94:蒼刻の魔術師ダレンと無彩の魔術師クロエ
白猫のジゼルはダレンに捕まったあと、無彩の魔術師クロエの人格を無理矢理入れ込まれた。
ただ幸か不幸か、彼の蒼願の魔法の威力が強くなかったため、クロエの意識は中途半端にしかジゼルに刻まれなかった。
ジゼルの意識はしっかりと残ってはいるけれど、奥深くに沈んでしまい、クロエに体の自由を乗っ取られてしまう。
さらにクロエの記憶を共有してしまい、ジゼルは彼女の壮絶な人生を垣間見ることになったーー
世界に1人の無彩の魔術師。
同時に、歴史上もっとも残忍な人物だ。
当時の国王を愛し、彼を世界の頂点に立たせるために、その特殊な魔法の才能を遺憾なく発揮した、美しい呪いの魔女。
彼女の逸話は歌劇にもなり、妖艶な悪役として何度も描かれてきた。
…………でも、実際は全然違う。
クロエはただの心優しい女性だった。
呪いの魔法の能力のせいで、まわりから蔑まれても、決して誰も恨まなかった。
ただ唯一理解してくれた恋人を、失いそうになるまでは……
クロエはずっと国王に脅されていた。
そんなクロエを助けにきた恋人を、見せしめのように、国王は彼女の目の前で切り捨てた。
それで……悲しみで心を壊したクロエは、国王ごと国の全てを消し去ったのだ。
「うぅぅ……」
深くて暗い意識の底を彷徨うジゼルは、ずっとずっと泣いていた。
国王にいいように弄ばれても、恋人のことを一途に想っていたクロエ。
やっと会えたと思ったら、目の前で斬られて血を流しながら地面に倒れ込んでしまう。
その時の、どうしようもないほどのーー
絶望感。
消失感。
何もできずに、死にゆく恋人をただ見ているだけの……
心臓が凍てつくほどの恐怖。
ジゼルはどうしても自分とディランを重ねてしまい、まるで本当に彼を失ったかのような深い悲しみに呑み込まれていた。
『……ジゼル』
そんなジゼルの耳に、ディランの心配そうな声が届いた。
彼女の意識がやっと外の世界へと向く。
「……ディラン? そばにいるの?」
ジゼルはディランの声がした方へと意識をかたむけた。
すると、意識が急速に浮上していくような感覚に包まれた。
何故かてっぺんまで来たと分かったとたん、視界をクロエと共有することが出来た。
それは人格を入れ込まれてから初めて見る、外の様子だった。
ーー遠くを見つめるクロエの視界の端に、ディランが映る。
まさに特大の炎が、彼を襲っている所だった。
「!? ……私が、戦ってる!?」
ダレンから指示された通りに喋るクロエが、容赦なく攻撃をかけていた。
ディランは防御するばかりで、反撃してこない。
……チャンスはいくらでもあるのに……
ジゼルは泣きながらクロエに訴えた。
「クロエ、ねぇ聞いて! あなたが戦っているのは、私の大切な人なの!」
ーーーー
けれどクロエからは、何も返ってこない。
それでもジゼルは続けた。
「あなたが戦っている魔術師は、私の恋人のディランなの!! 戦わないでっ!!」
ーーーー
さっきと同じで、何も返ってこない。
そのとき外の世界では、ダレンがクロエに恐ろしい指示を出していた。
『ディランを呪い殺せ』と……
「クロエ! お願いだから聞いて!! ディランは……私にとって、あなたの恋人のルカと同じぐらい愛してるの!! また目の前で恋人を失いたくない!!」
ジゼルは泣き叫んだ。
クロエにとって、酷なことを言ったのは分かっていた。
けれどジゼルは、何としてでもディランを死なせたくなかった。
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守りに徹するしかない僕は、これ以上どうしたらと必死に考えていた。
攻撃なんて出来ない!
だって彼女は……僕の大切なジゼルだから!
僕が手も足も出せずにいると、ダレンがジゼルの肩を引き寄せて耳元で囁く。
やけにニヤニヤしている彼に嫌な予感がしていると、ジゼルがゆっくりと口を開いた。
同時に不思議なことが起きた。
虚ろな彼女の瞳に、みるみると生気が宿っていったのだ。
「ディランは死っ……の淵を彷徨え!」
呪文の途中で、ジゼルが咄嗟に言い換えたように感じた。
僕を呆然と見つめる彼女の瞳に、確かに何かが宿っていた。
そう感じた瞬間、僕の足元を見えない魔力の流れが駆け抜けた。
そしてーー
呪いの魔法が発動した。
体にグッと嫌な圧がかかったかと思うと、僕はたまらずに目を閉じて胸を押さえた。
「ぅ……あ゛あぁっ!」
心臓が鷲掴みにされたかのように激しく痛む。
立っているのも辛くて、地面に両膝をつきながらゆっくりと倒れ込んだ。
「ディランッ!!」
「大丈夫か!?」
ルークとホリーが駆け寄ってきた。
僕は歯を食いしばって痛みに耐え、なんとか体を仰向けにする。
薄く目を開けると、泣きそうなホリーと青ざめたルークが、しゃがみ込んで僕を覗き込んでいた。
そこにもう一人増える。
「ルカ!!」
いつの間にかそばに来たジゼルだった。
彼女がはらはら流す涙が、僕の顔にもぽたぽたと落ちてくる。
「……ごめんなさい……」
ジゼルが消え入るような声で呟くと、瞼を閉じた。
瞳に溜まっていた涙が、キラキラ輝く雫になる。
痛みで朦朧としている僕は、ジゼルの綺麗な涙をぼんやりと見ていた。
すると彼女が静かに目を見開き、横を睨む。
途端にジゼルから、禍々しいオーラが溢れだした。
誰に向けているんだろう?
……と、横を見て相手が分かった瞬間、僕は動いた。
「そこにいる金髪のっーー」
「っそれはダメだよ…………クロ、エ……?」
ダレンに呪いの魔法をかけようとしたジゼルの口を、飛び起きた僕が塞いでいた。
けれど素早く動いたせいで、容赦無い胸の痛みが襲ってきた。
僕は背中を丸めて、痛みの波が鎮まるのを待つ。
ジゼルは口を塞がれたまま、泣き濡れた瞳を見開いて、僕をジッと見つめていた。
なんとか顔を上げた僕は、彼女の視線を受け止めると弱々しく笑った。
「僕は大丈夫、だから……憎しみに染まらないで。……本当はその魔法、使いたくない……んでしょ?」
「…………」
ジゼルはしばらく動かずにいたけれど、目を伏せるとゆっくり頷いた。
とめどなく流れる涙が、僕の手まで濡らす。
彼女は……呪いの魔法が使えてしまうクロエは、ずっと自分を責めているんだ。
僕の蒼願の魔法も〝呪い〟になり得る。
だから、彼女の気持ちが痛いほど分かった。
滲み出ていた憎しみを感じなくなったジゼルに、もうダレンに魔法をかけようとしないだろうと思い、僕は彼女の口から手を離した。
ほっとした途端、再び胸の痛みが込み上げてくる。
「くぅっ……!」
再び胸を押さえて縮こまった僕は、そのままギュッと目を閉じて地面に伏せた。
「ディラン! ディラン!!」
僕にしがみついてジゼルが泣き叫ぶ。
激しい痛みに耐えながらも、彼女がクロエじゃないとすぐに分かった。
僕のジゼルが……
やっと戻ってきた。




