第三十一話:仇敵
光の出先は覚えている。
今走っている方角も合ってる自信はある。
飛竜を逃がす体力ならまだ余裕がある。
問題は、まだ光の出先に龍騎がいるかどうかだった。
走っても走っても、飛竜の影も形も気配すらも感じられなかった。いくらなんでも、飛竜の足にしては速すぎる。あの小さなコンパスと、まだ未完成な体力で、いったい──どこまで……
「遅いよ。」
真後ろで声がした。決して聞き間違えることはないこの声。光の出先にはまだ距離があったので虚をつかれた。
反射的に振り向こうとしたが、一瞬で首を掴まれた。掴まれたと言っても、優しく挟むと言った感じだったが、手の主が軽くひねれば、自分の首などあっと言う間に落とされるということを瞬時に飛那は理解した。
…だから、動くことができなかった。
「ねぇ…ずいぶん遅かったよね…何でもっと早く来てくれなかったの?2人でずいぶん待ったんだよ。」
飛那は胸騒ぎが止まらなかった。
──2人…
「ここに飛竜が来たのですか…どこにいますか?」
飛那の質問に返答はない。
「もしかして王位を捨てる気なのかと心配したよ?でも、来たね。」
ここには、人の気配がない。飛竜はここにはいない。では──いったいどこに?
「飛竜は…飛竜はどこです?」
「あぁ…でももう少し早く来てくれれば良かったのに…そうすれば、加護が去るのを間近で見た飛那の絶望に歪む顔を見せてさしあげることができましたのに……」
飛那は訝しげにゆっくりと後ろに目をやった。
「…龍…騎───」
飛那の目に映ったのは──
「ですよね?──主?」
あまりにも美しいその顔に絶世の微笑みをうかべ、白く華奢な腕にしっかりと抱かれた白い毛の生えたもの…………憐雅──見つからなかった要王の首だった。
血の気が引いた。
龍騎は視線を要王と飛那の間でさまよわせた。
「一番辛い事って何だろうって、主と2人でずっと考えてた…。」
飛那は父親の…あの時の…自分が殺したときと変わらない顔から目を離せなかった。
なんて穏やかな死に顔……あの時見た血の海に浮かぶ、飛那を…世界を呪うようなあの表情はもう感じられなかった。
「泣き叫ぶような拷問をする事?大切な人を目の前で殺す事?大切な物を壊す事?違う……どれも甘い。」
飛那は龍騎の方へゆっくりと目を上げた。
龍騎もまた、飛那の方へゆっくりと目を上げた。
「殺すことが…壊す事が辛いとは限らないと思った…だって主はあんなに大切に育てたこの国を、側近をあんなにあっさり壊されたんだもの……」
飛那の首を持つ龍騎の手に微かだが力が入った。
「だから思った…飛那自信から何か奪おうって…私から主を奪ったのと同等もしくは、それ以上のもの…。そうしたら…一つしか思いつかなかった…それが──」
飛那と龍騎の視線がぶつかった。
「──龍王の加護。」
飛那の目に力が現れた。飛那の苦しむ姿が見たくて、加護を飛ばしたと言うのか。こんなただの私怨で……龍王国の民を苦しめるようなまねをしたというのか。こんな…
──私怨に生きるただの人なのだ。
そう…言ったのは龍騎の主だった。
「民を…苦しめてまで…私に辛い思いをさせたいのですか?」
その時の龍騎の顔たるや…もし存在するなら、魔王も裸足で逃げ出していただろう。その壮絶な笑みたるやどんな言葉でも言い表すことは出来なかっただろう。
飛那は全身の毛が逆立ち血液が逆流したようだった。
この笑みを見ても失神しなかったのは飛那だからこそだろう。
「私は許せないんだ。私から主を奪ったおまえ達が。」
龍騎はそう言うなり、飛那を木に押しつけ、首を絞めた。
息が吸えず、苦しそうに両手で龍騎に抵抗したが、力ではとても勝てなかった。飛那の意識がどんどん遠ざかる。後一歩で意識がなくなろうとしたその時、龍騎の恨みのこもった手が首から離れた。
飛那は激しくむせかえりながら、木に手をつきながら地に両膝を着いた。
「飛那。見て。これ傑作でしょう?」
飛那は苦しそうにむせながらも、声の方を見た。
「私からまた主を奪おうとしたから、殺してやろうと思ったんだけど、ね?」
飛那にはもやは顔色がない。
「まさかね。殺せないなんてびっくりしたよ。」
龍騎の示す先にあったのは、木に張り付けにされ、ひどく殴られ、顔に青いアザを何個も付け、腕も折れているのか、あり得ない方向に曲がり、腹には刀に似たものが刺さっていて足下には血の水たまりができた───
「ひ…りゅ…う………!!!!」
龍騎は感情の無い笑みを飛那に向けた。
「私から…主を奪うことは───許さないよ。」
──絶対に。