86:高貴なお客様2
次の日の朝、父さんと母さんは出発するために家の外に出ていた。
今回は、有名な観光地に行くついでに、僕の家に立ち寄ったそうだ。
僕の両親らしく、何とも自由を謳歌しており羨ましい。
見送りに出ている僕とジゼルは、両親と向き合って立っていた。
母さんがジゼルの両手をしっかり握る。
「ジゼルちゃん。ディランをよろしくね」
その隣で父さんも、目でジゼルに〝頼んだよ〟と伝えている。
「はーい」
ニコニコ顔のジゼルが元気に答えていた。
……昨日のジゼルの発言で、しっかりしていない息子だと認定されてしまった。
まぁ、ジゼルの方が頼りになるのは本当だし、別にいいんだけどね。
僕は3人の様子を、ちょっと拗ねたような顔で見守っていた。
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両親が去ってからしばらく経ち、迎えた蒼い月夜の日。
僕とジゼルはお店のカウンター内の椅子に座って、訪れるか分からないお客様を待っていた。
カウンターに両手で頬杖をついているジゼルが、なかなか開かない店先の扉をじっと見つめる。
「このところ平和だねー。タナエル王子たちがムカレの国に行っちゃって国を空けてるけど、何も起こらなそうで良かったね」
「そうだね。もうしばらくは、この平和な感じが続くかもね。向こうから呼び出されることがなければ」
僕がなんとなしに答えると、ジゼルが手に頬を乗せたまま、顔をこちらへ向けてきた。
「あんまり言ってたら、本当に呼び出されそう……」
「…………」
僕たちは顔を見合わせて押し黙った。
タナエル王子とミルシュ姫は、新婚旅行もかねてムカレの国に改めて挨拶に行っていた。
結界も継続して張れているようだし、タナエル王子たちに危ないことが無い限り、呼ばれないと思うけど……
いや、思いたい。
僕が渋い顔になっていると、いきなり外が騒がしくなった。
車輪の音と馬の蹄が地面を蹴る音が、けたたましく鳴り響く。
それがあっと言う間に近付いたかと思うと「止まれ!」と、慌てた御者の叫びが上がり、中から何やら言い合いをしている2人が降りて来た。
そしてあろうことか、この店の前へと向かってきている。
こんな夜に、周りのことも考えずにうるさくするような客に、ろくな奴はいない。
僕は椅子から立ち店先の扉へと向かった。
「ジゼルはカウンターの中にいて」
僕の強めの言葉に、ついてこようとしたジゼルが動きを止める。
危害が及ばないよう、彼女には少しでも安全な場所にいて欲しい。
僕が扉に手をかけようとした瞬間、外から勢いよく開いた。
「ここに蒼刻の魔術師ディランはいるか!?」
「アレックス王子、1人で突っ走らないで下さいっ!」
店に飛び込んで来たのは、どこぞの高貴なお方だった。
身なりがいかにもお金持ちという感じで、無駄にキラキラしていた。
そして溢れ出る傲慢な態度。
おまけに後ろからついてきた従者に〝アレックス王子〟と呼ばれーー
……王子?
それが本当なら、グランディ国の王子じゃなくて、違う国の王子になる。
グランディ国にはアレックスという名の王子なんていないからだ。
なんでこんな所に?
