第一部
告訴状
告訴人
住所 東京都日野市××本町○-○-○
職業 学生
氏名 浦木康介(平征××年10月13日生 平征××年1月22日没) 印
被告訴人
住所 東京都新宿区▲▲○-○-○
職業 医師
氏名 生出流瀬(昭羽◆◆年11月13日生) (双方ともに詐称の疑いあり)
新宿警察署長殿
一 告訴の趣旨
被告訴人の以下の所為は、刑法xx条(xx罪)に該当すると考えるので、被告人を厳罰に処することを求め告訴する。
一 告訴事実
被告訴人は、平征××年1月22日未明、中央高速道山梨県境の荒神谷付近で起こった土砂崩れに巻き込まれた告訴人に対して、職業上適切な処置を行わず、死亡した肉体を独自に持ち去り、告訴人の了解を得ないまま「沖浦工」という名のサイボーグ改造手術を行いました。
それに加え、被告人は「沖浦工」としての住民票や健康保険、並びに経歴を詐称した書類を作成し「これから君には沖浦工として生きてもらう」と、告訴人を脅しました。
のみならず被告人は告訴人がサイボーグに対する知識が皆無な事を知っていながら、告訴人に監視付きの新たな生活を強要し、著しい肉体的・精神的桎梏を与えました。
被告訴人の、前記行為は多数の刑法違反に該当すると思われますので、被告訴人の厳重な処罰を求めるため、ここに告訴いたします。
二 立証方法
1 参考人 私の友人甲
2 荒神谷オービスの記録映像
3 社団法人じんけんSOSひろば 百舌・L・アロイス室長作成診断書
4 人間の魂の所在に関する実験報告書
三 添付書類
上記診断書 一通 記録映像三九〇分(無編集版五五一分も付属) 報告書三九八五部
第一章 終末ヒロイン
光あれ。たしか、旧約聖書の冒頭だったっけ……?
まず始めに知覚したのは光であった。始めは茫洋とした光源が揺らめいているぐらいにしか感じなかっ たが、意識が覚醒していくにつれ急速に光が大きくなって暗黒を飲み込んでいく。圧倒的で激しいホワイトアウトの洪水が目を灼いた。
「痛ぇ……!」
ぼくは呻いた。それをきっかけに、唐突な落下にも似た解放感が全身を奔り、四肢の感覚を意識させた。ついで聴覚、触覚、嗅覚――そして最後に視覚の順番に感覚が戻ってくる。最後の浮遊感まで絞り出すように、酸っぱいげっぷが出た。
首を捩じって辺りを見る。光に焼け付いてぼやけた視界だが、そこが何処かの個室である事が認識できた。白い壁、白い天井。そして白い家具。
まるきり白ずくめの部屋に中に、これまた真っ白な女が座ってぼくをじいっと見ていた。抜ける様な白い肌に、ブリーチを途中でトチったような銀色の髪。白いセルフレーム丸眼鏡をかけて、白いタートルネックの上に染み一つない真っ白な白衣を羽織っている。筋金入りだ。
「おや、起きたね」
白衣の女はそう言った。ぼくは身体を起こして前後の記憶をまさぐった。なぜ、ぼくがこんな所にいるのか。あるいは、目の前に座るこの女が一体何者なのか。そもそも、ここはどこなのか。
「身体の調子はどうだい? 声は無事に出せるかな? 身体にどこか突っ張る様な違和感はあるかい? 発熱感はないよね?」
ぼくが何か言葉を繰る機を制して、白衣の女が椅子から立ち上がってぼくの身体を遠慮なしにベタベタ触り始めた。察する所、彼女は医者か何からしい。
「ライトがまぶしい」
ぼくの口から、自分のものとは思えない妙に上ずった声が絞り出された。「少し光度を落としてくれ」
絞り出すような言葉に、彼女は上機嫌に唇を尖らせた。
「ふむう。視覚野は正常に作動しているようだね。結構結構。しかしだね、残念ながらこれでも豆球なんだよ。接続直後で反応が過敏になっているんだろう。じき慣れるよ」
言われてみれば確かに、部屋の中には薄いオレンジ色に輝く卓上ライトがぽつりと灯っているだけで、部屋全体はむしろ薄暗いと言った方がよかった。なぜ眩しいと感じていたのか。
しかしどうにも妙である。女のセリフといい、何やら無機質な気配がするのは何故だ? そもそも今は夕暮れ時なのか夜明け前なのか、薄明かりが漏れるブラインドを引こうとしたその瞬間、強引ともいえる力で手首を掴まれた。
「やめとけやめとけ。微調整も済んでいない今の君の視界で太陽でも見てみろ、情報量の洪水に呑まれて失神こくぞ。大体、君の身体はトップシークレットだ。迂闊に世間様に晒しちゃまずい」
「アンタ、さっきから何を言って――」
女の手を振り払うぼくの肩からシーツがずり落ちた。「んんんっ!!?」
結果だけを記そう。シーツの下のぼくは全裸であった。胸に大きな二つのふくらみがあった。代わりに股間にある筈のものが無かった。とてつもなく大事なものが。
「うぉええええええええええええッッ!?」
絶叫した。その場でベットからずり落ち、後頭部をしたたかに打ちつけても、その衝撃が上書きされる事はなかった。何処かに落としたか!? 保証は効くのか!? メーカーへのホットラインを知らせ! ハリ・アッ! ハリ・アッ! 常軌を逸したままその場に四つん這いになり男の勲章を探すぼく。
ちなみに女性読者諸姉に注意を喚起しておきますが、男の勲章は代替がきく様な便利なものではありません。相対した際はぜひ優しく扱ってあげましょう。
「ふんふん。いいねいいね。自分でデザインしといてなんだけど、美しいね。特にその格好は軽い戦略級テロだね。あふっ!」
女の鼻孔から血が噴き出した。極度の昂奮状態から鼻孔内部の毛細血管が破裂したらしい。要するに、鼻血である。「はっ! 早く何か羽織ってくれたまえ! このままでは私の精神が常軌を逸してしまう! 私野獣と化しちゃう!」
「なんじゃこりゃ! なんじゃこりゃっ!! なんじゃいこりゃあッッ!!!」
「ああ、その恐慌に駆られる姿も美しい! いいねぇ、もっと悔しそうに私を見てくれたまえ」
「なんか落ち着かない! 下半身の安定性が無いッ! テメェこのやろッ、ぼくの身体に何しやがった!」
「ぬほほ! 罵られるのもまた一興! もっとやってくれ! さぁ! さぁさあさあ!!」
「キモい! なんだその手はッ!」
「うひょひょ! 思い通りにならんものがここまで魅力的とはぁッ!」
「うるせえええええええええええ! 鼻血を拭けぇえええッッ!!」
‐中略‐
そんな調子でしばらく聞くに堪えない応酬が続いたわけであるが、女の卒倒を契機に、ぼくは改めて今ある状況を冷静に見つめる機会を得た。
部屋は外から施錠が可能な電子キーになっており、ここがまともな病室でない事は一目で看破する事が出来た。
続いて部屋内のあちこちを探ってみるも、部屋着や着替え、点滴や包帯の取り置きがあるばかりでこちらは普通の病室と変わりなし。ならばとぼくのベッドの周りの小物入れを探ってみると何に使用するか分からないソケットがいくつかと、繊細な細工が施されたヘアピン、それから一部の新聞紙がサルベージ出来ただけだった。
「なんだってんだ畜生……悪い夢とかだとありがたいんだが」
