第三十四話:陰影
すぐに出れると思った。
術師専用の牢屋なんてたかが知れてると思った。
こんな所さっさと出て、マナミを探すつもりだった。
でも、思った以上に魔力の回復は望めなかった。
聖水の効果のすごさに、ただ感心するしかできなかった。
……誰がこんな高度な魔法陣を描いたのか……聖水をここまで有効に扱える魔法陣を描ける者などそう簡単には存在しない。古代の賢者にでも描かせたのだろうか?
イシズはぼんやりと聖水に囲まれた、異常に広い牢屋でぐったりと、そんな事を考えていた。
牢屋の鉄の棒の格子の入口から牢番兵の声がした。
「これはルシアさん。ご苦労様です。」
「イシズの様子はどうだ?」
牢番はルシアと親しげだった。
「相変わらずですよ。とても大人しくて手が掛からなくて、我々も楽です。」
ルシアは兵の軽口を軽く笑った。
「でも、気を抜かない方がいい。王が要注意人物として扱っているんだからな。」
牢番はルシアの台詞を冗談にとらえたのか、笑顔を返した。
「こんな小さい子供にそんな力があるなんて、まだ信じられませんよ。ここに入れるほど、本当に強い魔力を持ってるんですか?」
ルシアはわざとらしく首を傾げた。
「さぁ……それは」
おもむろにイシズの方を向き笑顔を作った。
「本人に聞くしかありませんよね。我々ただの人には分かりませんから。」
イシズは軽く目を開けルシアを感情のない目で見た。
この眼鏡の男が来たのはこれで三回目だった。
ルシアは牢番兵を下がらせた。イシズと話をするときは常に人払いをしていた。
「やぁ。元気ではなさそうだね。君はここから出たくはないのかな?」
イシズはにっこりと笑んだ。いつもどうりの笑顔だ。
「もちろん出たいよ。でも、あなた達が出してくれないじゃない?」
ルシアも笑顔だ。
「これは心外ですね?私はいつでも出すと言ってますよ?」
イシズは笑みを崩さない。
「勿論私の質問に全てきちんと答えてくれたらの話ですが。」
ルシアとイシズの笑顔合戦になった。どちらも型通りの笑顔を崩さず、目を合わせたまま微動だにしない。二人の空間だけ氷点下まで下がったようだった。
「きちんと答えてくれるまで何回でも聞きに来ますよ。」
イシズはわざとらしい子供ならでわの可愛らしい声で聞いた。
「僕何を聞かれたか忘れちゃった。聞いたそばから忘れちゃうんだよね。ほら、僕バカだから。」
ルシアはかろうじて笑顔だ。
「何回でも言いますよ?まず一つ、飛那と出会う前は誰と何をしていたのか。」
イシズはにっこりと可愛らしく笑う。
「そんな昔の話覚えてないよ。」
ルシアは淡々と続けた。
「二つ、その膨大だと思われる魔力を抑える方法を誰に習ったか。」
「だから、飛那だってば。」
「ではその方法は?」
「知らないよ。私寝てたから。札でも使ったんじゃないの?」
「…三つ、お前は何だ?」
イシズは首をひねった。前に受けた質問と違かったのだ。
「……何故、聖水が効いている?聖水が効くのは、妖種と魔に属すものだけのはず──」
ルシアは息をのんだ。イシズの笑顔の奥の闇を見つけてしまったのだ。深い深い───闇を。
しばらく沈黙が流れた。
ただの沈黙だった。
ただ、耐えるだけの、視線が外れるまで耐えるだけの、本当に、ただの沈黙だった。
「全く……なんてガキだ…」
牢屋にしてはきれいに整えてあり、小さいが、格子の入った窓もあり、机や椅子、トイレや風呂の部屋が用意されている。地位の高い者が入るような牢屋に、慣れた様子でルシアが腰を下ろした。
「…本当にどこで拾ってきたんだ?あんなかわいげのないガキを。」
ルシアは無意識に握っていた両手を開いた。手のひらには大量の汗がにじみだしていた。
──確かに…ただのガキではない…
軽く息を飲んだ後、ごまかすように、明るい声をだした。
「あんたもそう思うだろ?」
ルシアは窓の側にあるベッドの上で膝に顔を当てて小さくなっていて、腰まである黒く長い髪の女性に目をやった。
「なぁ?マナミ?」