第三十三話:呪詛(2)
飛那が木にしがみつき耐えていると、突然風が止んだ。
飛那の目の前に浮いていたのは、龍にしては小さめな、それでも、飛那の三倍はある漆黒の、翼と長い尾のある龍だった。
興奮気味に長い尾を振り回し、周りに生えていた木々をなぎ倒しては不満げな唸り声をあげた。
「飛竜!!止めて!目を覚まして!!」
漆黒の龍は飛那の声に見向きもしなかった。力の限り尾を振り回し次々と木々を倒していく。その姿はまるで、有り余る力を持て余しているようだった。
「飛竜!!!止めて!!この森がダメになってしまうわ!!」
漆黒の龍は全く聞く気がないようだった。鋭い爪のある前足と尾で次から次へと木を倒していく。
飛那は、飛び散る木片や枝、葉を避けながら叫んでいた。
「飛竜!!!!!いい加減になさい!!!!止めろと言ってるのが分からないの!!!!」
姉の怒りの腹の底からの叫びが聞こえたのか、漆黒の龍は動きを止めた。
「飛竜。目を覚ますのよ。」
自分の真下でキャンキャン叫んでいる飛那がうるさかったのか、飛那に向かって蚊を潰すがごとく尾を振り降ろした。尾が地面にめり込み、漆黒の龍は、満足げに、再び木を倒しにかかった。しかし…
「飛竜…私が分からないの?」
潰したはずだったものが場所を移動して、まだ叫んでいる。
漆黒の龍は思わず笑んだ。
──手応えのありそうな獲物、見つけた……。
まさにそんな獰猛な笑顔だった。
「……飛竜──」
漆黒の龍は巨大な翼で風を巻き起こし、飛那がよろけたところに、尾を振りかざした。再び地面に尾がめり込んだ。今度こそ潰れたかと思われたが、飛那は、見事にかわしていた。
漆黒の龍は嬉しげに叫び声をあげた。
──面白い獲物…見つけた。
飛那は必死に飛竜の自我を呼び戻す方法を考えていた。しかし、力を抑える方法をを知らない子龍のリミッター(抑制札)が外れると、龍の性に自我を飲み込まれ、自我を取り戻すことは難しいといわれている。しかも飛竜はただでさえ龍の力が強い。自我を取り戻すことはまさに不可能に近かった。
しかし飛那は叫び続けた。
「飛竜…止めて?姉の私が分からないの?」
漆黒の龍には飛那の悲痛な声は届かない。龍はそのまま飛那に向かって急降下しながら、牙の生えそろった口を開けた。
凄まじい衝撃が地面を襲った。平らだった地面は無惨にえぐられ、近くにあった木は根本から倒された。そんな凄まじい攻撃を受けた飛那は───
「はぁ…はぁ…っく…」
右手で押さえた左二の腕から血が流れ出ていた。腕だけではない。左ふくらはぎにも鋭い切り傷があり、血が激しく流れていた。 出血が多いので、あまり時間をかけすぎると、飛那がもたなくなる。
それでも飛那は自我を失った弟に呼びかけた。
「飛竜。お願い目を覚まして…私が分かるでしょう?飛那よ?あなたの姉よ?」
漆黒の龍は少しイラついたようだった。
飛那のいる場所に尾を乱暴に振り回した。飛那はやっとの思いでそれを避けたがぐったりと木に背を預けた。血を流しすぎて動けない。
漆黒の龍はすかさず動けない飛那に向かってきた。飛那に避ける力は残ってはいない。攻撃の札を使えば、龍を追い払うことぐらいはできただろうが
──飛竜を…傷つけたくない…
飛那は猛スピードで自分に向かって飛んでくる龍を避けるでもなく、攻撃するでもなく正面から受け止めた。
死を目の前にしながら、飛那は笑顔だった。
「飛竜…一緒に帰ろう。」
──父上と母上のいる場所に。
死んだと思った。
これで終わりなんだと思った。
全て中途半端でこの世を去るのかとそう思った。
でも───
「──飛竜……?」