誰とも向けずに呟いて、それからいまだ素っ裸だった事を思い出し――これはどう見ても女性の身体のそれである――クラクラする頭をどうにか叱咤し、適当な着替えをハンガーから引っぺがし、洗面台に放り出した。鬱陶しい前髪をヘアピンでまとめて、そうしてから、じっと備え付けの鏡を見る。
やれやれ。不思議と恐懼に駆られる事はなかった。
予想していた事であるが、鏡に映っていたのはぼくが良くも悪くも一八と余年付きあってきた顔ではなかった。
ぼく自身は骨っぽくごつごつした輪郭で、曰く、凄まれると怖い鋭い三白眼を有していた。本人としては全然その気はないのに「怒ってるの?」と勝手にビクつかれるというか――まぁそういう顔立ちだった。手前味噌になるが決してブ男という訳ではないと思うが、とりたてて持て囃されるツラでもないとか、そういうどこにでもある顔だ。
しかし今鏡の前で泣き笑いとも怒り諦観ともつかぬ、何とも表現できない表情を浮かべているのは明らかに――世間一般に照らし合わせるなら――美女……否、美少女という類に該当するだろう。
艶やかに流れる黒髪を首元辺りでボブ切り揃え、かつてのぼくとは似ても似つかぬすべらかで柔らかな卵型の輪郭。利発そうなおでこの下にはやや太めだが整った眉が配置され、一直線にすっきりとした鼻梁が通り、張りのある桜色の唇が受け止めている。オーク色の虹彩が印象的な瞳の周りは馬鹿みたいに長い睫毛で縁取られ、パチパチと瞬きするだけで旋風が起こるんじゃないかといっそ不安になるぐらいだ。
溢れ出る素朴な雰囲気が思わず周りを和ませてしまうような、そんな空気を持った顔つきである。
その顔がいまぼくの心情をそのまま表現したような表情を浮かべているのだから、その時の驚きは如何に、である。
これがめちゃくちゃリアルな白昼夢であると一縷の望みを託し、頬をぎゅうっと摘まんでみた。勿論、鏡の向こうの少女もその動作をそっくり真似して柔らかそうな頬をむぎゅうと掴んだ。しっかり痛感まである。おおう、なんたるちや――
「どうかな、私の自慢の義体の出来は? 本物と見分けがつくまいよ」
しばらく元のぼくとの接点をどうにか1つでも見つけられまいか色々伸びたり揉んだりつねったり引っかいたり悪戦苦闘してみた。しかしやればやるほど明瞭になってくるのはこのお嬢さんのボデーとぼくの精神――魂とでも解釈しようか――が深く結び付いているという事だけだ。
ネトゲの女の子アバターに卑猥な格好をさせている時の様なやるせない気持ちになってきたあたりで、昏倒していた女がいつの間にやらぼくの傍らまで歩みを進めていた。乾いた鼻血が顔の半分をまだらに染め上げている光景は凄絶そのものだ。ジョージ・ロメロ御大製作のゾンビも泣いて逃げ出すぞ。
「アンタ――何者だ?」
如才なく間合いを図りながらぼくは女を遠巻きにした。唐突に、そこいらのカフェでマロングラッセでもつっついていそうな女の姿が、人外魔境の化け物のように見えた。その化け物が、心底うれしそうに気色ばむと、やおら煙草を咥えた。
「覚醒からの短時間でそこまで使いこなすとはたいしたものだ。いいよ、全部説明してあげよう。だけど……やはり何かを羽織ったほうがいいな。そのままじゃ腹を下すぞ」
「死んだ――? ぼくが……?」
しばらくの後――
カーゴパンツとノースリーブセーターを取り敢えずお仕着せされたのち、ぼくは女――生出流瀬と名乗った――から様々な事を聞いた。
この施設は彼女が公的な支援を行っている都内の私立病院兼プライベート・ラボである事。
現在2月16日午後5時と少し。ぼくがこの病院に収容されて約3週間が経過した事。
現在の彼女の研究分野は人体の神経系を人工的に再現させるものである事――
中でも一番衝撃だったのはぼく――浦木康介が既に死亡しているという事実だった。
「うん。これがね。色々不運な事が重なるもんだね、なかなか」
女はベッドに投げ出されている新聞紙を取り上げた。「自然災害と、お国の怠慢と、後は時の運。どうにも悪い風にドミノが倒れてしまったわけだ、うん」
震える手で生出女史の掲げている新聞記事を掴み、目で追う。
平征××年1月22日、××県中央高速道荒神谷付近のカーブにて大規模な土砂崩れが発生。これに巻き込まれた○○化学所有の薬品運搬車が爆破炎上。傍らをバイクで追走していた浦木康介さん(18)がこれに巻き込まれ、劇薬に捲かれた彼はほぼ即死状態であった。現場は12時間に渡って通行止めとなり、到着した救急隊も土砂崩れの影響で即座に救護活動に移る事が出来ず……以降の阿鼻叫喚っぷりは筆舌に尽くしがたくうんぬん……――(意訳)
「えー……いや、えー……」
「一応死亡診断書とかもあるけど見る? いやー、長い事医療に携わってっけどここまで手の施しようがない案件ってのもなかなかなかったなぁ」
何度も記事を目で追って確認する。黒焦げになった周囲の状況を検分する検証写真にはご丁寧にぼくが必死こいて金溜めて買った単車のスクラップまでもがバッチリ見切れている。ステッカーの位置といい、実家の生け垣に引っかけた時出来たバンパーの傷といい、見間違えようもない。
「マジか。でっちあげだよな。けど、ちゃんと名前書いてるしな……うそーん、えー?」
「まァ過ぎた事とはいえ、あんまお調子こいてスピード出し過ぎるのはどうかと思うなぁ。最初の追突で既に致命的だってのにさ、ついでにタンクの爆発とぐたぐたになった薬品の大量散布がとどめになったようだ。君のオリジナルの身体はバラバラ――そうだね、大雑把に言って40個ぐらいの焼き過ぎた肉片と化してしまったわけだが――
「す、ストップ! ストップストップ!」
ただでさえ現実味がないとはいえ、起きぬけにそんなグロイ情報を羅列されても、ハイソウデスカと飲み込めるものか! ぼくは走り疲れたわけでもないのに荒れた息を飲み込んで彼女を制した。
生出女史の言葉を契機に、川が氾濫する様に急速に記憶が溢れだしてきた。
雨上がりの山道だった。季節外れの大雨にくさくさしていたぼくはその日、久しぶりの晴れ間に跳びあがって、新しく換装したエンジンクーラの調子を見る為に簡単なツーリングに出掛けた。
抜ける様な晴天に、単車の接続も良好。吹きつける風はナイフの様に冷涼で、ライダースーツの中を突き刺した。新鮮な空気、容赦のない寒風。解放感――
ああ、今だからこそ後悔する。ドライバーズ・ハイに陥って足元が御留守になっている事に。
ちょうどカーブの多い山道に入った所だった。眼前をトロトロ走る薬品運搬車を追い抜こうとギアを外した瞬間、頭上から川口浩探検隊シリーズでもこうはいかないというぐらい巨大な岩石が降って来て運搬車を押し潰した。タンクが破れ、コールタールのような黒い液体が飛び散った。とっさにハンドルを切った瞬間、凍った路面にタイヤがスリップ、最後に見た光景は紅蓮の焔を吐き上げた運搬車と殺到する土砂の山。ぼくの記憶はそこで途切れる――
急激にこみあげてくる吐き気と格闘しつつ、その場に膝をついた。傷一つない滑らかな身体を撫でる。そんな重大な事故に巻き込まれたというなら、ぼくが纏うこの身体は一体なんだ!?
