第二十三話:深想
飛那のいる部屋の前で、飛竜がノックをすると、中から柔らかく耳に優しい声が響いた。飛竜は自然と顔が笑んだ。
「姉上。入ります。」
飛竜が中にはいると、飛那が飛竜の方を向いて待っていた。
「飛竜。とても大切な話があるの。近くに座って。」
飛那の真剣な表情に飛竜は自然と背筋が伸びた。飛那の近くに腰を下ろすと、姉は弟の頬に手をそえた。
「あなたに本当につらい思いをさせたわね…。」
飛竜は慌てた。
「あ…姉上!!そんなことない─」
「特に…私が国を出てからは…本当に。」
飛竜はとっさに否定しようとしたが、声が出なかった。
飛竜には唯一血のつながりのある姉に絶対に知られたくない事があった。それは、民が大勢死んだことでも、良くしてくれた側近達を父が殺したことでも、国土が荒れすさんだことでもなかった。
姉は…それを知っているのだろうか。知られてしまったのだろうか。
自然と体がふるえた。
「…あ…ね…上…ぼくは…何も─」
飛那は飛竜の鎖骨が見えるくらいに服を軽く脱がした。そこからのぞいた肌は、飛竜の肌とは思えないほどに斑に変色していた。
飛竜は姉の手を払いのけ、慌てて服の乱れを直した。体のふるえが激しくなり、自然と姉の視線から逃げるように、体をそらした。
「─父上…」
ため息にも似た飛那の呟きが飛竜の耳に入った。
やっぱり…姉は知っていたのだ。飛竜が…要王からひどい虐待を受けていたことを。
姉は父の事を国を出るときまでずっとかばってきた。賢王と名高い父を一番尊敬していた。そんな姉にだけは知られたくはなかったのに。
─姉上……どうかがっかりしないで
飛竜は姉を見る事ができなかった。失望した姉の顔を見たくはなかった。
体を小さくしてふるえている飛竜を柔らかいものが包んだ。柔らかく温かく良い香りのする……飛那だった。飛那が飛竜を優しく抱いていた。
「…ごめんね飛竜。」
優しく耳に響く声は飛竜をとても安心させた。
飛竜は飛那に擦りつくように軽くしがみついた。
「…ねぇさん…謝らないでよ…悲しくなります…」
「…うん。あのね…飛竜。私ね」
「はい。」
「明日、龍騎の所へ加護を取りに行くわ。」
飛竜は驚いたように飛那を見た。
「…龍王の所ではないのですか?だって…父上は…亡くなったのですから…加護は龍王に戻ってるんじゃぁ…」
飛那は首を振った。
「だって…王が亡くなった場合は…加護は龍王に戻るって習いました!!」
「飛竜。良く思い出して。二十代目滅王の事例を。」
飛那は自然と眼差しを強くした。
「…め…つ王?…確か…皇子が…殺した…」
「そうよ。滅王は父上の兄に殺された。でも、本来なら王を殺したのが親類ならば死が、親類以外なら死よりも恐ろしい呪いがかかるはずが、伯父様は亡くならなかった。……父上は龍王に加護を頂きに参上したけど、龍王はまだ、龍騎が持っているから、必要ならば、取りに行けとそう言われたのよ。─そして父上は龍騎から加護を賜ったの。」
飛竜は驚きを隠せなかった。
主に危害を加えた龍騎の恐ろしさは言葉に余るほどである。
飛竜が知るのは、飛那がまだ国にいる頃に、他国からやってきた刺客に要王が手傷を負ったことがあった。大した怪我ではなかったが、龍騎は刺客を許すことはなかった。龍騎は龍になると、刺客に食らいついたのだ。刺客は一時間という長い時間龍騎にもてあそばれ死んだ。誰が止めても、龍騎は刺客が死ぬまでやめることはなかった。その現場となった部屋は今では開かずの間となっている。
そんな龍騎に─主を殺した張本人が加護をもらいに行く?そんな危険極まり無い所へ?…むざむざ死にに行くようなものだ。
「姉上…危険すぎます…」
飛那は心得たように頷いた。
「でも行かなくてはならないわ。……この国が地上に落ちる前に。」
飛竜は真摯な目で姉を見上げた。
「休みすぎたわ。もう、幾ばくも時間はないはず。」
「…姉上…ぼくも─」
飛那は首を横に振った。
「二人で行って、両方共死んだらこの国はどうなる?龍王の寵愛を受ける一族がいなくなるのよ?そうなったらこの国は地上に墜落してしまう。」
飛竜はなんとも言えない表情で飛那を見た。力になれないことがもどかしく、つらかった。
「いざと言うときはあなたがた頑張るのよ。いいわね?」
飛竜は真剣な表情で頷いた。
「…飛那様…本当に明日行かれるのですか。まだ…完治したわけではないのですよ…?」
飛竜が部屋から出た後、白竜が飛那の元へやってきて言った。飛那は苦笑を漏らした。
「完治なんて待っていたら、この国が地上に落ちてしまうわよ。」
「…ですが…龍騎のいる森には……我らは入れません…」
飛那は軽く笑った。心得ていたような笑いだった。
「大丈夫。心配しないで。私より飛竜を頼むわ。今は……愚か者が多い時期だから。」
飛那は鋭い目で白竜の目に語った。
白竜はその場に膝をつき頭を下げた。
「御意。目を離さないようにいたします。…………あの……飛那様…」
白竜は膝をついたまま飛那を見上げた。
「……地上に落ちるとしたら…あとどのくらい時間は残されているのですか…?その…飛那様が完治を待てないほど…すぐなのでしょうか。」
飛那は申し訳なさそうにゆっくりとした動作で、首を横にふった。
「ごめんなさい…実際私にも分からないの…なんせ…地上に落ちたという前例が…無いものだから。」
白竜は不安げな表情をした。
前例が無いことは、今現在この国が浮いていることが示しているように明らかだ。ただ、飛那の口から『分からない』とはっきり言われると正直…不安は強まる。
「─ただ…」
「…ただ?」
飛那はおもむろに窓の外の空を見上げた。
「最低半年は大丈夫よ。」
なぜ半年なのかと白竜は不思議に思った。
「──父上は半年かけて五竜達に命を出してから龍騎の元へ向かったのよ。……自分が死んだときのために、五竜達がいれば国が動く仕組みを半年かけて父上は考えたの。…だから半年は…大丈夫。」
力強いその言葉に白竜は自然と引きつけられた。自分よりも若い飛那が眩しく思えた。この光を…失いたくはない。
「…飛那様。どうか必ず生きて戻られますよう…切に…切にお願いいたします。」
深く…深く頭を下げる白竜を飛那は逆光のなか笑顔で答えた。