夢みたいな不幸
三階建ての民家の一室。8畳ほどの広さの部屋には本棚やオーディオセット、学生が家庭で使用するような一般的な机が備えてある。
その部屋の中央で俺こと竜己は静かに寝ている。
ジリリリリ! ジリリリリ!
机の上に置いてある目覚まし時計が鳴った。
それに反応して俺はゆっくり目を開き、寒さに身を震わせながら起き上がり、目覚まし時計の停止スイッチを押す。
バキッ!
強く叩きすぎたか? 時計の文字盤を守るカバー、風防が割れちまった。
『……6時? おっかしいな』
ひび割れの隙間から設定メニューを見ると1時間ほど早くアラームが設定されていた。誰だよ、変ないたずらしたやつ。
今日の日付を確認するためにカレンダーを見る。2016年5月28日の日曜日だった。
5月にしては少し肌寒い。まあいい、とにかく腹が減った。朝ご飯を作らなければ。
部屋を出てキッチンに向かう。
IHクッキングヒータを備えたシンクに後方には大きな冷蔵庫と食器棚がある。
食器棚を覗くと、中には大量の食器が入っている。凄い量だ、家族4人分はあるぞ。
俺は棚からフライパンと食器を引っ張りだす。
冷蔵庫の中にも大量の食材が入っている。豪勢な朝飯が作れるが、あまり料理は得意じゃない。とりあえず卵と食パンとパックのサラダで済ませよう。
俺は大きな焼きサンドイッチを二つ作る。作り方は超簡単。目玉焼きとサラダを、バターを塗ってこんがり焼いたトーストに挟んだだけ。加工食品があったおかげで調理に要した時間は5分もない。
作ったその場でぺろっと完食し、部屋に戻る。
クローゼットを開けて、適当に衣類を引っ張りだして身にまとう。
茶色のスラッとしたズボンを履いて、白のワイシャツに黒いネクタイを締めてその上に紺のジャケットを着た。ちょっと中二病患者的なコーディネートだったかな? 鏡を見ると某怪盗の相棒のような格好になっている。あとは帽子とリボルバーがあれば完璧……おっと、危ない方向に流れ出している。
机の上に置いてある財布とスマホをジャケットの内ポケットにいれて俺は家を出る。
上を見ると空は晴れ渡り、吹き付ける春風が俺の髪をゆらす。
ちょうどいい暖かさだ。こんな日は自転車に乗ると気持ちがいい。確か、父さんのロードバイクが一階にあったはずだ。
俺の家の一階は美容室になっている。回転椅子やフレキシブルに動くシャワーの前に大きな鏡があり、それらのセットが3つある。入ってすぐ横には小さなたんすがあり、美容師がヘアカットに使うハサミ・ブラシ等の道具がその上に整理されて置かれていて、ブラインドが全て閉じられている。
日の光が入ってこない室内を軽く見渡して奥の方を見つめる。
『……あれだな?』
照明のスイッチを押す。
銀色のフレームのロードバイクが威風堂々と置かれている。トップチューブにはドラゴンが描かれたステッカーが貼られている。ホコリをかぶってしまっているが、とてもカッコいい。
俺は近くの椅子にかかってあるハンドタオルを掴み、銀色の車体にまとわりついているホコリを拭き取る。
『……ん?』
車体の、シートチューブに何か刻印のような物があるのに気がつく。細かい字で読みにくいが、
phantomと英語で書かれていた。この自転車の名前なのだろうか。
ブレーキや変速機の動作チェックをしている途中、近くのテーブルに写真立てが伏せた状態で置かれているのが目に付いく。
俺は気になって写真を見る。俺と妹、両親が一緒に映っていた。
『……ああ、そうだった』
身内は全員死んでたんだ。でも不思議と悲しいとかそんな感情は浮んでこなかった。
ファントムとともに家をでて、車体にまたがりペダルを踏む。
とにかく、早く行って帰ってこよう。秋葉原に行けば良い時計が見つかるだろう。
