87:隣国の王子
ぽかぽか陽気が続く、よく晴れた午後のこと。
ジゼルは用事があって出掛けていた。
僕はといえば、リビングのソファで本を開き、のんびり過ごしていた。
窓から差し込む麗らかな日差しに、ふと外に目を向ける。
こんなに陽だまりが心地よい日は、ジゼルが日向ぼっこをしたがるだろうなぁ。
早く帰ってこないかな?
と、彼女がうとうとする様子を思い浮かべて、つい口元が緩む。
僕はまた本に視線を落としてページをめくった。
ーーけれど夕暮れ時になっても、ジゼルは戻ってこなかった。
「…………おかしいな」
窓際に立つ僕は、オレンジ色の空を見上げた。
ジゼルが断りもなく、ここまで長いあいだ帰って来なかったのは初めてだった。
何か事件に巻き込まれたのかも?
不安にかられた僕は、彼女を探しに外へ出た。
よく行く通りや広場、もう店じまいをしているマルシェ……
ジゼルが行きそうな場所を探し回ったけれど、彼女はどこにもいなかった。
あと考えられるのはーー
僕は白の魔術師が集まる、ウィリアムの屋敷へと足を運んだ。
ーーーーーー
「え? ジゼル? 来てないよ」
僕の目の前には、きょとんとしているホリーがいた。
屋敷を訪ねた僕は、ホリーをエントランスホールに呼び出してもらい、早速ジゼルについて聞いていた。
「……そっか。ありがとう」
「ジゼルがいないの?」
ホリーが心配そうに眉をひそめる。
「うん。出掛けたきり戻ってこないんだ。行きそうな場所を探したけど居なくて……」
「どこを探したの?」
「まずは家の近くのメイン通りとーー」
僕はさっき探し回った場所を挙げていった。
ホリーはふんふんと聞いており、たまに「あそこは?」と質問を挟む。
けれどその度に「見たけどいなかった」と答えていると、しまいには思い当たる場所がなくなったのか彼女は口をつぐんだ。
「それでもしかしたら、ホリーの所かなって思ったんだけど……」
僕はガックリと肩を落とした。
ここに居ないとなると、まるで検討がつかない。
「…………案外、入れ違いでもう家に帰ってるかもよ?」
ホリーは僕を元気づけるために、わざとニッコリ笑ってくれた。
「私も探すの手伝おうか?」
「ううん、大丈夫。もう遅いし、僕も一度家に戻ってみるよ」
弱々しく笑ってみせた僕に、ホリーは小さくうなずいた。
それから帰ってみたものの、家はもぬけの殻だった。
僕は夜になってもずうっと探し続けた。
だけど、彼女の姿はどこにも見つからないまま。
ジゼルは……
忽然と姿を消した。
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ーーーーーー
ーーーー
ーー
ガラガラガラガラ……
いつまでも続く煩わしい音と、ガタガタ揺れる振動のせいで、ジゼルは目を覚ました。
でも動くことも声を出すことも出来ない。
「……!?」
その状況に一瞬パニックに陥るも、必死に目だけをキョロキョロと動かして辺りの様子を窺う。
彼女は馬車の中で横たわっていた。
後ろ手に手首を縛られ、足首にも縄が巻かれている。
口には猿ぐつわを噛まされていた。
横向きのまま、ジゼルは床に押しつけられた片耳をゆっくり持ち上げた。
少しでも音を拾おうと、首をねじって上を向く。
するとさっきから頭に響いていた車輪の音が、幾分かは和らいだ。
……けど、馬車の音しか聞こえない……
誰かの話し声でもしないかと耳を澄ましていた彼女は、それ以上音に集中するのは諦めた。
この馬車の中にはジゼルしかおらず、そばには木箱や大きなカバンが積まれていた。
どうやら荷馬車に押し込められているようだ。
それに……よく見ると、荷物にキールホルツ国の紋章が入っている……
ジゼルは嫌な予感に思わず眉をひそめた。
どのくらい眠っていたのかな?
