【リュール&エルダ:外伝】伯爵の親心
イフリーナの伴侶はウェルニックしかおらん。
「なので断る」
ぽいぽいとイフリーナへの求婚の手紙だのなんだのを処理する。家令も息子も『当然』という顔だ。
「頭が良すぎて嫁の貰い手が無いと思ったけど、年頃になったら意外と同格や少し格上の家からも求婚してくる者が居て良かったよ。これなら子爵家のウェル君に押し付けた、なんて言われてウェル君に肩身の狭い思いをさせずに済むからねぇ」
休日の朝寝を堪能して、スッキリした顔の息子が良い笑顔だ。妹よりも未来の義弟なのかね、息子よ。別に構わないが。
イフリーナは結婚や恋愛に消極的で、我が家の面子の為だけに最低限の社交をこなすだけだ。魔物ハンターとして他国を拠点にしてそれを留学と偽るのも伯爵家としての世間体を考えての事。
当主としては甘いが、私はそこまで弁えているのなら伯爵家の娘としての義務は果たしておると思う。
父親としては、夢である魔物ハンターとして遠い南の大国よりも国内で思う存分に活躍させてやれないのが申し訳ないのだが。
「それにしてもこちらの彼も相当しつこいね。そろそろ本気で片付けてしまおうかな」
「放っておけ、イフリーナとて忘れておる相手だ。わざわざ路傍の小石に割く時間があれば、お前も自分の婚約者をそろそろ真面目に探す事だな」
藪蛇だったね、などと舌を出しておるが。息子のお目当てのご令嬢家からも内々に打診があった事だからまぁ上手く行きそうで何よりだ。
「そうそう、ウェル君といえば。健気だよねぇ、イフリーナが南の大国を拠点にしてるからって、あっちの事を相当調べ上げてたんだってね?」
先日の髪飾りの件もそうだったが、ウェルの博識ぶりは健気な努力の賜物だ。元々知識欲は旺盛のようだが、向上心の塊のような青年である。
南の地の気候や風土を調べてイフリーナとの話題にするのかと思いきや、それだけではなかった。イフリーナに持たせる医薬品の種類を、あちらに合わせたものに変える配慮には頭が下がる。
「あの歳であの冷静沈着ぶりだし…子爵家とは言え、なんであんなに優秀な青年が野生令嬢を好きになるのかと謎だよ、謎。イフリーナは頭も顔も良いし可愛い妹なんだけどね…」
言うな、息子よ。それは言ってはならぬ。
「魔物ハンターになったり、南の大国の王族から求婚されたり、なんだかんだと奇想天外な事ばかりやらかすトラブル製造機なんだよなぁ……」
その南の大国の王族からの求婚騒ぎで泡吹いて「王城にどう報告したものか」とガクブルした私とお前より、ウェルの方がよほど落ち着いておったな…。
『ギルドの身分証で渡国しておられるので、あちらもイフリーナ嬢が伯爵令嬢とまではご存知ないでしょう。それに、身分証でデルロード国の者だとは分かるでしょうから、万一あちらから問い合わせがあってギルドが素性を王城へバラしたとしても、他国の独自文化なのであの髪飾りの意味を知らなかったと主張しても筋は通ります。…王城への報告義務はないと判断して差し支えないかと思います』
落ち着いておったが、鬼気迫るというか、部屋の温度が確実に下がっておったような気がしたが……………。
『図案によれば、確かそのデザインは王位継承権とは無縁の王族男子ですね。それから、イフリーナ嬢によればまだ12歳の少年との事。南の大国では婚姻を結ぶにあたり、本人の意志が尊重されるのは男女ともに15歳のはず。更には…』
…ウェルがちょっとだけ怖くなったんだけど。
イフリーナはウェルの博識ぶりに手を叩いてきゃあきゃあ喜んでおったから問題ないか。
それに、あれがあったお陰でイフリーナが年頃の娘らしく恋の相談という可愛らしい事を妻とヒソヒソやっておったのだしな。妻のあんなに幸福そうな顔は久方ぶりに見たわい。
その後で狂喜乱舞して『あなた、お見合いですわ!お見合いお見合いお見合い♪』には『ああ、妻は確かにイフリーナの母なのだな…』と痛切に感じるモノがあった…。
大昔の事で忘れたり美化しておったが、娘時代の妻はイフリーナほどではないが……とても、かなり、元気だったような覚えがある。
…………そこに惚れたのは他ならぬ私だから、もう何も言うまい。
「これを」
書き上げたばかりの書簡を三度見直して、家令に託す。
「フォルベール家へ届けよ」
腕白で野性的だが可愛くて大切な娘のお願いを叶えよう。
フォルベール子爵家当主とウェルニック、伯爵家当主の私とイフリーナ。正式に顔合わせしての『お見合い』の場でまたもやイフリーナが盛大にやらかしおった。
「ついでに婚約しちゃいましょ~♪」
何がついでだ、このバカたれ!と叱る暇もなく、ウェルが立ち上がって『是非!』と答えてくれたのが救いだ。
後日、随分と野性味の抜けたイフリーナから聞いて納得したのだが。顰蹙ものの『ついでに』発言は切羽詰まっての事だったそうだ。
その切羽詰まる背景には過去の婚約撤回が陰を落としているようで、今更ながらに『子供の飯事などと軽く考えなければ娘をこんなにも傷つける事はなかった』と、当時の自責の念が苦々しく蘇ったのだが。あれもあってのこれなのだと思えば、人生とは誠に摩訶不思議の連続だと思う。
「お父様、私ね、本当にお父様には心の底から深く深く感謝しておりますのよ~」
はにかみ、私譲りの金の髪を指先で弄びながらイフリーナが内緒話でもするように声を潜める。
「あの時のお父様のお言葉通りでしたもの。この広い世界の数多の人々の中からウェル様と出会えたのは、あの時にお父様の言葉で目を覚ます事が出来たからですわ!私が私の足でしっかりと歩いて、彼に背を向けて歩めたからこそ、私はウェル様を好きになることが出来ましたの」
私も年を取ったものだとしみじみと感じるよ。声を殺して震えながら泣いていた愛娘は、いつの間にこんなにも大きくなったのだろうか。
年を取ると涙もろくていかんな。
「世界はとっても広いと知りましたわ、お父様。まだ知らぬ世界も出逢ってない人々も居ますけれど、私はもう魔物ハンターは引退しようと思いますの。だって、世界の全てよりもウェル様の方がずーっとずーっと魅力的ですもの!」
綻ぶ蕾の勢いは目を見張るものがある、野生令嬢だったイフリーナの満面の笑みは我が子ながらも美しい。恋する娘そのものの幸せな顔だ。
我が子の幸せこそ、私の幸せだ。