88:蒼刻の魔術師ナフメディと白猫のジゼル
ジゼルの目の前に現れたナフメディさんが、苦笑を浮かべながら王子に語る。
「ちょっと、待遇が違いすぎません?〝蒼刻の魔術師について話が聞きたい。そのあいだ贅沢させてくれる〟って言うからついてきたのに……」
ナフメディさんが腰に手を当ててため息をつく。
そして小さく「これじゃ軟禁じゃないか」と呟いていた。
彼のその様子に、疲れの色が滲んで見えた。
「王宮に住まわせてやってるんだ。それだけで充分贅沢じゃないか。ほら、さっそく魔法をそこの女にかけろ」
アレックス王子が、背中を椅子に預けるようにふんぞり返った。
そしてあごでジゼルを指し示す。
ナフメディさんがムッとしながらも、ジゼルの方を見る。
「…………?」
彼は一瞬目を見開くと、ゆっくり顔を近付けてジゼルを穴が空くほどジーッと見つめた。
ジゼルが以前ナフメディさんに会った時、まだ猫だったため少女の姿だった。
今のジゼル・フォグリアの姿とは異なっている。
それでも何か感じるものがあるのか、ナフメディさんが探るようにジゼルを見続けた。
ジゼルも〝気付いて!〟という気持ちを乗せて、ナフメディさんを熱心に見た。
あまりにも2人が見つめ合うものだから、アレックス王子が訝しんで聞く。
「……どうした?」
ナフメディさんが、ジゼルから王子に視線をパッと移した。
「いやね、彼女は何かしたんですか? 縛られてるから悪いことでも?」
彼は肩をすくめてひょうひょうと聞いた。
「そいつはボクが復讐したい魔術師の恋人だ。元々猫だったのを、魔法で変身しているらしい」
アレックス王子が親切にも説明し始めた。
「ボクはグランディ国のクリスティーナと結婚する予定だった。けれどその魔術師の魔法のせいで出来なくなったんだ……腹立たしい」
王子が忌々しげに顔を歪める。
ナフメディさんはその間も静かに聞いていた。
「それでその魔術師にも、愛する人と添い遂げれない苦しみを与えてやる。この女を猫に戻して市中に放り出す。やつは一生、この女を探し続ければいい」
アレックス王子がニヤニヤ笑いながら続けた。
「でもキールホルツ国に来たら、タナエル王子の管轄外だ。ボクがどうとでも出来る」
「…………」
ナフメディさんが神妙な顔をした。
そしてゆっくりとジゼルに目を向ける。
「王子が言うように、強い思いがこちらの女性に向けられていますね。元の猫の姿に戻したいという思いが」
アレックス王子の思いは強かった。
それは恨みからくる強さだけれど。
ジゼルは必死にナフメディさんを見つめた。
グランディ国の魔術師が、ディランのことだってだけでも気付かないかな?
さっきの話だけでは難しい?
どうしよう……!?
念じるだけでナフメディさんに想いは届くはずもなく、アレックス王子が無情にも告げた。
「じゃあ、さっそくかけてくれ」
ナフメディさんが、部屋の端で無言のまま控えている兵士たちをチラリと見る。
「……分かりました。まずは魔法陣を描きますね。ここに書いても?」
彼はそう尋ねながら、手のひらの上に魔法のペンを出現させた。
「構わない」
アレックス王子の許可を受けて、ナフメディさんがさっそく魔法陣を床に描き始めた。
ーーーーーー
「魔法陣が出来たから、真ん中に立ってくれる?」
描き終えたナフメディさんが立ち上がり、魔法陣に視線を向けたままジゼルに伝えた。
「…………」
ジゼルは彼をすがるように見つめた。
本当に蒼願の魔法をかけるの?
ナフメディさん!?
なかなか動かないジゼルに痺れを切らしたアレックス王子が、目線だけで兵士に指示を出す。
一人の兵士が歩み出てジゼルの腕を掴むと、無理矢理引っ張り魔法陣の上まで移動させた。
「ん〜! んん〜!!」
ジゼルは身をよじって抵抗したけれど、魔法陣の真ん中に否応なく立たされた。
逃げられないように、腕をしっかりと掴まれたまま。
そんなジゼルと向かい合うように、ナフメディさんが魔法陣の縁に立った。
「始めるよ」
優しくジゼルに笑いかけると、目を閉じてそっと呪文を唱え出した。
「!?」
ジゼルの足元がほわっと蒼く光る。
ナフメディさん!?
……嫌。
猫に戻りたくない!!
猫になって解放されても……
無事にディランの所に帰れるか分からない。
…………ディラン!!
ジゼルの瞳に再び涙が浮かんだ。
嫌がる彼女を無慈悲なほどに、蒼い光が優しく包み込む。
眩しさに思わずギュッと目を閉じると、涙が頬を伝っていった。
蒼い光にジゼルが完全に閉じ込められたころ、腕を掴んでいた兵士が静かに離れていった。
ジゼルを包んだ光の球が、徐々に小さくなっていく。
それにつれて、蒼い光も穏やかに薄れていった。
間もなくすると、魔法陣の上に小さな光のドームがぽうっと輝いていた。
その中に、うっすらとふわふわの毛の塊が見える。
「上手くいったようだな」
椅子に座ったまま眺めていたアレックス王子が、満足そうに目を細めた。
ドーム状の光もやがて収まると、そこには丸まっている白猫の姿があった。
白猫はゆっくり瞬きをして、その青い瞳を見開いた。