路地を歩いていたら、突然現れた男の人に口を塞がれて……
あれで気を失って、きっとそのまま連れ去られたんだ。
そして向かっているのはーー
隣国キールホルツ。
「…………」
行き先が分かったところで、ジゼルにはどうすることも出来ない。
焦る気持ちを抱えながら、ただ馬車の揺れに身を任せるしかなかった。
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数日かけて馬車は目的地に到着した。
引きずり出されるように馬車から降りたジゼルの目の前に、立派な城がそびえ立っていた。
その煌びやかな城内に通されたのも束の間、すぐに薄暗くて埃っぽい小部屋に放り込まれる。
そうして夜になるまでそこで過ごすと、案の定アレックス王子からお呼びがかかった。
ジゼルの足首の縄だけが外され、自分で歩くように促されながら暗い廊下を移動する。
相変わらず手首の縄と猿ぐつわはそのままだった。
縛られて床に転がされていたせいで、体の節々が痛む。
……酷い扱いだ。
けれどこれから、もっと酷い事をされるかもしれない。
喉の奥がきゅっと詰まるのを感じながらも、ジゼルは案内役についていった。
すると、息を呑むほど豪華な広間に通された。
奥では華美な椅子に座ったアレックス王子が、足を組んで待ち構えている。
不安で涙が出そうになるのをぐっとこらえたジゼルは、背筋を真っ直ぐに伸ばし、凛とした足取りで王子の前に進み出た。
「……貴様がジゼルか。ちゃんと調べはついている。元は猫だったそうじゃないか」
アレックス王子がニヤニヤ笑った。
ゆっくりと椅子の肘掛けに腕を起き、頬杖をつく。
「…………」
ジゼルはそんな王子をじっと見据えた。
喋れないので、目線で訴えるしかない。
「ボクはディランの魔法のせいで、クリスティーナと結婚することが出来なくなった。上手くいっていたのに……今ではもう、どうすることも出来ない。愛する人を失ったに等しい……」
アレックス王子は憎々しげに言葉を区切るように告げると、ニタリと笑って続けた。
「だから……ディランにも同じ苦しみを味わってもらおうと思ってね」
っ殺される!?
ジゼルは思わず身をすくめた。
それを見たアレックス王子がクスクス笑う。
「大丈夫。ボクは直々に手を下さない。そんな夢見が悪そうなことはしない。慈悲深いだろ?」
彼がいやらしく、それでいて楽しげに笑った。
王子の前では気丈に振る舞っていたジゼルが、とうとう涙を目尻に浮かべてしまった。
……怖い。
何をされるのかさっぱり分からない。
拘束されているから、魔法も使えないし……
震えるジゼルをよそに、アレックス王子が続ける。
「まずは貴様の魔法を解こう。猫に戻してやる」
「…………」
「それから……そうだな。猫らしく自由にどこへでも行くがいい。グランディ国まではいかずとも、キールホルツ国もなかなか広大だぞ?」
「…………」
「不思議そうな顔をしているな。ボクの願いを魔法で叶えるんだよ。ーー『ジゼルを猫に戻して欲しい』という思いをな!」
「!?」
アレックス王子の言葉を受けて、ジゼルは急いで窓の外に目を向ける。
外はーー
蒼くて優しい月明かりで満ちていた。
その時、ジゼルの背後で扉が荒々しく開け放たれた。
同時に困惑する誰かの声が響き渡る。
「え、なになに? 痛いんだけど……わわっ!」
左右の腕をそれぞれの兵士に捕まれた男性が、強引に中に放り込まれた。
「ひっどいなぁ、もう」
よろけた男性が体勢を立て直すと、スタスタとジゼルたちに近付いてくる。
すると戸惑うジゼルの瞳に、彼の顔がハッキリと映った。
「…………っ!!」
その瞬間、彼女は息を呑んだ。
驚き過ぎて、涙も引っ込んでいく。
彼は……放浪の蒼刻の魔術師。
ナフメディさん!