「ふむう。よくぞ訊いてくれた、といったところかな」
生出女史は乾いた鼻血を拭いながら喜色満面である。なんつーリカバリの早さだ。自分の功績を誰かに吐露したくて仕方ない面持ちといった所か。
「君の肉体は最早再構築不可能と正式に裁定された。そこで私はなんとか生存可能だった君の頭脳に電子的補助を与えたうえで――まぁ脳味噌のオリジナル部も39%ぐらいなんだけどね――人工の神経端末を巡らせた義体に君を移植させる事で延命を図ったわけだ」
「??????」
「つまり今の君は喪失した身体の各機能を私の開発した機械で補っている。おめでとう、地球史上初のパーフェクト・サイボーグの成功例として君は私の脳内エンサイクロペディアに色あせることなく残り続けるだろう」
曰く、宗教団体やら人権団体やらがうるさい所為で検体を探すのも一苦労らしい。そこで、金にものを言わせた超法規的措置とやらでぼくの遺体を確保、批判が飛ぶ前に強引に改造しちまったらしい。医者の本分とは人命救助である、と女史は笑った。
「だからって事前承諾も無しにこりゃなんだ!? あんたに人間的倫理観はないのか!?」
「可愛いは正義。正義は王道。美は全てに優先するなり」
「そういう事じゃねぇ!」
「ふむう? ならあのまま羽虫の様にくたばって逝くのが君の本懐だったと? なかなかスパルタンな運命論者な事だ。外見はどうあれ、命あってのものだねだよ。感謝こそされ、非難される謂れはないと思うけどなぁ」
ぐうぅ……! そう言われてしまうとぼくはぐうの音も出ない。
生出流瀬。どうやらその名にぼくは心当たりがあった。
天才的科学者兼脳医学者にして無類のアイドルオタである彼女は、その莫大な資金力と奇行でゴシップを騒がせる事が少なくなかった。が、しかし鉄壁の情報封鎖によってその素顔がいまだに世間に割れた事はなく、そもそも生出流瀬など存在しないのではないかという噂も立つ始末。
だからこそ、ぼくはこの女が生出を騙った悪質なドッキリでも仕掛けているのではと訝った。
ドッキリを仕掛ける意図は知らない。だが、天才と評される人間の考えがぼくら凡人の及びの付かない場所にある事もまた事実だ。
「ふむう、疑り深いね。よしよし、じゃあ証明してやろうじゃないか」
言うか早いか生出女史はぼくの二の腕をグリっと捻った。次の瞬間、腕がプラモのパーツ分解のように複雑な亀裂を走らせたかと思うと、上腕が二股に割れ、内部のバルブやらシャフトやらがガバリと展開した。
「うォおおおおおおおおおおおおおおッッ!?」
こいつにはマジで、尋常じゃなくビビった。男の勲章が付いたままだったらチビっていたと思う。
痛みはなかった。だがしかし、生物的に時折放電を放ちながら蠕動を繰り返す、黒いゴム紐の様なものが生理的嫌悪感を励起した。
「すごいだろ、特許出願前の小型人工電筋だ。オッと! 人に向けちゃ駄目だよ。滞留電だけで人を焼き殺せるぐらいの危険な代物だからさ」
こちらがあわわあわわしているというのに彼女は止まらない。「色々オプションも凄いぜー? 暴漢に襲われた際のスタンガン機能やら、牽制用のフラッシュ、00B射出砲門、電磁式パイル、メーザーアイ、加速装置、胸ミサイル、ダブルハーケン、光学迷彩、合体機能と……もちろん、換装用装備もばっちしだ」
女史がぼくの脇の下やらへそやら腰やらを押す度に、ぼくの腕がさらに摩訶不思議な形に変形を繰り返し、その度に五寸釘の親玉みたいなドライバーパイルがガショーン、光子宇宙魚雷発射口がキュイーン、謎の手甲がせり出し光って唸ってシャイニングとああもうなんじゃこりゃあっ!
「あぶねぇなこのやろ! ぼくを悪の秘密結社か何かと戦わせるつもりか!」
「アホか。なんでそんなアブナい役目に私が丹精込めた美少女ちゅわんを派遣せにゃならん。大体、敵ってのはどこのどいつだよ?」
これだから男性信奉主義者ってのは発想が貧困で呆れるなぁ。生出女史は心底失望したように冷笑しつつ眼鏡を拭いている。それから、一呼吸ついた後、
「君にはアイドルになってもらう」
そう、のたまった。
「 は?」
僕がしばらく機能停止に陥ったのも無理からぬことだったと思う。違うというなら明日の朝美少女型サイボーグに改造されてみるがよろしかろう。推奨はしないが。
「簡単な話だよ。義肢とか義足とかに変わる、中身を丸ごと入れ替える新しいスタンダードを私は開発したんだが……道徳とか宗教とかで協力者が現れなくて困っていたんだ。この技術に興味を示した企業も、あろうことか戦争用に改造しろとか抜かしやがった。勿論そんな事はごめんだからね。技術のアピールと、データ取り。加えて私の嗜好を満足させるためにはアイドルが一番って寸法よ」
「全然答えになってないよ! アイドルに杭打ち機がいるかっ!?」
「用心はし過ぎるに越した事はないってね。そのボディ作るのにいくらかかったと思ってんだい。別の検体探すのも面倒くさいし」
多分、後半の方が本音だと思う。
「ちょっと待て、百歩譲って助けてくれた事に感謝したとしよう、でも言っちゃなんだがぼくはアイドルなんざ全然知らないんだぞ! むしろなよなよしてる分、嫌悪しているといった方がいい!」
「『人はアイドルとして生まれるのではない。アイドルになるのだ』。この際君の好き不好きは関係ないんだなぁ」
多分、ボーヴォワールはそういう意図で言ったわけじゃないと思う!
「だからなんでぼくなんだぁ!?」
「息子が助かるならどんな風になってもいいって、君のご両親言ったもん」
「許可の話じゃねー! 方向性が明後日往っちゃってるよ!」
「科学の発展は常に明後日に方向へ伝播するものだ。君、インターネットの由来はご存じ?」
「だ・か・ら! なんで女なんだよ! アンタに話聞く限りじゃ男用の義体もあったそうじゃないか! ぼくを改造するなら男の方が齟齬が少ないように思うんだけど!」
「だって女の子の方が可愛いし面白いじゃん。おっぱいの再現とかには苦労したんだぜ? ちょっと揉んでみ? 自信作だから。ホレ揉めヤレ揉め」
「うるせぇえええええええええええええええええええっ!!」
その後深夜に至るまでぼくの恫喝気味の質問攻めをのらりくらりと生出女史がかわし続ける、血を吐くマラソン状態の情報擦り合わせが続き、日付が変わる頃には心底くたびれ切ってしまって、結局は彼女の言うがまま成すがまま、アイドルの卵として生きていく事を嚥下する羽目になった。
これが彼女流の誘導術だったとしたら、大したものだと思う。
第二章 みんなで育てるアイドル
「はい、少し腰引いてー。そう! その角度。いいよいいよー、可愛いよー、目線こっちねー」
水着グラビアなにするものぞ。
あらゆる美辞麗句を用いて間断なくシャッターを切りまくるカメラマンの指示にぼんやり身をまかせながら、ぼくは心ここにあらずであった。自身の身体にすら整合性が取れていないのだから仕方ないと言えば仕方ない。
生出女史の衝撃からこっち、事態は怒涛の勢いで進んでいった。
ぼくの肉体の扱い方をある程度レクチャした後で、女史はぼくと家族を引き合せ一連の顛末を説明、その後有無を言わさぬ引っ越しやら転校手続きやら芸能事務所での面接やら……それらを事細かく記述するとこの手記が軽い鈍器として扱える厚さにまで膨らんでしまうんで、諸々は割愛する。
結果だけを記すと、ぼくは生出女史と親交が深かったというマーズ・エンタテインメント社に縁故採用という形で契約し、大手出版社が企画する次世代アイドル育成プロジェクト――通称Nx-iDプロジェクトに参加する事になった。
これは、各プロダクションから選りすぐりの新鋭アイドルを1組だけ擁立し、それぞれ総当たりで視聴者をも巻き込んだバトルロイヤルを繰り広げ、アイドル業界全体を盛り上げていこうという壮大な計画であるそうな。
アイドルを目指し日々過酷なレッスンに励む諸兄諸姉はこのプロジェクトへの参加は喉から血が出るほどの悲願であるそうだが、申し訳ないことにどこの馬の骨とも知らぬ――それどころか人間ですらないマシーンが参加しているというこの事態……皮肉を通していっそ諧謔だ。
作りもののショウビズを制するには同じく作りものを投入し……いや、いたずらに自虐するのは止めよう、空しくなるばかりだ。
そうして目下、海を眼下に望むおんぼろスタジオで水着グラビアの撮影中だ。元はカニの缶詰工場だった場所を強引にスタジオに改修したこの場所は、だだっ広い上にほんのり染み付いた甲殻類のスメルが漂っていて、身も心も寒い。
「コウちゃんは色々恥ずかしがったり、変なこだわりが無いから撮影が楽で助かるよ」
休憩時間がやって来て、マネージャーの若いあんちゃんに厚手のコートを手渡して貰い、ぼくはしかつめらしく頭を下げる。
「はぁ、どうも」
そもそも女としての自覚すら持てないのだから変に恥ずかしがったりする方がよっぽど変態だ。だが、そんな事を大っぴらに言える筈もなく、無表情に応じるしかない。
「……後はもう少し愛想がよければ言う事無いけどね。ま、今後気をつけてよ」
「はぁい」
そのまま、マネージャーから渡された湯気立つペットのほうじ茶をじるじる啜り、スタジオの隅っこでストーブにあたりながらぼんやり今までの過去と、今後の身の振り方について考えた。
浦木康介は法律上既に死亡した存在として処理されたらしい。かわりに生出女史がどんな手管を用いたか知れないが、『沖浦工』というパーソナリティをでっちあげて芸能事務所に放り込んだ。
つまり、『沖浦コウ』の殻につつまれた「浦木康介」は文面上じゃ既に存在していないという事だ。慎ましやかながら葬式が営まれたと言うし、自主的に来てくれた悪友の幾人かも花を手向けて涙を流してくれたそうだ。彼らには悪い事をした。とんでもない不謹慎なドッキリに引っかけたようなものだから。
とはいえ、この女の姿でおん出て行った所で、誰もぼくが「浦木康介」であることを理解する者はいないだろう。ぼく自身だって「では浦木康介とは何ぞや?」と問いかけられたら首を捻ってしまうのだから。なにをもって自分自身を証明すればいい?
