95:蒼刻の魔術師ダレンと無彩の魔術師クロエ
大聖堂の広間に、ジゼルの嘆く声が響き渡る。
「あぁ……間に合わなかった!!」
彼女は泣き喚きながら、急いで両手を組み合わせた。
ディランの傍らに膝立ちになり、目を閉じて呪文を素早く唱えた。
異変に気付いたダレンがそばに寄り、ジゼルに手を伸ばす。
その時にはもう、白銀の魔法陣が地面いっぱいに広がっていた。
「おい、何をやっているんだ!? しかもまだディランを呪い殺せてないじゃないか!」
そこにホリーとルークが割って入って詰め寄った。
「酷いわ! ジゼルにこんなことさせるなんて!」
「お前、何してるのか分かっているのか!?」
ホリーとルークの剣幕に、ダレンは思わず手を引っ込めたけれど、2人の言い分を聞くとニヤリと笑った。
「分かっているさ。俺はどうしてもディランが邪魔なんだ。そこの女がやらないなら、俺がとどめを刺す!」
ダレンがそう言って、ディランに手をかざした時だったーー
突然、大広場に王宮の兵士がぞろぞろと押し寄せた。
その先頭には、黒いローブをまとった凛々しい青年の姿があり、兵士たちの中で目を引いていた。
胸元には国の紋章があり、彼が有事の際には国と連携して動く、優秀な魔術師の1人だと物語っている。
黒いローブの青年は白銀に光る魔法陣のそばまで進み出ると、その場にいる全員を見渡した。
「……住民から、魔術師同士が戦っていると通報が入った。何をしているんだ? 回復魔法をかけようとしているし……彼を負傷させたのは誰なんだ?」
すかさずルークが、ダレンを指差して叫んだ。
「こいつです! レックスさん!」
黒の魔術師であるルークは、同じく黒の魔術師の青年と顔見知りだった。
ホリーもルークに続いた。
「ダレンが一方的に攻撃してきて……倒れてるディランが私たちを守ってくれたんです!」
2人は必死に訴えた。
本当のことを上手く隠しつつ、害をなそうとしていたダレンだけを、レックスに対処してもらおうと仕向ける。
「……ちっ」
思わず舌打ちをしたダレンは、なりふり構わずに呪文を唱えた。
「〝炎よ燃えろ!〟」
「〝無に返せ!〟」
けれどレックスの魔法によって、炎はあっけなくかき消される。
「もう少しだったのに!!」
ダレンが歯痒そうに相手を睨んだ。
険しい表情に変わったレックスが、静かに言い放つ。
「彼を捕まえろ」
その声に、王宮の兵士たちが音もなくダレンに忍び寄ると、彼を両脇から拘束した。
「離せよ! くそっ!!」
ダレンが必死に抵抗する中、床の魔法陣がひときわ眩しく光った。
瞬く間に辺りが昼間のように明るくなる。
その中心には、今もなお苦悶の表情を浮かべるディランと、涙を流しながら祈りを捧げるジゼルの姿があった。
「すごいな。最上級魔法か……」
レックスが感嘆の声を漏らし、その神々しい光に目を細める。
そうして広場の一同がしんと静まり返った瞬間、ジゼルの芯の通った澄んだ声が響いた。
「〝魂の祝福!!〟」
ーーーーーー
魔法をかけ終えると、ジゼルはすぐさまディランに飛びついた。
「ディラン!?」
顔を覗き込むも彼の様子に変わりはなく、冷や汗をかいて苦しそうに目をギュッと閉じている。
ジゼルの視線に気付いたディランはゆっくりと目を開き、明らかに痩せ我慢した笑みを浮かべた。
「……少しマシになったよ……ありがとう」
優しい彼が、ゆるゆると手を上げてジゼルの涙を拭ってくれる。
「ディランごめんね。回復魔法が……気休めにしか効果ないんだよね……」
ジゼルは自分の力不足を嘆いて顔を伏せた。
せっかくディランが拭いてくれたのに、瞳から涙が溢れ続ける。
けれどジゼルは必死に考えていた。
……無彩の魔術師クロエが当時かけた呪いより、強力なのは何故だろう?
彼女が敵兵を捕虜にするために、よく使っていた〝死の淵をさまよう〟呪い。
この呪いは、昔なら回復魔法で治すことが出来ていたのに……
垣間見た記憶でのクロエの魔法は、たしかに絶大だった。
けれど彼女は自分を魔術師だと思っておらず、その特殊すぎる魔法を感覚だけで扱っていた。
対する私は、ジゼル・フォグリアさんの記憶のおかげで、魔術を知っている。
そして、魔力量が高い白猫の器。
……クロエより、魔術師としての能力が高いから?
そんな。
どうやってディランを救ったらーー
途方に暮れたジゼルは、ディランをそっと窺い見た。
彼は再び目をぎゅっと閉じて、静かに痛みに耐えている。
本当に少しは症状が和らいだようで、さっきよりはいくらか呼吸が落ち着いている気がした。
けれどこの呪いをそのままにしておくと、やがては弱り切って息絶えてしまうだろう……
ジゼルはその結末を考えたくなくて、またうつむいた。
すると、クロエのダークブラウンの長い髪が目に映る。
……クロエは最後、死にゆく恋人を救おうと必死だった。
不思議とそこから先の記憶がない。
でも最後に感じたのは、諦めではなく……
ーー希望。
ジゼルは涙を流しながら、口元にかすかな笑みを浮かべた。
そして晴れやかな表情で顔を上げる。
ディランの右手を自分の両手で優しく握りしめると、祈りを捧げるように言葉を紡いだ。
「……メアルフェザー様……」
心の中で呼ぶだけでいいはずなのに、ジゼルは自然と喋りかけていた。
自分の内に眠る魔力が、巡り始めるのを感じる。
メアルフェザー様に会った時に言われた〝ジゼルだから出来る〟という言葉。
その時ははぐらされたけれど、今なら理解出来る。
私は……蒼願の魔法で人間になった。
この体を形づくる源は、蒼の魔力。
だから私のこの魔力を介して、メアルフェザー様の補助のもと、蒼願の魔法を発動することが出来る。
ふいに、ジゼルが楽しそうにお喋りを始めた。
「ディランの呪いの魔法を、解くことは出来ますか?」
「…………私に対しての願いしか無理?」
「フフッ。そんな気はしていました」
「じゃあ……ディランの呪いを、代わりに引き受けることは出来ますか?」
ジゼルが喋り続けていると、握っているディランの手がピクリと動いた。
「…………いいんです。それが私の叶えて欲しい願いなんで」
ディランがゆっくりと瞼を持ち上げた。
「ジゼル? ……何をしているの?」
彼の優しい瞳が、不安そうに揺れている。
…………苦しくて辛いはずなのに、私の心配をしてくれてる。
なんて優しいヒトなんだろう。
ジゼルは胸に熱いものが込み上げ、静かに笑みを浮かべた。
そのまなざしは、彼を包み込むように優しかった。
メアルフェザー様の問いかけが、ジゼルの頭の中に響く。
『分かった。……ジゼルの願い〝ディランの呪いを代わりに引き受ける〟を叶えよう』
「はい。お願いします」
彼女は迷いなくそう言って、ディランにとびきりの笑顔を向けた。
私は……
一生に1度だけの願い事を叶えてもらった。




