第五十一話:色彩
シアは落下しながらも、目を閉じ、魔力を自分の行きたい場所へ向けた。集中力が一番高まったとき、シアは跳んだ。
確かな地面の感触が足に伝わる。
どうやら無事跳べたらしいと、息を吐き、ゆっくり立ち上がり、周りを見渡す。
背の高い木々に囲まれ、手入れをされていないのか、シアの膝くらいの長さの草が一面茂っている。ここ何年かは人の手が入ってはいないようだ。
「…手入れ…されてない…?」
シアはふと、飛那の言葉を思い出した。
「龍王国には、黒・白・赤・青・緑の一族があってね。黒は軍隊、白は主に国の警備、赤は医療を、青は国の水路や商業の流通、緑は山や林なんかの整備を司っているの。」
「?緑の一族は山や林なんかで何をするの。」
「山や林で異常がないように、見回ったり、建物なんかに使えるような木々を育てるために、枝を切り落としたり。それに、薪や炭なんかも作ってくれるの。森に現れた妖種を倒すのも緑の一族よ。」
「なんか大変そうだね…」
「そうね。彼らは森や山に住んで、たまにしか町に来たりはしないの。自然が好きなのよね。だから──」
──緑の一族がいるから…荒れた森や山や林はない…
緑の一族は要王の虐殺の対象にはならなかったと聞く。
ではここは?この荒れた森は?
シアはあたりを見渡す。
すると一点に何者かが立っている。
袖の長いゆったりとした白い服に身を包み、シアからは離れた場所に立っている。影がかって顔は見えない。
さっき空に浮いていた人物だろうか。
「──貴方が…龍騎ですか?何故私を精鳥から落としたのですか?」
シアを精鳥から落とした人物がシアに向かって歩いてくる。髪は銀。その銀髪に良くはえる白い肌。あまりにも整った顔。何の感情も読み取れない表情。
全身に鳥肌が立つ。髪が逆立った。
本能が警報を発している。
──コノオトコ キケン。
シアはゴクリと生唾を飲んだ。
「…り…龍騎…ですよね?何故…」
「龍騎ではない。」
静かに口を開いた。低音に響く声が腹の底から恐怖を呼び起こす。
「で…は…貴方は…?」
銀髪の人物はふっと笑った。
「さっきの娘はすぐに気づいたのだがな…。」
──娘…?
シアは知らず知らず後退りしていた。
「まぁいい。お前を精鳥から落としたのは、お前に龍王国へ行かせたくないからだ。」
「…でもここは龍王国では?」
「ここは龍王国であって、龍王国ではない場所。私が作った空間の中だ。」
「えっ…で…でも私は確かに龍王国へ跳んで…!!!」
銀髪の人物は侮蔑にも似た表情をした。
「お前の魔力の軌道を変えれば良いだけのこと。お前は本当に私が誰かわからないのだな…。グレイスの巫女の質も落ちたものだ。」
シアは聞き捨てならないとばかりに睨みつけた。
「お言葉ですが、魔力の軌道をズラスなんてそう簡単にできるはず……」
──そうだ…そんな簡単に出来る事じゃない。高い魔力の技術と質が……高い魔力……銀…髪………龍…王…?まさか…まさか!
「まさか!こんなとこにいるはずない!」
──龍王が他人と関わるなんて聞いたことない。
「あなたは誰!!!」
人物は薄く笑んだ。
「龍王……まぁ…より詳しく言うなら、龍王の一部…か。」
「なんで…私に…いったい…何の用が───」
シアが言い終わらないうちに、あの時と似た感覚を感じた。行き場のない、力の爆発。
──ディアス?
シアは力の感じた方を向いた。あの時感じた危機感。
直感で分かる。
──ディアスが目覚めた。
「…大変だわ!止めないと…」
シアは再び跳ぼうと試みた。が、何も起きない。
「…なんで…」
「ここは私が作り出した空間だ。お前をディアスの元に行かせないための。跳べるはずないだろう?」
シアは龍王の言葉の意味をはかりかねている。どういう意味かと、目で龍王に問う。
龍王は無感情で言った。
「あれを止められては困る。世界を我がものにするためには。」
ただ立ち尽くすシアに龍王は続ける。
「やっと来たのだ。我が加護を上回る可能性のある力が。」
シアには話が見えない。
この自称龍王はいったい何を言っているのか。
──世界?世界が何だって?どうしたいって?
「これで、長年の望みが叶う。」
──待って?待って。話に追いつけない。
「…望み…て…?龍王の?」
龍王は底冷えするような笑みを浮かべる。シアは感覚が麻痺し、それに怯えることに体が反応しない。
「この世で最も強き力を手に入れ、世界を我が物に。それが龍王国が出来る前からの我が望み。」
──あぁ…この人絶対龍王じゃないわ…髪が銀で魔力があるだけの他人の空似よ。だって…ずっと待ってたって言うの?ディアスが来るのを?龍王国が出来た五千年前…いや、それ以前からずっと?
「──狂ってる」
吐き捨てるようなセリフに龍王は満足げにシアを見る。
「お前は私の為に結界を張り続けるのだ。お前の母の代わりにな。」
シアは耳を疑った。
「母の代わりって?それ…どういう意味ですか?」
わずかな不安が胸をよぎった。
龍王は無表情で残酷に告げた。
「お前の母にやらせようとしたのだがな。断られた。」
「……で?」
「後々邪魔になるからな。殺した。」
シアは右手を天に挙げ、魔力を集めた。
聖に属する力。
全て込めて。
「お前が………お前だったのか!!」
──お前が母を!!優しかった母上を!!
龍王は軽く息を吐き、仕方なしに右手をシアに向ける。その先に集まる眩しいくらいの魔力。まるで太陽がそこにあるようだった。
「親子ともども愚かな」
二つの力がぶつかった。
その衝撃は凄まじく、何もかも吹き飛ばして。
地面はえぐれクレーターをつくった。
木々は根こそぎ倒され、枝に葉は無い。
人は──一人。衣服に乱れはいっさい無く、唯一、頬に一筋の赤が流れている。しかし、その傷もすぐに消えた。ゆったり辺りを見回し、ふと目を見張った。
木と木の間に出来た隙間に、人がいた。近寄ってそれを抱き上げ、顔にかかっていた特徴的な青い髪を払う。
完全に意識が無いことを確認すると、抱いたまま、その空間ごと、姿を消した。