幸いにして一八と余年の思い出を共有した両親のみが、ミニカーに滑って転んで額を切ったサッシであるとか兄貴との喧嘩で凹ませた和室の壁とかの思い出話を根気強く話す事でぼくの存在を肯定してくれたが。
「まぁ、世間では帰郷したら息子の性別が変わっていたとかままある話だからねぇ。ロボの息子がいてもいいんじゃない? あ、この場合は娘になるのかしらん」
それでいいのかおっかさん。物質性より精神的紐帯を何より大事にする我が浦木家は「名前も姿も住民票まで変わってもあなたは私達の大事な息子として助かってくれたのだからいつでも帰ってらっしゃい」と実にいい加減――否、鷹揚にぼくを送りだした。
後に、生出女史の研究機関から膨大な額の研究協力費が振り込まれていた事が発覚する、というオチがつくわけだが、なんにしろ自分を肯定してくれる存在がいてくれる事はありがたい。この際浄不浄にかまけるのは無しだ。
翻って、これからの自分である。
現在の『沖浦コウ』は生出流瀬の支援によって生きる天涯孤独の存在である。一応、浦木家一同は「いつでも帰って来い」のスタンスをとっているが……書類上は赤の他人になってしまった。養子縁組するという手もあるが……果たしてどんな理由をでっちあげればいいのか、ぼくは知らない。
ぼくは肉体の死と共に、とてつもなく多くの手札を失ってしまった事を今になって自覚した。
頼みの綱は生出女史であるが、はっきり言って彼女とぼくを繋ぐ糸は非常に危うい。人の命ですら手玉に取る畜生だ――彼女が匙を投げた瞬間、ぼくは一切を失ってこの無慈悲な社会に放り出される事になる。
否、それどころかまともに人間として扱われるのか? 最悪、洗濯機やオーディオコンポと一緒に粗大ゴミとして回収される羽目になってもおかしくはない。ぼくはそれほど法律にくわしくないが、サイボーグの人権を保障する法律は現状、確かない筈だ。
即ち、今選ぶべき道は、当面の生活を送れる基盤が固まるまで、あのマッドな感じに振り切れた変人の機嫌を損ねないように理不尽を飲み込んで座敷犬の様に尻尾を振り続けなければいけないという事だ。はぁ~ぁ……
その時、エネルギーセーブ状態だった首筋に、突如と冷え切った物体を押し当てられて、飛び上がった。
「うひゃあっ!」
「オツカレさん。あんだよ、普段はむっつりしてるくせして可愛い声上げちゃってよぅ。さては首が弱いのか? ほれ、うりうり」
このクソ寒いのにガッチガチに冷え切った炭酸飲料のアルミ缶を押し付けてくるのはチームメイトの賀藤アナスタシア(16)――通称アニー(なんでロシア式のアーニャじゃないのか聞くと「響きに迫力がないから」だそうだ)。
さすがはロシアさんの血が半分入っている納得の色白ハーフ美人で、この日本の寒空なんぞ意にも解さない様子で水着姿のままでうろついては男性スタッフに眼福を与えている。噂では血液の半数以上がエチルグリコールで出来ているそうな。お人形さんの様な端正な顔立ちも相まって、ぼくなんかよりよっぽどサイボーグっぽい。
「なにしてたん?」
「社会的帰属意識と支配者層の打倒には何が必要か考えてました」
「かっかっか! そりゃいい。クソッタレの国営農場で芋でも掘る気か。化石寸前のレーニン主義者のジジイどもに股ぐらおっぴろげるなんざどこ狙いだよお前」
ただし、まぁ画竜点睛を欠くというか綺麗な薔薇には棘があると言おうか。
彼女の口の悪さはそこいらのチンピラが束になってもまともに相手にならないぐらい悪辣を極めており、冷凛とした美貌から放たれる四つ文字の応酬に付き合っている者は、例外なく深刻な審美眼のゲシュタルト崩壊に陥るという。
「あらあら。なんだか楽しそうね~」
そしてもう一人の同僚であるチームリーダーが、撮影が終ったらしく近づいてきた。「アナちゃん、あんまり虐めちゃ駄目よ~」
「へん! んなジャリ垂れみてぇなコスい真似はしねぇよ、まーさん。あたしに本腰入れてイジメさせてみろ、チビるぜ?」
「あら、そぉ~? 沖浦さんもお仕事慣れてきたかしら~」
「ええ、まぁ。おかげさまで、いろいろ刺激的ですよ」
蜷紫まことさん。17歳。3人の中では一番の年上であるにもかかわらず、外見だけ見れば小学生にしても平然と通じる小柄ぺったん――もとい、マイクロスレンダーな肢体をお持ちのお方。身の丈に合っていないモッズコートを袖まくりにし、前を開けた所から見え隠れするぽてっとしたおなかを見ていると何やら軽く犯罪の肩棒を担いだ気分にさえなってくる。ヤバイヤバイ。
そのくせ精神年齢は実年齢を6割増しぐらいに成熟させたぐらい鷹揚で達観しているお人でありまして……こちらも相対する者はそのちぐはぐ具合に3日寝込むなんてまことしやかに噂されている。その合法ロリを地で行く容姿から、一部のニッチな諸兄からカルト的な人気を誇っているとかいないとか。
おまけに追加加入のぼくときたら見た目は女、頭脳は野郎。しかしてその実体はゼンマイ仕掛けのブリキ野郎という、もうなにがなにやら。バランスなんてあったもんじゃねぇ。
冷静沈着なまことさん、元気印のアナスタシア、そんで数合わせのぼく、沖浦コウ(一応クール枠らしい)をスリーマンセルとしてMCEが送りだすアイドルユニット『イーリス』は構成される。されるものの……
「沖浦さんが入ってくれたおかげで、雑誌取材も増えて万々歳だわ~。やっぱりおっぱいが大きい娘は得ねぇ~」
「つってもなぁ、所詮この仕事も水着特集の有象無象だろ? 誰も顔なんか見やしねぇって」
雑誌見本をハンバンドツキながら不満顔のアニー。それもそのはず、マーズは弱小プロダクションもいい所。回ってくる仕事と言えば書店に無料で平積みされている通販カタログの水着モデルがせいぜいで(しかし二人の会話を聞く限り、これでも上等な部類だという)、テレビで有名司会者相手にキャピキャピやりながら炭酸ガスを浴びる仕事なんざ夢のまた夢だ。
そこに降って湧いたNx-iDの大プロジェクト。事務所の上下関係抜きで純粋な勝負に持ち込めると二人は静かに闘志を燃やしているようだ。しきりにぼくの知らない業界人サマやライバルアイドルグループの名前を挙げては笑いあったり溜息をついたりしている。
「けどな、やっぱり上位層は堅いぜ」アニーは忌々しげに言ってから炭酸を一息に煽った。
「そうねぇ。やっぱり規模が違うし、設備も段違いだもの」アニーの言葉を聞いて、まことさんはのんびりと、だが明白に悔しさを滲ませた言葉で応じる。
二人が案じているのは、業界最大手であるファントム・トラックスが鳴り物入りで送り出す5人組のユニット、『Clue/ZaR』の事であろう。
子役として爆発的な人気を誇った志摩あかねを中心に据え、実に隙のない人材を潤沢な資金を注いで教育を施し、インディーズレーベルからの発売であるにもかかわらず、デビューミニアルバムの総販売枚数が一五万枚を超え、メンバーそれぞれにCMやらドラマやら映画やらの主演が確約されているという文字通りの化け物である。当然、メディアでの扱いや露出も段違いで、ぼくらの弱小レーベルなど木っ端を蹴散らすが如き勢いで驀進中である。
