85:蒼刻の魔術師について
和やかな祝賀会は進み、僕とジゼルの思い出話へと話題が移っていった。
魔術師の集会で、王族側の席に座ったことから始まり、ミルシュ姫を助けるために、国に向けられた願いを叶えたことや、その流れで僕が蒼の魔法以外も強化されたこと。
挙げ句の果てには聖の魔法が使えるようになったことなどを話した。
おもにジゼルが。
「フフフッ。ディランって凄いですよねー!」
「「…………」」
父さんと母さんが言葉を失っている。
ジゼルが若干盛り気味に話す内容に、両親は明らかに引いていた。
父さんが憐憫の眼差しで僕を見る。
〝息子はこれから一体、どうなってしまうんだろう?〟
ーー悲しげなその様子は、哀愁を感じさせるほどだった。
母さんが心配そうな目線を僕に向ける。
〝無理しすぎじゃないのかしら? 今日も寝込んでいたし……〟
僕が脳内で勝手にセリフを割り当てていると、母さんがあけすけに言った。
「目立ち過ぎじゃない? 人前に出たがるタイプだっけ??」
あ、まったく体の心配されてなかった。
「僕は目立ちたくないんだけどね。もう少しゆるく過ごしたいな」
大きく息をついた僕は、グラスのワインを一口ふくんだ。
隣のジゼルが、そんな僕を見て苦笑する。
「ディランは優しいから、つい人を助けるために頑張っちゃうよね」
彼女は柔らかく笑い、僕の言葉に寄り添ってくれた。
夕食を済ませ、みんなでわいわい片付けをしたあとに、父さんが蒼刻の魔術師についての書物を掘り出してきた。
渡された僕はリビングにジゼルを呼び、並んでソファに座った。
向かいに腰を下ろした父さんが、顔を寄せ会うようにして表紙をのぞき込む僕らを、優しく見守る。
僕は古びて茶色く変色した本を、そうっと開いた。
その時ちょうど母さんもやってきて、目の前の机にみんなの分のハーブティーを配っていく。
「蒼の魔術師? しかもこれって……」
本に目を通した僕が思わず呟くと、ハーブティーを手にして寛いでいる父さんが返事をした。
「そうなんだ。昔々は蒼の魔術師と呼ばれていたんだよ。その本は、歴代の蒼刻の魔術師について書かれた本なんだ。と言っても本家筋の蒼刻の魔術師の名前を、書き連ねているだけの本だけどね」
父さんの隣でほっと一息ついていた母さんが、驚いた顔で聞く。
「そんなのがあったのね。初めて見たわ。フフッ、蒼刻の魔術師は自分たちのことに無頓着なのに……」
「あはは。本当だねぇ」
両親は笑い合ったのを機に、2人でお喋りを始めた。
僕は再び本に目を向け、系譜のような名前の列を追った。
一緒に見ているジゼルが身を乗り出して、本の一角を指し示す。
「1番端はディランだね」
「そうだね。父さんの文字かな? 書き足してる……ジゼルも蒼刻の魔術師だから書く?」
僕はフフッと笑いながらジゼルを見た。
「えへへ。私はなんちゃってだから書かないで。次に書くのは私たちの……」
そこまで言ったジゼルがハッとして固まる。
顔を赤くした彼女は、すぐさまそっぽを向いた。
「何でもなーい」
「??」
僕は小首をかしげながらも、視線を本へと戻した。
自然と、時を遡るように名前を辿っていってしまう。
僕たちの始まりは誰なんだろうと。
「……あれ? てっきり始めはメアルフェザー様だと思ったのに……」
そう呟きながらページをめくる。
すると、蒼刻の魔術師の成り立ちについて綴られたページが現れた。
何故か目が離せなくなった僕は、その文章を一行ずつ追っていった。
そっぽを向いていたジゼルも、気が付くと一緒に本を覗き込んでいた。
どんどん読み進めていき、指先でゆっくりとページを送り出す。
すると、目に飛び込んできたその名前に、僕の心臓が跳ねた。
「父さん、これ本当!?」
顔を上げ、目の前の父さんに食いつくように聞いた。
心臓が痛いくらいにドキドキしている。
動揺を隠したい僕は、眉間にシワを寄せて奥歯をぐっと噛み締めた。
けれどその表情がかえって訝しんでいるように見えたようで、面を食らった父さんが慎重に答える。
「……そんな聞かれ方したら不安になるなぁ。蒼刻の魔術師が書いたものだから……」
「…………そっか」
