第五十四話:過去
逆流するような過去の記憶の渦に喘いでいると、唐突に自分の中に別の何かが割り込んできた。
『手伝おう。お前の力を見せてくれ。』
脳に直接語りかけられたようなその感覚に不快感を覚えながらも、意識が離れていくのを感じた。
ここは──?
「よっ!待った?掃除長引いちゃってさ。で、何かあった?それとも、あの占いばばぁ気にしてんの?元気無いじゃん。」
ハキハキと喋るその人は、肩ぐらいの髪を一つに束ねた女性と呼ぶにはまだ若い人だった。
その人が話しかけている人は、全く同じ机と椅子が規則正しく並べられた、無機質な部屋に座っていた。その人が話しかけると、細長い機械を器用に扱っていた手を休め、ニヤリと笑った。
「どうせ、また松やんとやりあったんだろ〜?ほどほどにしとけよ?」
軽い感じだった。
「なんだよ〜っ。だって松先の奴…私を目の敵にするんだもんよ。卒業する前にぜってー、一発殴ってやるんだ!!」
そう言うなり、パンチの真似をして、にっと男に笑いかけた。
「恐ろしいやっちゃな〜っ」
男も立ち上がりながら笑う。
黒で少し長めの髪がフワフワと揺れた。
髪の色が違えど、間違いなく。
ディアス……そう。まさに自分に違いなかった。
不思議な気分だった。
今自分は確かに目の前にいるその人と会話を楽しんでいる。だが、少し離れた場所で、2人が会話しているのを傍観している自分もいる。
目と脳を共有した自分が2人いる感覚。
「で?何かあったんでしょ?」
とたんディアスの顔から笑顔が消えた。
「お前さー……俺のどこが好き?」
はぁ?と見返したが、ディアスは大真面目だ。
「そういう事真面目に聞くかな……んー……そうだな…。ありきたりだけど、優しいとこ。………あ…あんたの優しさはさ、」
軽く顔を赤らめるその人をからかうように、ディアスはその人の顔をのぞき込んだ。
「そこら辺にいる上っ面の奴らとは違くてさ、……なんて言うかさ…本物なんだよ。私はそこに惚れたんだ。」
照れながら自分を見るその人が愛しい。
脳の中に伝わる。愛しくて愛しくて。何にも代えることは出来ない…全てをかけても守り通したいこの気持ち。
──今なら分かる。思い出した。そうだ俺は……
「たまにはお前もいいこと言うなぁ。」
「なぁんだよーっ!あんたが言えっつったんじゃん!!あー恥ずかし…」
「可愛いなぁ眞殊は。」
──マ…コト…そうだ…そうだ眞殊だ。こんなに…こんなに愛しかったのに…守りたいと思ったのに……俺は…俺がしたことは──
「ひっ…だっ…だって──」
「……ま…眞殊?」
唐突に目の前に広がる場面が変わった。
無機的な背の高い建物たちが次々と、煙と音と、悲鳴を上げて崩れていく。
自分はそれを遠くから、薄暗い建物の隙間から見ていた。
腹の辺りがどんどん痛くなる。足が震えて体を支えることができず、壁により掛かっり、ずるずると座り込んだ。
手探りで腹部を調べると、ドクドクと何か流れていた。
──血…だ…
自分はこの光景を知っている。次に何が起こるかも分かる。
──嫌…だ…………見たくない!!
「眞…殊…?なんで…」
視線を上げると、ガタガタと震えながら、血塗れの包丁を握り立っている眞殊がいた。建物の崩壊をバックに立つその姿に、世の終わりを感じた。
「だっ……あんたが……あんたがいなければ…死にさえすれば、みんな助かるんだろ!?私は……私は守りたい!父さんを母さんを!!まだ生きてるみんなを!!だから!!」
──その先を言わないでくれ!!
「お願い!!死んで!」
「ま……こと……」
眞殊は息を切らしながらディアスによろよろと近づいてくる。
「お前の…守りたい奴の中に……」
ディアスの頬に涙が流れる。
「俺は……いないのか──?」
眞殊はディアスの目の前に立った。背後では絶望的な叫び声と、崩れる音と、掲げられた、血で真っ赤に染まった包丁。
──止めろ!!!
「あなた一人と……父さんと母さんと、みんなと……選ぶなら私…は……」
──やめてくれ!!!!!!!
「私はあなたを殺す!!!」
ディアスはふっと笑いがこみ上げてきた。
所詮は…こんなもんなのか と。
同時にこみ上げてきたものは、死にたくないと言う、動物の本能に近い感情だった。
気が付いたら、立っていたのは眞殊ではなく──ディアス自身だった。
自分の手に残る、感触。まだ包丁から滴る血液。茫然と逃げ惑う人々の悲鳴をただ聞いていた。
「殺したのか。」
聞き覚えのある声が背後からしたが、振り向くより先に、膝が地に突いた。
「生きることを選んだか……それもいいだろう。」
背後で、布の擦り切れる音がする。
「ふむ…思ったより、いい死に顔をしておる。」
後頭部を掴まれた。
「何よりも愛しい相手を殺すほどに生きたいなら、生きるがいいさ。」
頭がぼんやりと、視界も霞む。悲鳴やらなんやらで辺りは、騒音の渦であるはずが、不思議と、声ははっきりと耳に入る。
「だが、この世界を壊されるのは困る。ここにはまだ、用があるのでな。だからお前には、お前の力に耐えうる世界を与えよう。」
目の前の風景が歪みだした。
「その世界で、一からやり直してみろ。お前の力を受け入れてくれる、その世界で──」
ふっ…と意識が戻った。
──どこだ…ここは。
目だけで、辺りを見回した。建物が崩れ、木片が散らばっている。近くには森か林か。木が茂っている。
──あぁ…そうだ…龍騎と…闘った…
ふと、手元の寂しさに気が付いた。
──武器…
地面から伝わるモノがあって、手をかざしてみた。活きよい良く飛び出したのは、握ればしっくりくる、巨剣。
──なる程。確かにこの世界は俺の力に耐えている…が…
自分と似た強い力を感じた。自分の他にこんな強力な力が存在していては、この世界もいつか崩壊してしまうかもしれない。
──消しとくか。
不思議と、自分の持つ力を理解していた。使い方も御する方法も、頭にある。
だから試しに使ってみたいとも思った。
軽く足に力を入れただけなのに、ずいぶん高く遠くへジャンプできる。
このまま、力のある方へ向かうことにした。
自分が、この世界で生きるために。あの世界でできなかったこと。それをするために。
人を愛しいと思う気持ちを表現するのって、難しいですね…。