そもそもNx-iDプロジェクト自体もクルーザーの活動に花を添える為の出来レースじゃないか、などとまで嘯かれる始末。アイドルに全く興味がなかったぼくですらここまで情報を知っているわけだから、その知名度たるや推して知るべし、だ。
ぼくとしては生出女史だけを喜ばせればいいわけだから別にどうでもいいんだけど、二人の気迫は本物だ。
「やっぱやるからにゃテッペン取りてぇよな」
「うん。沖浦さんも参加してくれた事だし、三人で頑張りましょう~!」
「お、おぉ~……」
一応ノッておいたが、相変わらず僕にとっては蚊帳の外の出来事の様だった。
第三章 ダテに待たせたわけじゃない
事務所のある新宿区から電車に揺られることしばし、23区をちょっと通り過ぎた調布市某所にマーズ・エンタテインメイントと懇意にしているダンススタジオがある。
何でも、マーズの社長とビルのオーナーが古い知己らしく、格安でスタジオを利用出来るよう便宜を図ってくれるらしい。金のない貧乏アイドルには渡りに船だ。
とはいえ、スタジオを擁する雑居ビルは周りから「お化けビル」と揶揄される、まこと古式蒼然とした建物であり、設備も相応に――限りなく好意的に解釈して――レトロだ。ボロくせェリノリュームの床と言い、所々壁紙の剥げた壁と言い、同じお化け(ファントム)でも自社スタジオなど潤沢なバックグラウンドを備えるファントム・トラックスと待遇の差は如何ともしがたい。
無論、部屋の一面がガラス張りとなった練習室も言うに及ばずである。端が擦り切れて白っぽくなっているカーテン、端っこが欠けた鏡をガムテで補修してある所なんかが侘しさをさらに加速させる。いやはや。
一昔前にはこういう貧乏アピールを売りにした演歌歌手なんかが繁華街の隅っちょでビールケース片手に歌っていればちょいとばかり持て囃されたものだが、天下のアイドル様がそうした薄幸具合を引きずるわけにも行くまい。体裁が悪すぎらぁ。
そして、そんな環境の中でも夢追う少女たちの情熱は本物だ。当然対立も起こるわけで、
「ちょ、ちょっと。ちょっと止めろ。中断、中断だ!」
ダンスなんぞ何年ぶりにやったんだったか。確か幼稚園のお遊戯会で主役を張って以来だったと記憶している。残った39%の僅かな脳髄であいまいな記憶を反芻していると、アニーが焦れたように声をあげて、練習を中断させた。
「コウ」
「はい?」
普段でもきつい印象を与える瞳がさらに険呑に細められている。口調は穏やかだが、端々から激怒のオーラがぷんぷん漂っている。はて、それほど深刻なミスをこいたつもりはないのだが。
「なんかなぁ、ピリッとしねぇンだよな」
「そうですか?」
アニーはぴったりはまる語彙が見つけられないようなもどかしさを持て余しているらしい。
「お前のダンスは確かにそつがねぇンだけどさ、なんつーのかな……個性がねぇンだよ。情熱が足りないっつーか、客をビビらせてやるっていう気概が足りないっつーか……」
「はぁ。情熱……ビビらす……ですか」
何の感慨もなく、オウム返しに応じるぼくに対して、アニーは明らかに機嫌を損ねた。口角を片方吊り上げて皮肉の一つでも言ってやろうと言うつもりらしい。
「ノレンにソバ打ちだな」
「腕押し、です」
「…………」
「………………」
有無を言わさぬ沈黙の時間に、ああ、胃が痛い(人工胃だけど)。思えば生前、こうやって数々の場の空気をブチ壊してきたものです。諺マニアのくせにその覚え方が限りなくいい加減なアニーも悪いと思う。
「…………ちょっと休憩にしようぜ」
引くに引けなくなったアニーはそのままぷいっと顔を背けて、さっさと部屋を出て行ってしまった。
いやはや。怒らせたかな? ぼくは頭を掻きながら、それでも謝罪するつもりは毛頭なかった。
言わせてもらうならアニーの方が細かい動きをガサツにやったり、変なアドリヴを挟もうとする所為でタイミングを合わせるのがよっぽど面倒である。ガツガツ前へ出ていくことを辞さないと言うべきか。それを棚上げて他人の批判とは何を言わんや、だ。
それに、情熱が足りないのも勿論その通りで、ぼくはダンスの一連の動きを全て位置情報として数値化したプログラムとしてダンスレッスンの度にそれを自動再生しているのだ。サイボーグってこういう時には便利だ。それに、何をしていても様々な問題がごちゃごちゃと湧き出して一意専心という風にはなれないのである。
そう――考えなくちゃならない事が山ほどある。
無理やり納得させている部分はあるものの、かと言って、肉体はおろか魂まで変人科学者のおもちゃにされてハイソウデスカと納得できるものか。こんなおままごとにいつまでも拘泥している暇なんかないんだ。
「アナちゃん燃えてるわねぇ~」
鼻息荒くぷんすかしていると、まことさんが喋りかけてきた。タッパウェアを掲げてぼくに向かって示す。「苛々してる時は甘いものよ? おひとつ、いかが」
「はぁ。いただきます」
中身は果たして、チョコチップを練り込んだ手製のスコーンだった。ありがたく頂戴する事にして一つ齧ってみると、確かに美味い事は旨かったが、歯が欠けるんじゃないかってほど固かった。
「『汝生きる為に食らうべし。食らう為に生きるべからず』ってね~。どんな難題でも良く噛んでいれば自然にほどけてくるものなのよ~」
「ぼくならその前にお茶で湿らせますけどね……」
煉瓦と見紛う謎製法で練成されたスコーンをがりがり咀嚼しながらまことさんは笑顔を崩さない。その柔和な顔にぼくは安心と共に不安定さを覚える。
この人はアニーとは真逆で、ダンスにしろコーラスにしろ積極性の欠片も見出せない。長くコンビを組んでいるらしく、アニーへのフォローは完璧であるものの、あくまでそれだけだ。
物腰柔らかいと言えば聞こえがいいが、実際は突っ込みはせず、深入りもしない。リーダーという肩書はあるものの、ひたすら空気のように存在が軽いのである。自ら努めて自分を抑えているような節すらある。
二人きりで喋るというのも、そう言えば初めてではなかったか?
「まことさんはアニーとは付き合い長いんですか?」
「う~ん、二人で一緒になってからはそれほど長い訳じゃないけどねぇ、下積みの頃から色々顔合わせる事が多かったから~」
話を聞いてみるに、どうやらまことさんとアナスタシアはもともとマーズの関連プロダクションで別々のグループとして(あまり目立った経歴は残さなかったらしいが)活動を続けていたらしい。
双方のグループが自然消滅に近い形で解散した後で旧事務所がマーズに吸収、旧メンバーが櫛の歯が抜ける様に引退していく中、最後までマーズに籍を置く事に拘っていた二人を一緒にし、加えて生出女史の肝いりで参加する事になったぼくを加えて『イーリス』は完成の日の目を見る事となった。わけだが……
「…………」
何とも即物的というか、その場凌ぎというか……本当にこのユニット大丈夫なのか?
