99:蒼願の魔法
蒼い月明かりを静かに浴びると、僕の中の魔力が反応して、体が暖かくなったのを感じた。
その月に向かって熱心に呪文を伝え続ける。
心の中では、屈託のない笑顔を浮かべるジゼルを思い描いて。
僕から彼女への力強い願いーー
『呪いの魔法を消し去って下さい』
自分を軸にした人への願いを叶えたことは、実は数えるほどしかない。
最近では、メアルフェザー様のいる蒼い月で、ジゼルの元へ転移するために使ったぐらいだ。
なぜなら自分が抱いた思いは掬い取りやすく、具現化しやすいからだった。
僕は〝呪い〟にもなる蒼願の魔法を、私利私欲に使わぬよう、自分の願いを叶えることは控えていた。
ーーけれど今回は違う。
ジゼルを……
愛する人を救うために、
絶対に成功させてみせる。
そんな強い思いを舌先に乗せて、僕は最後の呪文を唱えた。
ーーーーーー
「ディラン!」
蒼い光が収まるのを待っていたジゼルが、僕に飛びついてきた。
「痛みはどう? 治った?」
そんなジゼルを抱き止めながら、僕は彼女に優しく尋ねる。
「うん。どこも痛くないよ。治してくれてありがとう……死ぬことも覚悟してたから、こうしてディランと一緒にいられるのが嬉しい」
ジゼルが胸の中でメソメソと泣き始めた。
泣き顔を見られるのが恥ずかしいのか、彼女が僕をぎゅうぎゅう抱きしめて顔を埋める。
僕もジゼルをきつく抱きしめ返した。
クロエ姿のジゼルは小柄だから、僕の腕の中にすっぽりおさまっている。
「僕のためだとは分かっているけど、代わりに呪いを引き受けるなんて…………ジゼルが死んじゃうと思って本当に怖かった」
「……だって、私が呪いをかけてしまったから……私もディランを失うと思って……」
「うん。分かってるよ……ありがとうジゼル」
僕はうつむいているジゼルの両頬に手を添えて、上を向かせた。
ジゼルは涙を流しながらも、恥ずかしそうに頬を染める。
「この前はごめんね。もう離れた方がいいとか思わない。一緒にいて欲しい」
「!! ……クロエの姿になってしまったけど、いいかなぁ?」
ジゼルが顔を綻ばせて僕に尋ねた。
「言ったでしょ? 僕はジゼルがどんな姿かたちになろうと……変わらずに愛してるよ」
「私も……愛してる!」
僕はジゼルとひしっと抱き合うと、しばらく彼女の体温を感じていた。
心の中でずっと謝りながら。
ごめんね。
本当はジゼルを元の姿に戻してあげたいんだけど……
まだ守り切る自信がなくて、その思いは強くないんだ。
とても大切な存在だから、失うことを恐れているなんてーー
本当に僕は意気地なしだ。
でも、どんなジゼルでも心から愛しているのは、本当なんだ。
僕が思いを込めてジゼルをじっと見つめると、彼女が照れながらも目をそっと閉じた。
僕も目を閉じてゆっくりと顔を近付ける。
そうして唇が触れ合おうとした瞬間に、グイッと顔を押し返された。
「??」
「あ、クロエの意識が奥深くに残ってるんだった」
僕の顔から手を離したジゼルが、自分の無意識の行為にハッとする。
そしてすぐに、慌てて口を両手で押さえた。
「どうしたの?」
「…………クロエは、負の言葉を喋ると、呪いをかけてしまうの……」
ジゼルが口を塞いだままモゴモゴと喋った。
「嫌がったクロエが何か喋ろうとしたの?」
「…………うん」
口を隠したままのジゼルが、ジトリと目線だけで訴えかけてきた。
〝ややこしいから、元の姿に戻してくれないかな〜?〟と。
「……1日に2回目の蒼願の魔法はつらいから、また今度の蒼い月の夜に……」
僕は彼女の視線からそっと逃げた。
カン! カン! カン!
すると突然、お店のドアノッカーを力強く叩く音が響いた。
……セドリックが叩かされているんだ。
もう何度目かのことなので、その光景がありありと目に浮かんだ。
同時に、タナエル王子が来たこともすぐに分かった。
「旅行から帰ってきたタナエル王子がいらしたみたい。……おそらく隣国のアレックス王子やダレンについて、尋問されると思うから、ジゼルはここで休んでて」
僕がジゼルの頭を撫でると、彼女は苦笑しながらこくりと頷いた。
ーーーーーー
「はいはい、今、開けますっ」
慌てて玄関に向かった僕は、扉をすぐに開けた。
そこにはやっぱりタナエル王子がいて、仁王立ちをして待っていた。
蒼い月夜をバックに腕を組む姿は、不気味で恐ろしい。
隣には、眉を下げて笑っているセドリックが見えた。
「……お帰りなさいタナエル王子。お疲れのところ、こんな夜にどうされましたか?」
扉を閉めたくなるのを我慢しながら、僕は旅行帰りのタナエル王子を労ってみた。
「……どうもこうも……長旅から帰ってくると、ディランに関する重大報告が2件も溜まっていてな」
タナエル王子が低い声でそう告げると、腕組みを解いて店内へとズカズカ入ってきた。
僕が横によけるとセドリックもそれに続く。
扉の近くの定位置に立った彼に苦笑されると、僕は諦めの表情を返して扉を閉めた。
そうこうしている内に、談話スペースのソファにタナエル王子がドカッと座った。
膝を組み両手を膝掛けに置くと、僕をじっとり見つめた。
「隣国のアレックス王子との接触……蒼刻の魔術師ジゼルの拉致……大聖堂前での魔術師同士の争い……」
タナエル王子が抑揚のない声で言い連ねた。
まるで呪いの呪文みたいだ。
「大変なことになっていると聞いていたが、案外元気そうじゃないか」
王子がニヤリと口元だけ笑った。
目は全然笑ってない。
むしろ怒りに満ちている。
……国を離れていた間に、僕が問題を起こしすぎてすごく怒ってる。
どれも不可抗力なんだけどな。
僕がとりあえず愛想笑いを浮かべていると、タナエル王子が自分の向いのソファをアゴで指し示した。
「座れ」
「…………」
「順を追って説明しろ。速やかに」
「…………はい」
僕がなんとか返事を絞り出した時だった。
ガチャリ……
お店の扉のドアノブが静かに回された。
徐々に扉が開いていき、月明かりがどんどん部屋の中に差し込む。
扉の近くに待機していたセドリックが、腰に携えている剣に手をかけた。
「こんばんは」
扉の奥からは、白髪の老齢の男性が礼をとりながら現れた。
ビシッとフロックコートを着こなし、シルクハットにステッキを持つ上品な老紳士が、颯爽と店内に足を踏み入れる。
彼の優雅な身のこなしに、セドリックもどうしたものかと戸惑い動けずにいた。
そんな中、僕だけが顔を歪めて声を出す。
「げっ。ピクシーだ」
蒼い服を素敵に着こなす老紳士が、僕に不敵にほほ笑むと同時に、辺り一面が蒼い光で包まれた。