俺はスマホを開いて地図を表示する。
『あれ?』
地図が表示されない。
しかし、原因はすごく簡単な事だった。画面左上に「圏外」というアイコンが出ている。何で? ここは山の中みたいな電波の届きにくい場所じゃないぞ。
経路の検索を諦めて、とにかく前に進む。道が分からなくなったら、道中人に聴けば良いや。
●
秋葉原の大通りに立ち並ぶビルの屋上にて。
高校生くらいの茶色いソフト帽をかぶった少女が、誰かを探すように双眼鏡で眼下の道を覗いている。
日曜日恒例の歩行者天国が実施されているため、車道を縦横無尽に人々が横切る。
少女は携帯端末を取り出して何処かと連絡をとる。
『こちらアスカ。ターゲットと思われる男を確認しました』
「小隊を編成して派遣する。それまで監視を続けろ」
『了解』
交信が終わる。
ヒュゥゥ〜……
風が吹き、少女の髪がサラッとなびく。
少女は拳銃を取り出し、マガジンを出し入れしてしてからスライドを引いて銃を仕舞うと、ワイヤーを近くの手すりに巻き付け、屋上から身を投げる。そのまま慣れた動きで一気に降下し、静かに着地すると、少女はターゲットを追って人混みの中へと消えて行った。
●
秋葉原にたどり着き、駅近くにある大型家電量販店で新しい目覚まし時計を購入した俺は、秋葉原の町中を1時間くらい歩き回っている。
歩行者天国が実施されているため車道を気兼ねなく歩ける。
秋葉原に来たのは今回が初めてじゃない。ガシャポンの専門店や模型専門店、電子部品を取り扱う店などが何処にあるのか知っている。しかし、何故かある店は違う所に移転していたり、またある店は畳まれてしまっていたりと所々変わっていた。良い例としては、何か食べようと思って大通りの裏側に行ったら美味しいケバブを出してくれる屋台が無くなっていた。
俺は道路のど真ん中で辺りを見渡す。俺の知らない物がたくさんある。
スーツ姿の男が目に留まる。
男は手のひらを交差させるように重ね、上下を入れ替えながら肩幅と同じ位の感覚で手を広げる。すると、空中に地図を映した立体映像が現れた。えっ! 何あれ?
映像を見ると、何処かの施設への最短経路を映しているようだ。
操作している人に、これは何かと訪ねたら『DBMを知らないの?!』なんて逆に驚かれてしまった。
身の回りにある物の性能が従来より飛躍的に向上している。たった一日でここまで変わるのか? 技術の進歩はすごいと聴くが、今の俺にはその早さが光の速さと同じように感じる。
時計を買う事だけに集中しててさきほどの家電量販店の中はよく見ていなかったけど、もしかしてすごい物で溢れ帰っていたのか。スマホがDで進歩が光でヤバい、頭が混乱してきた!
気分転換にジュースでも飲むか。
俺は近くにある自販機に寄り、オレンジジュースを買う。ジュースを振りながら路地裏に入り、建物の壁に寄り掛かる。
プシュ!
缶のタブを開けた瞬間、気体が吹きだし爽快な音が鳴る。
俺は一口飲んでーー
『ハァァ……』と溜め息をつく。
精神的に疲れた。携帯は使えないわ、周囲はどっかのアニメに出てくる青狸がポケットから出すようなビックリ道具であふれているわ、色々と俺が知っているのと違う事がたくさんありすぎる。
でも、知っている基本的な事柄の存在は無くなっていない。車が空を飛ぶようになっている訳ではないし、自転車が俺のファントム以外にもあるところをみると、俺が元々居た所とは違う世界に飛ばされてしまったとかそう言う事はなさそうだ。
まるで未来の世界にでも来てしまったようだ。たった一日でここまで変化しているなんて。
だけど、何か大切な事を忘れているような気がする。なんだ、とても大切な事がーー
キィィィン!