「大丈夫よ~。捨てる神あれば拾う神あり。残り物には福っていうじゃない~」
その前得向きっぷりは見習いたい所だが……無言で鈍器にでも使えそうな小麦粉の塊をしゃぶっていると、不意にまことさんの目が細められた。「でもね、だからってわざわざ福があるのをひっかきまわすのはいけないと思うな。真正面からぶつかるのと我を押し通すのじゃ同じように見えて中身は全然違うわ」
言葉を受けて、遅まきながら説教されている事に気付いた。いや、この場合は説得という方が正しいか。
「たぶん……だけど。アナちゃん、競い合える相手が見つかって嬉しいんだと思うわ。今まで相手が私しかいなかったから。だから、沖浦さんのいい所を見つけたくてうずうずしてるんだと思う。それを適当に流しちゃうのは、いけない、と、思う……なんちゃって」
「そうなんですか? けど、毎回あんな調子じゃあ参っちゃうな……」
「真面目なのよ、あの子。それに比べたら、私なんて――
何だか初めの勢いがなくなって来て、まことさんは竜頭蛇尾にむにゃむにゃ言葉をこねくりまわして、視線を落としたまま沈黙してしまった。
「……?」
肩を落としてどこか自嘲的に溜息を重ねるまことさんは、それ以上何も言わなかった。
こうなってしまっては下手に突っ込むわけにもいくまい。昨日の今日で無理繰り捻じ込まれた新参者が無作法に詮索するというのもお門違いだ。
尤も、ぼくから見ればまことさんの方がよっぽど真面目にレッスンをこなしているように思えるんだけどな。練習時間に遅刻しないし、居眠りもしないし。褒めてんのかな、これ?
「それが、私の役割だから」
まことさんはぽつんと言ってから、取って付けたように寂しそうにほろりと顔をほころばせた。
そんなときである。
「くっそ~、納得いかねぇ(ジャバウォッキー)。しばらく休憩を口実にサボろうと思ってたらシャチョーが来てやがった」
スタジオの扉が開け放たれ――ゲンコツを食らったんだろう――涙目で後頭部を押さえるアニーの首根っこを掴んだ見慣れぬ長身痩躯の男が入ってきた。
一見すると30代中盤から40前といった風貌の男である。もじゃもじゃの癖毛を後ろで束ねて、頬のこけた顔には砂鉄でもまぶしたような貧相な無精ひげで覆われている。トロンとした垂れ目はある意味愛嬌があるとは言えなくもないが、死んだ魚如くその瞳には力が無く、まぶたの下には深い隈を作っている。極めつけは纏っている格好だ。クソ寒い中でも黒いドレスシャツの胸をガバリと開いて貧相な銀ネックレスをこれ見よがしに見せ付けているというのは一体何年前のセンスだろう。彼が身じろぎするたびにむせかえる様な男性用コロンの芳香が猛々しく溢れかえり、ぼくの強化された嗅覚を圧迫した。
なんというか、仕事上がりの場末のホストというか、流行についていけずひねくれた美大生をそのまま発酵させたというか。古今東西数多存在する「胡散臭い」を手当たり次第大鍋にぶち込んで煮詰めればこんな人が出来上がるんじゃないかな?
「頑張っているようだな、いたずらっ娘達! ゴキゲンかな? カワイ子ちゃんは元気が一番。そして、日々の積み重ねを疎かにしないが勤勉さその次に重要だ。おわかりかな?」
うわぁぁぁあああ…………洋画のテンプレコマシペテン師のような軽い喋り方をするその男は莞爾と笑い、アニーを解放した。ちょっと舌を出したが彼女がしおらしく男の指示に従っている所を見るとそれなりに『イーリス』に近しい人らしい。
ん、ちょっと待て。さっきアニーがシャチョーとか言ってなかったか? 黙りやがれカス(シャット・アウト・ユー)の聞き間違いならいいんだけど。
「誰すか?」
「いてて……誰ってよぅ、そりゃお前ェ――
こっそりアニーに耳打ちしていると、楚々とまことさんが男に近づく。ふむん、察する所、保護者様かしらん?
「社長、もしかしてまた徹夜したんですか~?」
そして、まことさんはのんびりと、だが明白に言った。ぼくの一縷の望みは即座に断裂した。そして、その時が始めてぼくがマーズ・エンターテインメントの親玉と顔を合わせた事も意味していた。
「おうよ、只今59時間継続行動中だ! おっちゃん、そろそろ人間やめられるかも知れんぞッ! ぬはははははっ!」
社長と呼ばれた男は、決して世間様には誇れないであろう自慢を満足そうに言って豪快に笑った。「今日はうちの稼ぎ頭(予定)に発破をかける為に激励に来たぞ。ようやく三人体制になったわけで仕事にも厚みを持たせられるようになったからな」
それはそれはご丁寧な事で。『イーリス』の三者をそれぞれ睥睨して――うわぁい、特にぼくには特大のウィンクのおまけつきだ――社長氏は大仰に胸を張った。大企業のそれならいざ知らず、中堅以下のショウビズ社員は乾いたボロ雑巾をさらに捩じられる悲惨な待遇に甘んじているらしい。よもやそれが使用者まで及んでいるとは……ぼくの『イーリス』への不信感は指数関数的速度で上昇している。
う~ん、社長業に邁進するお人というのは概して変わりものが多いと聞くが、しかし、う~ん……
「んでシャチョーよぅ、まさか冷やかしで練習見に来たわけじゃねーんだろ? セクハラで訴えんぞ」
そんな風に入社後初めてブラック企業のワンマン社長に出遭ってしまったアホ学生のごとく言い知れぬ不信感を募らせる僕をよそに、人見知り(まことさん曰く)のアニーが勝手知ったる調子で社長氏に話しかけているのは、この男が彼女のお眼鏡にかなう敏腕なのか、呆れ切って突っ込む気力もないのか。
アニーの言葉を受けて、社長は唇だけをゆがませるにま、と不敵な表情を浮かべた。女衒て見た事無いけどきっとこんな笑い方をすると思う、というのがぼくの直感。
「ふふふ……実はな、俺の文字通りの不眠不休の交渉が功を奏したんだ。来月の終りにファントムが合同ライブやるだろ? あれのサプライズゲスト枠取ってきた。喜べ、いきなりドームデビューだぞ」
言葉を受けて、ぼくはアニーとまことさんを見た。二人の表情の変化は大層見ものだった。
電池切れを起こしたように顔面に3点を打っていた二人が顔を見合わせ、パチパチ目をしばたたせ、轟然と胸を張った社長に視線を移動させ、再び顔を合わせる。次の瞬間、瞬間湯沸かし器が沸騰するように顔面を紅潮させた二人が「うぎゃーッ!」だの「ぎえーっ!」けたたましい叫び声を挙げて踊り上がった。
「とはいっても本公演前の前座枠なんだけどな」との社長の言葉も聞かず、にわかに欣喜雀躍する二人を眺めながら、ぼくは素直に喜べない。確かそれって以前話していた『クルーザー』のデビューライブじゃなかったっけ? 思いっきりライバルの当て馬にされるわけなんだけどー……って、聞いちゃいないな。
「さあ褒めなさい崇め奉りなさい。そして出来るだけ優しくしなさい」「やるじゃねーかヒゲ、伊達にヒゲ生えてねーな」「ムハハ髭は関係ないぞう」「流石です社長~、家庭も健康も顧みずアイドル育成に邁進する手腕、感服いたしました~」「うむ、ありがとう! それ以上言ってくれるな。おっちゃんは泣いてしまうぞ」などと二回りも年の違う小娘たちに容赦なく小突きまわされるのはそれなりに愉快であったが、社長らしい権威の欠片も見出せない様子に湧き上がるのは充実感よりむしろ不安感である。こう見えてもぼくは縦社会の上下関係は重んじる方なんだ。「アットホームな会社です(はぁと」って謳い文句は大概地雷だって相場が決まってる。
「………………」
それと共に、唐突に胸を衝く様な寂寥感が襲いかかってきた。
死の淵から叩き起こされ、新たなる役目を仰せつかった所で、結局はかりそめのものでしかない。アニーやまことさんがどれだけはしゃごうがぼく一人分厚い緞帳の向こうで事態の推移を見守っているというような感覚しかない。それは何もキャリアが少なすぎるとか、アイドル業にいまだに自分の置き場所を定められないと言うばかりではないだろう。同じ阿呆なら踊らにゃ損というが、踊り方を知らぬ阿呆はなんとする?