僕は平静を装って答えた。
「ディランは僕です」
「……お前か!?」
急に逆上した王子が、僕に掴み掛かってきた。
「うわっ!」
僕は反射的に腕を上げて、彼の手から逃れようとする。
「王子! やめて下さい!!」
従者がアレックス王子を止めようと、後ろから羽交締めにした。
「……チッ」
王子が渋々手を離すと、僕は簡単に身なりを整えながら従者に言った。
「いきなり何でしょうか?」
「申し訳ございません。王子はクリスティーナ王女と結婚出来なかったのは、ディラン様の魔法のせいだと仰っておりまして……」
「…………」
ギョッとした僕は、ゆっくりとアレックス王子の顔を見た。
従者に腕を押さえられている彼は「フンッ」と思いっきりそっぽを向いた。
僕の顔から一気に血の気が引くのを感じた。
けれど震える唇でどうにか言葉を絞り出す。
「……僕はディラン・オーリックです。貴方は隣国の第二王子様ですか?」
すると、王子が顔を背けたままぶっきらぼうに答える。
「そうだ」
「アレックス・キールホルツ王子です。こんな夜にいきなり押しかけて申し訳ございません」
腰の低い従者が、ペコペコと頭を下げた。
…………
隣国キールホルツ国の第二王子。
クリスティーナ王女の元結婚相手だ。
それが分かった途端、冷や汗が背中を伝った。
相手は王族……
しかもすごく怒ってる。
わざわざ本人が足を運ぶぐらいだから、下手したら殺されるかもしれない。
鼓動が早くなる中、僕は必死に考えた。
どうにかこの場を凌げる方法を。
「……アレックス王子。こんな遠くまでお越しいただきありがとうございます。確かに僕は蒼刻の魔術師なので、人から向けられた願いが叶えられます」
僕が努めて冷静に喋り始めると、そっぽを向いていたアレックス王子がこちらを向いた。
一息ついてから、僕はゆっくりと言い切る。
「……ですが、クリスティーナ王女に魔法をかけたことは、ありません」
ーー本当のことのように、堂々と。
僕はあくまでも〝町娘のクリス〟にかけたんだから。
けれどカッとなったアレックス王子が、僕に詰め寄る。
「嘘を言うな! これでも王家の諜報員を使って調べたんだぞ!?」
「…………」
僕はわざと眉を下げて困った表情を浮かべた。
従者がアレックス王子の言葉に、慌てふためいた。
「王子!? おかしいと思ったら、お兄様である王太子様の諜報員に、無断で指示を出しましたね!?」
「……別にいいじゃないか」
「ダメです! この前も怒られていましたよね!?」
アレックス王子と従者が、やいのやいの騒ぎ始めた。
……どうやらこの王子様は、そこまで賢くはなさそうだ。
さっきから従者の彼も、お世話役というより、お目付け役のようだし……
僕は2人にバレないように深呼吸をした。
少しでも落ち着こうとしながら、静かに語り始める。
「僕は、グランディ国の王様との約束で、それ以外の王族には魔法をかけてはいけないんです」
「なぜだ?」
「争いの元になりますから……例えば、誰かに死を願われた王族に、魔法をかけるとかーー」
僕はアレックス王子でも理解出来るように、極端な例を出した。
「…………」
「僕の言うことが信じられずに、どうしてもクリスティーナ王女に魔法をかけたと思うなら、1度グランディ国の王様に問い合わせてもらえませんか?」
僕は眉を下げたまま、ほほ笑んだ。
遠回しに、グランディ国の後ろ盾があることを匂わせて。
「…………」
アレックス王子がバツの悪そうな顔をして、目線を下に向けた。
「あ、僕は次期国王であるタナエル王子の専属になるんで、タナエル王子に問い合わせてもらってもいいですよ」
「ゲッ……」
アレックス王子が、あからさまに嫌がるそぶりを見せた。
ーータナエル王子。
こんな時にだけ、思いっきり貴方の威を借ります!
他国にも強気な王子で本当に良かった!
僕は若干失礼なことを思いながら、タナエル王子に多大な感謝を寄せた。
すっかり気落ちしたアレックス王子の様子に、従者は押さえていた彼の腕をそっと離す。
「……王子、ディラン様は魔法をかけていないと仰っております。魔法をかけた証拠でもない限り、これ以上はどうすることも出来ないかと。グランディ国の王様たちに、問い合わすまでもないですよね」
従者は必死に王子を宥めた。
これ以上、グランディ国の王家と揉めて欲しくないのだろう。
アレックス王子は、歯痒そうに顔を歪めながら何とか発言した。
「…………分かった。失礼する」
そう言うなりくるりと背中を向けて、足早に扉へ向かう。
「あ、1人で行かないで下さいってば〜!」
心労が絶えなさそうな従者が、アレックス王子を追いかけていく。
慌ただしい訪問者たちが出ていくと、バタンと勢いよく扉が閉まった。
僕は談話スペースのソファにフラフラと歩いていき、ドサっと身を投げるように座った。
「…………っ何とかなったぁ〜」
そこにいそいそとジゼルもやって来て、隣にちょこんと腰掛ける。
「お疲れ様。まさか隣国の王子様がわざわざ来るなんて……」
「うん。今までで1番すごいクレームだったよ……どうにか帰ってくれて良かった」
僕とジゼルは顔を見合わせて、苦笑した。
ーーけれどこの時、アレックス王子は素直に帰ったわけじゃなかった。