83:月夜の役者たち
「……じゃあ、魔法をかけますね」
僕は静かに心を澄ませるように呟くと、ゆっくり目を閉じた。
長い長い呪文を紡ぎながら、ティファニーに向けられた数多の思いへと意識を向ける。
それを1つ1つ、丁寧に探っていく。
これは……
グレッグのもの?
途中で彼からの思いを拾った。
グレッグに再会できて本当によかった。
知ってる人の思いだと、形がよりくっきりと分かるから。
この思いを軸にしよう。
僕は意識を更に集中させて、たくさんの思いから優しいものを選び取っていった。
メアルフェザー様。
また力を借ります。
彼女を何としてでも幸せにしたくて。
だから……見守っていて下さい。
心の底から願いを込めて呪文を唱えると、突然ぶわりと体が暖かくなった。
ムカレの国で蒼願の魔法をかけた時と同じ感覚に、元始の魔法陣が展開されたと直感した。
「……くっ」
ただ、無理に2回目を強行したからか、ものすごく体が重くなった。
僕は歯を食いしばりながら、その圧に耐える。
思わず呪文を唱える声が、途切れ途切れになった。
「ディラン……」
手を繋いでいるジゼルが、握る力を強めた。
…………
大丈夫。
今の僕なら出来る。
だってほら。
みんながこんなに、力を貸してくれているからーー
大きな流れに身を委ねるように力を抜くと、体の中を暖かな力と無数の思いが一気に駆け抜けた。
僕は額に汗をにじませ、そっとほほ笑んで最後の呪文を唱えた。
ーーーーーー
部屋中に溢れていた蒼い光が収まると、ティファニーが声を発した。
「……終わったの? そうだ、鏡!」
彼女は床に置いたままの手鏡を慌てて拾い、自分の顔をすぐさま確認する。
「これって…………」
鏡をじっと見つめたティファニーが、思わず涙ぐんだ。
そこには元の彼女より、穏やかで柔らかい印象の若い女性が映っていた。
すれ違ったぐらいじゃ、女優ティファニーと気付かなさそうだ。
ファンが思い描く、幸せに笑う彼女のイメージなんだろう。
僕は魔法が上手くいったことに、ほっとして息をついた。
そんな僕を隣にいるジゼルが心配そうに覗き込む。
「体は大丈夫?」
「……大丈夫だよ。ありがとう」
僕はニコリと笑ってみせた。
「ディランさん」
涙を流すティファニーが、僕を見て続けた。
「本当に……本当にありがとうございます」
「いいえ。呪いの魔法をかけたままにしたくなかったので、上手くいって良かったです」
「コンラッドたちに裏切られてショックだったけど、いろいろ考えさせられたわ。私はたくさんの人の気持ちを蔑ろにして、傷付けてしまってもいたのね。これからは、もっと周りに目を向けれたらなって思っているの……」
ティファニーが次から次へと溢れてくる涙を、両手で交互にぬぐった。
「それも大切だと思いますが……ティファニーさん自身の気持ちを大事にすることが、1番だと思いますよ。僕は辛かったら逃げてもいいと思います。今はよく休んで下さい」
僕がそう言うと、ティファニーはハッと目を開き、それから嬉しそうに笑った。
ーーーーーー
憑き物がとれたようにスッキリしたティファニーが、店の外に出た。
僕とジゼルも彼女を見送るために、あとに続く。
「ティファニーさん」
僕が彼女の背中に声をかけると、くるりと振り向いた。
「今回の魔法は、思いの内容が漠然したものなので、何がどう変わったか分かりません。今後、何か困ったことが起きたら、また来てくださいね」
「分かったわ。何から何までありがとう。蒼刻の魔術師さん」
ティファニーが、蒼い月に照らされて幸せそうに顔を綻ばせた。
その様子は、店に来た時よりも美しく輝いて見えた。
見送りを終え、僕たちは店内に引き返そうとした。
扉を開けた手でそれを支えると、先にジゼルを通してあげる。
「ありがとう」
「どういたし…………っ!?」
中に入り後ろ手で扉を閉めた途端、目の前の景色がぐるりと回った。
そのまま意識が遠のき、力が入らなくなった体が床に放り出される。
「ディラン!?」
ジゼルが倒れた僕に慌てて駆け寄った。
ーーーーーー
朦朧とする意識の中。
誰かに呼ばれて薄っすら目を開けると、青い瞳がキラキラ光っているのが見えた。
「……ジゼル……?」
ぼやけた視界の奥で、彼女が涙を浮かべているのが分かる。
ジゼルは倒れた僕の頭を膝に乗せて、上から覗き込んでいた。
「……大丈夫?」
「…………うん。疲れただけ……だから……」
それだけどうにか伝えると、僕はまた目を閉じた。
やっぱり2回目の蒼願の魔法は、負荷が大きかった。
疲れ果ててしまった僕は、すぐまた眠りの世界に戻っていく。
そんな微睡の中を、ジゼルの心地よい声が耳をくすぐった。
「頑張ったもんね」
柔らかい手が僕の頭を撫でた。
「一生懸命で……世界で1番優しい人だね」
ジゼルがそう言って笑うと、涙がポロポロと降ってきた。
ーーありがとう。でも僕が頑張れるのは、ジゼルがいるからだよ。
その気持ちを言葉にすることも出来ずに、かけがえのない存在を心のそばで感じなら……
僕の意識は深く深く落ちていった。