「君も結成早々の事態でまだ色々飲みこめてないと思うが、どうかよろしく頼むぞ」
そうやってしょげかえればいいのか、形だけでも二人を追従してハイタッチでも交わせばいいのか分からず一人棒立ちになっているぼくに、さりげなく社長が近付いてくる。彼はぼくの肩に手を回しつつ、あのにま、とした不気味な笑顔を浮かべた。多少強引さは感じたが、不思議と不愉快さは感じなかった。きっと彼特有の癖なのだろう。「よろしくな、沖浦工……だったかな? コウちゃんて呼んでいいかな? いいよな? よし、決まり」
この露骨に腹を探ってくるばかりか、そのまま胸までムンと揉んできそうな勢いに辟易しながら、ひとまずこくこくと首肯するぼく。
それからこそりと「俺は流瀬の同士だ。君の身体については把握している」と耳打ちされた。
「そうですか」ぼくは頷く。
「ん、あんまり驚かないんだな。こんなダンディが監視者だと知ったらてっきりもっと取り乱すかと思った」
「驚くのはあの変態技術者との問答で枯れ果てましたよ。ところで、先んじてぼくにそういう事を告げるという事は、ぼくの正体は二人にはご法度って事でいいんですね?」
むふん。社長が奇妙な嘆息を吐いて貧相な顎髭を撫でた。
「察しがいいな。流瀬が太鼓判押すのも分かるよ。ただでさえピーキーな才能を持つ二人だ、変に刺激して余計な方向に曲げたくない」
「ピーキー?」
「ま、それはおいおい分かる。今は新人というまっとうな刺激を彼女らに与えてやってくれ」
そこまで言った後で、社長は未だキャッキャやっているまことさんとアニーに向き直った。例のにま、顔をやった後で拳を突き上げて大音声をがなりたてた。
「それでは! マーズ・エンタテインメント、これからより一層の繁栄を目指して頑張るぞ! えい、えい――
「おぉー!」「は~い」「やってやんぜ!」「……うす」
てんでばらばらな鬨の声が、このグループの将来性を暗示しているようであった。
ちなみに、余談であるが、その鬨の声がビルオーナーの逆鱗に触れ、社長がケツを蹴りまわされる羽目になるのだがそれはまた別の話……
昼間アイドル修業に明け暮れた後に待っているのは、変態女技術者との禅問答である。いやはや、刺激的すぎて泣けてくるね。
「浮かないね」
その日もくたくたになって帰ってきた後で、データ取りするからとMRIの親玉みたいな装置に繋がれた時、傍らでコンソールを弄っていた生出女史がこう喋りかけてきた。
「分かるのか?」
多分、昼間のアニーとまことさんのやり取りが尾を引いているのだろう、表面上では平静を装っているのに、データ上に露骨に看破されるぐらい心根が荒れている事を知り、なんだか悲しい気分になった。いくら取り繕った所で、科学の前では身も心も丸裸にされてしまう。これを屈辱と言わなくてなんとする。
「なんだい、生理かい? そんな機能付けたっけな? いやん」
「んなわけあるか! なんつーこというんだ、仮にも女だろ!」
メンテナンス台から首だけねじ向けてぼくは怒鳴った。生出女史は呑気そうにけらけら笑い声を上げる。
「マーズの社長と会ったんだって? アイツ、あんなナリだけど人を見る目は確かだよ。色々と心配はあると思うがどーんと任せておれ」
「心配だ。果てしなく心配だ。特にアンタが言うと一層心配だ」
「ひどいなぁ、そんな事言うと永久炉停止しちゃうゾ☆」
「死ねよ! いや、死ぬよ! ぼくが! アンタも!」
さらりととんでもない事を抜かす奴である。ちなみに、彼女の言う「永久炉」とは僕の義体の動力源となっている【クライン式逆相転移自由運動粒子鹵獲型複合槽小型常温縮退エンジン】なる仰々しい名称の小型発動機の事で、理論上別純粋物理次元から恒常的にエネルギーを無限に取り出し、スペックノート上ではメンテナンスレスで340年連続稼働が可能なのだとか。
ただし、安定状態以前の起動・停止時の出力調整が非常に困難で一度暴走状態に陥ると周囲100キロ半径を灰燼に帰すとかしないとか。
「フフフ。自らの研究の途上で、研究者として悪名紛々たる災禍を残して逝けるのならいっそ本望だ。自らの愛玩物に縊り殺されるなどフランケンシュタインの再来じゃないか。倒錯的で、実にいいじゃないッッ! 滾るッ!」
「……もういい、アンタに常識的価値観を望んだぼくが馬鹿だった。それと、鼻血を拭け」
そこからしばらく沈黙の時間が続いた。機械の駆動音と生出女史の荒い息遣いと濁々と溢れさせる鼻血の落ちる音以外一切聞こえない。そこでふと、ぼく自身が自発呼吸をしていない事に気付いた。
生出女史曰く、「流石に私にも人体が無意識に行っている機能の再現までは不可能だった。今の君に起こる生理現象は脳の底にこびりついた反射みたいなもんだね。幻肢ならぬ幻射とでも言おうか。その機能を継続するもよし、消去するもよし。君のやりたいようにやりたまえ」。
生体脳には皮膚圧を利用して恒常的に酸素が供給される為に、努めて肺呼吸をしないでもいいそうだ。ちょうど、クラゲやウミウシのようにこの全身そのものが反応器でありまた受容器なのである。
意識して呼吸を行わない限り、微動だにしない胸を見つめていると、ふいにチクリとした痛みを感じた。不思議とそれは恐怖感に由来するものではなかった。ただ、本当にぼくは機械仕掛けの化け物になってしまったんだな、という奇妙な寂しさに似た感覚がよぎっただけだった。
だからこそ、ぼくは身体を起こして訊いた。
「なぁ、アイドル好きとしてだけ聞くんだけどさ。アイドルの魅力って何だ?」
肉体を失ってからこっち、執着心というものが希薄になっている事を実感する。浦木康介だった頃の趣味嗜好はもとより、普通の生き物の欲望である食欲やら睡眠欲やらでさえ不要に感じる事がままある(実際は定期的な糖分摂取が生体脳の維持に直結するので普通の人体よりよっぽど深刻なのにも関わらずだ)。心が凪いだ海の様に穏やかなのである。
見方を変えると、「生存する」という執着心が何一つ見出せないのだ。生きていない、死んでいないだけ――とは誰の台詞であったか?
