第二十九話:長老
飛那は、事の次第を龍王国の上方に知らせるため、龍王国に戻るときのために付けておいた目印にそって森の中を走っていた。
因みに上方とは要王亡き今実質龍王国の政治を行っている者達の事を指すが、今は要王が多くの側近を殺してしまったため、人が全く足りていない状態だ。白龍を含む五竜も上方に含まれる。
空が徐々に青みをおび始めた頃、飛那は森の入り口近くで、優しげな笑顔の腰が曲がり杖をついている老婆と白竜と二人の、側使いらしき者達数人いるのを見つけた。
飛那の姿を見つけた白竜はこわばった顔をして、飛那が森から出るのを落ち着きなく待っていた。
飛那が二人の前に近づくと、白竜が何かを話そうとした。が、老婆がそれを制した。
「飛那様、ご無事で何よりでございます。」
深々と頭を下げながら丁寧に礼を取った老婆を飛那は、不可思議なものを見るようにした。
「……上方の長老がこんな所でいかがされました?報告なら、龍王国にいてもあなたの耳に入りましょう?」
長老は柔らかく笑みながら静かに答えた。
「なにぶん、せっかちな老婆なもので…。飛那様と龍王様のご様子が気になって気になって…」
長老はゆったりと丁寧に話す。まるで、長老の周りだけ時がゆっくり流れているようだった。
「それで、龍王様はご無事だったのですね?」
突如として長老から緊張が走った。たった一瞬であの穏やかな老婆から柔らかいものが消え去った。
飛那は長老にうなずいて見せた。
「ええ。ご無事でいらしたわ。ただ、私が行く前に龍騎が龍王に戦いを挑んだようだったけれど大丈夫のようだったわ。」
「り…龍騎が?…龍王を?」
白竜の呟きを気にする様子もなく長老は飛那に続きを促した。
「私が見た光の正体が分かったわ。あれは、加護だったのよ。龍騎が加護を国外へ飛ばしてしまった。加護が見えるのは私以外にいないから、すぐに探しに行ってくるわ。」
飛那が走りだそうとすると、長老がまた静かに飛那を制した。
「他には何もなかったのですか?」
飛那は長老の背中に話した。
「他は――…急いだ方がいいとおっしゃっていたわ。それだけよ」
そう。と長老が飛那の方を向いた。
柔らかい笑顔を向け、改まって飛那に礼をとった。
「それでは、こちらにもご報告したいことがございます。飛那様。」
「な…何───」
飛那はこの長老が少し苦手だった。めったに人前に現れないこの人が出てくるときは決まって悪い知らせが付いてくるのだ。
今回もまたそうなった。
「昨夜に飛竜様がいなくなりました。皆探しましたが、龍王国にはいないようです。白竜。」
白竜は少し焦っているようだった。
「はい。飛那様、飛那様が龍王の元へ向かった後、飛竜様がいつの間にか私の後ろに立っていらっしゃいました。そして、飛那様と同じことをおっしゃったのでございます。」
「同じこと──」
「『森から光が逃げた』」
思わず声無き声が漏れた。
龍王の寵愛を受けるものの一族でありながら飛竜は証を持ってはいない。証が無い者には加護を受け継ぐことはできない。そして、一般に証を持つ者が見える竜や龍王や龍騎のもつ『光気』を見ることもできない。その飛竜が白竜が見れなかった加護の光を見た。それはつまり──
「あ…かしが…戻ったというの…?」
「そこまではまだ分かってはおりませぬ。白竜。続きを。」
「あ…はい。その時の飛竜様の様子がいつもとは違うようで…飛竜様はそのまま、外へ出ようとなさったので慌てて止めに入りました。ですが……飛竜様が呪縛札をつかわ…」
話の途中で長老がかるく白竜を見た。
「白。今は結論だけでいいのです。」
白竜は戸惑うようだった。白竜もまた長老が苦手のようだった。
「あ…はい。飛竜様は森に向かわれました。龍王か龍騎の元へ向かわれたと思われます。」
飛那は真剣に龍王の元へ向かった道中に人の気配があったかを思い出そうとした。
「──道中では…会わなかったわ…と言うことは…龍騎の元へ向かったの?…いったい何のために──」
「飛那様。」
長老が一歩飛那に近づいた。
「憐雅の首が見つかっておりませぬ。」
「!!!?そんな話は聞いてな─」
「当然です。王の首をあの範囲の決まった瓦礫の中から見つけられないなど恥以外のなにものでもありませぬ。報告などできようがありません。ですが、」
長老の目が鋭い光を放った。
「龍騎が持ち去ったのを目撃した者がいたのです。」
はっとなった飛那は話を聞くやいなや身を翻すと、龍騎のいる、光の出た森の方角へ向かって走っていた。目にもとまらない速さであっという間に姿が見えなくなっていた。
「飛那さ───」
白竜が手を伸ばすと、静電気のようなものが全身を貫いた。
「─っ………!!!ぁっ……」
側使い達が慌てて白竜の元へ走ってきた。
白竜がその場に膝をつくと、長老が側に寄り、肩に手を置いた。
「ここの森は寵愛を受ける者以外は寄せ付けぬ。白、王宮へ戻りましょう。」
白竜は霞む目で長老を見上げていた。
「さて……大変なことになった。加護が国外へ飛ぶとは……。」
白竜はよろよろと立ち上がると、飛那の消えた方向を見つめた。
「さて困った。前代未聞だ。」
気が付けば朝日が昇っていた。飛那にとって、龍王国にとって長い一日が始まった。