルトコンベアには百を超える項目を瞬時にチェックする装置が二十か所くらいあるから、なにか問題があればそのどこかで必ずはじかれる。逆にいえば、それだけの関所を超えてしまうような問題をたかが人間ごときが見つけられるわけがないのだ。精々、チェックする機械の方が壊れていないかどうかをチェックするくらい。ちなみにそれは上司の仕事。だからやっぱり毎日僕らはぼーっとしている。
「あいつら、また来てるよ」
僕の右のラインで大腸担当の男がそう話しかけてきた。暇になったのだろう。ベルトコンベアの上では絶えず赤ピンクの内臓がごうんごうんと流れて来ては去っていく。
「ホント飽きないよな。もう何年だっけ、三十年くらい?」
何が三十年なのかといえば、この会社ができて三十年であり、そしてこの会社の事業に反対するレジスタンスみたいな感じの集団の正門前デモが三十年なのだ。正確には三十二年。二年前は三十周年記念とかで社員みんなを招いて盛大なパーティをやった。業界最大手の会社にしては歴史が浅いが、イノベイターなんてもてはやされるような会社は大体そんなもんだろう。
「今日は誰だった?」
「青緑のおばさん」
ああ、と僕はそのおばさんを思い浮かべる。デモは三十年続いているから、その間に出たり入ったりする人が一定数いて、最古参と呼ばれる人たちは大体五人くらい。頭が禿げてるメタボ体質のプロゴルファーの田中さん、いつも数百ページもする大きな本を開きながら名前も聞いたことない偉い人の言葉を引用し続ける飯田さん、三十年間無職を続けている筋金ニートの佐々木さん、東京主婦の会の会長で元副会長の旦那さんと不倫していることがデモの途中にばれてしまった三島さん、そして青緑のスーツがトレードマークの演説の達人大池さん。彼らは僕よりも長くこの会社へ通っている大ベテランで、この会社に入社するとまずこの五人の名前を覚えさせられる。彼らはブラックリストに登録されているデモ参加者(デマ―)だから注意をするようにという研修だ。もちろんそれだけじゃなくて、彼らともみ合ったときの対処法や完全プライベートで万が一遭遇した時のマニュアルなんかもあるのだが、これらをうまく使うのは難しいし、まあそんなのは運が悪いやつしか使わない。
デモの幹部は、去年は五人じゃなくて六人だったのだが、その前の年は四人だった。結構流動的でもある。佐々木さんが思い付きでアルバイトを始めた時や、三島さんが不倫托卵疑惑で自宅謹慎の末の二年半がかりの離婚調停の時なんかは、彼らはブラックリストから一時的に外された。できればこちらとしては一時的どころか永久除名したいはずだが、なかなか彼らは強い自分を持っている。結局佐々木さんはニートに逆戻りしたし、三島さんは独身としてデモの本場に帰ってきた。お子さんたちは全員旦那さんに引き取られたという。
「特に変わったことはいってないでしょ?」
「今日は、お前らが作った動物が自然界に逃げてしまったせいで生態系が崩れてるって話だった。今度出る蛇も、そうなったらいよいよ人間の手には負えなくなるぞ、とか。まあ話し方はうまいけど、もうそろそろ寿命だろ」
「大池さん、そんなに年いってたっけ?」
そうじゃねえよ、と呆れられる。そうか、そうじゃないのか。
僕の目の前をピンク色の小腸が流れていく。問題は特にない。この腸は一体どんな人間の腸になるのだろう。時々僕はそう想像することがある。まあ、実際は誰でもいい。この国の人間でもいいし、この国の人間じゃなくてもいい。男でもいいし、女でもいい。老人でもいいし若者でもいいけれど、大人用に設計されているから子供ではたぶんない。無理をすればいけるのだろうか。