頭に直接音が響き、強烈な痛みが俺の脳内を駆け巡る。
『うあぁぁぁぁ!』
俺はその場にうずくまり、頭痛を紛らわすために一気にジュースを飲み干すが、痛みは一向に和らがない。さらに、ひどくなって行くような気がする。かき氷を一気食べた時の、頭がキィーンとする感覚も混ざってしまったようだ。
『よう、兄ちゃん。大丈夫かい?』
誰かが俺に心配して声をかけてくれた。
『はい、……大丈夫です。ちょっとした風邪みたいなもんですよ』と言い、俺はよろめきながら立ち上がる。ちょっとしたなんてもんじゃないぜ、この痛さ。
目の前にはラフな格好をした2人組の男が立っている。なんか嫌な予感しかしない。だらしない格好をしている奴は大抵、
『ところでさぁ、俺たち金がないんだ』
『はい?』
町のチンピラだ。
『良かったら貸してくれない?』と言う男の後ろにいるもう一人がバタフライナイフをちらつかせている。
予感的中かよ。しかも、こんな時にオタク狩り被害に遭うなんてどんだけ今日は不幸なんだ。あっ、でもナイフは刃がビームとかになってたりとか進歩は無いんだ。良かった……って変なところで安心していられる状況じゃない。
『今度利子付けて返すからさぁ』
今度っていつだよ?
『嫌だね。痛い思いをする前に帰りな』
何言ってんだ俺? 立っているのもやっとの状態で何強がってんだ!
『ほぉ、おもしれえ。じゃあ、やってもらおうか?!』
キレた男が殴り掛かってくる。
ヤバい避けられねぇ!
目の前に拳が迫り、俺は覚悟を決めて目を閉じる。
突然、闇の中にぼんやりと、何かが見える。その映像は徐々に鮮明になっていく。
河川敷なのか? 橋の下で、5人の不良らしき少年達がバットなどの凶器を手に持って、俺を取り囲んでいる。
『無事に帰れると思うんじゃねーぞ!』
『嬲り殺してやんよ〜』
不良少年達の威嚇に俺は逃げようとするが、体がいうことを効かない。俺の意思と関係なく体が動き、右手の指先で挑発し始めた。
『殺っちまえぇぇ!!』
怒り狂った如何にも不良グループのリーダーらしい感じの少年が叫んだ。
『さあ、ダンスの時間だ』
俺と不良リーダーの言葉を合図にケンカが始まる。
迫る凶器を全て鮮やかに躱しながら、時にはボクシングなどの格闘技でいうカウンターを合わせるようにして、一撃で敵を倒していく。
変な感覚だ。自分で体を動かしている訳ではないが、何処かでこんな事があった。もしかして、これは俺の記憶なのか?
バキッ!
男のパンチが俺の顔に当たり、夢が覚める。
俺は目を開いて頬をさすり、ゆっくりと立ち上がる。そして笑みを浮かべながら、チンピラ共を睨みつける。
『ククク……』
そうだ。俺はこんな状況に慣れているんだった。
『何笑ってんだぁ! あぁ!?』
チンピラがナイフの刃先をこちらに向けてくる。だけど怖くない、むしろ……興奮してきた! この状況を俺は心の何処か、いや、心の底から楽しんでいる。
チンピラがナイフで俺を突こうと突進してくる。
俺は静かに呟く。
『さぁ、パーティの時間だ』
俺はチンピラの手に手刀を振り下ろしてナイフを奪う。その勢いで、踊るように回転しながら後ろに回り込み、奪ったナイフの柄でチンピラの後頭部を殴打する。
『がはぁ!』
チンピラは気絶し、その場に倒れ込む。
俺は残ったもう一人に『お前で最後だ』と言いながら、一歩ずつゆっくりと距離を詰めていく。
『殺してやるぜ』
『う、うわぁぁ!』
仲間を置いて絶叫しながら逃げてしまった。友達甲斐の無い奴だ。
俺は倒れたチンピラを横目で見る。人気の無い所に来るもんじゃないな。変な奴に絡まれる確率を高くするだけだ。
俺はナイフの刃を仕舞ってポケットに押し込み、そのまま大通りの方に向かう。
路地裏から出ようとした時、
『きゃぁ!』
『うお!』
走ってきた女の子とぶつかってしまった。
結構かわいい子だ。黒いショートヘア、顔はとても整っていて、動きやすい感じの服装がとても良く似合っている。
『お怪我はありませんか、お嬢さん?』
言い方が少しキザっぽかったかな。
『は、はい。こちらこそ不注意で……』
手を取って引き起こす。俺の顔を見たときの女の子の表情がこわばったものになったように感じた。
次の瞬間ーー
パシャッ!
