第二十五話:龍王
「清らかな空気…曇りのない空……なんて美しい月夜……ほら……ごらんになってください。蒼く輝く…満月でございます。」
太い木の幹の元に何かを抱き抱えるように座っている人物が、月明かりに照らされた青銀髪に輝く長く美しい髪をかきあげた。髪の合間からのぞく白い肩肌が艶めかしい。
──少年だろうか?
──少女だろうか?
どちらにしても、美しいということに変わりはない。
「─御覧になられないのですか?……あ…申し訳ありません。このままでは無理でしたよね。」
そう言うなり、白い毛の生えた物を天高く掲げた。
「どうでございますか?とても美しいでしょう?まるで嵐の前のようです。」
不気味な笑みを浮かべながら、白い毛の生えた物を大切そうに腕で包み込んだ。
「もうすぐです。必ず復讐致します。待っていてくださいね──主。」
腕の中から覗く、白い毛の生えた物から、人の顔が覗いた。
大事に大事にその顔をさすり、不気味なほど艶めかしい笑顔を作った。
「飛那の絶望的な顔が浮かぶようですね。主。」
「…姉上は?」
白竜はいつの間にか後ろに立っていた、どこか虚ろな飛竜を驚いたように見つめた。
「…ひ…飛竜様…起きていらしたのですか?」
飛竜は表情を変えなかった。
「姉上は?」
白竜は飛竜をチラリと見た。白竜を見る飛竜の目には逃れられない強みを持っていた。
白竜は目線を飛竜と同じにするために屈んだ。
「……龍騎の元へ今し方出られました…。飛那様は、皆に見送られることに、抵抗を感じ──」
「違う。」
飛竜の目は真っ直ぐに白竜をとらえていた。
「龍王の森で、何かあったんだ…。」
白竜は驚きを隠せなかった。
姉も弟と同じことを言っていたのだ。
「ひ…りゅ…さ…」
飛竜は目線を外に向けた。
「こんな夜中に…森から光が逃げた…」
白竜は息をのんだ。
龍王の森から光が飛んだ。飛那には見えたが、白竜には見えない光だった。飛那は龍王に何かあったのではないかと、感じた。
飛那は朝に龍騎を探しに向かう予定だったが、急きょ、深夜だったが龍王の元へ向かうことにしたのだ。白竜には余計な混乱を招かないように口止めをして……。
とは言うものの、飛那は龍王に会ったことなど生まれてこの方一度もなかった。正直、父親が龍王に会った話を聞くまでは、龍王が本当に存在しているのかも怪しいと思っていた。
──父上は龍王にお会いになられたことがあるというのは誠なのですか?
──飛那。加護をもらい受けるためには、龍王に会いに行かねばならぬのだぞ?誠に決まっておろうが。
──では父上はどのようにして龍王の居場所を見つけたのでございますか?
──フム……恐らく……血…だろう。
──血…?
──そう。遙か遠い先祖の龍帝の血を龍王が呼ぶのだろう。適当に歩いたつもりが、引き寄せられるように龍王の元へたどり着いてしまった。
──では、どこ…とは分からないのですか?