漆黒の龍の牙は飛那の真上の木をかじり、鋭く長い爪は、地面に刺さっている。そして、泣きたくなるほど悲痛な唸り声をあげていた。
飛那は、そっと龍の首に抱きついた。
「飛竜…頑張るのよ…」
しばらく漆黒の龍は苦しげに唸っていたが、突然飛那を突き放すと飛那の側から離れた。長い尾と前足の爪で近くの木々をがむしゃらになぎ倒した。そして両前足をふりあげるとそのまま───
「!!!飛竜!!!」
長く鋭い爪は漆黒の龍の胸元を貫いた。爪を抜くと、雨のように血が飛び散った。龍はそのまま地面に落ち、光を帯びた。
飛那は霞む目で龍の元へ駆け寄った。
龍は強烈な黒い光を放つと、血だらけの飛竜の姿をかたどった。飛那は飛竜を仰向けに抱きかかえた。飛竜はうっすらと目を開けた。その目に、大粒の涙───
「…ごめんなさい…ごめんなさい…」
──傷つけて…迷惑かけて──
「…ごめんなさい…」
泣きじゃくりながら、謝り続ける小さな弟をしっかりと抱きしめた飛那は、笑顔だった。
「よく戻ってきてくれたわね…頑張ったね…えらいわ。さすが私の自慢の弟よ…」
優しい姉の声に飛竜は一瞬驚いたように体を強ばらせたが、すぐに飛那にしがみつき、嗚咽を漏らした。
飛那は素早く飛竜の髪を札でまとめた。今度は燃え落ちることなくしっかりとくくることができた。
「飛竜もう大丈夫よ。安心して…」
飛竜はしばらく泣いていたが、泣きつかれたのか、いつの間にか眠っていた。飛那はしばらく木に寄りかかり、飛竜を抱いたまま目を瞑っていた。すると、横から足音が聞こえてきた。あまりにも堂々とした足取りだった。
この森には自分達以外は入れないはず。いったい誰だろうと、飛那はまぶたをあけた。
飛那の目に入ったのは、薄いマントを羽織った180センチはあろうかという背の高い男だった。白くフワフワした髪と黒い目が目に付いた。
「……人?何故ここに…?」
「あんたが…飛那さん?」
男はほぼ確信したように、飛那の名を呼んだ。
「…申し訳ないが…私はあなたを知らな──」
男はおもむろに革の袋を取り出し、中から美しい青い糸を束ねた物を飛那に見せた。
飛那の様子が変わった。
「こ…れは…」
「これを見せれば信用してくれると言われたんだけど??」
「何故…あなたが…シアの髪を持っているの?」
飛那は混乱したように男を見た。
男は満足そうに笑顔を見せた。
「シアに頼まれて来たんだ。あんたは、加護を探しに旅に出る。でも自分は行けないから、代わりに行ってくれって。これを見せればきっと信用してくれるからって。」
飛那は泣きそうな顔になった。
「あなたと…シアの関係は…?」
男は照れたように頭をかきながら笑った。
「出会ってから『三度』命を救われたんだ。俺はあいつに受けた恩を返したい。そう言う関係。分かってくれっかなぁ〜」
飛那は一瞬目を見張ったが、すぐに笑い出した。
「なんだよーっあんたも笑うのか〜?」
飛那はしばらく笑っていたが、すぐに力無くぐったりとした。
「…なぁ…飛那さん怪我してるみたいだけど大丈夫なんかい?」
飛那は力無く首を振った。
「うっし!!!んなら、俺が近くの村まで運んでやんよ。ほれ、おぶされよ。」
飛那は、飛竜を男の背中と自分で挟むようにして男の背におぶさった。
「──?これは…剣?」
男はマントの下に160センチほどある大剣を背負っていた。
「ん?あぁ。悪いなぁ、居心地悪いかもしんないけど、我慢してくれっか?シアから絶対に手放すなって言われてんだ。」
男は困ったように頭をかいた。
「……あなたの名前を聞いても?」
男は少し肩をあげた。
「ディアス」