番匠君の就職
会長秘書・番匠君誕生秘話。というほどえらいものではありませんが。
「蘇芳、おまえ就活してる?」
大学の食堂でカレーを食べながら、拓海がきいた。
高校で友達になった番匠拓海とは、どういう縁か大学まで一緒になった。今この二人は国内トップクラスの経済学部に在籍している。
「あー・・・いや、してない。」
なんとなくうしろめたい。
「え、おまえ院に進むの?」
「そうじゃなくて・・・家業をやるかなあと・・・」
うそではない。ただ、その「家業」ってやつが、尋常じゃないだけだ。そして、大学に通いながら実はもう「家業」を継いでいることは、親友の拓海にすら話していない。
「ふうん。家業って昴グループだろ?やっぱ、推薦かなんかで内定してるのか?」
蘇芳はちょっとあわてた。まさか「昴グループの会長です」なんて、こんなところで話せるわけがない。
昴グループは、日本屈指の大企業グループだ。もともとは製薬会社が手を広げて今のような巨大な財閥になった。
蘇芳は、高校のときに前会長だった父を亡くした。父の遺言で会長に就任したが、まだ未成年でありまた学生であることから、実質的には信用の置ける人物に会長代理を頼み、表向きは会長代理がすべての執務を執り行っていることになっている。
しかし、実態は、取り仕切っているのは蘇芳だった。だから、蘇芳の大学生活は、相当忙しい。
拓海は蘇芳の亡くなった父親が昴グループ関係の会社の偉い人だということは知っているが、それ以上は興味がないようだ。一方、蘇芳も自分が庶子であるからか、親の仕事についてほとんど人には話さない。だから、仲良くなってもう数年になるというのに、「昴グループ会長」が誰であるかは知らないでいる。
とりあえず、蘇芳は話をそらす。
「いや~・・・それよりさ、拓海はどうなんだよ?就活してんだろ?」
「うん、いくつかやってるんだけどさ、第一希望はちょっと無理かもなあ」
「どうして?」
「結構狭き門なんだよ。募集も少ないし。ほら、昴製薬ってあるだろ」
蘇芳は思わず食べていたうどんをぐっと飲み込んでしまった。いきおい、むせる。
昴製薬は、昴グループのおおもとの企業だ。要は、ここで拓海が昴製薬に採用されれば、自分の部下になるわけだ。
「おい、大丈夫か。ほら、水」
「ご・・・ごめん」
息を整えて、一緒に落ち着きを取り戻す。
「でも、なんで製薬会社なんだよ」
「なかなか会社自体の中身がよさそうでさ。最初は商社とか考えてたんだけど、そういうのもおもしろそうかなって」
ふたりとも食事を終えて返却口に食器を返す。
「蘇芳、今日もバイトか?」
拓海が聞いた。拓海には、会長職の仕事に行くのを「バイト」と説明してある。
「うん、今週はちょっと忙しいかな」
「また夏世ちゃんとデートできてないんだろ。あんまりほっとくと、知らないぞ」
♦♦♦♦♦
『大丈夫だよ、蘇芳が忙しいの、ちゃんと分かってるよ』
夜、電話の向こうで夏世がいう。本当に、ここ1~2週間は仕事がたてこんで、あえない日が続いている。
「ごめんね、来週はもうちょっと楽になると思うんだ」
『だから、大丈夫だって』
そういいながらも夏世もさすがにちょっとさみしい。だから、話題を変える。
『それはそうと、番匠さん、蘇芳の会社受けるわけ?』
「みたいだね。俺は人事にはノータッチだけど、採用されてくれたらうれしいような困るような・・・」
『困ることないじゃない。かえって心強いでしょ?いっそのこと、蘇芳の秘書に抜擢しちゃえば?』
「無茶言うなよ」
笑いながら、ふとそれもいいかもしれない、と思う。
「うん・・・でも、確かに本当にそうなったら心強いなあ」
『でしょでしょ』
♦♦♦♦♦
そうして、夏が過ぎ、秋が過ぎ、いつしか冬も過ぎて 新しい年度になった。