僕は騒ぐ胸をなんとか抑えて、再び本に目を落とした。
開いたページにはこう書かれていた。
【蒼刻の魔術師は、女神であるリンネアル様の血を分けて生まれた存在】だと。
ーーリンネアル。
火薬入り花束を抱えた少女を助けた後、混沌とした眠りの中で見たあの夢で……
黒髪の青年が、憎々しげに言っていた名前だ。
考え込んでいる僕の耳に、ジゼルの澄んだ声がすっと差し込んだ。
「リンネアル様はたしか、春の女神であり希望の女神様だよ。春の女神はネアル様、希望の女神はリンネアル様って呼ばれるけれど、同一人物なんだ」
僕が彼女をまじまじと見ると「ジゼルさんの知識だよ」と言って優しく笑ってくれた。
いつもの穏やかなジゼルを見ていると、僕の騒つく気持ちも落ち着いていく。
その証拠に、僕も釣られてふっと笑みがこぼれた。
それからまた、本の続きに目を通す。
【リンネアル様は、人を救うために罪をおかし、神様から降格されて巫女になってしまった。そのため蒼の魔術師には、リンネアル様の思いを継いで、人の願いを叶える力がある】と締めくくられていた。
「だったら、メアルフェザー様じゃなくて、リンネアル様に祈りを捧げそうなものなのに……」
僕は本に向かって眉をひそめた。
知れば知るほど、蒼の魔法は不可解だ。
「リンネアル様……春の女神……希望……」
僕はブツブツと再び考えを巡らせた。
そんな僕を覗き込むように、前屈みになったジゼルが尋ねる。
「何が引っ掛かってるの?」
「蒼い月の湖で会った女性が……リンネアル様かもしれない」
「ディランは女神様に会ったってこと!?」
彼女はその青くて穏やかな瞳をまん丸にさせた。
「うん。けど実体はなかったし、メアルフェザー様の様子だと、リンネアル様が見えているのは僕だけのようだったね」
「…………そうだね。メアルフェザー様も、リンネアル様の声が聞こえたディランに驚いていたし」
「それが不思議なんだ。どうしてリンネアル様は、意識だけの存在なんだろう?」
「うーん……」
僕らは思わず、リビングの窓から見える夜空に目を向けた。
今日は蒼くない、いつもの白い月が出ているのにも関わらず。
……この本に書いてる事が本当なら、蒼刻の魔術師の力はリンネアル様に由来する。
彼女から託された思い。
〝みんなを幸せにしてあげて〟
ーーこれは何となく分かる。リンネアル様の代わりに人々を幸せにして欲しいんだと。
〝メアルフェザー様を幸せにしてあげて〟
ーーこっちがやっぱり分からない。
僕はあれこれと思いを巡らせつつ、ハーブティーに手を伸ばして口に含んだ。
それを見た母さんが、ようやく落ち着いたと判断したのか、唐突に話を切り出した。
「で、ジゼルちゃんとの結婚式はいつかしら?」
「!? ……ッゲホ、ゴホ!」
ビックリしすぎて僕はむせた。
「大丈夫?」
ジゼルも赤くなりながら、僕の背中をさすってくれる。
そこに母さんが追撃をかけた。
「だって、ジゼルちゃんが無事に蒼刻の花嫁の証を貰ったんだから、次はそうでしょ?」
「……コホッ。そうだけど……」
「まさか、きちんと申し込んでないの?」
挙動不審な僕の態度を見て、母さんの目つきが冷めたものに変わる。
ジゼルが慌ててフォローした。
「大丈夫です! ちゃんと言ってくれましたよっ。ディランはーー」
早口になった彼女が、意気込んで続きを喋ろうとする。
…………嫌な予感がする。
「ジゼル……」
「飼い主のウィリアムの願いで、人間になった私に気を遣ってくれて……」
「ねぇ、いったんやめて」
「一緒に猫になろうかって言ってくれたんです!!」
「…………」
前にも味わったような空気になった。
父さんと母さんの呆れた視線が、僕に突き刺さる。
絶対盛大に勘違いされている。
ジゼルにプロポーズしたんじゃなくて、人間やめて自堕落に生きたい願望を語ったと……
そんな白けたリビングに、弾んだジゼルの声が響く。
「ディランらしい優しい言葉だったんで、嬉しかったんですよ!」
彼女は飛びっ切りのいい笑顔を浮かべた。
そんなジゼルをチラリと見た父さんが、僕に目線を戻して呟いた。
「……本当に、ジゼルさんみたいな良い子が来てくれて良かったね」
母さんも大いに頷いていた。