カメラのシャッターをきるような音が聞こえた。
シャッター音が聞こえたけど、この辺には観光で外国人がたくさん訪れているし、記念に写真を撮る人も大勢いる。多分その時の音だろう。
女の子は顔を隠すようにして大通りへと走って行ってしまう。
俺も先に行こうと、歩き出したとき何かを踏んだ。
足下を見ると茶色のソフト帽が落ちている。 さっきの女の子のか。
俺は女の子が向かった方へと走り出す。
面倒事は放っておく主義なんだけどな。仕方ない、届けてやるか。
俺は帽子の持ち主を追って大通りに出たが、休日の人混みに紛れてしまい見失ってしまう。
平日や土曜日でさえごった返しているのに、日曜かつ歩行者天国実施日で車道を自由に歩けるこの状況。
落とした帽子に気がつきすぐに後を追ったから、そんな遠くには言っていないはずだが、この人混みの中から持ち主を見つけるのは難しい。
俺は近くにある公園のベンチに腰を下ろし、空を見上げながら考える。
どうするよこの帽子。元の場所に置き直すが良いか、このまま探して届けるが良いか非常に迷う。
面倒事は放っておく主義なんだけど、もう一度持ち主に会いたいしな。可愛かったし。
答えが出ないまま1時間くらいが過ぎる。
あまりの静かさに辺りを見渡すと、公園内には日曜日なのに子供一人として姿が見えない。
ブゥーー!ブゥーー!
ポケットの中のスマホが急に震えだした。俺は何だと思い、取り出して画面を開く。未登録者からの着信あり? 圏外で通じないはずなのに、どうして。
俺は不審に思いつつも応答キーを押す。
『もしもし?』
聞き覚えの無い声がスピーカから響く。
「竜己か?!」
『そうだけどおまーー』
「今すぐ逃げろ!」
はい? いきなり何言ってんだこいつ。自分が誰かも名乗らず、いきなりそんな事言われたって逃げる訳がねーだろ。
「事情は後で説明する! とにかく、こちーー」
『灘裕也さんですね?』
別の方から、誰かを呼ぶ声が聞こえた。前の方を見ると黒いスーツを着た男二人に女が一人立っている。
灘って、俺に言ってんのか? しかも、この公園に俺しかいないし。
電話の主に『ちょっと待ってろ』と言い、俺はベンチから立ち上がる。
『ごめごめ、ごめんな・さ・い〜もう一度言ってください(DJ風)』
『灘裕也さんですね?』
『チュッチュックチュッチュッチュクチュクチューチュッチュッチュクチュック、違います(DJ○○風)』
『失礼。テロ事件の重要参考人としてご同行願えますか?』
今日は妙にたくさん知らない奴らに虐められるな。チンピラの次は変な格好した奴がオタク狩りですか?
『テロとか意味の分からない設定を俺に振らないで頂ける?』
『その態度からするに我々が何者なのか分かっているようだな』
は、話が通じてるのか? 何者かって、コスプレに凝りすぎて脳細胞が破壊された痛い大人3人って事しかわからねぇよ。
俺はこの状況がまだ理解できないでいる。テロ行為を見たり被害にあったりした経験なんて今まで一度も無い。それなのに、知らない奴に「あなたはテロの参考人」とか言われたって意味が解るかよ。
「竜己!」
電話の主の大きな声に耳がキーンとする。
『うるせーな。今それどころじゃないんだ』
「今から俺が言う事をよく聴いて行動するんだ。万世橋から飛び降りろ!」
『なんだって?!』
今度は心当たりの無い奴が、電話で俺に自殺しろって迫ってきた。
「詳しくはその後で全て話す!」
『全部っていうか、お前だーー』
パァン! バキッ!