僕は別にこの仕事に誇りがあるわけではない。けれどくだらないことだ、とも思っていない。なんというのだろう、ちょっとその辺で道を聞かれた人を後から何かのテレビや広告で見たとか、そんな感覚だ。有名だしすごいけれど、自慢話になるかどうかはちょっと微妙。ちなみに最近じゃ道を聞くような酔狂な人はいない。だって、話しかける相手が本当に人間かどうかがわからないから。一応、そういうことになってる。もしかしたらそうじゃないかもしれない。僕には本当のところはわからない。
人間が人間を――正確には人間に似た機械と、人間の肉体の一部を――作り出すことに成功してしまったのが今から大体五十年くらい前の話。僕はもちろん五十年前には生まれていなかったから、叩き込まれた知識とお年寄りに無理やり聞かされた話でしか知らない。ただ、その頃の混乱はすさまじいものだったようで、その翌年の大学受験では、哲学科希望者が例年の五倍になったそうだ。生命科学科は、ちなみにだが、十倍を軽く上回ったという。未来がある、もしくは未来ではなくなってしまった事柄に対しての希望と恐怖があったのだと、ある大学の教授が何かのインタビューで話していた。もう六十を過ぎていた教授は両足が義足で内臓は人工肉だった。ハイブリッド肉体。多分六割くらいは作り物だったが、それとは関係なく教授は教授であり、人間ではあった。
人間ではないものというのは多分難しい話で、人間より感情が豊かなアンドロイドもいれば、人間よりも健康なヒューマノイドもいる。それらを人間未満だという人たちもいるが、人間の中にだって人間未満な者たちはいっぱいいて、でも彼らは確実に人間だった。
僕の目の前を、黒い小腸が流れていった。外の人たちはまだデモを続けているのだろうか。確か今日は気温が十度を下回るとかいっていたから、多分かなり寒いだろうと思う。それとも、彼らの熱狂の前に地球の寒さなんて無意味なのだろうか。
彼らは、人間が人間を作るのが気に食わないらしいのだけれど、そのついでくらいの気持ちで、他の生き物を作るのまで抗議している。でも多分彼らも、この会社が作った牛肉や魚肉を食べている。冷凍食品のコロッケなんかで。初めから食べられるためにできているから、うちの製品はどんな天然よりも味がいいと評判だ。それに、設計が、つまり遺伝子とか育て方とか頭の中身が食用なのであって、変なものを食べさせたり注射させたりしているわけではない。きっと気持ちの問題なのだろう。それなら別に、自分で食べなければいいはなしだと思う。でも、どうもそうはいかないらしい。
ああでも、確かに、牛から牛を作ってそれを牛肉にするよりも、牛をそのまま牛肉にした方が効率的だっていうのは分かる。僕だってそう思う。それに、牛一頭から牛一頭ができるわけじゃなくて、普通の牛一・五頭からおいしい牛一頭ができるから、単純な計算の問題として、そういいたい人はいっぱいいるだろう。要するに僕らがやっているのは、おんなじ物をよりよくするっていうことで、だから、実はゼロから作れるわけじゃない。僕の目の前を流れていく大量の小腸だって、隣のレーンの大腸だって、余った牛とか豚とか羊とかの肉からできている。肉を一度ドロドロにして、もう一回型に入れて成形しなおすことで、移植用の内臓になったり食用の動物になったり愛玩用の動物になったりする。一応、捨てたり保健所で安楽死させたりするよりはましだと思う。もちろん僕がそう思うだけで、そうじゃない人もいる。安楽死の方が人道的だ、と。食べられて糞になるのとバイオ発電燃料になるのとどっちがいいか、は、動物に聞かないとわからない。
そういえば糞で思い出したのだけど、この会社にはそういう糞をどうにかする仕事もある。どうにかするっていうのは要するに、介護的に、あれするという意味なのだけれど、結構その部門は高給取りだ。仕事がきついから、とかじゃなく。