拓海は、自分の予想とうらはらに、第1志望に採用されていた。
入社式当日、全員に配属先の書かれた名簿が渡された。
『番匠拓海 会長室』
「会長室?何かえらいところに回されたなあ、君」
隣の席の新入社員にびっくりされた。自分でもびっくりだ。てっきり、人手が必要そうな営業とかに回されると思っていたから。
その後、それぞれ自分の配属先へ挨拶へ回る。拓海も、小宮山会長室長に連れられて会長室へ向かった。
「そろそろ会長室にも新しい人が欲しくてね、人事とかけあったよ。なにしろジーサンばかりだからなあ」
室長が道々話してくれた。ここから少し小声になる。
「・・・というのは表向きでね。今、うちじゃたちばな金城会長代理が実質的に切り盛りしてることになってるんだけど、本当は金城さんも会長の指示で動いているようなんだ。会長ご自身はあまり表に顔を出したくないみたいでね・・・まだ、年若いってこともあるんだろうが。ただ、今後、表舞台に立ったときのために、自分の手足になってくれる信用できる秘書が欲しいっておっしゃっててね、今からそのための要員を育成しようって訳さ。で、君に白羽の矢がたった、と。」
「・・・僕なんかで大丈夫なんでしょうか」
「いや、不安もわかるよ。でも、人選は会長自ら行ったようだからね。自信を持ちたまえ」
「・・・がんばります!」
ちょっと、いや、かなり不安だ。その証拠に、会長室の前室で同僚になる人たちに挨拶をし(本当に、年配の人ばかりだった)、いざ会長のいる部屋へ入ろうというときには、文字通り手に汗を握っていた。
「会長、新人を連れてまいりました」
小宮山室長が声をかけた。
部屋はそんなに広くはなく、大きなデスクと応接セット、そして立派な部屋の雰囲気にあわせたストレージユニットがしつらえてある。デスクの後ろには立派な革製の黒くて背の高い椅子があり、今は椅子がこちらに背を向けていた。
「小宮山さん、ご苦労様」
会長の声は、聞いたとおり若そうだ。あわてて拓海は頭を下げる。
「まず最初にいっておくけど、番匠君」
後ろ向きのまま、いきなり会長自ら新入社員に話しかけてきた。
「君には将来的に僕の秘書になってもらうつもりだよ。今からがんばって勉強してください。まあ、君なら大丈夫だと思うけど」
フランクな人柄らしい。
それにしても、『君なら大丈夫』?何のことだろう。
「それから、今回の人事は確かに僕が指示したけど、わが社に君を採用するに当たっては僕は一切口出ししていない。だから、君はちゃんと自分の力で採用されている、ここは勘違いしないで欲しい」
「・・・?」
「と、ここまでしゃべってもまだ気がつかないよ。困ったな。おい拓海」
「へ?」
向こうを向いていた黒皮の椅子がきい、と音を立ててこちらを向いた。
自分の目の前で、会長のデスクに座ってこっちを見ているのは・・・
「す、蘇芳?!」
あごが外れそうなほどびっくりした。
「な、な、な・・・」
「ごめんな、いろいろ不都合があって黙ってたけど、俺が昴グループの会長なんだ」
「ど、ど、ど・・・」
「拓海が採用されたって言うから、無理言ってこっちに配属してもらった。でも、もしどうしてもここがイヤだったら配置転換考えるから言ってくれ。俺のわがままだからな」
もはや拓海は言葉も出ない。
「頼りにしてるよ、拓海。あらためて、よろしく。」
蘇芳の笑顔はいつもどおりの笑顔だが、やはりどこかに違うものがある。会長職という重責を担っていく覚悟だろうか。
拓海は、このとき心を決めた。
「・・・仕事中は、馴れ合いはよくないです。けじめをつけましょう、会長」
さすがは拓海だな、と蘇芳は思った。
「ああ。よろしく、番匠」
拓海は改めて頭を下げた。
2013.12.12段落修正