『うお!』
銃声と同時に俺のスマホが破壊された。
『危ないじゃないか。小さい子に当たりでもしたらどうすんだ!』
『連絡する必要は無いだろう』
先頭の男が銃口をこちらに向けている。後ろの二人も俺を捕まえようとしているのか身構えている。
どうする。持っている武器なんて先ほどチンピラから奪ったバタフライナイフくらいだ。俺を無傷で捕らえたい訳じゃないのは銃を向けている事から簡単に想像できる。公園に誰もいないからって、普通、銃を打つか?
俺は右足の上に、左足の踵で地面を蹴って砂を掛ける。
『同行しろだっけ? 任意同行ならお断りだぜ』
『この状況で任意だと思うか?』
『ああ思うね。生憎どんな事を見たりしたのか心当たりが無いもんでな。参考までに俺を連れて行く理由を教えてくれよ』
『スカイツリーに立て篭り100人の人質もろとも爆破した』
俺の想像を超越していた。
スカイツリーは2012年に完成した高さ600mを超える巨大な電波塔だ。たしか完成する1年前に世界記録だけを掲載する本にその名が乗っていたはずだ。
そのタワーを爆破したのか、俺が? いつ、そんな事したんだろうか。もしかして、俺寝相が悪い方だから、昼寝でもしていた時に見た夢を現実で寝ながらやってたとかそんな訳があるかい!
『それだけじゃない。その爆破によりスカイツリーは倒壊し多くの犠牲者が出た』
倒壊? 何言っているんだ。
『身に覚えが無いね。それに嘘は止めてくれないか? スカイツリーは立っているじゃないか』
俺は、今いる場所からも見える巨大な電波塔を指差す。
『2年の月日を経てようやく復興したのだ。話が長くなった……そろそろ行こうか?』
俺には2つの選択肢が用意されている。一つはこのまま大人しく捕まるか、もう一つは電話してきた男を信じるかだ。
このまま捕まって冤罪だと言っても信じてはもらえないだろう。今の俺には容疑を解いてもらえるだけの証拠も何も無い。罪の大きさからしても、即刻で裁判にかけられて死刑宣告されてもおかしくない。
電話の男は全てを話すと言っていた。約束を守ってくれる保証は無いし、罠である可能性がきわめて大きい。だけど、ただ捕まってすぐ殺されるより、少しでも足掻いてやった方が後に悔いは残らないだろう。
仕方ねぇ。騙されてやるか!
『もう一つ聴いていいか』
『なんだ?』
『今年は何年何月だ』
『2046年3月だ』
『そうかい……ありがとよ!』
狙いは銃を持った奴!
俺は右足を思いっきりスイングして、足の甲に載せておいた砂利を3人の変態に向けて飛ばす。
『うぐっ!』
銃を持った奴が目を押さえる。上手くいった。
『質問に答えてくれたお礼だ。お返しはいらねーぜ!』
俺は全力で走って公園を出るが、後を残った二人が追いかけてくる。
『舐めたマネを!!』
パン! パン!
残された男が銃を打ってきたが、目に入った砂利の影響で狙いが上手くつけられないのか、俺のスマホを撃ち抜いたような正確な射撃はできないらしい。
放たれた弾丸は俺に向かって飛んでくるどころかーー
『ぐああっ』
俺を追いかけようとした男の足に当たってしまった。だからお返しはいらないって言ったのに。
最後の一人の女がしつこく追ってくる。
俺はかつて、足の速さはクラスで1番だった。追いかけっこみたいな状況には強い方だが、女の方が早い。差がどんどん縮まって行く。
『逃げられると思うな』
女の大きな声が聞こえた。チラッと振り返ると、お互いの距離がもう7メートルもないのが分かる。しかも手にはナイフが握られている。このままじゃ万世橋にたどり着く前に捕まって……いや、殺されちゃう! 女の人は殴ったりしないのは俺の信条の一つなんだがな。とりあえず今のところは封印だ!