──地図に乗せることは無理だろうな。見当つかん。だが、寵愛を受ける我ら一族ならば、会うことは可能だ。お前もいつかは予から加護を継ぐ身。忘れるでないぞ。
──…はい。
今は、飛那が幼かった頃に聞いた父親の話を信じるほか無い。
飛那はがむしゃらに龍王の森を走った。枝や草で肌を切り、獣に出くわせば、殺さないように追い払った。
飛那がそろそろ森の深部へ入り込むかという頃、ほのかな明かりが見えた。火にしてはあまりにも暗かった。
「…まさか──ここが?」
飛那はその明かりに駆け寄った。
自分の身長近くまで伸びた草をかき分け、明かり目指し突き進んだ。
ふっ…と広場のような広い空間に出た。
──誰か来たのかしら…草が…燃えた後がある…
それにかすかだが、人に近い足跡が残っていた。飛那があたりに気を取られていると、生暖かい風を感じた。飛那が風の方を向くと、今まで見たことのない……まさに神木と呼ぶにふさわしい、巨木が天高く伸びていた。その根もまた太く、風格が漂っていた。
なんて立派な
なんて凛々しい
飛那が巨木に見入っていると、巨木の根元に、何か動く物を見つけた。飛那が近づくと、でたらめに巨大な龍であることが分かった。まるで自分はこの木の一部であるかのように、その場を動こうとしないそのほのかに光を発しているその龍は──
「私は前王、憐雅贈り名は要王の長子、飛那と申します。あなた様が龍王であらせられますか?」
龍はゆったりとした動作で目を開けた。
「…如何にも。そなたが…憐雅の娘?…幾つになる?」
飛那は今はそんな話をしている場合ではないと思いながらも、龍王の問いに答えていった。
「今年で…90になります。」
龍王は視線を下に移した。龍王の巨大な瞳に飛那が映った。
「90…ならば憐雅は200で死んだか…」
「…はい。確か、193だったかと。」
龍王は目を細めた。要王を懐かしんでいるようだった。
「ひ…な…と申したか?」
「はい。飛那です。」
「怪我をしておるな…その傷どうした?」
服装になど気を使うことなど頭になく、がむしゃらに草をかき分けここまで来たので、身につけた服が血や泥で汚れていることに今ようやく気がついた。
よく考えれば、王よりも尊い存在である龍王に会うのに、あまりにも失礼な格好だった。
飛那は龍王がこのことを指摘していると思った。
「申し訳ございません…なにぶん…急いで参りましたので、着替えを持参しませんで…どうか、この格好をお許し願います…」
「違う。深い傷を負っているだろう。その胸から腹にかけての傷…龍騎にやられたか?」
息が止まりそうになった。
飛那は躊躇したが、素直にすべてを打ち明けた。
要王が国を荒らしたこと。
飛那が要王を殺したこと。
龍騎に殺されなかったこと。
龍王は静かに飛那の話を聞いていた。
「…本来なら明日の朝に龍騎の元へ向かい、加護を頂きに向かおうと思っておりましたところ、龍王の森から…光が逃げるのが見えたので、龍王になにかあったのではないかと思い、夜分遅くに参上いたしました。」
龍王の声は穏やかだった。
「…フム…飛那がとどめを刺したにもかかわらず…龍騎に殺されなかった…か。だから私の元へ加護が戻ってこなかった…そうか…」
飛那は龍王の言葉を待っている。
「飛那…加護を取りに龍騎の元へ向かうと言ったな…」
「はい。」
「…行っても無駄だろう。加護はもうこの国にはない。さっき、どこかいった。お前が見たという光は、加護だろう」
「…な…にを…?」
「さっき、龍騎がここへ来た。そして私を殺そうとした。」
飛那の目が見開かれた。龍騎が龍王を殺そうとするなど聞いたことがない。
「龍騎が…龍王を!?なぜ…」
「どうしても、加護を自分の物にしたかったのだろう。私が死んでも、我が一族がいる限り、加護は無くなることはない。だが、私を殺すことはできないと知ると、そのまま、森の奥へ消えていきおった…」
飛那は喘ぐように息をしている。
「恐らく…その後すぐに加護を放ったのだろう……生き物につかなければ…良いのだが。」
飛那はやっとの思いで言葉を発した。
「加護は…生き物なら…誰でも扱えるのですか?私は──我らは…寵愛を受ける一族のみが扱えると…そう…思っておりました…」
龍王は軽く目を閉じた。
「加護を扱えるのはそなた一族のみ。他の者には手に余る……そう言う意味だ。加護とはそれ程に強力な『力』そのものだからな。……飛那。欲深な人間にわたる前に、加護を回収するのがよかろう。」
飛那は深く頷き、深く礼をすると場を離れようとした。
「…この国が大切なら…出来るだけ急ぐことだ。」
飛那は龍王を振り向いた。
「…取り返しのつかなくなる前に…な…」
龍王は独り言のように目を閉じたまま呟いた。