その中で唯一の例外は『イーリス』の存在である。
トップアイドルになる目標にむきになっているアニーやまことさんを見るにつけ、胸に湧き上がってくる感情がどうにかまだ僕が人間である事を認識させてくれる。
この感情の正体は分からない。羨望、憧憬、連帯意識――あるいは、恋着? いや、正直に言おう。ぼくはこの感情の出自を何かにカテゴライスするのが怖い。先人が定義した言葉に落としこまれて、「なァんだ、そんな事にお前は縋りついてたのか。だっさ!」と看破されることで、ぼくという存在を支えていたほんのちっぽけなプライドも粉々に解体され、本当に「浦木康介」も『沖浦コウ』も死を迎えてしまう事が怖い。『人間』というアイデンティティ、それこそがぼくが今唯一抱える希望であり、同時に恐怖心である。
そんな僕の悩みを混ぜた言葉を知ってか知らずか、生出女史の顔がにわかに破顔一笑に染まった。実に邪悪な笑顔だな、とぼくは思った。
「ほぉ? そりゃ私を誰か知ったうえでそれを訪ねるかい。よしよし、まずはピュグマリオン伝説と偶像崇拝の関連性から……」
「そういう胡散臭いのは民明書房あたりに任せて、簡潔に言ってくれ」
「む……まぁいい。ズバリ、『一生懸命な所』だね」
「はぁ!?」
人体改造をライフワークにするクソインテリにしてはあまりにも凡庸な答えにぼくは呆れた。
「まぁ待ちなよ。年頃の女の子が飛んだり跳ねたり歌ったりした所で、所得が上がるでも国防に役立つでもない。にもかかわらず彼女達の存在は一つの産業として成立している。それもこれもみんな『一生懸命な所をみたい』という不可思議な情動に帰結する。我々も彼女達に負けないように気力をかきたてたくなる。私が研究しているのはそこさ」
「……」無言で顎をしゃくってぼくは先を促す。
「アイドルってのは、要はその社会構造体の生命力を端的に象徴させる偶像なのさ。戦意高揚に映画俳優を配するなんてままある話で、そういう余力をことごとく潰していった社会はどうなったか――空回り(アイドル)。例に漏らさず歴史が証明している。損得勘定だけで世界を回せないぐらいには、人間はまだ進化の途上なのさ」
「縋るべきもの……宗教みたいなもんか」
「上手い事を言う。まさにその通りだね。特に日本なんかじゃ価値観を共通させる宗教が根付いているわけじゃない――天に唾すると罰が当たるとか物を大切にしようとかそういう口伝的なものじゃなくて、もっと確固とした教典のようなものが無い――故に、人々を団結させるために実在の人物を用いるわけだ。刹那的で、流動的で――実に興味深い研究フィールドだと私は考える」
確かに、彼女の考え方には一理あるとぼくは思う。あの、アイドルとしてはまだまだ下っ端である筈の『イーリス』の二人の練習風景すら容易に僕の心をぐらつかせるのだ。
そして同時に、ぼくは理解した。
この生出流瀬という女もまた何かに縋らねばならない一人の人間であると。クッソ面倒な理屈付けをしているものの、彼女もアイドルという存在に一種の神性を見出している。神に禁された人心を蹂躙する鬼畜の所業に手を染めながら、目指す先はその神への恭順に他ならない。ぼくをアイドルとして育成させるという事が、自らへの贖罪、罪悪感の裏返しなのだ。その曲がりくねった真意が僅かながら僕の心を軽くさせ――
「無論、カワユイふとももの到達点がどうなっているの? とか想像させるというお楽しみもあんだけどね! うへへへへ! うへへ、ふひっ!」
「最後で台無しだよクソ野郎……」
即座に枯れ尾花と化し僕の心を重くした。ダメだこのマッドサイエンティスト、早く何とかしないと……
「案ずるより産むがやすしだよ、君。どうせ碌でもない人生だ、流されてみるのも一つの楽しみ方だよ。人生、楽しんだ者勝ちさ」
「勝手にろくでもない扱いしないでくれ……」
はぁ~……――。そうやってお気楽に割り切れればいいさ。実際切羽詰まっている以上そうすべきである事も理解している。
けれど、
ぼくは呻く。
「でも、でもさ……『イーリス』は……あいつらは何にしろ生存競争を勝ち残ってあそこにいるんだろ? それに比べてぼくは出自もでたらめ、身体も作りものときた。あいつらと一緒に轡を並べていいものか判断に迷う」
アイドル研鑽に身が入らないのも、Nx-iDが他人事なのも、畢竟、そういう事なんだろうと思う。よくアイドルの整形手術がどうだと取りざたされるが――そんな次元すら超越した偽物のぼくなんかが本物になろうと奮闘している彼女達を騙してまで一緒にいていいのか。
「自分の所在に理由を求めるか。なかなか面倒なロマンチストだな」
生出女史は煙草を咥えるとコンソールを楽しげに指で弾いた。「ねぇ、君。セレンディピティって言葉はご存知かな?」
「可哀そうな怪物さん(セイレン・ダ・ピティ)ならよく存じ上げている。ここにいるよ、よろしくね」
「偶察性。本来望んだものとは別の価値観が転がり込んでくる事さ。いくら検体が少ないとはいえ、私もめくらめっぽうに義体を与えたわけじゃないぜ?」
「……なにが言いたい?」
「君はどうも周りを気にし過ぎて自縄自縛に陥りがちだな。もっと自分勝手に周りをひっかきまわしても罰は当たらないよ。研究者としても私自身としても、そういう事に期待している」
「…………」
この沈黙は反駁する言葉が無いという訳ではなく、単に彼女が言っている意図が全然掴めなかった為である。
「視点を変えようか」
もうデータ取りはいいよ、とゼスチャで示しながら彼女はどこかおかしそうに濃い紫煙をぼわっと吐いた。「BASARAでの活動は楽しかったかい、ウラキコウスケ君?」
「ぐッ……!?」
ぼくは呻いた。的確に痛い所を突いてくる奴だと思った。考えてみれば、両親を巧みに抱き込んで僕の生存権を簒奪したやつだ、経歴を洗っていたとしても全然不思議じゃない。だからって、よりにもよって一番気恥ずかしい所を土足で踏み荒らすのはどうなんだ!?
「関東走り屋総連合BASARA――大層な肩書を持つが、要は竹槍珍走団だね。全く過去の遺物にすがる馬鹿な集団だと思うが、その馬鹿には出来ない規模をまとめ上げるとなるとなかなか骨だわな」
体中に接続されたコード類を引っぺがしながら僕は憮然と答えた。
「知り合いに頼まれて次期総長が決まるまで半年ぐらいケツ持ってただけだよ。若気の至りの恥の過去だ、忘れてくれ。連中が後でどうなったかも知らないしさ」
「しかし、君が代理総長やっていた半年間、驚くぐらいBASARA由来の犯罪検挙率が下がっている。これはなかなか見逃せない」
「めぐり巡ってぼくに火の粉が飛んでこない為だよ、札付きにはなりたくないから。確かに色々走り回りはしたが……まさか、アンタ、それを材料に強請るつもりじゃないだろうな?」
「それだよ! 私が君に期待するのはそういう事さ。なかなかに君も面倒くさい奴だが、そういう態度ならそれもまたよし、だ」
「何の話だよ……」
わけのわからない問答合戦に急激な眠気が襲ってきた。どうせなら疲労機能もオミットしてくれりゃいいのにさ。
「そいつぁダメだ。私は君の能力が人間を超えないように意図的にリミッタをかけている。君の生体脳部分の保護という意味でもあるけど、疲労も感じず性別からも切り離された存在。ねぇ、君。これが果たして人間と言えるかな?」
「魂の所在の哲学問答なら余所を当たってくれよ。現実の話だ」
一応病院施設なハズなのに、煙草吸っていいのかな。茫洋と研究室内を濃い紫煙で染め上げて、にやにや薄笑いを張りつけている生出女史を眺めるにつけ、漠然としたうすら寒さが背筋を駆けあがってきた。その予感は電子的補助を受けた強化脳を介さないでも容易に連想できる。見たくないなぁとは思いながら視線は早くも天啓を得たり、と瞳を輝かせる生出女史に固定されている。
まずい、特大の地雷を踏み抜いてしまった悪寒……
「ほほう、ほほう。自ら重き荷を負うというか。じゃあ真面目にアイドル行に励むように君にノルマを与えようかな。そうだな~……よっしゃ! 二人相棒がいたろ。2週間以内に連中の私物何か一品ガメて来い! 出来なきゃ体内循環液の供給を止める」
「なんでそうなるッ!?」
補足情報だが、体内循環液は車におけるエンジンオイルと同じものと考えて頂きたい。
液が劣化すれば各部位への伝達が阻害される――即ち具体的にぼくが感じる所の身体疲労と綿密な関連性がある。常に疲労状態のままあの二人に加えて、掴みどころのない社長と生出女史を相手にするとなると最悪、深刻な自家中毒を引き起こしてぼくは死ぬ。
「プレミア付くかもしれないじゃ~ん。やっぱファンとしてはレアなアイテム欲しいじゃ~ん」
「私物の使い道はどうでもいいよッ! どういう経路で泥棒みたいな真似をせにゃならん!」
「私物を気楽に見せるぐらい仲良くなっておいでって事さ。今の君のお客様気分をどうにか払拭しなきゃ『イーリス』の進歩はあり得ない。あっ、使用後のティッシュとかはダメよ。最低ラインはパーンテーあたりだ。フリルついた奴」
「ハードル高過ぎるわッッ!!」
「なぁに、パッと引ッ剥いでパパっとギッちゃえばバレナイバレナイ。それぐらいのスペックは義体に与えているぞ。レッツ、エキサイティン!」
「うるせぇええええええええええええええ!!」
ラボを貫くぼくの雄叫びは、遠く悲しく、悲鳴の様に残響する。生出女史の瞳はマジだった。
もう誰も止められるものはいない。
さて困った。やにわにぶり返してきた偏頭痛にクラクラしながら、果たしてこれも錯覚の反射行動に過ぎないのかとぼくは暗澹たる気分で思った。