俺は女との距離が1メートルを切ったところで後ろに思いっきりステップし、背中から女に体当たりする。
『何だ?!』
不意をつく事ができたのか、女の胴体に上手く当たる事ができた。このとき一瞬、背中に何か柔らかいものが当たった感じがした。
俺は左足を軸に回転しながら、その勢いを利用してボディーフックを繰り出す。
バキィッ!
女の肋骨が折れるような音がした。もう一発おまけだ! さらに、みぞおちに突き上げるように拳をブチ込む。
『ぐぅ……おぇぇ……』
よだれを流し、泡を吹き出しながら腹を抱えて前のめりに、その場で女は倒れ込んだ。ちょっと酷過ぎたかな。
この間に見晴らしの良いところに行かなくてはならない。
俺を追っている奴が3人だけとは限らない。いま倒した女も、公園で同士討ちになった二人も片耳にイヤホンのような物を付けていた。おそらくスパイ映画とかで見る、何処かと連絡を取るための道具だろう。その事や他の事と合わせて考えると、他にも待機している奴らの仲間が少なくとも5人はいると考えておいた方が良いだろう。
『……はい。こちらには来ておりません』
別の場所から声が聞こえ、段々と足音が近づいてくる。ヤバい! 噂をすれば陰ってやつか。
俺はあわてて近くの建物の隙間に飛び込み、あちら側にはこちらの姿が確認できないようなところから、倒した女のいるところを覗く。
仲間らしき男がやってきた。
女を引き起こし、『負傷者を発見ーー』と何処かに無線で連絡を取っている。
様子を見ながら、俺は状況の打開策を考える。
目的地まで、何か乗り物が必要だ。ロードバイクを停めている有料駐輪場まで、ここから大凡500メートル以上ある。この間を移動している間に捕まる危険があるし、多分すでに駐輪場はマークされているだろう。発見されてもいいから、できるだけ早く大通りを駆け抜けたい。
男が気絶した女を担いで、俺が逃げてきた公園の方に消えて行った。また奴らがくる前に何とかしなくちゃならない。何か使える物は無いのか?
後ろに振り返って奥の方を見ると、赤い屋根の小さい自転車置き場に数台の自転車が置いてあるのが目に入る。
すごく気が乗らないが、少し拝借するか。
ほとんどママチャリだが、運のいい事にマウンテンバイクが1台あった。まだ買って2〜3回くらいしか乗っていないのか車体全体がピカっている。溝が深くゴツゴツとした形状のブロックタイヤにも、汚れはあまり付着していない。しかも、持ち主は目立たない場所だから盗まれないと思ったのだろう。カギがかけられていない状態だ。
俺は心の中で『良い子は真似しちゃいけない』と呟き、ガッツポーズをきめながら自転車にまたがる。
不思議と笑えてくる。チンピラに絡まれ、帽子の落とし主を捜していたら変な連中から追われ、挙げ句の果てに現在が2046年だときた。
今日興った世界一かもしれない夢みたいな不幸の連続を振り返りながら、俺は静かにペダルを漕ぎ出す。
さあ、アンラッキータイムの始まりだ。
●
警察からの要請を受けたピースメーカ隊はある作戦を立てた。
ヘリコプター(以下、ヘリ)で上空からターゲットを探し、そのポイントに向かうよう隊員に指示を下す。発見した場合、大通りにターゲットを誘導して待機しているスナイパーが狙撃するといったものだ。
大通りに面した3つのビルの屋上には、竜己を捕らえるためのピースメーカ隊のスナイパーが1人ずつ待機している。
アスカはテロリストを大通りへ追い込む任務を受け、秋葉原の町を歩いている。
「たった一人のテロリストにこんな大勢の人員を配備する必要があるのか」
「あるとしてもやる事が中途半端だよな。いっその事、問答無用で射殺しちゃえばいいのに……麻酔弾なんてつまんないぜ」
「この国は法治国家だから。どんなテロリストでも捕らえたからには法で裁かなくちゃ色々とアレなんだろ?」