彼のいる部門は「身体保管部」という、まあまんまなネーミングがされている。実際その方がわかりやすい。例えば「ウェットデザイン部」なんていうのはまだいいほうで、「TAS部」なんてのはもう略されてしまっているからまずわからない。「トータルアライフセキュリティ部」の略なのだけれど、つまりウェットだけではなくアライフ全般のセキュリティを管理している部門だ。個体識別とかプログラムの査定とか外部からのハック・クラック対策とかそういうの。最も重要で最も稼げる部門だから、会社に入社するときにここだけは別枠の採用をしている。大体みんな優秀で傲慢なエリートだ。東大か慶応かハーバード。時々早稲田。
それで、そう、「身体保管部」の彼は僕と同期で、つまり働き始めたのが同じ時期だったのだけれど、その生真面目さを買われて今の部署に異動した。入社三年目。「身体保管部」が何をしているのかというと、まあ名前の通りなのだけれど、お偉いさんや金持ちの人たちの身体を預かっているのだ。多くの場合は首から下だけ。もしくはパーツごとに。どういうことかといえば、今のご時世、健康でいるためには体をとっかえる必要がある。もちろん医療は発達しているからたいていの病気には特効薬が見つかっているし、手術だっていろんなことができる。でもどうしてか肉体の劣化だけはどうにもならなくて、そういうのが原因の病気は感知するのが難しい。そこでうちで作った、ウェットとかハードとかの体をくっつけることになる。他にもうちをまねた会社はいくつかあるけれど、精度はうちが一番だ。だから高い。でも自分がこれから先使っていく体なのだから、みんないいものを求める。実は僕の前を通り過ぎていく小腸も一つ三十万する。偉い人たちが選ぶようなオーダーメイド臓器だったらまず百万はくだらない。そうすると大体の人は、悪くなったところを買うので精一杯だ。けれど金持ちのお偉方はそういうのを飛び越して、病気にならない体になってしまえばいいじゃないかと首から下を全部とっかえる人がいる。しかも結構多く。それなのに、元の身体は廃棄したくないとか言い始める。自分から放棄したくせに。で、うちの会社もお得意様だからとその身体を保管する部門を作ったというわけだ。
首なしの身体は、一応腐らないようにいろんな管が繋がれて、あと電極とかで筋肉を動かしたりもしているらしい。それと、首の方につけられた新しい身体にもいろいろとセンサーみたいなものがつけられているらしく、ワイヤレスに感覚を流しているのだそうだ。その方が戻したときに感覚の齟齬が起きにくいとかなんとか。で、身体は身体だけになっても一応生きてはいるから排泄もする。管から送られた水分と栄養を。固体ではないから小だけだし、それらはまた管を通してバイオ発電に使われている。同期の彼の仕事はその辺の排泄の管理で、もし管がどこかで詰まったりでもしたら死んでしまうから細心の注意が必要だ。けれど所詮は普通の尿であり糞だから、結構匂いも見た目もきついらしい。
「どれだけ高給取りとかいってもさ、あれはきついよ」
前に同期で集まった時にそんなことをこぼしていた。
「ホルマリン中でふよふよ浮いてるおっさんやばあさんの裸ってだけでも気持ち悪いのにさ、ほんと」
彼は多分次の春に異動になるだろう。「身体保管部」に勤務した人は、長くても三年で異動願を出す。だからいつでも人手が足りていない。
カーン、と音が鳴る。シフト後退の合図。僕らもちゃんと労働時間が決められている。良心的だ。多分。他の仕事場のことを、実は僕はよく知らない。
とりあえず、早めに帰ろう。やることはもうない。今日は外にも出れない。ああそういえば、一個黒いのが流れていった気がする。気のせいだったらいいのだけれど……
本日の不良 一件
内容:小腸ラインにて色彩の不良
担当:二二〇七番
補足:商品の廃棄
担当二二〇七番のメンテナンス及び状態により修理
以上