第五十二話:加護
地面には爆弾でも落とされたかのような、窪みが数え切れないほど存在し、木・草・花が丁寧に手入れされていた、美しい森が今では見る影もない。
暗闇の中、月明かりに照らされた赤黒い染みが、ここで何があったのかを、鮮明に語っている。
ついさっきまで、国中の視線を集めていた、眩しすぎるあの青白い光は、今は見られない。
「…白竜様…」
白卦に不安げに見上げられた片腕の女性は、変わり果てた森を見渡している。
「…飛那様…でしょうか…?それとも…」
白竜は答えず、たまにしゃがんだりしながら何かを探すように辺りを見回す。
「……白竜様…?」
白卦は軽くため息をつくと、白竜のように周りに目を向けてみた。すると、一つの人影が、こちらに向かってくるのが見えた。
「白竜様人影が…」
白竜は白卦の指差す方を向いた。
──黒磨だった。
「白竜様!!!大変でございます!!!飛那様が向こうで、何者かに襲われているようです!!私では太刀打ち出来ません…白竜様どうか飛那様をお助けください!!」
そう言った黒磨が示したのは、北東の方角だった。
「飛那様が?」
「はっ。どうかお急ぎください…!!」
すると、タイミング良く北東から巨大な噴煙があがった。
疲れたように、その場に座り込んだ黒磨を置いて、白竜は白卦を連れ、北東へ走り出した。
白竜も白卦も姿が見えなくなってから、黒磨はゆったりと立ち上がった。
そして北東を申し訳なさそうに見、自分の手の中から、地面に何か落とした。それは起爆スイッチだった。
黒磨はその真逆にあたる南西に目を凝らした。すると、だいぶ離れた場所なのだろう微かだが、そこから噴煙が上がった。黒磨は険しい表情をすると噴煙が上がった場所目指して走り出した。
「っ……ぅあっ!!!!」
魔力の塊によって折られた木の欠片が飛那の肩を貫いた。
ついさっきまで、龍王との死合いを繰り広げたばかりの飛那は、もはや避けるだけの体力も無い。
息も絶え絶えに、それでも、マナミに何があったのかを必死に思っていた。
──何かに取り憑かれたか、操られたか、もしくは、力に目覚めたか…
だがマナミには目覚めるような力を持っていたとは思えない。飛那は、何かしらの力──それを隠していても、封印していても、気づいていなかったとしても──を持っているか否かが何となくわかるのだ。だが、マナミには何も感じなかった。マナミは本当にただの人間だったはずだった。
では、何者かに操られて…?だがしかし、こんな巨大な力を操ることの出来る術師が今のこの世に存在しているだろうか?
やはりマナミは何かに取り憑かれているのだろうか。
しかし何故今になってマナミに取り憑いたのか。そして何故自分を攻撃するのか。何故‘今’なのだろうか。
──マナミとは長い間共に旅をしてきた。取り憑いて私を攻撃する隙はたくさんあったはずだわ…それなのに、なんで今なの…?
──龍王の…加護?──
最近世に放たれた力。人に取り憑く。
龍族に使われることを疎んでいたとしたら、自分を狙う理由にもなる。
「マナミ?あなたマナミなの?」
再び魔力を放とうと、右手に力をためていたマナミに飛那が問う。
「勿論ヨ。私はマナミよ。」
マナミは相変わらず飛那の泣きたくなるような笑みをこぼす。
「本当に?」
飛那は、木片が肩に刺さったままマナミに問いかける。
「飛那には、私がナニに見えるの?」
「加護…あなた龍王の加護でしょう。」
マナミは黙り、右手に力を溜めたまま、血だらけの飛那を見つめた。
「何故マナミに取り憑いたの。マナミにあなたの力は強すぎる。分かるでしょう?さっきまであんなに光っていたのに、今ではもう消えてしまっている。マナミの命が陰ってきたからなのでしょう?今すぐマナミから離れて!」
少しの間の間、マナミは口を開いた。
「…へぇ…あんた賢いんだ?なんで分かった?…加護って。」
飛那は、自分の考えを話す。飛那が話を進めていくうちに、マナミの表情に驚きが浮かんだ。
「へぇ〜大したもんだなー。無駄に長く生きてないな。」
「マナミから離れて。このままだとマナミがもたないわ。」
マナミは首を振った。
「それはヤダよ。イヤだ。」
「なぜ…」
「…だって…自由にしてくれるって…約束してるから。」
「自由の約束?一体誰と…何の?」
マナミは視線を泳がしながら、不安げに迷いながらも答えた。
「……父上と…。飛那を殺したら、体をくれるって…そうしたら、もう誰にも使われることがない、お前は自由になれるって……だから…」
「父上…って?」
マナミはどうしようかと、叱られた子供のようにキョロキョロとしている。
「──まさか…龍王…?」
「…ひっ──っ!!!」
マナミは何か恐ろしいものを見たように、体を縮ませた。
飛那は目を見開いたまま、現実を受け入れられないのだろう。マナミを見るばかりだ。
「…嘘でしょう…龍王が…なんで…」
──今まで、この国を見守ってきた龍王がなんで私を殺そうとするの?