「まったくよ。1000人以上を殺した犯罪者にも法の情けをかけるなんて優しすぎるよこの国は」
「ぼやいたって仕方ないさ。まあ、どうせ捕まれば死刑が言渡されて判決から3日と開けずに刑が執行されるさ」
「そうだ! 賭けをしないか?」
「ルールは?」
「誰が獲物を早く黙らせる事ができるかだ。敗者は勝者に今日の晩飯を奢る、なんてどうよ?」
「乗った!」
「グットアイディア!」
無線で隊員同士が馬鹿話を続ける。全チャンネルがオープンになっているため、この話の内容はアスカにも聞こえている。
『バカな連中ね。これだからいつまでもc級なのよ』
無線のマイクのスイッチを切ってアスカは愚痴を言う。
『まあ私も人の事を言えた立場じゃないか』
テロ事件の容疑者として現在追っている、金子竜己とぶつかった路地裏への入り口付近にたどり着いたアスカは周囲を見渡す。
『無いな……帽子』
作戦開始から10分後に事態は動き出す。
「ターゲットが現れたぞ! ターゲットは中央通り。神田川に向かっている」
ヘリからの情報を聴き、スナイパー達のスコープを隔てた視線が、中央通りを猛スピードで駆け抜ける自転車に集まる。
「俺が先にしとめてやるぜ!」
スナイパーの一人がライフルの引き金に指をかける。
「待て……打つんじゃない!」
「なんでだよ? そう言っておいてお前が打つ気だろ?!」
「ちがう。あの自転車に乗っている奴の頭をよく見ろ」
「……アスカさんの帽子じゃないか」
「あぶねー。仲間を打つところだった」
自転車の乗手は茶色のソフト帽をかぶっている。その帽子はピースメーカ隊でも1と噂される実力者、アスカのトレードマークだった。ピースメーカ隊の誰もがその帽子を見ればアスカの物だと分かるくらい有名な物となっている。
「その帽子をかぶってるのは私じゃない!」
アスカの怒鳴り声がスナイパー達の耳に響く。
「えっ!?」
「じゃあ……いま中央通りを走っているのは!?」
突然の事にスナイパー達は慌ててライフル構え直して狙いをさだめる。
しかし、その隙にターゲットは陸橋の陰に入ってしまった。陸橋に阻まれてしまい、撃っても当たらない。
アスカは走って、万世橋が一望できる近くのビルの屋上に上る。狙撃位置を決め、アスカはハンドガンの銃口に特殊バレルを装着して、左側レンズが液晶レンズになっているサングラスをかける。
この特殊バレルには、先端に付いているカメラで最大1キロメートルまでの距離や吹いている風の強さなどを自動で計算し、サングラスの液晶レンズに照準や様々な情報をを映し出す機能がある。
簡単な銃の調整が終わるのと同時に竜己が姿を現す。竜己は自転車を乗り捨てて橋の高欄に近づく。
『距離216メートル、風向きは南東の向かい風、風速レベル3、着弾点誤差±0,0005%以下……』
アスカは銃を構え、サングラスに映し出された情報を読み上げながら、銃口がぶれないよう静かに引き金を引く。
パァン!
サイレンサーが付いていないため大きな発砲音が響く。発射された弾は見事に、橋から飛び降りようとした竜己の左胸に命中した。
竜己は口と目を大きく開けて前のめりに倒れ、落ちて行きーー
ザッバーン!
神田川に大きな水柱を立てた。
アスカはビルの上から見下ろしながら『……帽子』と静かに呟く。すぐにサングラスの機能で竜己が落ちた場所を拡大して映すが、竜己の体どころか帽子も浮んでこなかった。
『こちらアスカ。ターゲットの狙撃に成功。その後、神田川に落下捜索班と医療班を要請する』
アスカは屋上からワイヤーを使って降下しながら、作戦指令本部に連絡を取る。
「こちら作戦指令本部。了解した。要請通り直ちに派遣する」
『それともう一つ。探してもらいたい物がある』
「何だ?」
『私の帽子も探してほしい』
「……了解」
プロローグの投稿からかなり間を開けてしまいました。




