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寺院の鐘が鳴り響く。
黒い喪服を着た人々がパドマ・ローズ伯爵夫人の棺に白い薔薇を入れて祈りを捧げる。
父であるアレン・ローズに手を引かれた幼い女の子が小さな犬の縫い包みを入れた。
「お母様……。私のロンをあげます。ロンがいるから寂しくないですよね」
女の子は10歳。そろそろ死の意味を理解する年頃であった。
最愛の母はもう目を開けて自分に微笑み掛ける事は無いのだ。
屋敷に向かう道を人々は悲しみに暮れながら歩く。
女の子の手を握って歩くのは少し年嵩の男の子だった。
「大丈夫だ。リリィ。僕がいる。僕はずっとリリィを守って行くよ」
男の子はそう言って女の子を見た。
◇◇◇ ◇◇◇
「御覧なさいな。リリィ・ローズ様よ。またお独りでランチを取られているわ」
「えっ? 今頃? もうすぐ午後の授業ですわよ」
「ご婚約者のシリル・ロッシュ様は……?」
「先程、ロメリア様とご一緒にされていたわ」
「またですの?」
「ロメリア様が学園にいらっしゃってからずっと一緒ですわよ。シリル様とリリィ様がご一緒されていたのは……学年初めの二週間位でした?」
「そんなものでしたわ。それも全く会話の弾まない不思議なランチでしたわね」
学園の令嬢達のひそひそ話はリリィの耳にも届いている。リリィは聞こえない振りをして窓の外を見る。
「そもそもリリィ様って今までご領地の方でお過ごしになっていたのでしょう? どうして今更、編入などされて学園にやって来られたのかしら?」
「それはご結婚の為でしょう? 学園を卒業したらシリル様とご結婚だからよ」
「でも、ちょっとあの方、シリル様のご婚約者としては役不足と言うか、魅力不足と言うか……」
「そうね。いつまでも垢抜けなくて。お勉強はお出来になるのですけれど。……ロメリア様だったならシリル様とお似合いですわよね。お綺麗で気品があって、まるで妖精みたいに可憐な方ですもの。とてもクールでアイスドールと言う通り名がぴったりですわ」
「お隣の大国ジャニス国の宰相様のご令嬢ですもの。その辺りの高位貴族とは格が違いますわ。……でも、お気の毒ね」
「どなたが? リリィ様?」
「それも有るけれど、シリル様が」
「あら、ほほほ」
午後の授業が始まる予鈴が鳴った。
誰もががやがやと食堂を出て行った。
ぽつんと一人残されたリリィはお茶を飲みながら、じっと座っている。
シリルとロメリアが一緒にランチを取っている事を知っている。
二人が一緒にいる所を見るのは辛かった。
それに、その場に自分が居たなら、きっとシリルだって困ってしまうだろう。
だから気を利かせて遅れてやって来るのだ。
テーブルに着いて動かないリリィに食堂のシェフが声を掛けた。
「午後の授業はいいのかい?」
リリィは微笑んで答えた。
「午後は授業を取っていないの。美味しいご飯を有難う御座います」
「美味しかったかい? それは良かった。お茶のお替りはどうだい?」
「有難う御座います。でも、もう結構です」
「そうかい。ゆっくりして行ってくれ」
シェフはそう言って去って行った。
リリィは立ち上がる。
迎えの馬車が来るのは3時半だ。
その時間に授業が終わるから。
今日の午後は図書館に行って本でも読もうと思った。
廊下を歩いて行くと向こうから見知った二人組が歩いて来るのに気が付いた。
リリィは立ち止まった。
少女は小柄で柔らかい金色の髪が背中に垂れていた。華奢なのに手足はすらりと長くてまるでチャルコワ(著名な人形作家)の創作する可憐なお人形みたいだ。時々ダンスのステップを踏んだりしながらふわふわと歩く。
「ねえ。シリル。今度一緒にダンスをしましょうよ。夏フェスの練習だわ」
そう言って青年の手を取り、くるりと回った。
「ロメリア様。まっすぐ歩いてください。それに夏フェスでは無くて星祭です」
青年は苦笑しながら言う。
少女は青年の腕にもたれ掛かり、笑顔で見上げる。
隣を歩く青年は背が高い。少女はその肩程度しかない。
菫色の瞳。長い睫毛。透き通る様な肌。アイスドールと言う通り名も、さもあらんと頷ける完璧な美貌。
上品なネイルのその手は青年の腕に回されたままだ。
リリィは慌てて階段の下に隠れた。
ガラス細工みたいに繊細なのはジャニス国からの留学生であるロメリア・グローリー公爵令嬢である。その隣にいるのはリリィ・ローズ伯爵令嬢の婚約者シリル・ロッシュ侯爵令息である。
ロメリアはリリィよりも一つ上。クラスは特別クラスである。
この学園の特別クラスには公爵、王族など、外国からの留学生(やはり上位貴族、王族)などが在籍している。伯爵家の子女であるリリィは普通クラスである。
普通クラスには平民であっても裕福な商家の子女が入学して来たりする。
シリルは濃いブラウンの髪と瞳を持っている。細面の端正な顔でクールな雰囲気である。表情はあまり動かない。しかし、時折可憐な少女を見下ろして微笑む。
「それではここで。ロメリア嬢。私には生徒会の仕事がありますから」
シリルの声がする。
リリィは目を閉じる。
シリルのこの声。落ち着いていて澄んでいて。
昔から大好きだった。
思春期を経て声変りをしたらうっとりする様なイケボになっていた。
最近、聞いていないなあ。
そう思った。
「有難う。シリル。お陰で苦手な数学も少しずつ出来る様になって来たわ。悪いわね。お昼休みを使わせてしまって」
ロメリア嬢の鈴を転がす様な声も聞こえる。
ああ、この声も嫌いじゃない。
リリィはそう思う。
「いいのですよ。ロメリア様のお願いなら喜んで」
「ふふふ。有難う。じゃあ、また教えてね。明日も約束よ。私がここにいる間はずっとよ」
「ええ。じゃあ、また。失礼します」
シリルの立ち去る足音が聞こえた。
リリィはほうっと息を吐く。
「ねえ、シリル。待って」
ロメリアの声がする。
「何ですか?」
「お友達の話を小耳に挟んだの。シリルって婚約者がいるのですって? それもこの学園に。……幼馴染ですって?」
リリィはびくりとする。
暫し間が空く。
胸がドキドキした。
「ええ。そうです。親同士が決めた結婚なのですけれどね」
シリルの冷静な声が聞こえた。
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