89:蒼刻の魔術師ナフメディと白猫のジゼル
「あっはっはっはっ!!」
アレックス王子が、白猫の姿になったジゼルを見た途端に、のけぞって大笑いした。
その異様な様子にジゼルだけでなく兵士たちまでも凍りつくなか、突然ナフメディさんが叫んだ。
「君の魔力をもらうよ!!」
彼はまだほのかに蒼く光っている魔法陣に滑り込むと、白猫のジゼルを素早く抱き上げた。
そして急いで呪文を唱える。
魔法陣が、目覚めたように再び輝きを放った。
何が起こっているのか分からないジゼルは、ナフメディさんの腕の中でジッとしているしかなかった。
ただ、体の中を暖かいものが流れて、ナフメディさんに魔力が渡っていくのを感じる。
「なっ! 貴様! 何をする気だ!?」
アレックス王子が思わず立ち上がって叫ぶ。
けれど次第に光が強まり、彼は顔をしかめながら腕で視界を遮った。
「僕は放浪の蒼刻の魔術師。ここにこれ以上閉じ込められるのは、まっぴらごめんだね。アレックス王子の『この猫を市中に放り出したい』思いを利用させてもらうよ!」
ナフメディさんが清々しいほどのニコリとした笑みを浮かべると、彼らの姿は光に包まれて見えなくなった。
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ジゼルが行方不明になってから初めての蒼い月の夜。
とりあええず開けてはいる店の中で、僕は1人、カウンター内の椅子に座ってお客様を待っていた。
……本当はそんな気分じゃないんだけど。
僕は、ばたりとカウンターに突っ伏した。
ジゼルの行方は分からないままだった。
僕は寝る間も惜しんで、必死に彼女を探した。
いろんな人に聞き回ったし、何か分かったら教えて欲しいとも伝えた。
……けれど、ジゼルは見つからなかった。
どこかで大怪我した?
誰かに攫われた?
まさかジゼルから出ていった??
彼女が心配で、でもこれ以上どうすることも出来なくて……
やり場のない思いだけが頭を占める。
そばにいるのが当たり前だったジゼル。
でも突然居なくなってしまい……
今はこんなにも寂しくて辛い。
僕はゆっくり体を起こし、肘をついて頭を抱えた。
「…………」
顔を上げると、天井の窓から降り注ぐ蒼い月明かりが目に入った。
僕はそれを恨めしそうに見つめる。
蒼願の魔法で、僕自身の願い事が叶えられればいいのに。
僕の強い思い。
それは……
『ジゼルに戻ってきて欲しい』
すると願いが通じたかのように、カウンターの前が蒼く光りだした。
「……?」
何かが起きている気はしたけれど、すぐには気持ちが動かなかった。
僕はただぼんやりと光を見つめ、やがて眩しさに目をつぶった。
ーーーーーー
「あ、無事に帰ってこれたようだね」
静かな部屋に、聞いたことのある声が響いた。
そっと目を開けてみると、そこには意外な人物が立っていた。
「ナフメディさん!?」
驚きで彼を見つめた僕の目に、腕の中の白いふわふわが映る。
それを見た瞬間、僕は弾かれたようにカウンターから飛び出した。
「ジゼルッ!!」
僕が駆け寄ると、ナフメディさんが白猫を差し出してくれた。
「疲れて眠っちゃったみたい」
スヤスヤ眠っているジゼルを、僕は優しく抱きかかえた。
「…………良かった」
ジゼルを抱きしめて、思わずその頭に頬ずりをする。
目の奥がツンとして、じわじわと涙が溢れてきた。
なんで猫の姿なのか分からないけれど、無事に戻ってきてくれただけで嬉しかった。
その時すぐそばで、バタンと人の倒れる音がした。
ふわふわの毛並みから顔を上げると、ナフメディさんが床にひっくり返っている。
僕はすぐにしゃがんで、彼の顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
「……蒼願の魔法、2連続はきついねぇ……そこのジゼルちゃんに、魔力をほとんど貰ったんだけどね……」
「…………?」
「おじさん、無理しちゃったんだよ……今日は眠らせて……」
ナフメディさんは何とかそこまで言うと、目を閉じて本当に眠ってしまった。
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よっぽど疲れていたのか、翌日になってもナフメディさんとジゼルはぐっすり眠っていた。
僕はそわそわしながら待ち続け、ようやく話を聞けたのは、日が傾きかけたころだった。
「いやー、参ったよ。こんなに寝てしまうなんて、すまないね」
ナフメディさんが苦笑しながら、リビングのソファに腰をかけた。
そして背もたれに深く沈み込み、ため息をついてこぼす。
「もう年なのかな〜」
ナフメディさんの向かいに僕も座ると、ベッドでまだ眠っていたはずのジゼルが、扉の隙間から現れた。
トコトコと僕の足元に近付くと、ピョンと膝の上に飛び乗る。
そして丸まると目を閉じてじっとした。
僕はジゼルの背中を撫でながら、話を切り出した。
「…………お疲れのところ、すみません。ジゼルに何があったんですか?」
「それがさぁ、大変だったんだよ〜」
ナフメディさんが悲鳴をあげながら、順を追って説明してくれた。
アレックス王子に捕えられていたこと。
同じく捕えられたジゼルに、たまたま引き合わされたこと。
前に会った時とジゼルの姿が変わっていたけれど、蒼刻の花嫁の証ですぐに分かっていたこと。
王子の願いを叶えて、ジゼルが猫になってしまったこと。
僕の『ジゼルに戻ってきて欲しい』という願いを利用して、蒼願の魔法で戻ってきたこと。
ジゼルとナフメディさんは、わざと初対面を装って、2人でキールホルツ国のどこかに転移したと思わせていること……
ーー全てを聞き終えた僕は、うつむいて思い悩んでいた。
「にゃ〜」
そんな僕を心配してか、ジゼルが伸び上がり頬に頭をグリグリと擦り付けた。
お礼に僕は、彼女を宝物かのように優しく抱きしめる。
ナフメディさんが、僕らを優しく見つめながら言った。
「まぁ、猫に戻ったのはショックかもしれないけど、そうしないで先に逃げちゃうと、あの王子がどこまでもジゼルちゃんを追いかける気がして……それに、ディランくんがジゼルちゃんを人間にしたいと願えばいいんじゃない?」
「…………」
僕はジゼルを抱きしめたまま、微動だにしなかった。
「どうしたんだい? …………あれ?」
心配したナフメディさんが、僕の様子を窺う。
そして僕に……僕の腕の中にいるジゼルに意識を向けてしまったのだろう。
彼は思ってもみなかった僕の思いを読み取り、狼狽えた。
「……ディランくん、それって……」
僕はゆっくり顔を上げて、ナフメディさんに静かに視線を重ねた。
「僕は…………ジゼルを人間にはしません。猫のままでいてもらいます」