「…なぜ…?なんで…?龍王…」
「…父上は…国が欲しいって…」
飛那は、えっ?とマナミを見る。
「全ての国を自分のものにしたいって…」
「…全ての…?…世界?この世界が…欲しいって?」
なんで今更。
──なんで今更!!!
「…あなたは…あなたはそれでいいの?自分の自由と引き替えに、人二人を殺して」
──私とマナミの命を引き替えにして
「本当にそれでいいの?」
「……だっ…もういやだったんだ。」
飛那は、マナミを見やる。
「だって、私を使う奴ら…みんな人を殺すんだ!!王のくせに…王って呼ばれてるくせに自分の民を殺すんだ!!!憐雅も…憐雅は違うと思った。優しくて、頭良くて。私を滅王から離す手伝いしてくれた。でも!」
飛那は、知らず知らず、自分の腕を握った。
そうだ…要王は…要王も──
「外と変わんなかった!憐雅も民を殺した!!あんなに…たくさん!!…もう…私はもうそんなことに自分の力使われるのイヤなんだ。それに…今まで散々人殺してきたんだ…二人くらい殺したって…。自由が欲しいんだよ!!私は…私は物じゃない!!ただの‘力’じゃない!」
マナミは瞳に悲しみを映す。
「マナ──ぅっ!!?」
話終わる前に、飛那を何かが貫いた。
「?飛那………──父上っ…!?」
飛那の後方から、銀髪が美しい、たっぷりとした白い服を着た……龍王が歩いていた。
龍王はそのまま、倒れた飛那の隣を歩き、マナミの正面に立った。
マナミは顔色無く、龍王の顔を見ることが出来ないのか、軽くふるえながら地面を見ている。
マナミの両肩に龍王が両手を置いた。
マナミはビクリと体を震わせると、恐る恐る龍王と目を合わせた。
そんなマナミに龍王は、形の良い笑みを浮かべた。
「予定が変わった。飛那の他に殺して欲しい人物がいる。やってくれるな?」
マナミは目を見開く。
「父上!!話が違います!!」
龍王は笑顔のまま、マナミをみる。
「話が違うのはどっちだ?飛那に話したのだろう?だから、もう一人殺してくれれば許してやると言っているのだ。」
マナミは怯えながらも龍王にすがりつくような視線を送った。
「その人物を殺したら、本当に自由にしてくれるんですか…。」
「無論だ。」
「……あなたからも…?」
優しい…優しい笑みだった。マナミはその笑みを見ると、すぐさま、その人物とやらの所に行こうと、龍王を見た。
だが、龍王は、その笑顔のまま飛那を示した。
「では飛那を殺しなさい。それから、向かうとしよう。」
飛那はさっきあなたがやったのでは、と問いかけるように龍王を見た。
「急所は外してある。止めは‘マナミ’がしなさい。」
「なんで…」
「仲間同士殺し合った。で済むからな。」
マナミは息を飲んだ。
なんて用意周到な…人望ある飛那を自分が殺したら、龍王国民の反発を呼ぶ。だから仲間に憑いた自分に止めをささせる。
こんな父上を信用していいのだろうか──?
龍王に促されながら、飛那の側に座った。
飛那は虫の息と言うにふさわしい状態だった。微かな息づかいもいかにも辛そうに見えた。
「さぁ。早くやらないと、飛那の体力が回復する。」
マナミは自分の右手に魔力を集め、飛那の額にかざした。
「…マ…ナ……」
飛那は弱った瞳でマナミを見る。
「何を躊躇っている?早く殺しなさい!!!」
マナミは思わず飛那から目を背けた。
「ゴメン」
飛那は目を閉じた。
マナミは右手に溜めた魔力を飛那の額めがけて解放した。