なろう系主人公が名乗るブランドは、本当に主人公のブランドなのか?
とある作品では、師匠が主人公に「ブランド」の概念を説明する。商品には主人公を表す印を付け、その印が信用となり、次の商品も売れやすくなる。
一方で、一度品質を落とせば、その信用はブランドごと失われる。この説明自体は現実のブランド戦略として非常に正しく、ブランドの役割を読者に分かりやすく伝えている。
しかし、その説明の前提となる商品の出どころを見ると、どうしても腑に落ちない。
主人公が商品化しようとしているのは、すべて師匠が以前から開発していた発明品である。お湯がすぐ沸く道具、冷たいまま保てるコップ、食べ物を腐らせない箱など、どれも師匠の技術によって生み出されたものだ。
主人公が行ったことは、それらを見て「これも売れそう」「あれも商品にできそう」と考え、商品化の準備を進めただけである。
もちろん、販売することにも価値はある。どれほど優れた発明でも、市場へ届ける人がいなければ商品にはならない。しかし、販売とブランドの主体は本来別の話である。
ブランドとは、その商品を生み出した技術や品質、理念に対する信用の積み重ねである。
ところが、この作品では商品の設計も技術も発明も師匠が担っている。製造も職人が行っている。主人公は販売や企画を担当している立場であり、商品の本質的な価値を生み出した人物ではない。
その状態で「主人公ブランド」と言われても、「何をもって主人公の商品なのか」という疑問が拭えない。
さらに気になったのは、師匠が「売れれば必ず模倣品が出る。だからブランドを付けろ」と説明する場面である。
もちろん、ブランドが模倣品との区別に役立つという説明は正しい。しかし、この作品の構図を考えると少し皮肉にも感じてしまう。
主人公自身が商品化しているものは、すべて師匠が開発した発明品だからだ。
当然、師匠から正式に許可を得ているため違法でも盗作でもない。しかし読者から見れば、「他人が生み出した商品を販売している」という構図であることに変わりはない。
だからこそ、「模倣品に気を付けろ」という台詞に、どこか違和感を覚えてしまう。
また、師匠は「これは主人公の品だと、一目で分かるようにな」と説明する。
しかし実際には、それらは師匠が生み出した品である。
主人公がゼロから開発した商品ではない。
ブランドは単なる名前やロゴではなく、「誰が何を作ったか」という積み重ねによって価値を持つ。
その点で、この場面ではブランドの価値を支える実績と、ブランドを名乗る人物が一致していないように感じられる。
さらに、「主人公ブランドの信用が積み重なる」という説明にも疑問が残る。
例えば、ドライヤーが高品質なのは、師匠の発明が優れているからである。ケトルも、冷蔵箱も同じだ。
つまりブランドが評価される理由は、主人公の技術ではなく、師匠の技術力による部分が極めて大きい。
それにもかかわらず、その信用がすべて主人公ブランドへ蓄積されるという描写には、やはり違和感がある。
もし主人公が、師匠からブランドそのものを正式に引き継ぐ物語であれば納得できただろう。
あるいは、主人公自身が独自の発明を重ね、その成果をブランド化するのであれば、何の疑問も生じなかったはずだ。
しかし、この作品では、師匠の発明を商品化し、それに主人公の名前を付けてブランドとして育てていく流れになっている。
そのため、「主人公の成功物語」を描こうとしていることは伝わるものの、実際には師匠が築き上げた技術や信用の上に主人公の名前を載せているように見えてしまう。
ブランドとは、名前や印を付ければ成立するものではない。
その名前の裏側に、その人物自身が積み重ねてきた技術、実績、品質への責任があって初めて価値を持つ。
だからこそ、この場面はブランド論そのものには納得できる一方で、「そのブランドを名乗る主体は本当に主人公なのか」という点だけが最後まで引っかかった。




