第二十六話:何処
「た………大変でございます!!!!!だ…誰か……誰か!!!!」
早朝にドタバタと廊下を走る音がした。黒祠はその音で目が覚めた。
──何か……あったのか…?
自称飛那の仲間の少年から受けた傷がまだ痛む体に鞭打ちながら起き上がり、のろのろと壁づたいに廊下に出た。
「何が─」
廊下にいたはずの黒磨の姿がなかった。どこへ行ったのかと、辺りを見回していると、中庭に面した廊下から黒磨が慌ててこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「黒祠!まだ起きてはいけません!」
黒祠は冷静に黒磨を見た。
「そんなことより、何があったのですか?」
黒磨は黒祠を部屋にはいるように促しながら口早に話した。何か焦っているようだった。
「飛竜様がいなくなったらしいのです。今、皆で探しているので、すぐ見つかるとは思いますが。」
黒祠は不思議そうに黒磨を見た。飛竜がいなくなることはさほど不思議なことではないはずだった。特に要王が無くなってからは頻繁に夜中出歩いているようで、最近では誰も気にとめることはなくなっていたはずだった。だが、先程聞いたあの声にはもっと、切羽詰まったものがあった。
「…飛竜様が出かけられるのは皆が了承しているはずでは?」
一瞬黒磨の動きが止まった。黒祠はそれを見逃さなかった。
「他に何があったのです?」
黒磨は溜め息をつくと、呆れたように、また微かに感心したようでもあった。
「全く…心配かけまいとしているのに…。」
黒祠は布団にゆったりとした動作で横になりながら軽く笑った。
この同僚は嘘をつくのが苦手なのだ。
「……実は…白竜様が倒れていたのです。どうやら…白竜様の静止を押しのけて出かけたらしく……上方はただならぬ事だと焦っているようなんです。」
黒祠は大層驚いたようだった。
飛竜が白竜の静止を振り切った?国の警備を司る白の一族の長の静止を?
あの非力でか弱く…とても優しいあの皇子が?
「…ほ…本当に…?白竜様が…そうおっしゃったのですか?」
黒磨は黒祠に布団をかけながら頷いた。
「白竜様がおっしゃっいました。どうやら間違いないらしいです。」
「黒祠ぃ!!!起きていますかっ!?」
勢いよくふすまを開け、白卦が黒祠の寝床に飛び込んできた。「白卦…もう少し静かに入ってこれないのですか?…何事です?」
「大変なんですっ。飛竜様が龍騎の元へ向かったようなんですよ!!」
「…………へぇ?」
場が固まった。
黒磨は聞き間違いかとさえ思った。
「な…にを…しに?」
白卦は首を傾げながら本当に困ったように早口で言った。
「それが分からないのです!!今、上方があれこれ議論していますが、誰も心当たりがないようなんですよ。黒祠何か分かりませんか?教育係りのあなたなら何か分かるんじゃないかと上方に言われて来たんですよ。」
黒祠は考えるようにした。
──飛竜様の行きそうな所……。最近では要主の墓前に行かれていたようだったが…そこは皆が行く場所…そこにいるとは…考えにくい。
あれこれ考えた黒祠だったが結局首を横にふった。
「私に思いつく場所は人がいる場所ですから。私には心当たりはないです。」
白卦は肩をがっくりと落とした。
「申し訳ない…。そう言えば、白竜様は大事ないのですか?飛竜様の静止を振り切ったと聞いたのですが、何かお怪我は…」
白卦は軽く気まずげな表情になった。自分達の長が飛竜を止められなかったことを、多族の耳に入ったことを恥と感じたようだった。
「…ええ。大事ないです…た…だ…札を…」
「札がどうかされましたか?」
「ひ…竜様が…白竜様に…呪縛札を使われて。あまりに強力だったようで…動けるまでには時間がかかるかと思いますね…。」
あ、と白卦は声を漏らすと、こんなことをしている場合ではないと言って、慌てて部屋から出ていった。
「…相変わらず落ち着きのない人ですね…」
「それよりも…飛竜様が龍騎の元へ向かったというのが気になります。」
「黒祠、私が白竜様に詳しく聞いてきますから、ここで寝ていてくださいね。」
そう言うなり黒磨はさっさと部屋を後にした。
黒祠はぼんやりと天井を見ながら、要王が死ぬ前に見た少年を思い出していた。あの美しい顔をもち、笑顔を絶やすことなく、飛竜を惑わしたあの少年を。
──札を扱うにはまだ年齢的には早い飛竜様が札を使えるようになったことと、何か…つながりがあるのだろうか?
黒祠はそのまま静かに眠りについた。