第2章:運命の再会と香りのトリガー
神崎フレグランスとのコラボレーションは、「記憶を呼び覚ます新しいアロマ」というテーマで進められた。当然、プロジェクトの主導権は蓮が握り、薫は彼の指示に従う立場となった。
しかし、打ち合わせの度に、蓮は露骨なまでに私的な会話を避け、彼女を「橘様」と呼ぶビジネスライクな態度を貫いた。それが、薫の胸を張り裂けそうにする。
ある日、蓮は新作フレグランスの試作品を薫のラボに持ち込んだ。
「これが、来季のシグネチャーフレグランス『エテルナ』の試香です。橘様のアロマテラピーの知見から、この香りが人に与える心理的影響を分析してほしい」
蓮がテーブルに置いた小さな黒いボトル。薫は震える手で蓋を開けた。
溢れ出した香りは、シトラスの奔流だった。
それは、ベルガモットとマンダリンが織りなす鋭くも甘い香り。十年前の、あの時、蓮が別れ際に薫に渡した小瓶の香りを、洗練させ、より強く、鮮やかにした香りだった。
薫の頭の中で、ベルガモットの香りが爆発した。
(ダメ、この香り……!)
彼女の脳裏に、嵐のようなフラッシュバックが押し寄せる。雨の日の蓮の顔、彼の悲痛な声、そして彼の後ろで揺れる、黒い高級車の影。
その車に乗り込むよう、蓮に指示を出していた、見覚えのある男性の顔――蓮の父だった。
『この香りを忘れるな。いつか、俺がお前を迎えに行く時の印だ』
過去の蓮の声が、耳元でこだまする。
薫は突如として呼吸が困難になり、激しいめまいと吐き気に襲われた。
「ハァッ……ハァッ……」
膝から崩れ落ちそうになった薫を、蓮の腕が素早く支えた。
「橘様!大丈夫か!」
蓮の顔が間近にある。彼の肌から漂う微かなムスクとシトラスの残り香。それは、彼の抱擁が真実であることを物語っていた。
「蓮……っ!」
薫が反射的に名前を呼ぶと、蓮の顔から一瞬、ビジネスマンの仮面が剥がれ落ちた。そこに映し出されたのは、戸惑いと、隠しきれない痛み。
「……何を、言っているんですか。橘様」
蓮はすぐに顔を逸らし、突き放すように言った。
「これは、香りの刺激に対する過剰反応でしょう。今日の分析は中止します。早く休んでください」
蓮は、薫をソファに座らせると、すぐにラボを出て行った。彼の背中からは、逃げるような焦燥の香りが立ち上っていた。
その日以来、蓮は薫への接触を最小限に抑えようとしたが、薫は引き下がらなかった。彼女は、彼の香りが持つ「痛み」と「愛情」を無視することができなかったからだ。
薫は仕事の合間を縫って、十年前の蓮の家族について調べ始めた。蓮の父、神崎泰三は、大手香料メーカーの重役であり、蓮が姿を消した時期と、泰三が会社のスキャンダルに巻き込まれた時期が重なっていることを突き止めた。




